28.スリル満点の結婚挨拶
とうとう、アレンと一緒に私の実家へ行く日になった。おろしたての紺色スーツを着たアレンが、リビングのソファーに座って、ひたすらうつむいている。私もアレンに合わせて、以前買って貰った、レース付きの角襟に、黄色と白の小花柄ワンピースに着替えた。苦笑しながら近付いていくと、アレンの近くに座ったフレデリックさんとハリー、ノアが余計なことを吹き込んでいる最中だった。
「きっと怖いぞ~。向こうはかんかんに怒ってるぞ~? なにせ一人娘だし、シェアハウスで暮らすことにも反対してたぐらいだ。俺が自分の娘をシェアハウスに送り出して、速攻彼氏作って、その男と結婚するだなんて言い出したらブチ切れるぞ~? 娘をたぶらかした悪い男扱いされるからな~?」
「分かってるって、うるさいな……」
「そうそう。メイベルちゃん、相当可愛がられてるみたいだし、絶対にキレられるよ。もしかしたら水ぶっかけられて追い返されるかも。どうする?」
「そうそう! 俺もノアと同意見かな! でも、メイベルちゃんには甘そうだから、メイベルちゃんがお手洗いとかに立った瞬間、急にキレ出すんだよ! アレンはきっとねちねち、欠点をあら探しされていじめられるね! 可哀相に~!」
「ハリー?」
「ひっ!? ごめんなさい!!」
ちょっと声をかけてみただけなのに、震え上がってバニラちゃんをぎゅっと抱き締める。当のバニラちゃんはまたかとでも言いたげな、面倒臭そうな表情で「にゃあ」と鳴いていた。気まずそうな表情でこっちを見上げてきたノアとフレデリックさんも、私を見た瞬間、何故か硬直した。
「みんな? アレンが緊張してるって分かってるよね……?」
「も、もちろん。ほら、行ってこいよ! アレン! 帰りはメイベルちゃんとデートしてくるんだろ? 頑張れ頑張れ、きっと大丈夫だろうからさ!」
「フレデリックさん、さっきと言ってることが真逆じゃん……」
「そういう調子がいいところがキモくて、娘に嫌われてるんじゃない?」
「うるさいな、二人とも!! 俺は罵られたり、蔑んだ目で見られるのは好きなんだけど、にっこり笑顔で冷たく見下ろされるのは嫌いなんだよ! それが分かったなら黙れ!」
「「いや、お前が黙れよ」」
珍しくノアとハリーの声が揃った。二人とも、微妙な表情で顔を見合わせている。
「ふふ、ほら、アレン? 準備も出来たし、行くよー?」
「ああ、分かった。殺されに行くか……」
「も~、みんなして変なこと吹き込んだりするから。じゃあ、行ってきまーす」
「行ってらっしゃーい」
「お土産! お土産よろしく!!」
「いや、意味分かんないし……」
みんなに笑顔で手を振ったあと、いつもの高級住宅街を歩く。ひっきりなしにアレンが溜め息を吐いて、途方に暮れたような顔をしていた。その珍しく弱気な態度を見て、ついつい笑ってしまう。
「大丈夫だよ、アレン。でも、珍しいね? ああいう時、絶対言い返すのに」
「あ~、緊張しててちょっとな……」
「朝ご飯もぜんぜん食べれてなかったし。あっ、そうだ。私に告白するって決めた日もぜんぜん食べれてなかったよね?」
「それは言わない約束だろ、メイベル」
アレンがするりと私の手を握り締め、甘く笑った。まだ少し慣れないけど、緊張して逃げ出しちゃうことはなくなった。嬉しくなって笑い返せば、どこかほっとした様子で息を吐く。
「まあ、罵声でも何でも浴びてやるよ。どうせ、避けては通れない道だからな」
「大丈夫だよ~。お父さんがアレンに水をかけたら、私がお父さんに水をかけるから」
「えっ」
「アレンが何かされた分だけ、私がやり返すから安心してね?」
「あっ、うん。まあ、俺はいいからほどほどにな……?」
「ふふ」
笑うだけで済ませた……。ぞっとしながらも、俺の手を握り締め、にこにこと可愛く笑うメイベルを見ていたらどうでもよくなっていった。今日は暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいい秋晴れで、挨拶には持ってこいの日かもしれない。
そこから三十分ほどかけてトラムを乗り継ぎ、メイベルの実家を目指す。メイベルの実家は閑静な住宅地の中にあって、目を惹くような外観の住宅をいくつか通り過ぎたあと現われた。メイベルの優しい人柄を主張するような、眩しい陽射しに包まれた角地に建っていた。深い青色の屋根には風見鶏が立ち、淡いペールグリーンのしっくい壁には手で塗ったようなむらがある。メイベルが俺の腕から離れ、黒いアイアン製の門に手をかけた。
「ほら、アレン、大丈夫? 緊張してる? 行くよ~」
「いや、ここがメイベルの育った家かと思うと感慨深くて……」
