第67話 地下
御門は、樒という男から異様な悍ましさを感じ取っていた。
だが、それ以上に気がかりなことがある。
――隊員たちだ。
御門は慌てて周囲を見渡す。
しかし、そこに隊員たちの姿はなかった。
その反応を見て、樒はくすりと笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。さ、手を。案内します」
差し出された手を取り、樒に連れられるまま歩いていく。
やがて喜林寺の門前へ辿り着くと、そこには隊員たちが一列に並べられ、地面に寝かされていた。
その光景に、御門は歯を食いしばる。
そして、静かに手を合わせようとした――その時。
樒が片手を上げ、制止した。
「勝手に殺してあげないでください」
「え……」
思わず、声が漏れる。
よくよく見れば、隊員たち全員の胸が僅かに上下していた。
――生きている。
その事実を理解した瞬間、御門は両手で口元を覆い、その場に崩れ落ちた。
「……よかった。本当に、よかった……」
張り詰めていたものが切れたように、震える声が漏れる。
そんな御門の隣に、樒が静かにしゃがみ込んだ。
「漿に運ばせておきました」
御門は熱を帯びた目で、隣の樒をちらりと見る。
「間に合って、よかったですね……」
その言葉を聞いた瞬間――。
御門は、またしても背筋が冷えるような感覚に襲われた。
樒の表情も、声音も、どこまでも柔らかい。
だというのに。
その金色の瞳だけが、ひどく冷めきっているように見えた。
すると、樒はゆっくりと立ち上がり、夜空を仰いだ。
「今回は、掃除はありませんでしたが……これからは増えそうですね……」
御門には、樒が何を言っているのか分からなかった。
そもそも、なぜ樒がこの場所に現れたのかすら分かっていない。
そんな御門を、樒は静かに見下ろす。
「私はもう行きますが、上の方々にはどうぞよろしくお伝えください」
そう言って、樒は懐から一枚の黒い名刺を取り出し、御門へ差し出した。
——————————————————
時は少し遡り――東京。
張り巡らされた規制線の向こうでは、慌ただしい喧騒に混じって、絶え間なく無線が飛び交っていた。
陰務省本部の観測室では、相楽が中心となって指揮を執っていた。
「こちら毒島。救護所の設置、完了よ」
「了解。各班、現状の報告をお願いします」
相楽の声に、次々と応答が返ってくる。
「こちら結城。制縛部隊、配置完了」
「こちら夜凪。地下鉄への各入口に班員の配置完了。いつでも突入できます」
報告を聞き終えた相楽は、後方に座る緋珠へ視線を向けた。
緋珠はそれを受け、小さく頷く。
「目標である推定壱災位怪異は、現在も地下を移動しています。反応が断続的なため、正確な位置は掴めていません」
相楽は短く息を吐く。
そして――。
「それでは――突入!」
その号令と同時に、各班が一斉に地下鉄構内へと降りていった。
しかし、結城だけはその場に立ち止まり、何かを考え込んでいた。
そんな結城の様子に気づき、一人の隊員が声をかける。
「結城隊長?」
結城はしばらく黙ったままだったが、やがて顔を上げると、何事もなかったかのように階段を降り始めた。
「なんでもありません。行きましょう」
その足取りに、迷いはなかった。
今回の作戦は、東京の地下に出現した推定壱災位怪異の討伐。
対象に関する情報は乏しく、加えて東京の地下は複雑に入り組んでいる。
そのため、取れる手段は人海戦術しかなかった。
隊員たちは四、五人ずつの班に分かれ、それぞれ異なる入口から地下鉄構内へ潜入。
各隊員には位置情報を発信する小型端末が携帯されており、その位置を本部の観測室から把握できるようになっている。
潜入開始から、およそ五分。
モニターに映し出された無数の反応を、緋珠と相楽、そして観測室の職員たちが注視していた。
その時、一つの報告が入る。
『こちら殲異三班。盤近駅ホームにて一般人を発見』
緋珠と相楽が顔を見合わせる。
「その方とは会話できますか?」
『はい。現在、避難のため入口まで送り届けています。盤近二番出口へ人員をお願いします』
