ep43.あなたがいないと《アイザック視点》
◇◇◇
「出ろ」
「はい…」
事件から、2週間が経った。
しばらくの間、政務も剣術も、全てに対してやる気が起きなかった。
ずっとエステルの寝室にいた。
本当は牢にだって来ず、エステルの側にいたかった。
だが、この件だけは、俺自身どうしても許すことが出来なかった。
連れてきたのは謁見の間。
顔を見たくなかった俺は振り返らず、気配が消えていないことだけを確認しながら歩みを進めた。
「連れてきました」
「ああ、すまないな、アイザック。なるべく早く終わらせよう。…さて、汝に判決を下す」
「はい」
俺は心底どうでも良い王女の判決に耳を傾けることはせず、【いなければいけないからいる】だけの状態だ。
だが、この判決も、エステルの意思を汲み取ってのことだから…。
他の騎士に王女を任せ、俺は座るべき位置へと移動し、王女を見下した。
「汝の判決は、汝の執事と共に、イリーガル王国から出て行き、イリーガル王国がトユク帝国に牙を向けたことを公的な場で証言しなさい。その後は辺境の地へ送り、平民として生きよ。ただし、二度と帝都を跨ぐことを許さないものとする」
「えっ…あの、それだけ…でしょうか……」
「……エステルの意向だ。本当ならば、問答無用で死刑なところを、彼女の恩情で免れている。感謝しながら生きることだな」
言葉は丁寧ではあるものの、心の内では憎悪の気持ちで溢れかえっていることが見て取れる。
父上自身も娘のように思っていたエステルが、…。
いくらイリーガル王国の王女と執事の罪を軽くしたからといって、イリーガル王国を滅ぼさないとは言っていない。
俺を含む皇族全員と、事の一部始終を見ていた高位貴族たちは、イリーガル王国を潰す気でいる。
事の発端は、あの国の皇帝たちなのだから、当たり前だろう。
(…そのまま野放しにはしない。必ず潰す)
これだけで終わればまだ良かったものを、王女は何を考えているか分からない。
突然、その場で土下座を始めた。
「…皇帝陛下。お願いがあります。私の命の恩人であるエステル様のお顔を一目拝見したいのです。どうか、お願いします」
父上はしばらく考えた後、予想外の言葉を口にした。
「第二皇子が許可すれば、良いだろう。ただし、手錠は付けたままだ。分かったな?」
「最大のご配慮、感謝致します…」
「それで、アイザック、答えは?」
本当なら、エステルを視界に入れる価値すらもない人間だ。
だが、ここにいる人間は皆、俺を含めていつも同じ道を辿る。
エステルの優しさを目の当たりにした瞬間に、自分が如何に愚かな人間だったのかを思い知らされる。
だからコイツも、そうなれば良い。
「…良いですよ。ただ、付き添い人には俺がなります」
「分かった。行ってきなさい」
俺は王女の歩幅に合わせることなく、スタスタと歩いていく。
気を遣うなんてことはしない。
自分の愛する人を傷つけた人間に気を遣う必要がどこにある?
