4.早く結婚式から解放されたい……。
続いて出された前菜は、じっくり低温調理された鴨肉のローストに、オレンジソースがかかったものと、色鮮やかな野菜のジュレ、アスパラガスのチーズソースがけ、ほうれん草とベーコンのキッシュ、玉子の黄身が見えているミートローフ、生ハムとグリッシー二の盛り合わせだった。この気取らなさが二人の人柄をよく現している。もちろん、ハリーが真っ先に俺のグリッシー二を奪い、わざと音を立て、ぼりぼりと貪り食っていた。フレデリックさんは隣の二人を警戒して、必要以上に肩に力を入れながら、ナイフとフォークを動かして、鴨肉を一口大に切っているし、ダニエルさんは時折、ハリーを非難がましく睨みつけながら、焦って、俺の皿に前菜を補充していた。
ノアはそれを横目に、平然とした表情で優雅に食べながらも、野菜のジュレは苦手なのか、そっとシェラさんのお皿に移していた。シェラさんが無言で頷き、意外にも綺麗にナイフとフォークを使って平らげる。でも、動きが途轍もなく遅いし、時にはナイフの刃が皿に当たって、その甲高い音に眉をひそめていた。
「あ~、美味しい。このあと、本当に余興で踊るのか……」
「ヘンリー、大丈夫だよ! 俺がしっかりサポートしてあげるからね?」
「いらないよ、ハリー。そんなことよりも、頼むから結婚式をめちゃくちゃにするなよ……!? 服も脱ぐなよ!?」
「俺のこと何だと思ってる?」
「何をしでかすかよく分からない問題児」
「正しいね、合ってる」
ノアがはんと鼻を鳴らし、ハリーを蔑むような目で見つめる。かちんときたのか、ハリーがすかさず、ナイフとフォークを持ってノアの皿に襲いかかった。それを許すノアではなく、自分のナイフとフォークで迎え撃ち、ぎっと睨みつける。ああ、気が遠くなってきた……。
「頼むからやめてくれ、二人とも! こんなことしてるの、うちのテーブルだけだぞ!? 他は和やかに談笑してるっていうのに」
「だって、ノアが俺のことをバカにしてきたから……」
「最初にバカにしたのはヘンリーじゃん。そっちのを奪えば?」
「いや、可哀相だからそんなことはしない! それに、いつも迷惑をかけてるしね!」
「分かっているのなら、大人しく食べてくれ……はい」
しぶしぶ、ハリーのお皿に置いてあったグリッシー二を持ち上げて、口元へ差し出せば、とたんに野生動物のように齧りつき、ぼりぼりと食べ始める。すぐに、ダニエルさんが俺にグリッシー二をくれた。お礼を言ったあと、虚ろな目で齧る。
「このあと、本当にみんなで踊るのか……。ああ、憂鬱だ」
「そればっかだなぁ、ヘンリーは。まあ頑張って」
「いいですよね、フレデリックさんは。アコーディオンの演奏だけで! 俺だってピアノぐらい弾けるんだから、楽器担当になりたかったんですけど」
「それはだめでしょ。踊ってる最中、何かあったら対応出来ないじゃん。ヘンリーはトラブル対応係なんだがらさ」
「嫌だなぁ~、そんな係! やめたいなぁ、もう」
「が、頑張って、大丈夫だから……」
俺が頭を抱えると、ダニエルさんがこわごわとした様子で慰めてくれた。それもそのはず、ダニエルさんはフルートを吹く予定で、打ち合わせの時、踊らなくていいことになってほっとしていた。ああ、散々だ。こんなに人が集まっている前で、笑顔かつ、ノリノリで踊らなきゃいけないのか……? しかもノアとシェラさん、ハリー、マリエルさんで踊る。人選に不安しかない。
(いや、俺の周りに安心出来る人物なんているのか……?)
