〇第九話 風に舞う、邪龍の翼・序
序破急の三篇になります。
ジャスピリの町から大返しをはじめ二日後。
首都ウィンデリア、外務省長官室にルシエとナッシュ、そしてセルゲイの姿があった。
「ただいま戻りました。大方の報告は車中にてした通りですが、状況はいかがでしょうか?」
「うむ、おかえり。状況は極めて悪いと言わざるを得ないな。」
セルゲイは地図を広げ、首都ウィンデリアにほど近い、北側の二つの町を指して続ける。
「まず二日前、ドリトンとミルハイで突如武装蜂起が起きた。両町はおよそ五時間ほどで陥落。報せを聞いて軍を組織し、向かわせようとした頃には既に終わっていた程の電撃作戦だった。今でも両町合わせて五千人ほどの民衆が捕らえられているものと思われる。」
更に続けてその脇にある二つの町を指し
「続けて今日十時頃、パルフルとアスレイでも武装蜂起が起きた。ドリトンとミルハイに向かわせる予定だった部隊を向かわせ、午後十二時…つい先ほどだな。交戦に入ったとの報告があるが、パルフルに派遣したグロウズ君の見立てでは、敗色濃厚だそうだ。」
「グロウズが…。」
「へっへ、あのヤロウが初っ端からそう言うなンて、珍しいこともあるモンだなァ。」
セルゲイは頷く。
「彼はまだ若いが、既に三国、それも異国の地で勝利を収めた優秀な将校だ。だが、それでも厳しいらしい。おそらく日が暮れる前には結果がわかるだろうな。」
「わかりました。長官、今回の件ですが…。」
ルシエは改めてジャスピリで得た情報を伝え見識を述べた。
既に車中で伝えていたことではあったが、セルゲイは改めてルシエの報告と見識に頷きを返しながら応えた。
「改めて聞いても耳を疑うな。ライネックとエリスか…十六年前、彼らを取り逃がした事を今になって悔やむ日が来るとは思わなかった。」
「同じ気持ちですが、悔いている暇はありません。あいつらが糸を引いてるなら、この大規模侵攻は囮の可能性があります。」
「しかし、そうしてまで彼らに再度ケイン君を攫う必要性があるのか?ナッシュ君、車中で例のハーピィから追加の情報は得られなかったのか?」
ナッシュは両手を上げ首を振る。
「無駄だなァ、三分潜ってアレ以上のネタはなかった。廃人にしちまってもいいならもっと潜ったが、おそらくやっても追加のネタは上がってこなかっただろうよォ。」
「そうか。ほかならぬ君が言うのなら仕方ない。」
「しかし、そうなると国としては見えている脅威への対処を優先せざるを得ない。ケイン君への対処は考えるが、少なくとも君を彼に付きっ切りにさせるわけにはいかん。君もまた優秀な将校だからな。」
「…っ、わかりました。」
ルシエは一瞬悔しそうな顔をし、セルゲイの声に答える。
セルゲイはそれに頷く。瞳にこもった光は、決して彼女の思いを無碍にしているものではなかった。
「追って沙汰があるだろうが、ひとまず今日は休め。ジャスピリから一日半でここまでくるなんて、相当無茶な行軍をしたんだろう。」
「それはまあ、否定はしませんが。でも、休む暇は。」
「いいから休みなさい。肝心な時に全力を出せないと困るのはこちらだからな。万一そんな時にケイン君に何かあったらどうするのかね?」
「…今ここでアイツの名前を出すのは卑怯ですよ。わかりました。…失礼します。」
ルシエは一礼して長官室を去った。残ったナッシュは、セルゲイをニヤニヤ見ている。
「どォせ長官のことだ、このまま相手の出方を黙ってみてるつもりはねェンだろ?」
「フッ、君に言い当てられるとは私も耄碌したかな。とはいえ、うまくいく保証はないがね。」
ナッシュの言葉にセルゲイはニヤリと笑い、窓から外を見やる。
「―まだ、この風の国を鉄の国の自由にさせるつもりはないさ。少なくとも、私の目が黒いうちは、な。」
「…ただいまー。」
「おかえりなさいルシエさん、早かったんですね。」
ルシエの帰宅をケインが出迎えてくれる。
彼と暮らし始めて一か月ほど。不在にすることも多いが、これもルシエの日常になりつつあった。
「食事は入ります?」
