エルは再び墜ちる
意識はあるのに体が動かせない不思議な感覚。
手足の存在は感覚的にわかるものの、それが果たして今どこにあるのかはまったくもってわからない。
そんな不思議な空間に囚われてどれくらい経ったのだろうか。
突如として感じた浮遊感に、今まで閉じていたことさえ気づけなかった瞼を開けると、そこには急速に迫る砂の大地が眼前に広がった。
どこまでも広がる砂の海。地平線のかなたには真っ黒い何か。
地上には時折蠢く影。雷鳴が遠くに木霊し、死に絶えた木が煙を上げる。
『死』を感じさせる光景のせいで、俺は間近に迫る自身の『死』には焦ることが出来なかった。
そこでふと体を動かすことが出来ることに気づく。まずは手の先を軽く動かし、次に足首を少しばかり回す。
そこでやっと自身の『生』を感じた所で、猛烈な恐怖に囚われた。
「やばい、やばいってぇぇぇぇぇ!!!!」
おいおいおい、なん、え、どうして!
死ぬ、しぬ?違う、着地!着地しないとってどうやって!
急速に思考力を取り戻した弊害が今、露になった。窮地を脱するための手段を考えるも、思いつくことを処理するための冷静さを併せ持つことが出来ていない現状で、妙に冴える思考はむしろ危険なものとなった。
「魔力を、魔力で衝撃を和らげれば!・・・・俺魔法使えないじゃん!」
ここにきてきちんとした魔法を教わっていないことに今更気づき、自身の考えの甘さに絶望に似た何かを感じる。
もうあと数秒もすれば母なる大地と一つになれるというところで、突如として視界を遮られる。
「はい、一旦落ち着きましょうね。ゆっくり息を吐いてー吸って―吐いてー。ほら、だんだんゆっくりになってきたと思わない?」
聞こえた声の主がわかるまでに数舜の間があって、誰か分かった時にはもう気分は落ち着いていた。
そうだよ、一緒に飛ばされてきたんだから、もう一人はともかくこの人がいないわけがないじゃないか。
落下速度が急激に減速していき、ついには地上すれすれの所で停滞する。そこで俺を助けてくれた師匠が魔力の供給を途絶えさせると、浮遊感は消え、ポスっという音とともに地面に触れる。
「はぁ、死ぬかと思いましたよ。」
「そうね、『やばい、やばいってぇぇぇぇぇ!!!!』って叫んでたものね。」
「・・・そんなやつ知りません。」
魔法の無駄遣いだと思う。再現性の高い音声を杖から出した師匠は、日常の至る所で高等そうな魔法を使う。はっきりいって魔法を使えない俺からすれば無駄遣いもいいところだと思うんだ。
「それよりも師匠、ここがどこかわかりますか?」
「ええ、もちろん。・・・ただここがどこかが、問題なのだけれどね?」
「・・・まぁ、明らかに普通ではない、ですけど。」
そう、先ほど天空からの飛行体験(落下のみ)でかなり遠くの方まで見渡せたのだが、どこまでも続く砂の海に数百メートル間隔で煙を上げる枯れた木が点在していた。それ以外は何もなく、地平線に小さく真っ黒いなにかが見えただけだった。あ、そうだ、ここから少し離れたところに黒い何かが蠢いてもいたな。
ともかくすべてが死に絶えていて、それを喰らう何かがいる。そんな印象を受けた。
「ここはね、悪魔たちの根城。もとは楽園と呼ばれた大森林の跡地で、今はこう呼ばれているわ。」
―――『世界の裏側』ってね。
軽い口調で話す割りに重要情報が多いのがこの師匠の特徴だと思う。
『世界の裏側』か。確かに、生にあふれた表側と対を成すのがこの光景と言われれば、納得のいく話ではある。
「ん?じゃあなんで悪魔はこんなところを根城にしているんですか?」
「ああ、それはね、グリムの監視の目が届かないからよ。あとはグリムが唯一踏み込めない土地が、この土地だからってところかしら。ともかくそういう理由があって悪魔はここを根城にしているの。・・・あいつの故郷でも、あるしね。」
「最後の方は良く聞こえませんでしたけど。グリム様を避けているんですね。意外と臆病な感じもしますけど、あの悪魔達の戦闘能力を持ってしても恐れなければならない相手なんですから、グリム様は計り知れない存在、ということですね。」
「ええあの男はその気になればここと同じ様な世界を作り出すことも可能だもの。私だって世界までは作り変えられない。それが可能っていうんだからもう人を辞めちゃったんじゃないかしら。」
「かなり辛辣ですね。それにしてもなんでそんな人がただの枯れた土地に踏み込めないんですか?」
そう問いを投げかけると、師匠は困った顔をして、数秒黙ってしまう。
その顔は、どこまで言っていいのか、どれを話すべきなのかを思案し、話したことで迎える結末まで視野にいれている様だった。
もっとも、この時の俺はまだそこまでの詳細な心理分析をできるはずもなく、漠然と何か考えているんだなとしか思っていなかった。
意を決したように、師匠はどこか遠くに向けていた視線をこちらに戻し、ゆっくりと一回だけ長い呼吸をすると、口を開いた。
「あいつはね、この環境を作り出した存在に命を狙われていて、ここに来れば一瞬で体を切り刻まれて砂に変わってしまうの。私はグリムに恨みを抱いているその存在を助けたい。だから・・・久しぶりにあなたを見た時は心臓が止まるかと思ったわ。普通の男の子が、その身の内に大きな力を、可能性を秘めているんだから。」
突如として俺に願いを託したいと言ってきた師匠。その目には苦渋の決断からくる後悔の涙がうっすらと溜まっていて、その真剣さに当てられた俺は、ゆっくりと頷くことしかできなかった。
「だから、この場所で。世界の法則から逃れたこの場所なら。その力を開花させられるわ。」
「力、ですか?」