「えっ? ここでは育ってないよ? 私が高校生の頃、この家を買ったから」
「あ、そうなのか……」
「うん。自分の部屋、色々と好きに出来て嬉しかったな~」
メイベルが鼻歌でも歌い出しそうな勢いで門を開き、可愛い笑顔で、ちょいちょいと手招きをする。深い森の中で妖精に出会ったら、こんな気持ちになるんだろうかと思いながらも、一歩足を踏み入れた。玄関までのアプローチには緑の芝生と、石の大きさが様々な石畳が敷かれ、オリーブがシンボルツリーとして植えられていた。メイベルの実家らしい、素朴な可愛さに包まれてはいるが、これから怒り狂ったウィルと父親に責められると考えただけで、鬱々としてきた……。ひとまず青いレンガで出来た玄関ポーチの上に立って、ネクタイを整える。メイベルはそんな俺を見て、ずっとにこにこと笑っていた。
「どうだ? どこも変じゃないか?」
「もちろん! いつも通りすごくかっこいいよ。安心して?」
「ありがとう。はー……緊張してきたな、ますます」
「じゃあ、緊張しなくなるおまじない、教えてあげようか?」
「ああ、そうしてくれると助かる」
藁にでもすがりたい気持ちでいっぱいだった。やたらとご機嫌なメイベルを見下ろせば、さらに微笑みを深めて伸び上がり、いきなり俺の頬にキスしてきた。か、可愛い……。
「どう? 今ので緊張、消えた?」
「……今の、もう一回してくれたら消えるかもしれない」
「も~、アレンってば! 早くチャイムを押さないと」
「あと一回だけだから……」
メイベルの腰を抱き寄せ、左頬にキスした。恥ずかしそうにくすくすと笑っている。耐えきれなくなって、ついばむように何度もくちびるにキスしていると、おもむろにドアがゆっくり開いていった。ほんの僅かに開いたドアの隙間から、ウィルがぎりぎりと歯軋りをしながら、血走った目でこっちを睨みつけてくる。
「アレン……貴様、良い度胸だな……!? よくも目の前で、よくも目の前で!」
「あっ。ご、ごめん……」
「ウィル? その前にアレンにごめんなさいは?」
「姉さん!? 人の玄関先でイチャついてるアレンの方こそ、ごめんなさいすべきだと思うんだけど!?」
「すまん。流石にこれは俺が悪かった……」
まさかいきなりドアが開くとは……。いや、その前にここでイチャつくべきじゃなかったか。メイベルが最近お得意の冷ややかな笑みを浮かべ、言い放つ。
「でも、いいよ。もう。第一声がごめんなさいじゃなかったら、今日一日無視するって決めてあるから。じゃあ、アレン? 行こっか」
「えっ!? 姉さん!? ごめん! ごめんってば! ちょっと待って……!!」
悲痛な声を上げるウィルをぐいっと、肘で押しのけ、笑顔のメイベルが俺を招き入れた。怖いな……。ここで止めに入ったら、俺にまで火の粉が降りかかってきそうで、申し訳ないがウィルのことは無視する。入ってすぐ目に飛び込んできたのは、二階へと通じるダークブラウンの階段だった。シューズボックスの上には真っ白な薔薇が飾られ、メイベルとウィルの小さな頃の写真が飾られている。玄関マットは、メイベルの好きそうなリスとベリー柄だった。見上げてみると、天井には小さなアンティーク調のランプが吊り下げられている。しげしげと辺りを見回していると、すぐさまメイベルの母親が駆けつけてきた。
「あらあら、まあまあ! いらっしゃい! ふふふ、写真で見た通りの優しそうなイケメン君ね? どうも初めまして。メイベルの母親のライラと申します。よろしくね~」
「あ、ああ、初めまして。アレン・フォレスターと申します。あの、これ、フィナンシェとガレットがお好きだと伺っ」
「まあ! 良かったのに、気にしなくて! でも、無理な話よね? 気にするなというのも! あの人だって、私の両親に会う時はガチガチに緊張して、好物のゼリーの詰め合わせを持って行ったんだもの。でも、本当に重たそうで! だから私、将来子供が生まれたら軽めの好物を伝えておこうかと思ったの。でも、どっちもどっちね? 重たいわ~。ありがとう!」
「は、はい……」
賑やかに喋り出したメイベルの母親は、メイベルにそっくりだった。柔らかな栗色の髪をゆったりとまとめ、深いグリーンのニットとスカートを履いている。俺が渡した紙袋を持って、いそいそとした足取りでリビングへと入っていった。
「ごめんね。びっくりしたでしょう? 私のお母さん、かなりのお喋り好きなの。聞き流して大丈夫だからね?」
「えっ? まぁ、そういう訳にもいかないから……」
「アレン、優しい~。大好きっ!」
「姉さん!? あのっ、本当にごめん! 俺、反省してるから……!!」