「んー…寝る。七時くらいに一回起きるから、その時に食べるわ。あと。」
「はい?」
「詳しくは起きた時に話すけど、逃げられる準備はしておきなさい。」
ケインはその言葉を聞いてもあまり驚いていないようだった。
ただ、少し悲しい顔をしただけである。
「戦争になるという話は、長官さんから聞きました。…本当なんですね。」
「そうね、出来れば夢であってほしいけど。…じゃ。」
ルシエは休養のため部屋に入っていく。
まだ太陽が天上に上って一時間ほどしか経っていない頃だった。
-1-
翌日。朝八時。ルシエ宅を訪ねる人があった。
「ルシエ君、いるかね?私だ。軍から正式に下知が来た。」
「はい、今開けます。」
玄関を開けると、そこには旅装をまとったセルゲイがいた。
「これが今回の配属書だ。君は一五番遊撃部隊に配属となる。部隊長はグロウズ君だ。」
「グロウズの部隊ですか。今回特別に組織されたって感じですね。」
「そうなる。詳しい戦況は、部隊に着いた時に彼から説明があるだろう。私もそう長く時間が使えなくてな。ああ、それから。ケイン君、いるかね?」
奥で後片付けをしていたケインが、呼ばれてやってくる。
「はい、何でしょうか?長官さん。」
「すまないが昨日キンゼリフと協議した結果、君も今回の騒動が収まるまでは一時的に軍で身柄を預かることになった。」
「長官、彼は軍人ではなく、何ならまだウィンデリアに本籍を置いてはいませんが。」
詰め寄るルシエをセルゲイが制止する。
「わかっている。だがこのままここに置いておくのも、我が家で預かるのも危険だろう。勿論最前線に行けというわけではない。君は八八救護部隊で預かることになった。部隊長はモニカ君だ。」
「後方支援の部隊ですか、それなら安心しました。ケイン、モニカには私からもあとで伝えておくから。あんまり迷惑かけんじゃないわよ。」
「はい、わかっています。すいません、でかける準備をするので、二分くらい待ってください。」
「ああ、構わんよ。急にきてすまないね。」
急いで出立の支度を整えるケインを後目に、ルシエは尋ねた。
「それで、長官はどこに行かれるんです?」
「うむ?ああ、マンテリアへな。今回の件を聞いて以降、ユリアン君には既にスノンベールへ向かってもらっているが、それだけでは足りないからな。彼の工作にマンテリアの歩調を合わせるために、私がマンテリアで調整を行う手筈になっているのだ。」
「工作て。スノンベール出身者の前で言います?それ。」
「はっはっは、何、スノンベールを害する真似ではないよ。今回の件、我が国にとっては脅威でも、かの国にとってはチャンスともなりえるからな。」
セルゲイの台詞にルシエは得心したように頷いた。
「ああ、そういうことですか。わかりました。長官もお気をつけて。」
「うむ。とはいえ君は前線で戦うことになるのだ。気を抜くんじゃないぞ。」
「わかっています。むざむざやられたりはしないつもりです。」
それから一分と少々。身支度を整えたケインと共にセルゲイが去っていく。
ルシエも家に鍵をかけ、仲間たちが待つ戦場へと駆けていった。
配属書に記された兵舎にやってくると、鎧を着た一人のドラグーンの青年が、数名の下士官と何やら打ち合わせをしているところだった。
下士官はルシエに気づくとサッと敬礼した。ドラグーンの青年も同時に気づいたようだ。
「来たか、ルシエ。」
「中佐、お疲れ様です!」
「お疲れ様です、ルシエ教導官!」
「はい、お疲れ様です。―特務中佐、ルシエ・テリオバール。着任しました。グロウズ准将殿、これより貴官の指示下に入ります。」
「うむ。…くくっ。」
ルシエのかしこまった礼を聞いて、グロウズはたまらず笑い出した。
肩まで伸びる真っ赤な長髪が楽し気に揺れる。
「…何よ。笑わないでよ。」
「くっ…ははは、すまんすまん。わかってはいるのだが、お前がそうかしこまっている姿を見るとつい、な。」
グロウズが笑っているのを見て、話を聞いていた下士官もつられて笑い始める。
