ep45.狭間
◇◇◇
『………ル』
『…………』
『…ステル』
『………?』
『エステル、そろそろ起きなさい。私の可愛いお寝坊な娘ちゃん』
妙に落ち着くその声の正体は分からず、私自身が今どのような状態で話をしているのかも分からない。
『ぅ……!』
夢なのか幻想なのか、どこか分からない場所で意識が覚醒した途端、身体中が痛み出す。
『っ"ぁ………!』
呻き声を上げながらその痛みに必死に耐えていると、また先程の声が聞こえてきた。
『大丈夫よ、エステル。私の声に集中しなさい』
『……?』
まるで、互いの意識だけで話しているような不思議な感覚で、私自身身体を動かしているという感覚もなかった。
すると、それに気付いた声の主は、クスクスと可笑しそうに笑った。
『ごめんね、私も姿を見せれば良かったわね。まあせっかく会えたんだし、完治するまでここでゆっくりしていきなさい』
声の主がそう言うと、途端に私が見ていた真っ暗な世界は、一変して明るく、真っ白な世界になった。
そして私は、私が立っていることに気がついた。
更に、私自身の意思で身体を動かし、歩くことが出来る。
目の前には真っ白なガゼボがあり、そこには多種多様なデザートが用意されていた。
そこには1人の女性が座っている。
その女性は手招きをしていて、私に『おいで』と声をかけた。
すぐに分かった。
声の主はこの女性なのだと。
聞いていて温かく、心地良い気持ちになったから。
素直に触ると、女性はにこにことしていた。
『…?あの…?』
『ああ…!ごめんね。やっぱりかわいいなぁって』
『へっ…?』
予想外のことを言われてしまい、咄嗟の対応が出来ない。
心なしか、メイハムさんの髪色や瞳の色が女性に似ているような気がしなくもない。
顔立ちは圧倒的に【可愛い】が強い印象を受けた。
『真顔は綺麗で笑顔は可愛いだなんて、反則よね…』
『えっ…と、貴方の方がお綺麗だと思います…』
本心を言ったのだけど、どうやら女性はお世辞だと捉えたみたい。
またイタズラした子供みたいな可愛らしい笑顔で、クスクスと笑っていた。
『そう…?ありがとうね。エステルに褒められるのなら悪い気はしないわ。けど、あの魔法帝国の皇帝って無駄に美形だったでしょう?だからあなたみたいな絶世の美女が生まれちゃったのよねぇ…』
『えっと、先から何の話を…?』
『私の色眼鏡を外しても、エステルは可愛くて美人だからね。もしかして、エステルは美人薄命ってやつだったのかしら?』
1人で突っ走っていく女性は楽しそうに話す。
とても楽しそうで、中々憎めない人だ。
『えっと、私、死んだんですか…?』
そういえば、ここが現実ではないことを思い出す。 ここにいると何故かあっという間に時間が過ぎてしまうような、そんな気がする。
女性は微笑んだ。
だけど、どこか寂しそうな、悲しそうな、哀愁漂う表情だった。
『ねえ、エステル。あなたは、この先も生きたい?きっと楽しいことばかりではないと思うわ。辛いことも苦しいことも、悲しいことも経験してきたエステルなら分かると思うけれど。それでも、あなたは生きたいと願うのかしら?』
私が生きてきた中で、負の感情と正の感情、どちらを多く感じてきたのかと問われれば、負の感情だろう。
人生の途中からは感情を忘れることによって、自分の心を守ってきたくらいだから。
予想でしかないが、この女性はずっと、私のことを見ていてくれたのかもしれない。
私の生きてきた長いようでとても短かった十数年を。
そして、私の身を心から案じる女性の正体を、私は知っている気がする。
『【お母様】、私、好きな人が出来たんです』
『っ!?』
意表を突かれた表情で見てくる女性に、私は続ける。
『家族のような存在にも出会えました。私を娘のように思ってくれる人、妹のように思ってくれる人。それから、弟子もたくさん出来ました。年下の私を慕ってくれる良い人たちばかりです』
初めから私という存在を受け入れられないのは当たり前で、それが当たり前でないのだとしたら、私の祖国である魔法帝国のせいだろう。
決して、彼らのせいではない。
『確かに、人生の大半を、早くあの苦痛から解放されたくて、誰かの手によって殺してもらうことを望んでいました』
私が刺客や魔物から自分の身を守っていたのは、自分を虐げてきた人間のせいで死ぬのは嫌だったから。ただそれだけだった。
だからこそ、アイザック様が私の前に現れた時は、本当に救いの手を差し伸べてくれた天使だと思った。 けど、殺されることはなくて、【生かされているから生きている】という状態だった。
『ですが、今は違うんです。私が死んだら、悲しんでくれる人がいます。置いていかれる側の気持ちを知っているから、私は簡単に死ぬわけにはいきませんでした。私の大切な人たちには、笑顔でいてもらいたいのです。なので本当は、あんなところで死にたくはなかったんですけど、ここまできたら、抗えませんから…仕方ありませんよね』
