最終話 無職男は女神さまの夢を見るか
ただ二人で電車に揺られていた。
電車の揺れに身を任せていると、その心地よさが俺たちを眠りへと誘っていく。世界から離脱するように落ちていく。それでもユリカは確かに隣にいた。
――夢を見た。あの子の病室で子供の俺が二人で絵本を読んでいる。
――やがて願いは星の女神さまのもとに辿り着きました。
「お願い女神さま。わたしをあの男の子のところに連れて行って」
女神さまは何も言いません。その時です。星の下のずっと遠くから男の子の声が聞こえました。
それはとても小さくて、でもはっきりと聞こえる声であり、願いでした。
「・・・助けて欲しい」
女神さまは、ふっと憐れむような顔をして羽根を一本抜くと、それを女の子の身体に変えました。
言葉が身体に入ると地面が消え、身体は真っ逆さまに空を落ちていきます。空の星たちが点から白い線になって男の子のもとへ向かいます。
それに導かれながら女の子の身体はただ男の子のところを目指しました。
――あの子のページをめくる手が止まる。
「続きはまた今度ね」
そう言った途端、病室のカーテンが風になびいて顔にかかった。
――カーテンが戻ると、時間は夜に変わって、なぜか家の中にいた。隣にいたあの子はユリカに変わっている。どうやら二人とも眠れないようだった。
夜の中、なんとなく箱を見つめていると、ユリカが肩を寄せてきた。少しだけ鼓動が高まる。
箱から視線を外して、窓のほうを見た。外は静かだった。
子どもの声も、車の音も、この時間は空気を揺らさない。
「ねえ」
ユリカが独り言みたいに言う。
「わたし・・・思い出してる」
横を見ると、ユリカは笑っていなかった。
困った顔でも、悲しい顔でもない。ただ、何かを抱えたまま立っている、そんな顔だった。
「・・・そうか」
ユリカは箱に手を伸ばして、端を指先でなぞった。それからしばらく、話さなかった。
時計の音も、冷蔵庫の唸りも、妙に遠く感じる。
明日のことを考えた。
金のことも、仕事のことも、まだ何も解決していない。それでも・・・それでも。
「明日さ」
自分でも意外なくらい、自然に声が出た。
「外に出るよ」
どこへ行くかも決めていない。
何をするかもよく分からない。
ユリカは少しだけ微笑んで、ゆっくりと頷いた。
「そっか」
それだけだった。
「――ひとりで、行ける?」
「――行けるよ」
暗闇の中で、箱の輪郭だけがうっすらと見える。
俺は目を閉じて、呼吸を整えた。
怖さは残っている。
何一つ、終わっていない。
それでも、朝は来る。
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
†
小さい頃、友達がいた。
不安そうにしている様子がなんだか可哀そうでつい「あそぼう」って声をかけてしまった同い年くらいの女の子。
誰かと絵本を読むことは楽しいって。
お菓子をあげて嬉しいって喜んでくれると自分まで嬉しいって。
もし、退院したら一緒にどこか遠くに行きたいって。
そう思わせてくれた大切な友達。
そして今、俺はそんな友達に会うため、もう一度地元へ向かっていた。
あの日、ユリカが消えてから――あの夢のあと、電車の中で目を覚ますと、ユリカのコートだけが残されていた。
最初から全部夢だったのかもしれない。それでも白いもこもこのコートは確かに隣にあった。
それを見ると電車の中にも関わらず涙が止まらなくなった。人目もはばからず泣いて、家に帰っても泣き続けた。
でも、朝が来ると意外なくらい心は晴れていて、そのまま近所のコンビニに向かい、無職男はフリーター男に昇格を果たした。
正直なところ仕事はつらい。面倒くさい。普通に怒られる。
でも、生きてる実感がある分、ただ息をしていただけのあのころと比べると幾分マシなのかもしれない。
いつの間にか季節は夏に変わっていた。そんな折、叔母から電話があった。
「ナオトくんお母さんと仲良かった看護師さん知ってる? もうお見舞い来ないのって言ってるけど、なんのことかしら」
その言葉を聞くや否や家を飛び出し、地元に向かった。ちゃんと欠勤の連絡も入れた。
最近知ったことだけど、叔母は絵本作家をしているらしい。病院での読み聞かせの巡回やらなんやらで例の看護師さんと会い、俺と今も眠り続けるあの子との関係を知ったそうだ。
町の海はやっぱり凪いでいる。セミの鳴き声が盛り上げようとしても、海は落ち着き払っていた。
痛い日差しに脳天を焼かれながら叔母の家を目指した。