「だって、一応配属されたら上官には礼を尽くさなきゃいけないでしょ。…こらそこ!上官を笑うな!」
「「す、すいません。」」
「ははは…まあそう言うな。彼らとて悪気はない。それに、作戦行動中の兵隊はこれくらい砕けていたようがやりやすいものだ。」
楽しそうにルシエと下士官のやり取りを見つめるグロウズ。
静かな光を放つ金色の瞳が、楽しそうに笑う。
彼の名はグロウズ・ガン。若干三十歳、ウィンデリア外の出でありながら准将の地位まで上り詰めた傑物であり、ルシエと同じく特務一課に属する諜報員である。
魔法は使えないが一個人としての武はルシエを凌ぐほどであり、それでいて兵を指揮する将としても優れたものをもっている。
「もう…で、何をしてたの?」
「俺達の部隊の駐屯場所について話し合っていた。なるべく効率のよく、それでいて簡単に見つからない場所はないものかとな。」
「いくつか候補は絞れたのですが、決めきれなくて。シャロ少佐の報告を待ってからにしよう、と話していたところです。」
「…え?この部隊、シャルロットもいるの?」
グロウズは意外、というような顔をした。
「何だ、長官殿から聞いていないのか。その通りだ。遊撃に優れた一課の諜報員を中心として組織するよう指示された部隊だからな、ここは。…そら、噂をすれば来たようだぞ。」
グロウズが目と顎で扉を示す。その先から小走りで向かってくる足音が聞こえ、そして
「グロウズー、シャルロット帰ったよー。…ってあれ?ルシエじゃん!?何してんのここで?」
「遊んでるように見え…うわっぷ!」
「やだー!久しぶりじゃーん!聞いたよ、スノンベールのこと!大戦果じゃん!」
栗毛のポニーテールに眼鏡をかけた、身長160㎝に満たない、両腰にホルスターを下げた軽鎧を着た女性が現れ、次の瞬間にはルシエに抱き着いていた。
グラマラスな胸部に、ルシエの頭が埋もれていく。
「ねえねえねえ!スノンベールってどんだけすごい魔機があんの?スノンベールがほかの国と友好になったって聞いて、ラボでも早速研究員派遣したり魔機を取り寄せたりしたんだけどさ、もお待ちきれなくてー!」
「…っぶはっ!いきなり胸押し付けながらまくし立ててくるのやめなさいよ!窒息させる気!?」
「あっははははははは!ごめんごめん!嬉しくってついさー!ねえねえ、あたしが教えてあげた雪道仕様の改造術式、役に立った?」
ルシエを胸に抱きかかえながらマシンガントークを繰り広げる彼女はシャルロット・クラウン。
ルシエと同じく特務一課の諜報員であり、国内で五指に入る若き天才魔機職人であり、ルシエと並ぶ設計者である。
ルシエはシャルロットのマシンガントークから逃れるように、グロウズに尋ねた。
「ねえグロウズ、今の戦況はどうなってるの?私、長官からはあまり話を聞いてないのよ。」
「そうだったか。…これを見てくれ。」
グロウズはテーブルの上に地図を広げた。
首都ウィンデリアの北西方向、および北東方向に二つずつ、合計四つの町の名前が書かれている。
「まず今から三日前、ドリトンとミルハイが落とされた。これは聞いているか?」
ルシエは首肯する。
「そうか。では昨日起きたパルフルとアスレイの武装蜂起の結末は聞いているか?」
「いいえ、それはまだよ。私が長官に会ったのは、おそらくはその戦闘中のことだから。」
「なるほどな。―結論から言うと負けた。パルフルとアスレイも今、アインガリアの手中にある状態だ。」
「その戦いでの、こちらの被害は?」
「俺が率いた部隊はほぼ無傷だ。もとより勝算が薄い戦いだったからな、知れる限りの敵の情報を得たら、即座に後退させたよ。」
「貴方はパルフルに行ったのよね。アスレイに行った方は?」
その問いには、下士官が沈痛な面持ちで答える。
「…半壊しました。ミズリー隊長率いる五十名で攻撃を行いましたが…魔機戦闘車両が半壊、六名が死亡し、隊長含む二十名あまりが、やつらに拘束されています。」
「…どうして、あなたがそれを?」
「私も…ミズリー隊長の部隊でしたから。」
