第八話
七月下旬のある日。
夜遅くになって、県外の大学に通っている圭から電話があった。
『悪いね。夜遅く』電話に出た昌平に圭が言った。
「いや、別に構わんが。それよりどうした?」
『あー、その、ちょっと訊きたいことがあって』
「訊きたいこと? 何だ?」
『うん。っと、その前に、茉里奈は今、勉強中?』
「ああ」耕治は茉里奈の部屋を見ながら答える。「高校に進学してからは、机に噛り付くようにして勉強している」
『ご立派!』
「お前はどうなんだ? きちんと勉強はしているのか?」
『まあ、それなりには。……ただ、最近はあんまり捗ってはいないかな』
「どうして?」
『それは……』圭は少し黙ってから口を開く。『なあ、もしかして、親父の会社、今、結構やばいんじゃないのか?』
なぜ、それを? 出掛った言葉を飲み込み、昌平は別の返事をする。
「何の話だ?」
『とぼけるなって。もう、知ってるんだ。親父の会社、あの大手の取引先から契約を切られたんだろ?』
「どこでその話を聞いた?」
『就活前に企業の調査をしておこうと思ってね。その時、親父の会社と契約していた会社を見つけたんだ。それでちょっと興味を持って、その会社を調べてたんだけど、そのうちに親父の会社が契約を切られていたことが分かったんだ』
我が息子ながら大した情報収集能力だ。
まったく誰に似たんだか。
「……そうか」昌平は嘆息を堪えてそう答える。「まあ、お前にはきちんと話しておいた方が良いかもしれんな」
元々、息子の圭はマスコミ関係の仕事に就きたいと言っていた。しかし、昌平の希望もあり、いずれは会社を継いでくれると言ってくれていた。そのためにも何とか会社を継続させたい。だが、現状はどう転ぶか分からない。ならば、せめて正直に話しておくことが、筋というものだと昌平は考えた。
『じゃあ、やっぱり……』
「ああ、お前の言った通りだ。ちょっと前に大手から契約を切られた。それからすぐ、メインバンクからの融資も打ち切りになった」
『おいおい! それって、本当に大丈夫なのかよ!?』
「現状では何とも言えん。ただ、最悪、倒産ということも考えられる」
『……そ、そうか』
「あくまで最悪の話だ」念を押すように昌平は言う。「だが、その可能性があるということだけは頭に入れておいてくれ」
『分かった』
受話器の向こうで、圭が小さく溜息をつく音が聞こえた。
「すまんな。余計な心配を掛けて」
『いや。こっちこそ。こんな時に家にも帰らずに……』
「何言ってる。学生の本分は勉強だ。茉里奈を見習え」
『分かってるよ。……でも、ありがとう。話してくれて』
「お前のことは、もう大人と認めている。話しても差し支えないだろう。ただ、私もこのままでいるつもりはない。必ず会社は立て直して見せるから、お前は何の心配もするな」
『うん。分かったよ』
それから少しだけ圭の学校での話を聞いて電話を終えた。
昌平は受話器を元に戻すと、ソファーに深く腰掛けた。まさか、息子にまで心配を掛けてしまっていたとは。まったくもって情けない。だが、あんな啖呵を切ってしまった以上、何が何でも会社を立て直さなくてはならない。昌平は決意を新たにすると、自室へと戻って行った。
勉強がひと段落ついた頃、喉の渇きを覚えた茉里奈は一階にある台所へ飲み物を取りに向かった。
しかし、階段を下りる途中で居間から声が聞こえ、足を止めた。
「――ちょっと前に大手から契約を切られた。それからすぐ、メインバンクからの融資も打ち切りになった」
昌平の声だった。その声は内緒話をする様に小さくて聞き取りづらかった。茉里奈は足を止めると、聞こえて来る声に耳を澄ました。
「――最悪、倒産ということも考えられる」
倒産!?
え、なにそれ?
お父さんの会社が倒産って?
それってつまり……。
不意に足元が崩れ落ちるような感覚に捕われ、茉里奈はその場で立ち竦んだ。
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。
茉里奈は慌てて自室へと戻ると、椅子に座り、開きっぱなしになっていた数学の参考書に目を向けた。
だが、とても勉強を再開する気分にはなれなかった。