いない。かろうじてダニエルさんとメイベルちゃんだけど、今は頼れない。俺は今、人々の目の前でノリノリで踊る恥ずかしさを和らげてくれるような、安心安全な人物を求めているんだ。しかし、いない。テーブルに突っ伏したくなった。俺が沈鬱な表情で黙り込んでいると、ダニエルさんが焦って、俺の好きな鴨肉を一切れくれた。食べると、憂鬱な気持ちが少しは和らいでゆく。すっかり皿が空になった頃、次はスープが運ばれてきた。まろやかなグリーンが春らしい、えんどう豆のスープで、フレデリックさんが顔を輝かせる。
「おお、うまい! 俺、えんどう豆のスープが好きなんだよね。俺がメイベルちゃんだったら、アレンにえんどう豆のスープ作ってぇ~って言って、作って貰ったのになぁ」
「うわ、声真似気持ち悪。てか、自分で作ったら? パン屋じゃん」
「パン屋はパンを焼くのが仕事であって、スープ作りはまた別だからな!?」
「料理人じゃん。頑張れ」
「いやいや、パン職人だから! そりゃ、ある程度作れるけどさ……。フィリングは全部自分で作ってるし。でも、人に作って貰うのが一番うまい。そう言えば、メイベルちゃんが風邪引いた時、アレンの奇行が酷くなってたな。スープを見てたら思い出した」
「ああ、あれですか……」
今までのアレンの奇行を思い出し、みんなでそれを喋りながら食べた。えんどう豆のスープは絶品で、バターの香りが口の中にふわりと残る。が、料理を味わっている場合じゃない。幸せそうに笑い合う二人を見ていたら、色々思い出してきた。
「で、俺、言ったんですよ!! お前、メイベルちゃんのことが好きだろって! それなのに頑なに認めようとしないし、どんどんおかしくなっていくし、大体、水着の時もこれまたうるさかった……!! ずーっとああいう水着はどうかと思うって文句をぶつぶつ垂れてくるし、メイベルちゃんはメイベルちゃんで、俺にどういう水着が良かったと思う? って聞いてくるし! 知るか!!」
「ど、どうどう……」
「ストレス溜まってんなあ、ヘンリー。酒飲め、酒」
「ありがとうございます、頂きます!」
フレデリックさんが差し出してきたグラスだけど、気にせず飲み干した。ああ、苛立つ! 特に向こうで幸せそうに「はい、あーん」とか言って、メイベルちゃんがアレンに食べさせているのが苛立つ!! アレンが「どうしたんだ、お前」と言いたくなるぐらい、でれっでれした笑顔を浮かべていた。
「あいつら、幸せそうだな……!! くそっ!」
「結婚式だし、しょうがないでしょ。そういうとこだよ、結婚式は」
「俺と一緒に邪魔しに行っちゃう!? そうしようよ、ヘンリー!」
「アレンはアレンで、俺が今日撮ったメイベルの写真を見てくれって言って、ひたすら見せてくるし……!! なんっで、お前の彼女ですらない女の子の写真を見て、俺が褒めなきゃいけないんだよ!? ひたすら色んなポーズのメイベルちゃんを見せられて、感想を求められるこっちの身にもなってくれ!! せめて付き合っていたら割り切れたのに、付き合っていないし割り切れない! しかもずーっと下のベッドで毎晩、ウィルフレッドとメイベルちゃんについて語ってるし……。気が狂いそうになるんだよ、あれを聞いていると! 長時間の電話が終わったあとには、メイベルちゃんが幸福でありますように、怪我しませんようにってお祈りが延々と続くんだ!! 毎晩毎晩な!」
ああ、言い出せば切りが無い。周囲はもはや、黙って俺の話を聞いていた。全員、どこか気まずそうな顔をしている。ようやくとうとう、俺がいかにストレスを溜めてきたか、いかにみんなの代わりに負担してきたかを分かってくれたらしい。ようやく!
「それで、メイベルちゃんがちょっとでも怪我をすれば、俺の祈りと信心が足りなかったかもしれないって言い出して、いつもより念入りに寝る前のお祈りをし出すし……。それなのにメイベルちゃんは、今日のアレン格好良かったー! すごく気にしてくれたーって、俺に無邪気に報告してくるし、その合間にアレンが、なあ、どうしよう? ヘンリー。今日、思いっきりメイベルに逃げられたんだけど、俺、嫌われてるかもしれないって言ってきて……!!」
「つ、つらかったね? ヘンリー。どうどう……」
ダニエルさんが戸惑い、背中を擦ってくれた。俺が苦労した結果、二人は幸せそうに笑ってる。あ、今、アレンがメイベルちゃんにキスしたな。嬉しそうだな~、あいつ。
「浮かれてるなぁ、アレン……本当に」
「確かに。でれっでれしててむかつくよね、あいつ」
