『公爵令嬢、初級魔術のみで錬金術の至高をシミュレーションする』
大書庫での一件から間もなくして、地下の錬成工房から歓喜の咆哮が響き渡った。
「成功だ……! ついに『賢者の石』が完成したぞ!!」
ワイズダムは、自らの手の中に輝く赤き結晶を見つめ、狂喜乱舞していた。
エレノアから授かった対消滅の理論を組み込んだ瞬間、それまで頑なに拒絶反応を起こしていた魔術式が嘘のように噛み合い、一瞬で錬成が完了したのだ。
「早く父上に報告しなければ……!」
十五歳の兄は、興奮のあまり錬成機材や残った素材などの道具類を工房の倉庫へ雑に戻すのもそこそこに、嵐のような勢いで研究室を飛び出していった。
完全に、後片付けを忘れている。
「それでは、わたくしもお試しでやってみましょうか!」
「お試しで作るものではありませんからね!?」
背後から、エレノアの魂がこもった全力のツッコミが飛んできた。
世界の魔術師が一生をかけても届かない錬金術の究極を、まるでお料理初心者がパンケーキを焼くかのような気軽さで扱おうとする五歳児。
エレノアの胃はすでに朝からキリキリと悲鳴を上げっぱなしだった。
「だいいちルーナティア様、お父様から言われている『十歳までは第一階梯魔術のみ』という縛りはどうされるのですか? ワイズダム様の術式には、光闇魔術の性質が組み込まれていました。第一階梯の魔術だけで賢者の石を再現することなど、絶対に不可能ですわ!」
必死に常識的な防波堤になろうとするエレノア。
しかし、ルーナティアは不敵に微笑んだ。
「簡単ですわ、エレノアせんせい。高位の術式が使えないなら、初期から用意されている基本の術式――つまり、第一階梯の四大魔術だけで再現すれば良いのです」
「はえ……?」
「光と闇の対消滅による全体の安定化は、第一階梯の『火』と『水』の魔術を、『風』の指向性で極限まで激しく干渉させて、魔力を完全に相殺・相消させることで代用します。底流する魔力の力率を完全に一致させれば、光闇魔術と同じ完全に調和した環境は構築できますわ」
ルーナティアはそう言いながら、小さな右手の指を、一本、また一本と楽しげに立てていく。
火、水、そして風。
紡がれる異次元の理論と、まるで手遊び歌でも踊るかのようなちまちょことした指の動きに、エレノアは息をすることすら忘れて硬直する。
「さらに、時空魔術による形状の絶対固定化は――」
立てられた三本の指を、ルーナティアは小さな左手でぎゅっと包み込んだ。
三つのマナの衝突を、ひとつの土で包み込み、完全にフリーズさせる。
その仕草のあまりの可憐さに、エレノアの頭が別の意味で真っ白になった。
「第一階梯の『土』の魔術が持つ形状維持の特性を極限まで最適化して組み上げれば、十分に代替可能ですわ、エレノアせんせい」
火と水を風でぶつけて対消滅を起こし、土でそれを完全に固定する。
それは、最高位の術式に頼らず、もっとも基礎的なお歌の組み合わせだけで、世界の理を書き換えて動かすような、常識を遥かに超越した魔術の最適化だった。
それを聞いた瞬間のエレノアの思考は、時空の彼方にまで飛んでいった。
しばらくは帰ってはこないだろう。
ワイズダムが嵐のように去っていった後、しんと静まり返った工房の倉庫に、一人のベテラン侍女が静かに入ってきた。
彼女は、ルーナティアが目を輝かせながら道具類を見つめているのを確認すると、すべてを察したように深い、深いため息を吐く。
「エレノア先生、お持ちしますわ。……いつものお勉強部屋でよろしいですね?」
「あ、はい……申し訳ありません……」
思考停止からようやく復帰したエレノアが、情けなく声を絞り出す。
侍女は、ハラハラと震えているエレノアになんとも言えない同情に満ちた視線を向けながら、ルーナティアが使おうとしている重い木箱を鮮やかに抱え直した。
「いいのよ、気になさらないで。……先生、これが私たちの『日常』なのです。諦めて受け入れるしかありませんわ。あのお方は、私たちが常識と思っている枠組みを、呼吸をするように壊してしまわれるのですから」
「あ、諦める、ですか……」
「ええ。三歳の頃など、旦那様が涙を流しながら書斎に引きこもるほどの、術式の大いなる歪みを口頭で指摘されたのです。城の使用人の間では、あれは国家プロジェクト級の不具合の修正だったと噂になっていますわ」
エレノアは頭の中で当時の凄まじい衝撃を鮮明に思い出し、背筋に冷たいものを覚えた。
あれは確か、第五階梯魔術である『浮遊』に関する、位置を定義する術式の無駄についての指摘だった。
そういえば、マギウス閣下がルーナティア様に『第一階梯魔術の縛り』を課したのは、まさにあの事件が引き金だったはずだ。
つまり目の前の幼女は、二年前の三歳の時点で、すでに国家最高峰である第五階梯魔術の欠陥を突いていたのだ。
公爵家お抱えのベテラン使用人たちは、すでに理解していたのだ。
この五歳になったばかりの小さな主が一度言い出したら、世界の誰もその知的好奇心を止められないということを。
「ですからエレノア先生、ようこそこちらの世界へ。胃薬はいつでも用意してありますわ。さあ、いつものお部屋へ参りましょう」
そこにあるのは、ある種の完全な諦め。
そして「あなたもこちらの世界へようこそ」という、過酷な現場を共にする者同士の奇妙な連帯感だった。
エレノアは胃のあたりを押さえながら、その無言の同情の温もりを噛み締めて深く頷くしかなかった。
こうして、機材一式はいつものお勉強部屋へとスマートに配置された。
お勉強部屋の扉を閉め、時空の彼方へと意識を飛ばしたまま固まっている家庭教師を横目に、ルーナティアは楽しげに呟いた。
「それでは、構築をはじめますわね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
前回に引き続き、ルーナティアが賢者の石を作る過程の話です。
が、よくよく考えてみたら、ルーナティアは父から「第一階梯魔術のみ」ときつく縛りを設けられていましたね。
なので、その第一階梯魔術のみで賢者の石を練成する、という縛り条件つきでの練成案としてみました。
かえってこれによって、ルーナティアの非才っぷりが際立ちましたね!
決して、ルーナティアに第一階梯魔術縛りがあることを忘れていたわけではないんですよ!
こうすることで、ルーナティア、の、非才さ、を……。
……。
申し訳ありませんっ!
完全に自分の、設定のバグでしたっ!
が、かえって非才さが際立つようになったから……(まだ言うか)
さて、次回は、ルーナティアが自室で賢者の石を練成するシーンです。
エレノア先生の胃がまたないなったするんでしょうね!(ゲス顔)
「第一階梯魔術だけで賢者の石を練成するとか、天才を通り越して鬼才」「設定忘れが多すぎることに定評のある作者さん」と思ってくださった方は、ぜひページ最下部の【ブックマーク(お気に入り登録)】や【ポイント評価(☆☆☆☆☆)】をぽちっと押して、これからの連載を応援していただけると大変励みになります!
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