第10話 眠りの中にある過去
「よっす」
「あ・・・おはよう」
名前はなんだっけか。眼鏡の彼にとりあえず挨拶を返す。友達・・・ではないが、時たま会話する同級生。
「次の実習って別館だったっけ? あそこ寒いから嫌なんだよなー」
常に人と話していたいタイプなのか、彼が一人の時は、俺にも話しかけてくれる。
角を立てるのが怖くて機械みたいに無難な言葉を返した。
「はは、もう冬だからね」
「この授業、実習が成績の半分だからサボれないんだよなぁ・・・」
「レポートも書かなくちゃだしね」
「いやマジで諸悪の根源。今度みんなで書くからさ、おまえも来るか?」
ぼっちである俺の身を案じてくれているのか、同情なのか、どちらかは分からないけど、コミュニティに入り込む怖さが前に出てとりあえず断る。
「ありがとう。困ったら連絡するよ」
どうせしない連絡の約束をして少し自己嫌悪。
「あぁいつでも待ってるぜ。あ、いけね白衣忘れちゃったよ。取りに行くわ!」
「あぁ・・・気を付けてね」
彼が去ると、肩の緊張がとれて一気に弛緩した。悪気がないことは分かっていても、迷惑に感じてしまう自分にさらに自己嫌悪。
なんで他人と話すと動悸がするのか、全部見透かされてるように感じて目線を合わせられないのか自分でも分からない。とにかく人が怖くてしょうがない。
学校は危険だ。常に人の目線が俺を刺してくる。強制的に人前で話すイベントも定期的に発生する。
――でも、父さんと母さんが居るから、これまで学校に通うことができた。
大学生にもなって珍しいくらい、家族仲は良かった。父さんと母さんにだけは心を開けた。ちゃんと人間として会話ができた。依存していたと言ってもいいのかもしれない。
家族がいるから・・・言い換えれば、逃げ場があると思えるから恐ろしい学校にも通うことができていた。
これを甘えだと思って一人暮らしが許される程度に遠くの大学を選んでみたものの、対人恐怖が加速しただけだった。
「なんだか疲れたし、授業サボるか」
何となしに呟いたとき普段は鳴らない電話が鳴った。
母さんだろうか。もしそうなら愚痴でも言おう。父さんはまた、大学なんてそんなものだと笑うだろう。
――「ナオトくん? 今から話すことを落ち着いて聞いてね」
それは叔母からかかってきた電話だった。
それからのことはあまり覚えていない。
病院のリノリウム。
消毒液のツンとした匂い。
焼香の匂い。
断片的な葬儀の光景。
やたらと青い空。
ひとつだけはっきりと覚えているのは泣けなかったということだけだ。
呆然と、ただあわただしく動く親類の波に揉まれていると、いつの間にか俺は大学に戻っていた。
――「お金はお父さんとお母さんが遺してくれたから、よく考えて使いなさい。頑張って・・・あなたは生きるのよ」
そんなことを言われた気がする。
次の授業は・・・英会話か。嫌いな授業なんだよなぁ・・・。
「じゃいつもみたいに二人一組でこのシーンの英会話をしてみて」
講師に促されて、例の眼鏡の彼と向き合う。機械的に言葉を発する準備をする。
「・・・」
あれ、うまくいかない。言葉が口に出ない。
「どうした? 大丈夫か」
「・・・っう、ええと・・・」
頭に浮かんだのは、教科書とは何の関係もない言葉だった。
(「僕の両親が死にました。とても悲しいです。励ましてください」)
・・・そんなこと言えるわけない。
「本当に・・・どうした? 何かあるなら言ってみ」
顔を覗かれそうになって、慌てて伏せる。
父さんと母さんが死んだ事を勘づかれた!?
同情される?
そんなのは嫌だ。誰にも知られたくない。
俺って今どんな顔をしてる?
取り繕っていたものが剥がれる感じがした。
「先生! こいつ調子悪いみたいで、俺、医務室に・・・」
「大丈夫! 大丈夫だから・・・ありがとう」
そう言って、俺は逃げるように教室を飛び出した。
同情は嫌だ。話すのも嫌だ。
父さんと母さんが死んだ事を話すと、その死が本物になるような気がした。
家に帰って布団にくるまってぼうっとしていると父さんと母さんの姿がメリーゴーランドみたいに頭をグルグルした。生きているとさえ錯覚した。
夢現のなかを彷徨っていると、強烈な空腹とのどの渇きが俺を現実に戻した。
いつの間にか二日も経っていたらしい。
スマホには俺を心配したらしいメッセージが一件だけ来ている。
「ごめんな、しばらくは戻れないらしい」
――貯金はある。それまでは休憩だ。
玄関の扉は、いつの間にか牢屋の鉄格子みたいになっていた。
基本的には眠って、気分が良ければ映画でも見て、飯は腹が減ったら食った。部屋にはひたすらゴミがたまった。
気まぐれで覗いたポストに学費の納付書を見たとき、俺は躊躇なく大学を辞めた。久々の外出だった。
いざ大学を辞めると、少しだけ気が楽になった。
長い時間の中で両親のことを頭から追い出す方法も分かった。
考えなければ悲しくない。
考えなければ、失っていないのと同じだ。
気ままなニートライフの幕開けだった。
†
――「ナオトくん、朝だよ。起きられる?」
不安げに見つめるユリカの顔は、やっぱりあの子が成長してこちら側の世界に現れたようにしか見えない。過去がここに居る。20時間近く眠って冴えた頭でそう感じるのだから間違いない。
ユリカの顔を見ていると、“何か”を頑張ろうとしていたことを思い出した。
働かなきゃ生きていけない、じゃ働けない俺は?
今の俺にできること――ユリカの、記憶探し?
何もしないをするよりかはマシかもしれない。
きっと存在しない社会復帰の手がかりを探しに行こう。
そしたらそこに“何か”を頑張っている俺がいるはずだ。
どうにもならない現状も、ユリカとなら頑張れる気がした。