隊長と他の隊員が、決死の思いで逃がしてくれたのだと、心底悔しそうな表情で語る下士官。
グロウズもその悔しさを引き継ぐように、重い声色で続ける。
「俺がパルフルで見たのはおよそ二個小隊(およそ60名ほど)の部隊だ。アスレイもおよそ二個小隊~一個中隊(およそ100名ほど)の規模であったという。」
「ドリトンとミルハイを落としたのは、総勢して二個中隊を超える規模であったという報告を聞いている。つまり」
「総勢一個大隊(およそ300名ほど)を超える規模が、北の最終防衛ラインをいきなりぶち抜いて現れたってワケ?…悪夢ね。」
ルシエの率直な感想に、下士官もグロウズも大いに頷いた。
「俺もそう思いたい。が、これは現実だ。急場の編成ではあるが、首都防衛に二個中隊、救護部隊を二隊、補給部隊を二隊、合計260名あまりを首都に置き、残りの120名を四隊に分け外へ展開、ゲリラ戦を行う作戦となった。今までの状況としては以上だが、何かあるか?」
「いいえ、よくわかったわ。ありがとう。」
その様子を見てグロウズは頷き、続けてシャルロットに尋ねる。
「それでシャルロット、どうだったのだ?敵兵の動きは掴めたか?」
シャルロットはグロウズの問いには微妙な表情で答えた。
「正直言うとわかんなかった。ただこっち側…ドリトンとパルフルは、まだ動きがないっぽい。ぶっちゃけなんかおかしいと思う。」
「ドリトンが落ちてからもう三日が経つからな。そう大きな町でもない、略奪するにしても一日あれば十分だろう。真っ先に考えられるのは、他部隊との協同か、こちらの誘因だが…。」
「ねえドリトン、この部隊の戦力は?」
「我が部隊の総兵力は三十名だ。勿論、俺とシャルロット、ルシエも込みだ。武装はまあ、ウィンデリア標準装備といったところか。魔機戦闘車両は…アリエス型が二台と、スコピオ型が三台だ。」
「…アリエス型って、もしかして。」
「ああ。…シャルロットが魔改造した例の型だ。」
ルシエとグロウズの視線を感じ、シャルロットはばちこーん!とウィンクした。
「勿論もっとブラッシュアップしてあるよ!車長はレッドパンサーがあたし、ダークウルフがルシエね!」
「…一応聞くけど、拒否権は。」
「ない。…あのピーキーな魔機戦闘車両を操れるのは改造した本人と君だけだ。すまないが、頼む。」
「あたまいたい。」
ルシエは机につっぷしてしまった。
魔機戦闘車両とは、簡単に言うと魔機の装甲車両である。
稼働に要するマナ量の兼ね合いで量産されることは少ないが、運用事態はピーキーな代物ではない。
…エキセントリックな魔機オタクが魔改造していなければ。
その様子を、グロウズは咳払いしながら静かに破る。
「ともかく、相手が動かない以上、こちらもあまり迂闊に動けん。ひとまずはどの動きにも対応できるよう、ドリトンとパルフルの中間地点に陣を敷くしかあるまい。」
「全部隊員に通達だ。今より一時間三十分の後兵舎を出発。ウィルデ平原北西部に仮説の駐屯地を敷く。準備を怠るなよ。」
「「ははっ!」」
その場にいた下士官はすぐさま敬礼し、ほかの部隊員に伝えるために散っていった。
ルシエはというと机につっぷしたままだったが
「…シャルロット。」
「んー?なあにー?」
「出発までの一時間貸しなさい。やるからには完璧に覚えてやるわ。」
決意と共にがばっと起き上がる。シャルロットはその様子を小さな拍手と共に喜びの表情で迎え
「まっかせてー!愛車達はこっちだよー。」
「うわっとと、手引かなくても自分で行くってば!」
ルシエの手を引いて慌ただしく兵舎を後にしていった。
(…フ、とても戦争前とは思えない呑気さだ。だが、それでいい。)
グロウズは、そんな同僚達の様子を金色の瞳で静かに見送っていた。
-2-
午後十二時前。ウィルデ平原北西部。一五番遊撃部隊は平原の木立の中に駐屯地を築いていた。
道具のほとんどが魔機であるこの世界は、様々なことを行うリソースとして主にマナを使う。
言い換えればこちらの世界でいう燃料や電源がほぼ不要という事を指すため、この世界のサバイバル能力は思いのほか高い。
