エピローグ
春の終わり、社交シーズン終盤における最大規模の夜会がラトクリフ公爵邸で開かれた。
今年は駐在大使として隣国エルウェズに赴任中の公爵夫妻に代わり、文官としては有能だがあまり社交に熱心でない嫡男ヒューバートが取り仕切るということで不安視する者もいたらしい。
が、蓋を開けてみれば会場の大広間は例年と変わらぬ華やかな雰囲気に包まれていた。
そもそもバートはいざとなれば大抵のことはそつなくこなすが、この夜会は最愛の婚約者を正式に披露する場なのだから力が入っていた。
婚約者が変わっていなければ、それこそおざなりに済ませていたはずだが。
もちろんラトクリフ前公爵クリスティーナの助力も大きい。
クリスティーナからすれば、将来はラトクリフ家の女主人として采配を振るうことになるセシリアへの教育の一環という面もあったのだろう。
五年前に夫君を亡くしてから公の場に姿を見せていなかった前公爵は、この夜会に予告なく現れて参加者たちを驚かせてもいた。
バートが森でセシリアを拾った場に居合わせたこともあって、その一年後に彼女に求婚すると告げられてから、経過は逐一聞かされてきた。
なぜセシリアがひとりあんな場所にあんな姿でいたのかも。
ゆえに、実際にバートの婚約者となったセシリアと再会した時には私も感慨深いものがあった。
ふたりが並ぶ姿を見れば、バートの想いが独りよがりの一方的なものではなく、セシリアも同じ気持ちなのだと窺えた。
セシリアは私の正体を知ってか強張った顔で現れたが、緊張していたのは初めのうちだけだった。森でのことを思い返してみても、あまり物怖じしない質なのだろう。
何度か会ううちには我が妃アイリーンや子どもたちともすっかり打ち解けた。
もうバートからセシリアに会えない嘆きやフレデリカへの鬱憤を聞かされることはないなと安心していたら今度は惚気を聞かされる羽目になったが、これまで浮いた話のなかったバートの幸せそうな顔を見られるのは友人として嬉しくはあった。
セシリアがクリスティーナと一月ほどラトクリフ領に滞在していた間は、少々煩わしかったが。
当然、この夜会でセシリアは注目の的だった。
バートがあのフレデリカ・ウォートンの代わりに婚約を結んだ双子の妹について、社交界ではほとんど知られていなかった。
いつかの温室で令嬢たちが口にしていたように何か問題があるから存在を隠されていて、バートは自分を騙していたフレデリカへの当てつけでそんな妹を妻にするのだろうと、一時は実しやかに囁かれていたほどだ。
やがて、王都のあちこちでバートがフレデリカによく似た顔立ちの、しかし雰囲気はまったく異なる令嬢をエスコートする姿が目撃されるようになった。
次期公爵の獅子か熊のような顔が緩みきっていた、仲睦まじく「セシー」「バート」と呼び合っていた、前公爵も含め三人で楽しそうに話していたなどなど。
そうなると、やはり問題があったのはフレデリカのほうなのだと言われ出した。
ウォートン伯爵がセシリアを後継に定めたことがそれに拍車をかけた。
伯爵は問題のあるフレデリカを屋敷から出すために、ラトクリフ家からセシリアに申し込まれた縁談を利用したと真実に近い噂まで広まったのは、バートによる。
何にせよ、今夜、セシリアがバートとクリスティーナに挟まれて立ち美しい淑女の礼をしたり、バートと見つめ合って踊ったりする姿を大勢の者たちが目にした。
一方で、セシリアと両親がギクシャクした様子で短い言葉を交わしただけだったことも。
本来ならば誇らしい顔をしてこの場に立ち、参加者たちに取り囲まれたはずのウォートン伯爵夫妻は肩身が狭そうだった。
周囲もふたりを遠巻きにしており、時おり近づいて行く者が口にする祝福の言葉は皮肉にしか聞こえない。
それでもどうにかセシリアとラトクリフ家に縋ろうとする内心が透けて見える両親に比べて、会場に入ってから不貞腐れたような表情を変えず、妹の前に立っても一切口を開かなかったフレデリカのほうがいっそ清々しく見えた。
フレデリカがラトクリフ家の夜会に参加していることはある意味ではこの夜会における最大の驚きだろう。
大広間のあちこちから「よく顔を出せたものだ」という声も聞こえてくる。
実のところ、フレデリカの夜会への出席はクリスティーナがウォートン伯爵夫妻に課したことらしい。「是非三人でセシリアを祝ってやってほしい」と。笑顔で。
フレデリカが来なけれは伯爵夫妻も門前払いにされていたに違いない。
フレデリカを切り捨てないことがウォートン伯爵夫妻に与えられた罰なのだ。
たが、最終的にフレデリカをこの夜会に引っ張り出したのはギルモア伯爵クリフォードーーフレデリカの新しい婚約者だった。
当初、フレデリカの婚約者探しは難航するかと思われた。
クリスティーナがその豊富な伝手を使って探したところ興味を示す家はいくつか見つかったものの、フレデリカと結婚しても婿入りして伯爵位を継げるわけではないとわかると、すべてが撤回された。
それでも気長に探せば候補は見つかるはずだとクリスティーナは考えていたようだ。フレデリカの若さや容姿、そしてラトクリフ公爵家の姻戚という立場を求める者はきっといると。