ウィルを助けたことも、トリステッツァ王女の呪いを受け入れたことも、その呪いを解除して代償を代わりに受けると決めたことも、後悔はしていない。
(でも、みんなが悲しんでしまうなら、みんなから私の記憶を消してから死ねば良かったかな…)
『まだよ』
『えっ…』
俯きながら自分の生は諦めようと、自分に言い聞かせていた時、その女性は言った。
『私のことを母だと思ってくれているなら、私に母らしいことをさせてくれないかしら?』
『それはっ…どういうことですか…?』
『ふふっ、こういうことよっ…!』
女性は私に近付き、私を強く抱きしめた。
『私を、母と呼んでくれてありがとう。辛い時に側にいてあげられなくてごめんね、母としての愛情を与える前に、逝ってしまってごめんね、…強くなったね』
『っ__!』
『でもね、母様の前では、我儘を言っても良いのよ。【生きたい】と、言いなさい。母様が何としてでも、叶えてあげる。娘が願うことだからね。そもそも、生きることは当然の権利なんだから、普通にお願いしたら良いのよ』
不思議と、………お母様と抱擁していると、身体がとても安らいだ。
笑顔で言ってくれていることが、顔を見なくても分かる。
それほどまでに、優しい声音だった。
『………生きても、良いのですか……?』
『当たり前よ。ちなみに、私もエステルに生きてほしいと願ってるうちの1人よ。それだけは覚えておいてね』
『ありがとうございます。お母様………。私っ…生きたいですっ_、まだ、やり残したことや、言い残したことが、たくさんあるからっ…』
『うん、よく言えました』
そう言って、お母様は私の頭を撫でた。
一時期は、どうして私はこの世に生を授かったのだろうかと、心底疑問に思ったことがあった。
生きる理由も希望もなくて、生を求めてるわけでも死を求めてるわけでもなくて、ただ一心に願っていたのは、トユク帝国からの【解放】だけだった。
だけど、今なら、感謝を伝えられる。
『お母様…私を産んでくれて、ありがとう』
『…っ!あなたからその言葉を聞けるなんて…。こちらこそ、私の元に来てくれてありがとう。あなたは私の宝物よ。だから、…あっちで待ってる人たちのためにも、私のためにも、しっかり残りの生を真っ当しなさい。歩いていれば、必ず道は出来るから。これは私からの、最後のお願いよ。ここからはあなた自身との勝負。必ず打ち勝ちなさい』
『っ、どうして最後なん…って…!!!』
私が聞こうとした瞬間、白い世界に、私の足元にだけ黒い穴が出来た。
そこには私だけが落ちた。
その際、私が見た母の顔には、黒い模様のようなものが、顔の半分を覆っていた。
けれど、翡翠色の瞳を持ち、ブロンドベージュの綺麗な髪を持つ母はとても幸せそうに、笑っていた。
深く、落ちて落ちて、落ちて、落ちて…やがて暗闇の何もかもが見えない世界に落ちてくると、私は歩き始めた。
方向なんて分からず、ただひたすらに、時間の感覚が無くなるほど歩いた。
歩く度に、真っ暗な闇の中から、私の記憶が映像となって現れた。
〔色んな人に無視されていた時の記憶
魔法が使えないとわかった途端、ゴミを見るような目で見てきた記憶
ストレスを、私に鞭を打つことで解消された記憶
牢に入れられて毎晩泣いていた記憶
1日一食の腐ったパンに感謝していた記憶
週に三度は、刺客が送られてきた記憶
牢で死にたくなくて、抗って、魔法を使えると知った時の安堵と絶望の記憶
今更手のひらを返されるのは胸糞が悪いから、魔法の有無で態度をこれでもかと変えるこの国は異常だと分かったから、何としてでも、私が魔法を使えることを隠した記憶〕
それだけではない。
勝手な幻覚までもが、私の精神を蝕んでいく。
〔皇帝陛下が、私に死刑判決を下す幻覚
皇后陛下が、助からなかった幻覚
『お前のせいで皇后陛下は亡くなった』と、周りから軽蔑の目で見られる幻覚
第一皇子が、私の首を離すことなく、絞め続ける幻覚
アイザック様が、私をその場で切り刻む幻覚
アイザック様が、トリステッツァ王女を好きになって、私は捨てられる幻覚
アイザック様が、第一皇子が、皇后陛下が、皇帝陛下が、…誰も笑えず、心の奥底で、涙している幻覚〕
その幻覚とは思えない、私の絶望ではなく、みんなが絶望している幻覚に、私は今すぐ行かなければいけないと、そう感じた。
そんな顔、家族の哀しそうな顔、見たくはない。
ずっと、笑っていてほしい。
(ああ、行かないと…。私を家族として迎え入れてくれたみんなが笑えるように…。…ありがとう、お母様…私を励ましてくれて…、…呪いを、半分引き受けてくれて………だから、さようならなんだね…)
刹那、私の前を白く神々しい光が覆った。
私はその光の中に一歩、また一歩と足を踏み入れる。
温かい、優しい光だった。
包み込んでくれて、『少し休んでいけ』と、言われたような、そんな気がした。
私は目を瞑って、その言葉に甘えるように、身体が全身の力を抜いた。
次に目を開けた時、私が次に見たものは透き通った水晶のような、ラピスラズリのような瞳を持つ、私の愛している人だった。