もっとも水や食料、武器や弾といったものはマナで代用できないため、それらの準備は必要であるが。
「様子はどうだ?」
「はっ。今のところは異常ありません。」
携帯型の望遠鏡で周囲を見張っている下士官に声をかけるグロウズ。
眼前には少々起伏がある穏やかな草原が広がり、ところどころに木立や林があるくらいの長閑な風景がある。
そしてこの位置からおよそ北西方面に、距離が離れて二つの町がずっと遠くに見える。
町の距離はおよそ6㎞ほど。こちらからの距離はおよそ5㎞と少々。
北側に見えるのがドリトン、西側に見えるのがパルフル。どちらも首都ウィンデリアに最も近い、北西側の町である。
「人の出入りはあるか?」
「いえ、ないと思われます。アインガリアの兵はもちろん、町民が出入りしている様子も見受けられません。」
「そうか…。君はその様子を見てどう思う?」
上官から話を振られた下士官は、やや緊張した声色ながらも正直に所感を述べた。
「自分は、町民は監禁されているものと推測します。我々に、その町に手出しをさせないために、いざという時の肉の楯として使うために。」
「そうだな。おそらくその所感は正しいだろう。」
「はっ。光栄であります。」
グロウズは双方の町を眺める。
「肉の楯としてであっても、町民には生きていてほしいものだ。…すでに全滅しているなど、考えたくはない。」
「それは自分もであります、准将。」
緊張しながらも、確かな声色で答える下士官。
この下士官がパルフルの出身者であることは、グロウズも知っていた。
「わかった、ご苦労。あと十分で交代の者を出す。交代したら少し休め、サンディー君がスコーンを用意してくれている。」
「ははっ、それは嬉しい情報であります。彼女が焼いたスコーンは美味でありますから。」
一方その頃。ルシエは自分が駆る、黒色に光るとげとげしいデザインの魔機戦闘車両の基幹部にパソコンを繋ぎ、何やら作業をしていた。
その様子を二人の下士官が囲むように覗き込んでいる。
「…これが加速係数を演算する術式、これが…ブレーキング時の減速係数を演算する術式よ。」
「うわあ…。加速演算なんて、普通の車の五倍ありませんか…?」
「それに、さっき見せて頂いた最大速度指数も…マックス150㎞²なんて、誰が出すんです…?」
「普通なら出さないわよ。その最大速度到達まで一秒半くらいの加速係数なんだもの、そりゃ常人じゃ扱えないわ。」
どうやらピーキーすぎる魔機戦闘車両の術式改修を兼ねて、下士官に術式の解説と実践を教えているようだ。
先ほど「教導官」とも呼ばれていた通り、ルシエはひと月に1~2回のペース、任務がない時に軍学校で魔機の術式の教鞭を執っている。
彼女の階級に「特務」とついているのはそのためである。
彼女の教える術式は主に武器に関するものであるが、実践に即しわかりやすいと評判で、彼女の講義を受けた下士官は、このように講義以外でも彼女を慕う者が多い。
「教導官、これは最高速を下げれば解決するんでしょうか?」
「いいえ、最高速を下げる必要はないわ。下げなければいけないのは加速係数よ。最高速だけ下げて加速係数を下げなかったらどうなると思う?」
「ええっと…加速係数は下がってないわけだから、最高速が下がってる分…体感の加速力が上がる…?」
「そう、その通り。最高速は高くてもそこまで出さなければ問題ないけど、加速係数は設定された最高速の影響を受けるから、最高速に比して加速係数が高すぎるとまともに制御できなくなる。試しに、最高速を110㎞²にして、加速係数をこのままにした時の最高速到達時間が…これよ。」
「…0.3秒!?人間の反応限界を超えてませんか、これ。」
「そうね。流石にこの値だと私でも扱えないわね。」
理論を説明しながら、ルシエは手早く術式の改修を行っていく。
講義と違い実機の、それも魔改造された魔機戦闘車両を使用した授業は貴重だが、ここは戦地。使える時間は限られている。
