第九話
圭から連絡があってから一週間。手当たり次第に営業を掛けていた昌平の元にいくつか契約をしてくれるという会社が現れた。いずれも地方でひっそりと経営している会社ではあったが、今の昌平には天の助けにも感じられた。それでも以前契約していた大手が抜けた穴を埋めるにはまだ遠く及ばなかった。
一度断られた銀行にも、何とか融資 をしてもらえないかと頭を下げて回った。中泉からも融資を受けられそうな他県の銀行を紹介してもらったが、いずれも芳しい返事はもらえなかった。
そうしている内に刻々とデッドラインが近づいて来ていた。どんなに頑張っても、あと二週間以内に融資先が見つからなければ昌平の会社は潰れる。
家族と会社の長としての重圧が昌平の体中を蝕んでいた。今更ながら自分が背負っていたものの大きさに気付かされた。同時にもうだめだという諦念にじわじわと自分が蝕まれて行くのを感じ
ここ数カ月ですっかり様になった土下座が空振りに終わったその日、昌平は気が付けばいつの日か立ち寄った公園のベンチに座っていた。
もう、尽くせる手はほぼすべて尽くしていた。それでも現状はほとんど変わっていない。いや、こうしている間にも状況は悪化し続けている。
完全に手詰まりになったこの状況で昌平に頼れるのは一つだけだった。昌平は懐から携帯電話を取り出すと中泉の番号をコールした。
『もしもし?』中泉はすぐに電話に出た。
「……、中泉」口から漏れて出たのは自分でも情けなくなるほど弱々しい声だった。「すまない。出来る限りのことをやったがもうどうにもならない」
『昌平……』
「頼む。この状況を変えられる方法を知っているのなら教えてくれ。俺に出来ることがあるなら何だってするから」
懇願する昌平に中泉は、『わかった』と答えた。
『今夜、この前と同じ店で会えるか?』
「ああ」
『なら、今夜の八時、話はその時に』
「ああ……」
短い会話が終わると、昌平は天を仰いだ。
約束の時刻より十分ほど遅れて中泉は現れた。
「すまない。遅れた」
「いや」
昌平は先日と同じ席を確保していた。中泉は昌平の正面の席に座るとバーボンを注文した。
「お前は?」
「私はウーロン茶を」
今日は酒を飲む気分ではなかった。それよりも早く本題に入りたいと思っていた。だが、中泉はそれを拒否した。
「とりあえず、今日は飲め」
「いや、私は……」
「いいから。お前はビールでいいな?」中泉はそう言うと強引に昌平の分も注文した。
グラスが届くと、どちらからともなく乾杯をした。グラスはすぐに空になり、中泉がおかわりを注文する。そして注文を受けに来た店員がテーブルから離れるのを見ると、「それにしても」と中泉は呟くように言った。
「ひどい面だな。あれから随分、無理したんじゃないのか?」
「そうだな。死ぬ気で働いたよ。だが、どうにもならなかった」卑屈な笑みが昌平の顔に浮かんだ。「思い知ったよ。自分がいかに小さな存在だったか。私程度の人間がいくら死ぬ気で働いても出来ることはたかが知れていたんだ」
「昌平……」
「以前から息子が会社を継ぐと言ってくれていたんだ。だから、余計に何とかしてやりたかったんだが……」
アルコールの回りがやけに早いように感じた。普段なら口にしないような言葉がポロポロと零れ出てくる。同時に目頭が熱くなっているのを感じ、昌平はちょうど届いたビールを一気に呷った。
「情けない……」
悔しさで死にそうだった。何も出来ない自分に対しても、まるでこちらの話を聞いてくれない世間に対しても、すべてに対して負けたような気がした。
「悔しいな」
「ああ」
二人とも相手を見ることはなく、ただ窓の外を見つめていた。そこにある景色は先日見たものと変わらない。きっと自分の会社が無くなってもそれは同じなのだろう。そう思うと無性にやるせない気持ちになった。
「この前な、昌平に話さなかったことがある」中泉は昌平が落ち着きを取り戻した頃にそう言った。
昌平は話が本題に入ったことを悟り、それを口に出す。
「どうやってお前が自分の会社を立て直したか、か?」
「そうだ……」
「なんで、この前教えてくれなかった?」