わざとなのか、メイベルがウィルをさらっと無視して、笑顔で俺の腕に絡みついてきた。気になって後ろを振り返ってみれば、強引に俺を引っ張って、リビングへと入って行く。リビングは予想通りの心地良さで、庭に面した窓際にはソファーセットが置いてあった。クリーム色の絨毯はしっとりとしていて、毛足が短い。あちらこちらに収納とインテリアを兼ねた木かごが並べられ、観葉植物やテディベアが飾られている。素朴で可愛らしく、温かな空間だった。メイベルの実家だというのが頷ける。
ただ、そんな心地良い空間の中でソファーに座って、微動にしない人物がいた。白いシャツの上から黒いニットベストを重ねたものを着ていて、がっちり二の腕を組んでいる。ライさんと同じ灰髪に青い瞳だったか、肌を刺すような威圧感を漂わせ、俺のことを強く睨みつけてきた。
(に、似てねぇな~……メイベルに)
しかも、警察官というだけあって筋骨隆々の体を持っていた。親父さんの神経を逆撫でしないためにも、今すぐ俺の腕から離れてくれと言おうとした瞬間、メイベルがぎゅっと俺の腕を握り締め、無邪気に笑った。最高に可愛い笑顔だった。
「お父さん、久しぶり~! アレンを連れて来たよ~」
「……久しぶりだな、メイベル。そうか、お前がアレンか」
「ど、どうも初めまして。お義父さん。アレン・フォレスターと申しま、」
「まだ認めた訳じゃないから、お義父さんと呼ぶな……!!」
「お父さん? じゃあ、私がお父さんって呼ぶのやめるよ? それが嫌だったら、今すぐアレンに謝って?」
つっよ! メイベルの脅しがめちゃくちゃ強いな、おい……。いや、脅しじゃないか。これは。ちらりと見てみると、最近お得意の冷ややかな微笑みを浮かべていた。さしもの父親も無言で凍り付いている。
(うん。俺はなるべくメイベルを怒らせないようにしよう……)
無視されることを考えただけで、落ち込むしぞっとする。現にウィルはずっとめそめそと「姉さん、姉さん……」と呟き、俺の背後霊と化していた。何も話せないままでいると、ふいに明るい声が飛び込んでくる。
「ねえ、アレン君は紅茶とコーヒー、どっちがいいー? 見た目だけで言ったら、ブラックコーヒーって言い出しそうだけど?」
「あ、じゃあ、ブラックコーヒーでお願いします……」
「はぁーい! メイベルちゃんは?」
「私もアレンと同じブラックコーヒーにする! 最近、飲めるようになってきたの! アレンの好きな飲み物だから~」
「メイベル、ごめん。ちょっと待って……」
頼む。嬉しいが、今だけはやめて欲しい……。メイベルの父親がぎりぎりと歯軋りでもしかねない形相で、俺のことを睨みつけ、どっかりとソファーへ座り直す。
「まあ、いい。結婚はゴールじゃなくて、スタートにしか過ぎないからな……。俺のことはお義父さんとでも、ごちゃごちゃとうるさい目障りな老人とでも好きに呼べばいいさ」
(結婚の挨拶がしづれぇな! 確かにそうだが、あの言葉がここまで不吉なものに思えてくるなんてな……)
結婚はゴールじゃない、スタートだ。認めよう。だが、結婚後もとことん目の敵にしてやるからなという宣戦布告にしか聞こえなくて、ぞっとしてしまった。俺が怯んでいると、マイペースなメイベルの母親が「メイベルー? この中から、アレン君の好きそうなお菓子を選んでくれない?」と言ってきた。
「あっ、はーい! でも、お父さんにウィル? ちゃんとアレンに優しくしてね? じゃないと私、本気で怒るから」
「……」
「分かった……」
「じゃあ、アレン、ちょっとだけ待っててね?」
「あ、おう」
去り際にメイベルが俺の腕を引っ張って、頬に軽くキスをしてきた。嬉しい。もしも今、二人きりの空間で、俺のことを射殺しそうな勢いで睨みつけてくる父親と弟がいなければの話だが……。でも、可愛かったからそんなことを言えるはずもなく、きらきらと期待に満ちた栗色の瞳に見つめられ、怯みながらも頬にキスをした。
(……今ので、殺意が一気に膨れ上がったな)
はたして、俺は生きて帰れるのかどうか。メイベルの後ろ姿を見送っていると、ぽんと、同時にウィルと父親が肩に手を置いてきた。手を置くというよりも、肩の骨を握り潰してやると言わんばかりの力で、握り締めてきたと表現するのが正しいか。
「まぁ、仲良くしようじゃないか。アレン君……」
「俺の義兄さんになってくれるとは嬉しいよ、アレン。姉さんのことを好きにならないって言ったくせに、姉さんのことを好きにならないって言ったくせに……!!」
早くも帰りたくなってきた。あいつらの言うことはあながち間違っちゃいない。
(生きて帰れますように……)