「このあと、二次会があるだろ? そこでたかろうぜ。今は幸せ気分でいっぱいだから、奢ってくれるんじゃねぇの?」
「俺も傷付いたから、アレンには沢山構って欲しいな……。パフェ奢って欲しい」
「あたしはお酒と生ハム! 食べたい」
ひとしきり何を奢って貰うか話し合っていると、次の料理が運ばれてきた。出てきたのは人魚姫が育てたという、幻のパール海老のポワレに、春野菜のグリルとクリームソースを添えた一品。見た瞬間、予想以上の豪華さに全員が黙り込む。
「金、どれぐらいかかってんだろ……」
「ノア! やめなさい、ノア! 俺も気になったけども!」
「た、食べよう? ほら」
ダニエルさんに促され、ナイフとフォークを手に取る。パール海老は名前の通り、甲殻がパールのように光り輝いている海老だ。お祝い事には欠かせない高級食材で、虹色の光沢が美しかった。ただ、気になるのはメニュー名。“人魚姫が育てた”というフレーズが気になって、海老に集中出来ない。
「人魚姫が育てたって? それでいいのか、人魚姫……」
「まあ、人魚にも色々いるじゃん。大抵は閉鎖的だけどさ」
「この海老が、人魚姫の友達だったと思うと食べられない……!!」
「友達じゃないって、養殖してるんだよ。ほら、買いてあるじゃん。メニュー表に」
「えーっ? ヘンリーは繊細だなぁ! 俺はぜんぜん平気だよ? 俺が食べてあげよっか!?」
「あ、俺、海老がちょっと苦手だから食べて~。パール海老は甘すぎるんだよ。これがいいってやつもいるけど」
「あれ、フレデリックさん、海老が苦手だったんですか?」
そうとは知らず、今まで出していたような気がする。フレデリックさんが笑って「ちょっとだけな~」と言い、ハリーに半分ほど渡していた。俺達に気を使って今まで言い出さなかったとか? それとも、ハリーに料理を奪われている俺を不憫に思って、苦手だと偽り、半分ほど海老をやったとか……?
(どれもしっくりこないなぁ。フレデリックさんが良いことをするような人には、到底見えないし……)
首を傾げながらも食べる。パール海老はぷりっとした、歯を押し返すほどの弾力と濃厚な甘みが特徴で、素晴らしく美味しかった。ほっくりとした食感のじゃがいもとホワイトアスパラガスによく合っている。次に運ばれてきた口直しは苺のグラニテで、これは死守した。ハリーに向かって「胃も心も疲れ果てている俺には今、ビタミンCが必要なんだよ!」と訴えかけてみると、若干引いた表情で頷かれた。お前がそんな顔をするな! と言いたくなったが、何とか耐える。あそこのテーブルだけうるさいわねと、そう思われかねない。
(もう手遅れな気がするが……。ああ、踊りたくない。踊りたくない。でも、腹ごなしに踊ると思えば、前向きに考えてって、やっぱり無理だ!! 前向きになんて考えられるか!)
メインの肉料理はシンプルに、牛フィレ肉のソテーだった。王道の赤ワインソースは芳醇で、旨みがありながらもあっさりとしている。出てきた料理はどれもこれも、素材を生かした味つけで、塩分も控えめだった。パンは焼き立てで温かかったし、春の花畑にいるかのような式場でこれらを食べ、合間に幸せそうなメイベルちゃんとアレンを見ていると、無性に腹が立ったが、まあ、たまには穏やかな気持ちになれた。積極的に現実逃避をしていれば、最後にデザートが運ばれてくる。優美なミントグリーンの縁取りがされた皿に、苺とソフトクリームの小さなパフェ、アーモンドスライスがたっぷり載せられたアーモンドケーキ、苺のジュレとクリームチーズが二層になっている、レアチーズケーキと桃のタルトが盛りつけられていた。
どれもこれもサイズが小さくて、ぺろりと食べられそうだ。合わせて出されたコーヒーを飲みつつ、この腹がいっぱいになった状態で踊るのか……と思ったが、無心でデザートを楽しむ。甘さ控えめで、感動するほど美味しかった。それとも、俺がここに座って永遠にゆっくりしていたいという気持ちがあるから、今まで食べた、どのデザートよりも美味しく感じるのか────……。幸いなことに、すっかり忘れていたウェディングケーキの入刀が始まる。
一番目立つ場所に飾られたウェディングケーキは、二人の幸せを現すかのように、淡いピンク色に染まっていた。そこまで豪華にする必要があったんだろうかと言いたくなるぐらい、何段も積み重ねられている。おまけに薔薇とリボンでふんだんに飾られ、ハートの形をしたクッキーがごろごろと転がっていた。その上、二人を模した砂糖人形が────もちろん、今、二人が着ているのと同じドレスとタキシードを着ていた────嬉しそうに身を寄せ合い、ウェデングケーキのてっぺんでキスしまくっていた。直視出来なくなって、思わず口元を押さえる。