「教えるべきじゃないと思ったからだ。自力で解決出来る可能性があるのなら、安易にあの方法は取るべきじゃない」淡々とした口調で話す中泉は先日会ったときと同じように空虚な顔をしていた。
「そんなに危険なものなのか?」
「そうだな。少なくとも命を懸けることになる」
「命……?」
昌平は息を飲んだ。そんなに恐ろしい方法なのか。中泉は一体どんな方法を自分に伝えようとしているのか。
「その方法って言うのは?」
昌平の質問に中泉は周囲に目を配ってから小声で答えた。
「昌平、俺はな、自分の命を売ったんだ」
聞かされた答えは斜め上どころの騒ぎではなかった。昌平は何と言えばいいのか分からず閉口した。それを見て中泉は、「まあ、そうなるよな」と肩を竦めた。
「俺も始めこの話を聞かされたときは、お前と同じ反応をしたよ」
だが、本当の話なんだ。そう言った中泉の表情は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えなかった。それでもその話を簡単に受け入れることは昌平には出来なかった。
「ま、待て、中泉。お前の言った命を売るっていうのは何かの比喩だよな?」
「違う。文字通りの意味だ。俺は自分の命を売った。その金で会社の借金を帳消しにしたんだ」
正直、こんな話を聞かされるとは思ってもみなかった。昌平は額を押さえて俯くと、「ちょっと待ってくれ」と言った。
「そんな話、簡単に信じられるわけ――」
そう言いかけた時、不意に昌平の脳裏にある男の姿が浮かんだ。真夏だというのに真っ黒なスーツを着込み、薄っぺらい笑顔を浮かべていたあの男――たしか那由多と名乗っていたか。
「『死神』って言えば、お前も聞いたことくらいはあるだろ? 今、世間を騒がせている人の命を売買する仲介人。俺は彼らと契約をしたんだ」中泉はそう言って一枚の名刺をテーブルの上に置いた。
そこには『Life buyer』、『那由多』と刻まれていた。
それは昌平が以前受け取ったものと同じ名刺だった。
「この名刺……、私も前にもらったことがある」
「なに⁉」
「たしか、お前に同窓会の出欠について連絡を貰った日だ。営業の途中で休憩していた公園で胡散臭い男に会って……。たしかあの男も那由多とか名乗っていた」
「そうか。お前も彼に会ったことがあったのか」名刺を見つめながら中泉は言った。
「私はすぐにあの名刺は捨ててしまったが……」昌平はそう言うと首を横に振った。「しかし、まさかあの男が本当に死神だったとは」
「見た目はただの人間だからな。俺も最初は戸惑った。普通すぎて拍子抜けしたか?」
「それもあるが、自分が死神と遭遇することになるとは思っていなかったから」
「彼らは金を必要とする人間、強く欲する人間の前に現れるらしいからな。俺もお前も会社の経営に追い詰められていたからな。そういう心に付け込まれたんだろう」
「いや、だが、ちょっと待て」中泉の話に頷きかけた昌平の頭に素朴な疑問が浮かび上がる。「その話が本当だとしてもだ。それならなぜ命を売ったお前は生きているんだ?」
「ああ、そうだな。すまん、説明が足りなかった。たしかに俺は自分の命を売った。だが、そのすべてを売った訳じゃない」
「どういうことだ?」
「死神は人の命を小分けにして売買するんだ」
「小分け? それはつまり命の一部だけを切り取って売ることが出来るということか?」
「まあ、そういうことになる」
「そんなことが……」昌平は名刺をじっと見つめながら呟く。
「俺には詳しい説明は出来ないが、ただ、この方法を取ればお前の抱える問題の大半はほぼ確実に解決すると思う」
「本当か?」
「ああ」中泉はそう答えると、力なく項垂れた。「正直、このことをお前に話すべきか最後まで迷った。だが、本当にお前が自分の会社を守りたいと言うのなら教えてやるべきだと思った」
「分かってる。ありがとう」
「礼はよしてくれ」中泉が首を横に振る。「この名刺はお前に預けておく。あとの決断はお前次第だ」
「ああ」
「昌平、すまない」
「なぜ謝るんだ?」
「このことを知ってしまった以上、お前は契約をしてもしなくても後悔することになる。だから……」
「お前も後悔しているのか?」
昌平の問いかけに、中泉は苦笑を浮かべるだけだった。