そんな中、思わぬところから手を挙げたのがクリフォードだった。
クリフォードは私の護衛を務める騎士だ。バートとセシリアの出会いの場にもいた。
爵位を持つ者が騎士団に所属しているのは珍しいが、クリフォードはもとはギルモア家の次男だった。
ギルモア伯爵であった兄が急逝し、その忘れ形見の嫡男はまだ幼く、前伯爵の父もすでに故人だったため、彼が跡を継いだ。ようは、甥が成人するまでの中継ぎだ。
そんなギルモア家の事情やクリフォードが独身であることを私もバートも知っていたが、まさか他の者よりフレデリカやウォートン家の事情をよく知る彼が立候補するとは思っていなかったのでとても驚いた。
「なぜフレデリカを妻にしようと思うのだ?」
思わず尋ねた私に、クリフォードは特に表情を変えるでもなく応えた。
「単純にフレデリカ嬢が私の好みだからです」
バートが眉を寄せた。
「それは、顔が、ということですか?」
やや遠慮が窺えるのは、バートにとってクリフォードは騎士団時代の先輩であり、まだ自分が次期公爵に過ぎないのに対し彼はすでに爵位を持つからでもある。
しかし、突然伯爵位を継いだクリフォードも、生まれながら将来は公爵になると決まっていたバートに居丈高な態度を取ることはない。
「顔立ちもそうですが、あのいかにも勝気そうな感じが良いです」
クリフォードの好みはあくまでフレデリカで、セシリアではないという意味だろう。
バートは納得はできないが安堵はした様子だった。
クリフォードのことはバートからクリスティーナに伝えられた。
実際にクリフォードと会ったクリスティーナの評価は「フレデリカ嬢にとっては望みうる最高の相手ではないか」というものだった。
爵位を持つクリフォードはそれを甥に譲った後も前伯爵として貴族のまま。
父娘以上に歳の離れた男の後妻になるしか選択肢がなくてもおかしくなかったが、クリフォードとは十一歳差、しかも相手も初婚。
私の護衛に選ばれるくらいだから騎士として優秀なのは間違いないが、伯爵としても悪い話は聞かない。
顔立ちは良くも悪くも地味だが、バートとオーガストという両極端を見てきたフレデリカにとっては、他の誰でも大差はないかもしれない。
果たして寡黙な印象のクリフォードがフレデリカを上手に操縦できるのかと案じていたが、彼女をここに連れて来たのだから割に良くやっていると言える。
フレデリカをエスコートしているクリフォードも婚約者の淑女らしからぬ態度に気づいているはずだが、特に気負う様子もなく婚約者を知人に紹介し、時おりフレデリカに話しかけている。
人々にどんな視線を向けられても、フレデリカが返事をしなくても、クリフォードの顔には呆れも諦めも苛立ちも見られなかった。
言うなれば、私を護衛している時と変わらぬ穏やかだが心の内を読ませない表情。
フレデリカも態度はともかくとして、大人しくクリフォードの隣にいて離れようとする素振りもない。
もっとも、すでに両親を頼れず、取り巻きには背を向けられたフレデリカがこの場で一緒にいられるのはクリフォードだけだ。
そういえば、フレデリカがマリーヌ校に復学してから休まず通っているらしいのは意外だった。おそらく教室でも白い目を向けられているはずだ。
クリスティーナから受けたという説教が多少は効いたのだろうか。
「レイ、妃殿下」
呼びかけられて、バートとセシリアがそばまで来ていたのに気づいた。
夜会に招かれた王太子と招いた次期公爵としての挨拶はもちろん最初に済ませているので、ただ会場を回る中でよく知る顔を見つけたから来てみたといったところだろう。
私たちを囲んでいた者たちがふたりのために空けた場所にバートは遠慮なく足を進めた。
「初めて主人役を務めた夜会が盛況で何よりだ」
「ああ。またすぐに結婚式が控えているがな」
バートとセシリアの結婚はもう一月後だ。
「そんなことを言って、おまえが誰よりも待ち望んでいるのだろう」
「当然だ」
「セシリア、ダンスが上達したわね」
アイリーンがまるで姉のような顔で褒めると、セシリアは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。アイリーン様がステップのコツを教えてくださったおかげです」
「今日のセシーのドレスも、妃殿下の助言のおかげでとても評判が良いです」
「まさかヒューバート様にドレスについて講義できるなんて、私こそ光栄だったわ。ウェディングドレスも楽しみにしているわよ」
四人での会話を楽しんでいると、ふいに視線を感じた。何気なさを装ってそちらに目を向けると、フレデリカだった。
フレデリカが見つめていたのは私ではなくセシリアの後ろ姿だ。
その胸に去来しているのはセシリアがいる場所に立つのは自分だったはずなのにという妬みか、あるいはセシリアと仲の良い姉妹になる道を捨てたことへの後悔か。
考えても仕方ないことだと自嘲して、私は目の前の親しい者たちとの会話に意識を戻した。
お読みいただきありがとうございました。