悪魔のささやき
恐怖に耐え切れなくて、
声に出して泣いてしまいたいのを我慢してるうちに、胸の奥で泣く声のせいで
肩が震えてくる。
気づいたら、涙がダラダラと溢れていて、ポタポタと彼の手にその雫が落ちていく。
それに気づいた彼は、
親指であたしの目尻をなぞりながら、何度もその涙を拭ってくれた。
「うぅっ…!!」
堪え切れなくて思わず出てしまった小さな泣き声に、
慌てて両手で口元を押さえた。
彼はあたしの体をギュッと強く抱きしめながら、あたしの耳に唇を当てた。
“ゆっくり…息を吸え…”
聞こえたその言葉どおりにゆっくりと肺へ息を入れていく。
“…止めろ”
心を無にしたまま、吸った息を止める。
「この下は何だ?…崖か?」
「何か見えるか?」
真上にいる人の影と声に、
お願い…どうか…見つかりませんように…とただただ願う。
「いや…何も見えない」
最高の山場だと思った。
ここを乗り切れば、きっと見つからない気がする。
ガクガク震える体を懸命に耐えながら、
横にいる彼の肩に寄りかかって、限りなく息を殺す。
“…大丈夫だ”
もう一度、耳元で低く呟くように聞こえた彼の声。
何度もうなずきながら、思わず、ズズっと鼻をすすってしまったら、
「やっぱり何か聞こえなかったか?」
上から聞こえた声に
しまったと思ったと同時に
突然横から、ぐぃっと顔を捕まれて強引に重なってきた唇。
えっ!?
一瞬、何が起きたのか、わからなかった。
な、なんで!?
うそでしょ!?
その瞬間、あたしの体は力をなくした。
ちょっと待って…。
なにこれ!!
どうして…あたし…
こいつに、キスされてるの?
あたしは、目をまん丸に見開いたまま硬直状態。
意味が…わからない。
もしかして、
あたしが声を出して泣いてしまいそうだったから?
それとも鼻をすすったから?
呆然とした中、唇は一度ゆっくりと離されて
“見つかれば殺されるぞ…”
そんなたわごとが、耳元でつぶやかれる。
そしてまた重なる唇。
真上にいる人間と、
目の前にいるこの男と
一体どっちが危険なのか、わからなくなってきた。
上でボソボソと聞こえてくる会話に
大声さえ出せない状況で、されるがままに絡めてくる唇。
あたし、今更、気づいたかもしれない。
こいつについてきた選択も…
間違いだった…かも…。
「とりあえず今日は引き上げよう」
お願いだから、早くいなくなって…。
ギュッと瞳を閉じて、そう願いながら、
唇がふさがれたまま、ガサガサと遠ざかっていく複数の足音を頭上で聞いた。
その足音がほとんど聞こえないくらいまで、小さくなったとき
――ドスっ…。
「痛っ…」
男の急所めがけて思いっきり、蹴りを入れてやった。
調度よくキマッたのか、奴は整った顔を醜くくしかめながら、地面に崩れ落ちていく。
「最っ低!!」
「仕方ない状況だった」
彼は服に付いた土をパタパタとはたきながら立ち上がると、あたしを睨み付けてくる。
「はい?」
「あれ以上声を出されては困る。見つかれば私まで殺されるのだからな。それにお前が誘惑してきた」
「ゆ、誘惑?ふざけないでよ‼︎」
こいつは、一体…。
「涙ボロボロ流しながら、抱きついてきただろ?」
「なっ!!」
あ、あぁ~そうですか!!
あたしの所為ですか!!
びっくりだ。
「お前も結構その気になってたではないか」
もう一度今度は平手打ちでも食らわしてやろうと手をかざすと、
「2度はさせない」
バッと掴まれたあたしの手首。
こんな見つかれば死ぬかもしれないっていう状況で、
まぁ声を出して泣いてしまったあたしも悪いかもしれないけど、
だからって唇でふさぐような、
よくもそんなふざけたマネができたよ。
彼はあたしの手くびを掴んだままフワっと宙に飛ぶと元いた地面に着地した。
「この辺りは危険だ。むやみにうろつくな」
「本っ当にその通りね。危険だってことを身を持って知ったわよ」
あんたみたいなエロ男がいるんだから。
「わかったならさっさと消えろ」
ほんと、なんて奴なの。
あたしは、そいつを睨みつけながら、元来た道に足を進めた。
道中、やっぱり悔しすぎて、じわっとこみ上げてきた涙をぐっと堪えた。
蓮…ごめんね。
あたし…
あんな奴と、キス…しちゃったよ。
もういや、こんなところ。
早く鏡を見つけなきゃ…。




