『公女殿下、第八魔術師団の詰め所をリファクタリングする』
「……本当に、ここでよろしいのですね? ルーナティア様」
薄暗く、どこか書類と魔力の焦げた匂いが漂う第八魔術師団の『詰め所』。
その中央で、師団長であるディオナは、今にも胃に穴が空きそうな顔で目の前の少女を見つめていた。額からは滝のような冷や汗が流れている。
彼女の前に佇むのは、亜麻色の髪を上品に結った、白磁の肌を持つ美しい令嬢。
ルーナティア・ルーン・ライ=ヴァルク。
この王国の頂点に君臨する公爵家の一令嬢であり、ディオナの直属の上司である『宮廷魔術師団長』の最愛の次女だった。
「はい、ディオナ師団長。今日からは上司と部下なのですから、どうか『様』は外してください。私は一人の新人魔術師として、この第八魔術師団への配属を希望したのです」
第八魔術師団。
それはフェルクシア王国に数ある魔術師団の中で最も下層に位置する、いわゆる『支援部門』だった。
ルーナティアは物腰柔らかく、お淑やかに微笑んだ。成人したばかりの彼女は、身長153アルコと小柄で、体型もどこか控えめ。
仕立ての良いドレスを着ていれば守るべき高貴な妖精に見えるが、その身に纏っているのは機能性を重視した、少しサイズが大きめの魔術師ローブだ。
その時、ルーナティアのローブのポケットから、チリン、と澄んだ美しい鈴のような音が響いた。
「あら、お父様から通信です」
ルーナティアが取り出したのは、手のひらサイズの小さな金属製の端末だった。
世間一般の通信魔導具といえば、レンガのように重く、起動するだけで数分間の詠唱ウェイトが必要な大仕掛けなものだ。しかし、彼女が持つそれは、取り出した瞬間にタイムラグなく青い光を灯している。
『――ルーン! 我が最愛のルーンよ! 無事に第八師団の詰め所に着いたか!?』
魔導具から響いたのは、ノイズ一つない、驚くほど鮮明な音声だった。
王国最高権力者である宮廷魔術師団長――つまり、ルーナティアの父親の、威厳の欠片もない親バカボイスが詰め所に響き渡る。
「はい、お父様。今、ディオナ師団長にご挨拶を済ませたところです」
『そうか! ディオナ! 聞いているな! くれぐれも我が愛娘に危険なま、ま、真似はさせるなよ! それから、もし万が一にでも男の魔術師を近づけたら、お前の首を再構築して物理的に排除してやるからな! いいな!』
「ひ、ひえええっ!? は、はい閣下! 肝に銘じておりますッ!!」
ディオナは直立不動で、ルーナティアの手元にある通信端末に向かって絶叫した。
娘を危険な前線に出したくない。
かつ「男のいる部署など言語道断!」という親バカの団長が、娘の「下から実力を証明したい」という堅実な要望をこれ幸いと利用したのは明白だった。
そうしてルーナティアは、王国魔術師団の中で唯一『全員女性』で構成された我が第八師団にねじ込まれたのである。
「ではお父様、お仕事中ですので切りますね」
『あ、待っ――』
ルーナティアが端末の術式ボタンをちょんとタップすると、ツン、と小気味いい音を立てて通信が切断された。
通常、アカシックレコードを介した定型魔法の通信は、発信者側からしか切断できない「ワンウェイ仕様」のはずだ。
受信側から強制切断するなど、魔術の常識ではあり得ない。
「ル、ルーナティア様……今の魔導具は一体……? 音質も異常にクリアでしたし、なぜ受信側から切断が……?」
「これですか? 在学中に既存の通信魔導具をリファクタリング(最適化)したんです。従来の構築は無駄な暗号化ヘッダが肥大化していてパケットのロスが多すぎましたので、通信経路をマルチスレッド化して、応答速度を限界まで削っておきました」
