25 愛か地位か
引き続きフレデリカ視点です。
その後、ヒューバート様はさらに仏頂面になり、突然、私の成績を気にしはじめた。
二年の学年末試験で成績が落ちたのは、ヒューバート様が私に横恋慕して、あれの存在が同級生に知られたせいで試験の時に使えなかったからなのに。
そのうえ、少し前にラトクリフ前公爵から届いた本の感想を書けなんてことまで言い出した。
あんなつまらなそうな本、読む暇なんて私にあるわけないでしょ。
でも、都合良く愚図が読んでいたので、感想文も書かせてあげた。
愚図らしいダラダラとやたら長いだけの文章なんてまったく読む気が起こらない。
どうせ前公爵も同じだろうと、そのままラトクリフ領に送った。
次にはヒューバート様はこれまでと違う時間に屋敷にやって来るようになった。
ただでさえ、ヒューバート様の存在を気にしてオーガスト様が私に会いに来る頻度が少なくなっていたのに、さらに邪魔するなんて。
オーガスト様の態度が徐々に冷たくなってきたような気がするのも、ヒューバート様のせいよ。
ある日には、部屋でオーガスト様といたところにヒューバート様の訪問を知らされた。
メイドたちにあれを代わりに行かせるよう命じてオーガスト様のところに戻った私に、彼が言った。
「そろそろ潮時じゃないか?」
「どういう意味?」
「もう俺との関係を終わりにしたほうが良いんじゃないかってこと」
「そんな必要ないわ。私たちは愛し合っているのだから」
途端に彼が噴き出した。
「俺より次期公爵夫人になることを選んだくせによく言うな」
「だって、仕方ないじゃない。そうしなければ……」
「セシリアに負ける、か? くだらない」
ベッドから降りて扉へと向かうオーガスト様の腕を慌てて掴んだ。
「私と別れたら、あなたは次期伯爵の立場も失うのよ」
オーガスト様は私の手を振り払った。
「誰がそんなもの欲しいなんて言った? 君が無理矢理押しつけたんだろ。でもまあ、うちから婚約解消なんてできないし、気が向いたらまた来てやるよ。君の身体だけは好きだから」
嘲るように笑うと、オーガスト様は部屋を出て行った。
身体だけは好きってどういう意味よ。オーガスト様は私のすべてを愛しているのでしょう。
だから、私は望まれるまま捧げたのに。
そばにあった手鏡を掴むと、扉に向けて投げつけた。
オーガスト様は私との逢瀬がままならないことに苛立ってあんなことを口にしてしまったのだ。
きっとすぐに後悔して、私に謝りに来るに違いない。その時は笑って許してあげよう。
そう思っていたのに、オーガスト様は屋敷に姿を現さなくなった。
それどころか、自分の望みどおりになって喜んでいるはずのヒューバート様が信じられないことを言い出した。
私の次期公爵夫人教育をラトクリフ領ですると。
しかも、場合によってはそのまま結婚という流れになるかもしれない。
もうすぐクリスマスを迎えるこれからが一年で一番王都が華やぐ時期なのに、私をお堅そうな前公爵と一緒に田舎に閉じこめようなんて本当に傲慢な男だ。
だいたい、私のいない間に改心したオーガスト様が屋敷を訪れて、愚図とどうにかなったらどうするのよ。
もちろん、そんな可能性は万に一つ以下だとしても。
ああ、もう、次期公爵夫人教育なんて面倒くさいことはあれにやらせてしまえば良いわ。ついでにマリーヌの卒業試験も、ヒューバート様との結婚生活も。
どうせあの男は気づかないんだから。
そして、私はオーガスト様と結婚しよう。愚図の名前を名乗らなければならないのは癪だけど。
出発の朝、私はラトクリフ領に向かう馬車に愚図を乗せた。
屋敷の中に戻ると、まだ眠そうな顔のお父様とお母様に会った。
「今の音は何だ?」
「フレデリカお姉様が出発なさったのです」
ふたりは怪訝な顔をした。
「何を言っているの、フレデリカ?」
お父様とお母様が愛娘の私と愚図を間違えるはずないわよね。
「あの子が自分が行くと言い張って強引に馬車を出してしまったんです」
ふたりが目を見開いた。
「今ならまだ追いつけるだろう。フレデリカ、すぐに行きなさい」