「了解。念のため――」
『ぎゃあああああああっ!』
突如、通信の向こうから絶叫が響き渡った。
同時に――モニターに映っていた隊員たちの反応が、一斉に消失する。
そして、そのすぐ近くで。
怪異を示す反応が、急激に膨れ上がった。
「っ……!」
相楽は即座に通信を全体へ切り替える。
「総員!盤近駅へ向かってください!」
床に転がった隊員の通信機を、一つの影がゆっくりと踏み潰した。
バキッ――。
「ははっ。確かに、こりゃ楽勝だな……」
相楽からの全体通信を受け、夜凪は真っ先に線路へ飛び降り、そのまま線路伝いに駆け出した。
他の隊員たちも遅れを取ることなく、統率の取れた動きでその後を追う。
「夜凪副長。盤近駅って……」
「ああ。うちの奴らが見つけたか――やられたか、だ」
夜凪はそれだけ告げると、さらに速度を上げ、暗い線路の先へと駆けていった。
夜凪たちがいたのは、盤近駅から二駅隣。
そのため、どの班よりも早く現場へ到着した。
人気の消えたホーム。
切れかかった蛍光灯が明滅するその下に、一つの人影が立っていた。
盤近駅を担当していた隊員の一人だ。
こちらに背を向けたまま、微動だにせず立ち尽くしている。
「無事だったか!おい!怪異を見つけたのか?」
隊員の一人が声をかけながら駆け寄る。
だが、近づくにつれて、その足が鈍った。
立ち尽くす隊員の足元。
そこには、無惨に食いちぎられたような死体が、乱雑に転がっていた。
そして、その中心に――隊員は立っている。
「お、おい……!これは、どうなって……」
恐る恐る、その肩へ手を伸ばす。
触れた瞬間だった。
立っていた隊員の身体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
そして――。
倒れた隊員の正面を目にした男の口から、思わず声が漏れた。
「なっ……!」
上半身の正面が、まるごと削ぎ取られたかのように失われていた。
隊員が夜凪の方へ振り返った――その時。
夜凪の表情が変わった。
「そこから離れろ!」
「え――」
次の瞬間。
夜凪は地面を蹴った。
隊員が反応するよりも早くその襟首を掴み、力任せに後方へ放り投げる。
直後――。
隊員が立っていた床が、爆ぜた。
コンクリート片が飛び散る中、地中から人影が飛び出す。
その顔には目も鼻もない。
あるのは、顔の中央を縦に裂く巨大な口だけ。
無数の歯が並んだ顎が、ほんの一瞬前まで隊員の胴体があった場所で勢いよく閉じられる。
ガヂンッ――!
耳障りな音が響く。
空を噛んだ。
だが、その時には。
夜凪はすでに怪異の懐へ踏み込んでいた。
腰を落とす。
柄へ手をかける。
――抜刀。
銀色の軌跡が、怪異の口元を横切った。
「ぐっ……!」
鮮血が飛ぶ。
数本の歯が宙を舞い、硬い音を立ててホームへ転がった。
怪異は即座に床へ潜り、その姿を消す。
夜凪は追わない。
振り抜いた刀についた血を払い、静かに鞘へ戻す。
「……浅い」
転がされた隊員は、尻餅をついたまま言葉を失っていた。
自分は何もできなかった。
怪異が真下まで迫っていたことすら、気づけなかった。
床に空いた穴から、男の声が響く。
「ちっ……やっぱ言われた通り、騙し討ちが一番良さそうだな」
夜凪は穴を一瞥する。
「それで騙し討ちのつもりか」
刀から手を離す。
「次は断ち斬る。嫌ならもう少し上手くやってみろ」
隊員はすぐさま身体を起こし、深く頭を下げた。
「す、すみません!夜凪副長!」
夜凪はそんな隊員に一言だけ告げる。
「戻ったら、訓練内容の見直しだ」
それだけ言い残すと、通信機を取り出した。
「こちら夜凪。盤近駅にて標的を発見。標的は地面に潜り、逃走」
怪異についての報告を淡々と続ける中、夜凪はふと横目で倒れ伏す隊員たちへ視線を向けた。
「――殲異部隊、四名殉職」
その声音に変化はない。
しかし、その場にいた隊員たちは見逃さなかった。
夜凪の目に、剥き出しの怒気が宿ったことを。
陰務省本部の観測室。
緋珠と相楽は夜凪からの報告を聞き、僅かに目を伏せた。
「早くも犠牲者が……」
相楽の呟きに、緋珠は静かに口を開く。