「ざ、在学中に国家規格の魔導具をリファクタリング……!?」
ディオナが常識の崩壊に頭を押さえていると、部屋のドアが乱暴に開き、一人の女性が飛び込んできた。
無造作に撥ねた茶髪に、大胆に着崩したローブ。第八魔術師団の先輩であり、現場の主力の一人であるハンナだ。
ローブの隙間から覗く豊満な胸元は小柄なルーナティアとは対照的で、思わずその瑠璃色の瞳が、眩しいプロポーションにほんの少しだけ泳ぐ。
「おいおい、ディオ姉。朝から随分と情けない顔をしてるじゃないか」
「ひ、ひえっ……ハンナ! 部屋に入る時はノックをしなさい!」
「あ? ああ、悪い。それより旦那、例の『広域支援用の魔導具』の調整、そろそろ限界だぜ。いくら魔法を叩き込んでも、処理が重すぎて術式が途中でハングアップしちまう。やっぱり、俺たちみたいな裏方じゃ、アカシックレコードから引っ張ってきた定型魔法をそのまま使うしかねえから、容量不足を起こすんだよ」
ハンナは乱暴に頭を掻きながら、机の上にくたびれた金属の盤を置いた。
そして、ようやくディオナの隣にいるルーナティアの存在に気づく。
その瞬間、ハンナの目がすっと細められた。
「……はぁ。公爵家の次女サマが、こんな吹き溜まりに何の用だ? ……何これ、新手の嫌がらせ?」
「ハ、ハンナ! 口を慎みなさい! こちらは――」
ディオナが泡を食ってハンナを止めようとするが、ハンナは構わず、腕を組んでルーナティアを上から下まで値踏みするように睨みつけた。
その言葉には、現場を預かる職人としての、トゲのようなプライドが満ちている。
「公女サマなんて、どうせお高く止まって、泥臭い現場なんてウンザリんだろ? ここが一番楽そうに見えたのかい? でも残念、ここが一番泥をすする部署さ」
(ひ、ひいいいっ! 言っちゃったよこの生粋の現場職人はー! 私の首が! 第八師団の予算がデバッグされるーーー!!)
ディオナは恐怖のあまり白目を剥きかけ、ハンナの服の袖を必死に引っ張って制そうとした。
しかし、当のルーナティアは、ハンナの辛辣な言葉に対しても、気分を害した様子を一切見せなかった。カチンと来るどころか、むしろお淑やかに、右脚をすっと下げ、ローブの裾を摘まんで膝を折る。身の丈よりも大ぶりなローブでありながら、その一挙手一投足は、宮廷の夜会で王族を前に見せるような完璧で気品溢れるカーテシーだった。
「はじめまして、ハンナ・バルクマン先輩。今日から配属されました、新人のルーナティアです」
「……あ? なんであんた、私のフルネームを――」
「配属される前に、第八魔術師団の皆様の職務経歴はすべて拝見させていただきました。……それで、お言葉ですがバルクマン先輩。私はここを『楽な部署』だと思って選んだわけではありません。むしろ逆です」
「あ?」
「ここが一番、魔法というシステムの『無駄』が溢れていて、改善のしがいがある。――最も泥臭い再構築を必要とする、やりがいのある現場だとお見受けしたからこそ、志望いたしました」
「……はあ!?」
ハンナが呆気に取られたように声を漏らす。
ルーナティアは物腰柔らかく、しかしその瑠璃色の瞳の奥に、技術者としての絶対にブレない知性の光を宿して、静かに微笑み返した。
「楽をするためではなく、世界で最も非効率な場所を、私の魔術で綺麗にするために参りました。……あの、実は運動や体力仕事はいささか苦手でして、侍女の訓練も時々サボってしまうほどなのですが。……ですが、魔術の手続き(コード)の最適化でしたら、誰よりも早く正確にこなせます」
そう言って、ルーナティアは再び悪戯っぽく微笑んだ。
「よろしくお願いいたします、バルクマン先輩」