「もういいですわ。ラトクリフ領行きはあの子に譲ってあげます」
「そんなことをして、もし次期公爵に気づかれたら……」
「あの方は気づきませんわ。私はもう一眠りしたいので失礼します」
「待ちなさい、フレデリカ」
お父様とお母様は焦った様子で私の部屋の前まで追ってきたけれど、私は気にせずベッドに入った。
後でラトクリフ領から戻った御者に訊くと、思ったとおりヒューバート様は何も気づかなかったらしい。
それからの日々はとにかく退屈だった。
マリーヌ校に行けないのはわかっていたけれど、お父様には屋敷から出ること自体を禁じられた。
知り合いに会っても「フレデリカの妹です」と言っておけば大丈夫だろうに、ヒューバート様がすでに王都に戻っているから、念のためしばらくは我慢しろと言われる。
屋敷に人を呼ぶのも駄目。
ドレスや宝飾品のうちお気に入りや新しいものはほとんどラトクリフ領行きの馬車に積み込んでしまったのに、買い物もできないなんて。
街も社交界も今が最高に楽しい時なのに、これでは王都に残った意味がないわ。
オーガスト様も相変わらず屋敷に来ない。
きっとどこかで私がラトクリフ領に行ってしまったと聞いたのだろう。
やっぱりあの人が愚図に会いに来るはずがなかった。
オーガスト様に手紙を出そうとしたら、それさえもお父様に止められた。
仕方ないので、ヒューバート様がラトクリフ領に行くと言っていたクリスマス休暇までは待つことにした。
退屈すぎて苦痛な半月を耐えたのに、それでもお父様は私の外出を許可しなかった。
だから両親には内緒で、年末の王都でもっとも盛大なパーティーの会場に向かった。
結局、新しいドレスを買ってもらえなかったし、お気に入りのメイドがいないから髪型や化粧もいまいちだったけれど、今日の私はフレデリカではなく愚図なのだからと諦めた。
パーティーには知り合いも多くいたけれど、「妹です」で押しきった。
そして、そこにはオーガスト様の姿もあった。彼の隣には見覚えのある女がいた。
私に会えない寂しさをしつこく擦り寄ってくる女で埋めていたのだろうから、大目に見てあげるわ。
「オーガスト様」
近づいて名前を呼ぶと、彼は胡乱な目をこちらに向けた。
「なぜ君がこんなところにいるんだ? ラトクリフ領に行ったはずだろう」
「ええ、フレデリカお姉様が行きました。ここにいるのはあなたの婚約者のセシリアですわ」
「どう見ても君はフレデリカだよ」
私を一途に愛するオーガスト様を騙せないことは予想の内だけど、この場では私に話を合わせてくれれば良いのに。
機嫌が直っていないことを示すように深く溜息を吐いたオーガスト様は、まだ隣にいた女に「少しここで待ってて」と言い、私には「来て」と言った。
女に「もう用無しだ」と言わないのも、私への当てつけかしら。
オーガスト様が向かったのは、休憩用の部屋の一つだった。
でも、これまでにふたりでこういう部屋に入った時とは違い、扉を閉めて私と向かい合っても彼は手を伸ばしてこなかった。
「セシリアを自分の代わりにラトクリフ領に行かせるなんて、まったく馬鹿なことをしたな。それとも、俺のために次期公爵夫人を諦めたとでも言うつもりか?」
「王都に残ったのはあなたのためだけど、何も諦めてはいないわ。フレデリカ・ウォートンはラトクリフ次期公爵と結婚する。でも、私が実際に夫婦になるのはオーガスト様なの」
素晴らしい思いつきなのに、オーガスト様は鼻で笑った。
「君たちが入れ替わっていることに次期公爵が気づかないはずがないだろう。つまり、君は自らセシリアに次期公爵夫人の立場を譲ったわけだ」
「あの人は絶対に気づかないわよ。今までだって……」
「絶対に気づいて、今頃は大喜びしているよ」
「どうして喜ぶのよ?」
「次期公爵がセシリアを愛しているからさ」
「そんなはずないわ。あの人が愛しているのは私よ」
「次期公爵はフレデリカの前ではいつも無表情なんだろう? だけど、俺がセシリアと一緒にいるところを見て、次期公爵は俺を殺しそうな顔してたぞ。セシリアのことは愛しくて堪らないって感じだったし」