叔母の家はガーデニングが良く目立つ。今度はミヤコグサの小さな黄色い花弁が植木鉢いっぱいに広がっていた。
「ようこそナオトくん! 久しぶりね! 最近頑張ってるみたいじゃないの! あらユリカちゃんは?」
――やっぱり夢じゃない。小さな花弁によく似たあの金色は確かに俺の隣にいた。
「すいません一人で来ました」
「もう! ダメじゃない! ダメダメよ女の子ほったらかしちゃ! あ、これどうぞ。ナオトくんの大好きな麦茶よ」
「そんなこと言いましたっけ・・・」
ふとつけっぱなしになっているテレビに目をやると麦茶を吹き出しそうになった。
「あのおじさんだ・・・」
テレビの中では、よくあるように警察に連行されるおじさんがうつむきがちにパトカーに乗り込んでいた。
「どうしたのナオトくん?」
「いやなんでも・・・」
ふーんと怪訝な目をした叔母は、すぐにいつもの調子に戻って思い出したかのように一枚のカードを差し出した。
「これ、兄さんの病院の入館証。看護師さんいつでも来ていいよって」
「あ、ありがとうございます」
カードを受け取って大切にしまう。
「さ、こんなところに長居は無用よ! あ、そうだ最後に一つ」
「どうかしましたか?」
「いやね、なんてことないんだけどユリカちゃん。考えてみればよく似てたなって」
「似てた?」
「ナオトくんが小さい頃、よく絵本読みに病院に行ってたんだけど、そこにいた女の子とよく似てたなーって。それだけ。確かめたいから今度は連れてくるのよ!」
「絵本を読みに・・・一つお聞きしたいんですけど、星の女神さまが出てくる絵本って知ってますか?
悪魔のせいで地下に閉じ込められた女の子の願いが空に飛び出して行くみたいな内容なんですけど」
「あぁ! それね! よく知ってるわね! わたしが書いたもの!」
「え!? 叔母さんが・・・」
「えぇ! それも非売品の特別ものよ!
そのお話はね、わたしのおばあちゃん、ナオトくんからすればひいおばあちゃんかな・・・が、おばあちゃんから聞いた話なんだって。
それをわたしもおばあちゃんから聞いて絵本にしたのよ! うーん! 絵本のなかにも歴史ありよね!」
「非売品・・・良ければ聞かせてもらってもいいですか? そのお話の・・・結末を」
「うーん。どうしようかしら・・・わたしいじわるだからなぁ・・・そうだ! 今度ユリカちゃん連れて来てくれたら絵本貸してあげるわ!」
「結構貸し渋る感じなんですね」
「あれは入院して頑張ってる子を励ますための特別アイテムなのよ! だからナオトくんの頑張りを叔母さんに見せてくれたら貸してあげるわ!」
「・・・分かりました。きっと連れてきます。
でもやっぱり絵本はどっちでも大丈夫です。なんだか、その時には結末を知ってる気がするんで」
「あらそうなの? よく分からないけど、なんだかいい顔になったわね! さぁ行った行った!」
「ありがとうございました。また来ます」
そう言って、あの病院へと急いだ。
「こんなに小さかったかな」
不思議と病院は小さく見えた。それでも大きな思いを抱えて病院に入り、面会受付へと向かった。ユリカの名前と俺の名前を堂々と記入する。
「お、ちゃんと開いた」
入館証が鳴らしたピっという無機質な音は俺を拒むことなく院内に招き入れた。
躊躇うことなく5階を目指す。緊張があった。それ以上に楽しみでもあった。
あの子の・・・ユリカの病室へと向かう。
「・・・ユリカ」
あの日、暗くてよく見えなかったその顔はユリカの顔をしていた。
あの日から同じまま眠り続けている。
規則正しく上下する胸。
いくつもの管。
眠っている。
ただ、それだけの姿。
金色の髪が窓の陽で淡く透き通っていた。そこに見えた熱を伝えるように口を開く。
「暑くなったな」
病院内の温度は常に一定に保たれている。それでも、この言葉は嘘じゃない。
目覚めないかもしれない、でもきっと目覚めたらいろんな話をしよう。そのために俺は歩き続ける。
未来は暗いかもしれない。
辛いことばかりかもしれない。
それでも、目指した先には、この金色があるはずだ。
「また来るよ」
そう言い残して病室を去った。
†
彼女の指に握られた約束の鍵が陽の光で鈍く輝いている。不意にその光が反射して煌めいた。それが女神さまのいたずらのせいか、彼女の指が動いたせいなのかは
――まだ誰も分からない。
†
なおとくんへ
しばらくあえなくてごめんね。なおとくんならおともだちいっぱいつくれるよ。
だって、あんなにやさしくてかっこよくてわたしをげんきにできたから。
いろんなひともたくさんげんきにしてあげてね。
おしまい。