「…これでよし。この値なら何とかあなた達でも運転できるくらいのレベルには収まると思うわ。時間が出来たら練習時間を取るから、やってみなさい。」
「はい、わかりました!…その、教導官。」
「何よ?」
下士官はルシエに遠慮するような、というよりは言いにくい事を言うような表情をしている。
「その…なんか雰囲気変わられましたよね。以前は教え方は丁寧だったけど、近寄りがたかったっていうか…。」
「聞いたらちゃんと答えてくださるし、よっぽど忙しそうな時でない限り、何時行っても答えてくれて、優しいんだなとは思ってたんですけど、なんかこう…。」
「…まあ、そうね。以前の私だったらそうだったかもしれないわ。…なんかおかしい?」
下士官はぶんぶんと手を振って否定する。
「あ、いえいえ!全然そんなつもりは!むしろ以前よりも近寄りやすくなって、嬉しいです!」
「そうですよ!俺達は教導官のおかげで、軍で今の位置にいられるんですから!」
「そう、ならいいわ。少し休憩にしましょう。」
「あ、じゃあ私、飲み物取ってきますね!折角教導官と一緒の部隊に入ったんですから、もっと色々聞きたいです!」
下士官はそのまま敬礼すると、飲み物を取りに離れていった。
「…まったく、それじゃ私が休憩にならないじゃないの。」
そういうルシエの顔は、まんざらでもないという表情をしていた。
-3-
「―准将、報告いたします!ドリトンとパルフルに動きが出ました!」
戦争前の長閑なひと時。嵐の前の静けさ。それを打ち破ったのは、下士官の報告だった。
「ついに動いたか。様子はどうだ?」
「それが…俺が話すより、准将に直接見て頂いた方が早いかと。」
「わかった。」
グロウズは下士官のもとへ行き望遠鏡を預かり、二つの町を見やった。
そこには町の入口から出てくる歩兵の姿。
そしてドリトン側だけであるが、大きな装甲車のような、左右に大砲のようなものがついているものが歩兵と共に進軍してきている。
「…なんだアレは。ルシエ!シャルロット!すまない、アレを見てくれ。俺には何だかよくわからん。」
「ルシエはグロウズの使って。あたしは自前のがあるから。」
促され、二人は下士官のいた高台から町を見、同じものを見た。二人とも、最初は絶句するしかなかった。
「…何アレ。あんな魔機戦闘車両、見たことない…。」
「あたしもないよ。あんな大きな、しかも攻撃能力のある魔機戦闘車両なんて…。」
―この世界の戦闘車両は、ほぼ直接的な攻撃能力を持たない。
理由は二つ。攻撃のための機銃や砲を搭載すると稼働に要するマナが跳ね上がってしまう事、そして一つの魔機戦闘車両で、攻撃を行うための術式を搭載することが技術的に難しいためである。
例えば車の魔機なら、走る、止まるといった基本的な動作の他、車内の空調も同じ命令系統で術式化できるが、カーラジカセのような外部から別の情報を受け取り処理する能力は命令系統が異なる。
ひとつの魔機に複数の異なる命令系統を持つ術式を搭載することは現在の技術上難しく、非常にトラブルが起きやすい。
これは、今も各国の魔機職人と設計者が抱える課題である。
魔機戦闘車両に攻撃能力が搭載できないのもそのためで、「砲を撃つ、給弾する」というような能力は、魔機戦闘車両そのものを動かす命令系統と異なる。そのため、魔機先進国と呼ばれるウィンデリアであっても実装されていない。
が、今遠くの町から進んできているのは、明らかに砲を二門装備した魔機戦闘車両である。
しかも、大きさも普通の魔機戦闘車両の1.5倍ほどの大きさに見える。
「ルシエ、どう思う?」
「…ひとつ、単純にあっちの魔機レベルが私達より高い。もうひとつ。あれは魔機じゃない。ってところかしら。」
シャルロットはルシエの所見に、私もそう思う、と肯定した。
魔機ではない道具も、この世界にはある。衣服などは最たるものであるし、刃物などの武器にも魔機以外に素材を直接加工して成型したものが存在する。
これは一般にマナ濃度が薄い地域、および魔機レベルが低い地域ではよく見られるもので、特に西の隣国、"砂の国"デザークレイは領域全般でマナ濃度が低いため、一般的にみられる技術である。