「壱災位を相手にする以上、それくらいの被害は覚悟しなければならないわ」
その言葉に、相楽は思わず食ってかかる。
「それくらいって……! すでに四名の命が――」
だが、言い切るより先に口を噤んだ。
そしてすぐに、己の浅はかさを恥じる。
緋珠の表情からは、いつものおどけた様子など完全に消え去っていた。
そこにいるのは、陰務省の頂点に立つ者として、犠牲すら呑み込んで指揮を執る久遠緋珠だった。
「……失礼しました」
相楽は静かに頭を下げる。
緋珠はそれを咎めることなく、軽く片手を上げて応えた。
表面上は、どこまでも冷静。
だが、その胸中まで穏やかなわけではない。
(裏で糸を引いている奴……絶対に許さない)
緋珠は胸の内で、静かにそう決意を固めた。
そこへ、再び通信が入る。
『こちら結城。現状はどうです?』
聞こえてきた結城の声音は、至っていつも通りのものだった。
相楽は先ほど夜凪から受けた報告を、そのまま結城へ伝える。
すると、僅かな沈黙の後。
『なるほど……現在怪異の位置は、おおよそ把握できていますか?』
「えっと、そうですね。最後に確認された反応と、夜凪副長からの報告を照らし合わせると……現在は都営環状線内を移動しているものと思われます」
『深度は?』
「そこまでは把握できていませんが……地下鉄の線路よりさらに下を移動していると考えれば、およそ五十メートルほどでしょうか?」
そして、再び暫しの沈黙。
『了解しました。一旦、制縛部隊は地上へ上がります』
「え?それはどういう――」
『モグラを地上へ引きずり出しましょう。夜凪くんも、地上の方が戦いやすいでしょうし』
言い終えると、結城は相楽との通信を切り、そのまま夜凪へ回線を繋いだ。
『こちら結城。現状は把握しました。これから私たちは地上へ上がって網を張ります。それまで、怪異の気を引きつつタイミングを見て地上へ上がって下さい』
相変わらずの軽い口調に、夜凪は僅かに苛立ちを覚える。
だが、それを表には出さず、静かに押し殺した。
「結城隊長。私はあなたの部下ではありません。それに、勝手な真似は――」
『うんうん。それじゃあ、頼みましたよ』
一方的に通信が切れる。
夜凪は通信機を見つめ、短く舌打ちした。
「……ちっ」
そして、再び暗い線路の先へと歩き出した。
しばらくして結城は、都営環状線のほぼ中心に位置するビルの屋上に立っていた。
夜風に吹かれながら通信機を手に取り、静かに問いかける。
「総員、聞こえていますか?」
すぐさま通信機から、各所に散った制縛部隊の隊員たちの声が返ってくる。
それを確認した結城は、眼下に広がる街を見渡した。
「それでは――追い込み漁といきますよ」
その言葉を合図に、都営環状線を取り囲むよう等間隔に配置された隊員たちが、一斉に護符を設置する。
そして、護符へ霊力を流し込んだ。
次の瞬間。
都営環状線をすっぽりと覆うように、巨大な半球状の薄い膜が形成された。
ちょうど地上へ上がってきた夜凪はその光景を眺め、呆れたように口を開いた。
「こんなド派手にして……」
その声は通信機を通して、結城の耳に届いていた。
『これ、始末書ではすみませんよ』
「その時は総監……は当てにならないので副総監の相楽さんにお願いしましょうかね」
『うわ……』
結城は涼しい顔のまま、眼下へ視線を落とす。
「それより――始めます」
両手を前へ静かに突き出す。
それに呼応するように、環状線を覆う巨大な幕が淡く脈動した。
「まずは範囲を絞りましょうか」
そして。
ゆっくりと両手の空間を押し潰すように狭めていく。
それに合わせて巨大な結界が――縮み始めた。
外周から中心へ。
地上だけではない。
地下深くまで伸びた霊力の壁が、都営環状線一帯を包囲しながら、徐々にその範囲を狭めていく。
――同時刻。
土中を移動していた怪異が、ぴたりと動きを止めた。
「……あ?」
顔の中央を裂く巨大な口が、僅かに開く。
何かが近づいてくる。
「なんだ……これ」
その様子を知る由もなく。
結城はビルの屋上で、いつもの薄い笑みを浮かべていた。
「さて――いつまで潜っていられますかね」