どこにもないだろう。
皇族の仮面を被る必要も、女性だからと優しく接することもない。
本当は一刻も早く、エステルの側にいたかったのだ。
父上はそれを加味してくれていたのかもしれない。
部屋に着くまで、互いにずっと無言だった。
辿り着くと、俺は扉を開けた。
「入るぞ…。エミリー、メイハム、エステルの容態は」
「…変わりありません」
「……そうか。来い、見たいなら見てみろ、これが今のエステルの状態だ」
ぶっきらぼうに王女に言うと、王女は入り口付近から、徐々にエステルが眠っているベッドへ近付いた。
そしてエステルの状態を見た瞬間、王女は息を呑んだ。
「エステルに触れてみろ」
俺が言った通りに王女がエステルの額に触れると、王女はビクッと手を引っ込めた。
それもそうだろう。
あの時からずっと続いている不規則な呼吸
常に額から流れる汗
人が出せる温度とは思えないほどの高熱
ミニテーブルに置いてある、桶にかけているタオル に染み込んでいる赤い液体
そして何より、服で身体の部分は見えないが、首から頬にかけて広がる黒い紋様
「これが、今のエステルの状態だ…!毎日がエステルにとっての峠だ…!分かったなら、即刻イリーガルの証言をして出ていけ…!俺はもう、お前の顔も見たくないんだ…」
半ば縋るように言う俺は、人の目など気に出来る精神状態ではなかった。
帰りは王女に騎士をつけて戻らせた。
2週間ずっと、エステルの側にいた。
少しの時間離れただけでも、心配でならない。
「エステル…、エステル…」
今日も名前を呼ぶ。
だがいつも通り、返事はない。
握っている手に力が込められることもない。
ずっと、たった1人で耐えているエステルに、罪悪感と後悔で潰されそうになる。
「殿下、エステル様は貴方のために頑張っているのですよ。であれば、殿下も目覚めると信じてエステル様を待つべきです」
「っ…分かっている…、信じていないわけではない。だが、不安になる。少しでも側を離れている間に、エステルが天へと昇っていたら?俺はどうすればいい?生涯エステルに謝罪することも出来ないままになるんだ。そんなこと、俺は俺を許さない。もちろん政務もやる。だがここでだ。俺はこれからの時間を全てエステルのために捧げると決めた。異論は許さない」
自分でも暴論だということは分かっている。
こんなにも貴族的な思考を持っていたなんて、自分でも思わなかった。
「…今の殿下を見て、エステル様がお喜びになるとは思いません」
「何?」
エミリーはエステルのことを一番近くで見てきた人物故に、耳を傾ける選択肢しかなかった。
「本当にエステル様のことを思うのなら、もう二度と、エステル様が無理をなさらないような環境を作っていくことが、大事なのではないですか?」
「………」
「殿下のこのような姿を見たくて、エステル様は殿下をお救いになったわけではないと思います」
(……そんなこと…俺が1番分かっている…。だが……いや………そう、そうだよな…。エステルが幸せになれる国を作らないと、エステルに面と向かって謝罪することも出来ないよな…)
「……エステルに何かあったら、すぐに連絡してくれ俺の療養という名の怠惰は、終わりだ…。いつまでもこのままだと、エステルが安心して眠れないからな…。メイハム、すまなかった」
「……いえ、大切な人が危険に晒される怖さは、…私も十二分に理解していますから」
エステルの方に視線をやりながら、メイハムは言った。
「…ありがとう。メイハム、エミリー。エステルを頼むぞ」
2人が承諾したことを確認して、俺は部屋から出た。
俺が弱音を吐くことも、挫折することも、もう許されてはならない。
(俺が…エステルを刺したのだから…。肉体的にも、精神的にも…)
自ら婚約を結ぼうと言っておきながら、俺はエステルを放置した。
いくら謝っても許されることではない。
呪術から解放された後、俺は徐々に、呪術にかかっていた時のモヤがかかっていた記憶の数々が、沸々と蘇ってきた。
王女が俺に何を命令したのか、…エステルにどんな態度を取り、何を言ったのか。
どんな理由があろうが、言ってはいけないことだったのに。
俺はそのナイフのように鋭利な言葉を次々と言ってしまった。
その時のエステルの表情を、今では完全に思い出せる。
俺は横目で見ていたんだ。
酷く傷付いた表情をしていた。
苦しそうで、辛そうで、寂しそうで。
初めてここへ来ていた時の表情と、傷付いた時の表情が同じだった。
もし目が覚めても、俺のことをもう好きでないかもしれない。
それどころか、また感情を無くしてしまうかもしれない。
……俺のせいで。
せっかく幸せを感じることが出来るようになったのに、俺が裏切るような発言をしたせいで、エステルは酷く傷付いているだろう。
その傷で、昔のことを思い出して、もう二度と人を信じなくなってしまったら、俺は、一生自分を許さない。
存外許すつもりも毛頭ないが、俺は俺をより戒めるだろう。
(ダメだな…何かしていないと、常にエステルのことばかり考えてしまう…)
俺は一度頭を仕事のモードへと切り替えるため、書斎で溜まりに溜まった書類たちと睨めっこをする。
この仕事が片付けば、リハビリに剣術の練習をして、訓練にも戻る。
俺が操られていた間はエステルが俺に代わってしてくれていたと聞いた。
だからこれからは全て俺の仕事だ。
後は…………
こうして俺は、エステルが幸せに暮らせる環境を整え始めた。
◇◇◇