「ええ、あなたが望むなら、私はあなたを強くしてあげられる。もちろん元の世界に戻る手助けにもなる。・・・ただ代償はあるわ。私の提案を受けた場合あなたは。」
呼吸を止めて、言うか言わないか迷いを見せた師匠だったが、すぐに決心をして最後の言葉を口にする。
「あなたは、『ダンジョン』になる。」
「ほぇ?」
予想だにしない言葉に、俺は間抜けな声を出し。
シリアスな雰囲気を作るために必死に努力していた師匠は、俺の頭を盛大にぶん殴った。
後々になってわかったことだが、師匠はふざける為なら涙だって浮かべる。
面白いことの為なら思考の海にいくらでも身を投じる。
そして、そのおちゃらけた行動の合間合間に真実を混ぜる。
今の俺にはやはりその真実に、気づくことができなかった。
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時は少し遡る。
エルと悪魔、そして謎の女性が一緒になってどこかへ消えてしまったその少し後。
ターニャとエルサの二人と現場を目撃したスーワン、『深淵の漆黒』の面々はアリシアランス側の砦、その中央塔に集められていた。
中央塔、その中腹にある大きな会議室。そこに先ほどの面々と、砦の主であるダリル、宰相のチャンコフ、そして本来ならいるはずのない、だがこの場面では決して外すことのできない人物、ケーン・ウィズラン・スドゥキが集められていた。
「話し合うも何も、我らには共有すべき情報があまりにも少ないではないか。」
「そうおっしゃらないでください。彼らを見つけるためにもまずは作戦を練らないと。」
「・・・エルさん、どこに行っちゃったです・・・?」
「ターニャ、大丈夫。エル君は前にも何処かへいなくなっちゃったことがあったのよ?その時だって帰ってきたんだから、今回だって・・・」
「その可能性は、かなり低いっす。」
エルサの慰める声を遮ってそう発言したのは、ほかでもない法衣を着た男、ケーンであった。
「なっ・・・・・・・・どうして、そういうのかしら?」
人を慰めているほどには余裕を見せているエルサではあるが、その心の内は不安定という言葉の方がよほどお似合いだろう。
無責任な言葉を放った者に対して怒りたい気持ちはあるも、相手は一国の主である。
長い沈黙を挟んで問いかけることにしたようだ。
「そんなもの決まってるっす。最近になって活動が活発化してきた悪魔達。全国各地で目撃方法が錯綜していて、グリム様からも悪魔は見つけ次第滅せよとのお達しがくるほどっす。そして今日を持ってこの国家群すべての国で悪魔の襲撃が確認されたっす。そのことからわかることがあるっす。」
長々と一気に話をしたケーンは一度言葉を区切り、用意されていた茶を飲む。
先を話せと訴える多くの目線を気にした素振りもなく、チャンコフに向かってこの茶葉はなにを使っているのか尋ね始めた。そこにダリルからのきつい一撃が脳天に入り、しぶしぶ本題に戻るケーン。
「そうそう、わかったことは、敵の根城っす。この国家群の外は御存じの通り広大な海と、龍の大地しかない。さすがにそんなところでは悪魔であっても拠点にはしないっす。であるなら、この国家群の領域内、しかも人が住んでいなくて、グリム様の監視の目からも外れている場所。」
この時、一人を除いたすべての人間の頭に同じ地名が浮かび上がった。
「そんな場所、『世界の裏側』しかないでしょう。そして、あの少年の行方ですが、恐らく最後に見せられたあの魔法は転移。拠点に戻ったとみて間違いない。伝承によればその昔魔族と呼ばれた亜人種達があの地に拠点を置こうとした次の日に壊滅の憂き目にあったそうです。全員が一瞬のうちに砂になってね。どうやってか知りませんが悪魔たちはあの場所で生きながらえる方法を知った、もしくはあの場所から、いやそれともあの場所を超えた向こうからやってきたのか。とにかくなんらかの理由であの場所に潜伏しているとみて間違いない。」
―――そんな場所にただの人間が連れていかれた、助かると思う方がどうかしている。
先程までとは打って変わって、非情な感情を乗せた言葉を二人に放つケーン。
もしかするとこの口調が本来のケーンなのかもしれない。事実、ダリルは前もこのような光景を見たことがあるのか、ただ呆れた表情を向けるだけで何も言葉を発しない。
そしてそんな、無情で、非情な言葉を向けられた二人は突き付けられた事実に呆然とするのみだった。
「まだ、決まったわけじゃない。あいつにはオーナがついている。我の知っているオーナならば、あの地を生き抜くことなど容易いと、我はそう思うぞ。」
「その、オーナって人は、何者です?」
ターニャが一筋の希望を見出して、だがしかしその希望が自身の知らぬ人物だったためにダリルに質問する。
「あの人は我らがまだ若いころに出会った。ずっと変わらぬ容姿に初めのころは会うたび怪訝な目を向けた。だが、あの人の言うことの方がもっと信憑性がないものだから、我らはいつしか老いないことを不思議と思わなくなった。あの人は誰かという問いには答えられないが、ひとつだけ言えることがある。」
「なん、なんです?」
「あの人は、この世界で最強の魔術師だ。な?それだけで不思議となんとかなると思ってしまわぬか?」
そう言い放ったダリルが自分のことでは無いのに胸を張って誇らしい顔をして見せた。
ターニャとエルサは・・・・・・余計に心配が増したことを、目の前で誇らしい顔をしている人物に伝えることが出来ないまま、会議は進行していくのだった。
え、俺は誰だって?そりゃもちろん、『彷徨える――』さ。