「なぁ? あれ、あれ、アレンとメイベルちゃんの二人がこういう動きをさせようねって、相談し合って、ああいう動きをする砂糖人形をオーダーしたんだろ……!? 見てられないんだが!? 恥ずかしい!」
「これを言うのは気が引けるんだけどさ? ヘンリー? この結婚式、ぜ~んぶぜんぶ、メイベルちゃんとアレンの二人がイチャイチャしながら、決めたものなんだよ? 料理から演出まで、何から何までをさ」
「うわあああああ……!! いっ、嫌だ、帰りたい! 恐怖だ!! カトラリーも二人が決めたものなんだ! どうしよう? なぁ、ノア!? 今飲んでいるコーヒーも、アレンが豆を挽いて淹れたやつだったら!」
「ちょっと落ち着こうか、ヘンリー。重症だよ?」
ノアが気の毒そうな表情でこちらを見たあと、フレデリックさんが焦って身を乗り出す。
「そっ、そうそう! アレンだってわざわざ豆を挽いたりしないって! メイベルちゃんは紅茶派みたいだし!」
「メイベルちゃんが紅茶派で良かったね、ヘンリー! でも、今はアレンが好きなコーヒーを好きになろうと思って努力している最中だし、だから、紅茶じゃなくてコーヒーが出てきたんじゃないのかな!?」
「うっ、うう、嫌だ、嫌だ……怖い」
人の不幸は蜜の味と、顔に書いてあるハリーがいつになく、爽やかな微笑みを浮かべ、俺の肩を掴んできた。ダニエルさんがやめさせようと、腕を伸ばしたが間に合わない。頭を抱えている俺に向かって、優しく、幼い子供を諭すかのように語り出した。
「でも、あのウェディングケーキはアレンが作ったものかもしれないね? よし、せっかくの一生に一度の結婚式なんだから、腕によりをかけて作るぞー! ってアレンが張り切って、メイベルちゃんのために一から作り上げたものなんだよ……!!」
「どうしよう? 否定出来ない」
「まぁ、こればっかりはなぁ」
「普段の行いがあれだからね、あれ」
「ん、アレンが作っていても不思議じゃない……」
「それで、申し訳なく思ったメイベルちゃんがアレン? クリーム作るの手伝うよ~? って申し出て、泡立てている最中にあ~ん、失敗しちゃったぁ~! アレン、どうしようぉ~? って言って、アレンが嬉しそうに仕方無いなぁ、メイベルは。ここ、クリームついてるぞ? ほらって言って、衛生面もスタッフの心も、何もかもを無視したイチャつきをキッチンで繰り広げていたんだよ……!!」
「怖い!! あれはそうやって作り上げられた品物なんだ、知らなかった! どうせ絶対に二人の唾液が入ってるんだ……!!」
「落ち着けって、ヘンリー。お気に入りの店に作って貰ったって言ってたぞ? あのウェディングケーキ。てか、入刀するところぐらい見てやれ」
「フレデリックさんに正論を言われると、つらいんですけど……」
「なんで?」
「分かる」
アレンがしきりにメイベルちゃんを笑顔で気にかけ、メイベルちゃんが照れ臭そうに笑いながらも、アレンを見つめていた。ああ、イラっとする。二人がリボン付きのナイフに手を添え、ケーキを切る。そのあと、運ばれてきたウェディングケーキには、二人の砂糖人形が添えられていた。スタッフから笑顔で「一番お世話になった方なので、お二人がぜひにと」と伝えられ、力なく微笑む。ああ……。
「余計な気遣いだよ……!! 本当に余計なことばっかりしやがって! ハリー、食べるか?」
「あっ、ごめん。二人のイチャイチャ人形は食べたくないや」
「俺も無理。パス」
「頑張れ~、飲み込んでしまえよ。はははは」
「あたしも食べたくない、無理」
「お、俺が食べてあげようか……?」
ダニエルさんの申し出は有難かったが、断った。何故なら、嬉しそうな笑顔のメイベルちゃんがこっちを見ていたからだ。ここで食べないという選択をしたら、絶対に悲しむ。そうなるとアレンが「なんでお前、食わなかったんだよ!? ヘンリー! せっかくメイベルがお前にやるって言ってやったのに!」って騒ぎ出すだろうから、黙って食べた。砂糖の塊をじゃりじゃりと、無心で噛んでいれば、笑顔のマリエルさんがやって来た。
「いーい? このあと踊るんだから、お手洗いとかちゃんと済ませておいてよね?」
「あっ、はい……」
「それにしてもメイベルちゃん、綺麗だわ~。可愛い! ふふふ、お色直しのドレスが楽しみね? どんなドレスかしら?」
ああ、疲れた……。早く帰りたい。俺の気持ちとは裏腹に、結婚式はまだまだ終わりそうになかった。