ただ、それも武器や道具といったものにとどまるもの。
魔機ではない装甲車や…戦車などは、彼女たちは見たことも聞いたこともない。
「あのような戦闘車両が来ていたという報告は、今まで聞いているか?」
「いいえ、ありません。アスレイでも見たことはありませんでした。」
「もしかして…今まで時間をかけてたのって、アレを組み立てるための時間だったんでしょうか?」
下士官がそうつぶやくと、グロウズは頷いた。
「その可能性もあるな。奴らは動けなかった可能性もある。…ルシエ、シャルロット、その例の戦闘車両は、どれくらいのスピードで動けると思う?」
グロウズの問いに答えたのはシャルロットの方だ。
「仮にあれが魔機だとするなら、せいぜい50㎞²。それ以上は周囲のマナを喰いつくして動作不良になると思う。魔機じゃないとするなら…それでも100㎞²は出せないと思うな。」
「よしわかった。―皆、こっちにきてくれ。マーチ、君はムニエルに代わって彼らの動きを見ていてくれ。」
「了解しました。望遠鏡お預かりします。」
呼ばれた女性の下士官は望遠鏡を受け取ると、再び二つの町から出てくるアインガリア兵を観察し始めた。
その間、それ以外の隊員はグロウズのもとに集まる。
「まずここに五名残す。出撃組の暗号無線から飛んでくる情報を逐次まとめて、本国の軍首脳部に送ってくれ。もし襲撃の予感があれば、遠慮なく捨てて逃げて構わん。」
「ははっ、全力を尽くします。」
「それ以外の25名は、部隊を三隊に分けて進軍する。シャルロット、君の車両についていける車両は存在しない。すまないが、最前線で敵の誘因役をお願いする。」
「ええーーーーっ!?確かに、あたしのレッドパンサーちゃんについてこれるのはダークウルフだけだけどさー!」
その言葉にはルシエが否定を返す。
「申し訳ないけどダークウルフもついてこれないわよ。加速係数を四割まで落としたし、最高速も120㎞²まで落としたもの。」
「ええええええーーーーーー!?なんでさー!?速さはロマンじゃーーーーん!!ていうか、何時術式いじったのよー!!」
「ついさっき。そもそもピーキーすぎるんだっての。150㎞²到達まで一秒半とか、乗り続けたら死んじゃうでしょう。」
ううう、急加速に耐えられるよう、耐Gの術式も組んであるのにー・・・などと愚痴るシャルロットを後目に、グロウズが続ける。
「残りはここ…この林に潜み、まずはドリトンからくる敵に奇襲をしかける。」
グロウズは地図を指し示しながら続ける。
「戦法は基本、成功してもしなくても一撃離脱だ。総勢150名以上、一つの町だけでも倍以上の戦力相手に、正面からやる必要はないからな。」
「その後は?」
「まずは全力で逃げ…このあたりの木立に一旦集合だ。シャルロットの報告を受けて、次の攻撃を決める。」
「行き当たりばったりねえ。」
ルシエの素直な感想にグロウズはフッと笑い
「ゲリラなど半分はそんなものだろうさ。何、あちらの機動力はさほど高くない。こちらが機動戦に持ち込めば、少なくとも相手の思惑にははまりづらいだろう。」
「だといいわね。…ほらシャルロット!いつまでぐちぐち言ってんのよ、アンタの部隊が一番責任重いんだからね!」
呼ばれたシャルロットはぐちぐち言いながらも
「うう~、わかったよ。あたしらはとにかく走り回って、敵をおびき寄せつつ情報を届ければいいんだね?」
「うむ、頼む。危険な任務だが、君にしかできない。」
「ブラックだあ~…。」
結局ぐちぐち言いながら任務を了解する。その様子をみて、グロウズは皆を眺めて発した。
「まずは初戦だ。戦争は初戦が大事というが、気負うことはない。アインガリアの兵どもを混乱させてやろう。―皆、戦闘準備!」
グロウズの檄に、全員が敬礼した。戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。
>>続く
第十話は5月8日投稿予定です。