なぜオーガスト様と愚図が一緒にいたのかも気になるけれど、たまたま居合わせただけに決まっているわよね。
「それは、あの子を私だと勘違いしていたからで……」
「だから、それはないよ。君とセシリアは確かによく似てるけど、纏う雰囲気がまったく違う。ウォートン家の娘がひとりだけだと思い込んでいるならともかく、双子の姉妹だと知っていれば誰でも入れ替わりに気づくね」
「例えそうだとしても、あの子なんかより私のほうがずっと次期公爵夫人に相応しいのだから……」
「そろそろ良いかな? 人を待たせているし」
オーガスト様が部屋を出て行くのを、私は慌てて追いかけた。
「ちょっと待ってよ。私がいるんだから、他の女なんてどうでも良いじゃない。もしあなたの言うことが本当なら、あなたは私と結婚するのよ」
オーガスト様は足を止めることなく私を見据えた。
「この際だから言わせてもらうけど、俺もどうせ結婚しなければならないのなら、性格の悪さが顔に滲み出てる君なんかよりセシリアのほうが何倍も良かったよ。そろそろ仲良くなろうと思っていたところで次期公爵のあの顔を見たから、手を出すのはとりあえずやめておいたけど。殺されることまではないにしても、女性と遊べなくなったりしたら困るからね。そんな危険を冒してまでセシリアに手を出さなくても、他に可愛い子はいくらでもいるし」
「あなたは私を愛しているんでしょう?」
「最初は才色兼備なんて噂になってたから声をかけてみたけど、すぐに俺の言葉を真に受けて、あっさり身体まで許して、愚かで可愛いと思ったよ。でも、まさかこれほど面倒な女だったとはね。まあ、この前も言ったように、君の身体は好きだからベッドの中だけならこれからも愛してあげられると思うよ」
「それは、他の女は皆切って、私と結婚するって意味?」
「他の女性たちとも今までどおり付き合うに決まってるだろ。フレデリカだって、俺がそういう人間だとわかったうえで婚約を決めたんじゃないのか?」
「違うわ。あなたには私だけだと思ったから」
「へえ。でも、フレデリカの両親はわかっていたはずだよ。どちらにせよ、フレデリカがこんな男とは結婚できないって言うなら、さっさと婚約解消してくれて構わないから」
「そんなことを言って、後悔しても知らないわよ」
「先に後悔するのはフレデリカだと思うけど。まだ一応ラトクリフ次期公爵の婚約者である君が、今ここで俺と一緒にいる姿を大勢に見られているけどいいのか?」
オーガスト様の言葉にハッとして周囲を窺えば、私たちはいつの間にかパーティーの会場に戻ってきていた。
近くにいる人々が、こちらを見ながら何事かをヒソヒソ話している様子も見えた。
「せっかく最後の情けで人目のないところに移動してあげたのに台無しだな。本当に君は馬鹿だね、フレデリカ」
「私はあなたの婚約者のセシリアよ」
「はいはい。じゃあ、これ以上ついて来て邪魔するなよ、セシリア」
私に憐れむような目を向けてから、オーガスト様は去って行った。
取り残された形の私に注目が集まるのが鬱陶しいので、仕方なく屋敷に帰ることにした。
馬車に乗ってから落ち着いて思い返せば、ヒューバート様があの愚図を愛しているというのはやはりオーガスト様の勘違い、あるいは冗談だと気がついた。
だって、ヒューバート様があれと会ったのはたったの三度、いや、そのうち二度はあれは私の振りをしていたのだから、実質的には一度しか会っていない。
それも、挨拶しただけだし、愚図はこの上なく失礼なことをしたのだ。
どうやらオーガスト様はヒューバート様に嫉妬するあまりおかしくなってしまったようだ。
だから、私がいるのに他の女のところに行ってしまったのよ。
せっかくの私と並んでも遜色ない顔は惜しいけれど、さっさと婚約破棄したほうが良いかもしれないわね。
そう、心にもない暴言を吐いて私の気を引こうとするような男は私から捨ててやるのよ。
私に相応しいのは、あんな顔しか取り柄のない男ではなく、次期公爵夫人の立場なのだから。