エルは見守る
結局、出発の準備が整ったのは日が大分傾いた頃だった。
昼過ぎになってやっと起きてきたスーワンさんは、商談で纏まった内容通りに積荷を卸して買い付けた物を新たに載せる作業に取り掛かった。
そしてようやく先ほど準備が整い、砦の正門とは逆側、ライトケーン側の門に俺達はいた。
「深淵さん達も集まったことですし、行きましょうか。」
そう、深淵さん達もこの二日間で見かけることがなかったんだった。どこで何していたのか聞いてみると、一部屋に集まって会議をし、夜になってから外に出て鍛錬していたそうだ。
訳を聞くと、ただならぬ雰囲気を感じ、人目を避けて用心していたらしい。要するに人見知りで恥ずかしいから人が少ない時間帯に活動していたそうだ。
本当にこの人達の行動は読めない。
とりあえず、人数は揃ったことだし、出発といきますか。
「皆さん、これからライトケーンの砦までたどり着くまでは気を抜かないでください。今から通るのは国境線、その空白地帯です。最悪の場合向こうから何か仕掛けてくるかもしれません、もっとも私たちはただの商隊ですのであまり心配はいりませんけど一応ね。」
というわけで各自の持ち場に着き、一行は重厚な門が開いたのを確認して、潜り抜けるのであった。
「ただの平野です。木が一本も生えていないです。」
「そりゃ、こんなところに木なんて植えても誰が手入れするんだって話だろう?」
「言われてみればその通りです!」
ターニャののほほんとした問いに返答しつつ、何か問題が起きないかと周囲を警戒する。
こんなに警戒していたら逆に問題が向こうからこっちにやってきそうだなと考えたのが悪かったのだろうか。
突如として前方に見えていたライトケーンの砦の門が爆音とともに開いて中からゆっくりと人の形をした何かが歩いてきた。
「全員前へ!商隊の面々は全力で引き返してください!」
そう声をかけてから俺は相手の正体を見極める為に目を凝らす。
体を構成する要素は人間らしい。二足歩行で二本の腕があり、腰、胴体、頭がきちんとある。
だが、その肌は人のそれではなかった。
手足は深い漆黒の毛で覆われ、露出した胴体部分は真っ赤。顔まで染めあがったその色はどこか憤怒の気配を漂わせ、頭には二本の角が伸び、途中から後方へ直角に折れ曲がっている。
顔は飛び切りの美しさを備えた美女だが、真っ赤な肌と怪しく光る黄色の目、額から生えた角によって打ち消されている。
まるで悪魔だ、と隣からつぶやきが聞こえた。
視線をちらりと向けてみれば漆黒さん達が俺達と並ぶようにして陣形を組んでいた。スーワンさん達商隊の面々はようやく馬車の向きを変えて砦へ引き返し始めたところだった。
そして悪魔ぽい外見の何者かがこちらとの距離を詰めるようにゆっくり歩いて、あと10メートルあたりまで来たところで、ライトケーン側から強い光を伴った一筋の光線が飛んでくる。
それを奴は片手で受け止め、煩わしいというように逆の手を向けると、一瞬にして大きな赤黒い火の玉を生成し発射した。
一瞬のことに驚愕している暇もなく、砦に火の玉が着弾。そして大音量の爆音を響かせて砦の一部を吹き飛ばした。
「いやー、あれはしつこくて困るねぇ。こっちはさっさと仕事を終わらせて帰りたいっていうのにさぁ、先に殺しておけばよかったかねぇ。」
「お前は一体何者だ!俺達に用でもあるのか!」
「おやおや、私の標的がなにか言ってるねぇ。まぁ、名乗っておけと言われたからには名乗るべきなのかねぇ、ああめんどくさい。」
そう言って体を正面に向けて、こいつは名乗りを上げた。
「私の名は『九魔将』が一人、『炎獄』のジャジャース・ジェミニス。」
「以後、お見知りおきを・・・ふぅ、つかれたねぇ。そんじゃ、そこの坊や。ちょっくら拉致されてくれないかねぇ。」
そう言った瞬間、俺の目に前にジャジャースが現れた。くそ、あの距離を一瞬で!
咄嗟に剣で応戦しようとした直後、二人目の乱入者が現れた。
『ガキン!!』
「邪魔だねぇ。」
「邪魔なのは貴様の方だ。我の客人に手を出すとはいい度胸ではないか。」
俺は振りかけの剣を止めて、今奴と俺の間に割り込み、鋭さを感じさせる爪をたった槍一本で防いでいる、ダリル様を見ていた。
「ぼっけっとするな!全員退避だ!」
「させないよぉ?」
そう言ってジャジャースは片方の腕を振るい、先ほど放った魔法と同じものをアリシアランス側の砦、その門を破壊した。
咄嗟のことでダリル様でも魔法の発動を止めることができなかったようで、俺達の退路は無事塞がれた。
「ちっ、俺が引き付ける。商隊連れて回り込め!」
「だからさせな・・・」
「うるうせぇ!!」
ダリル様と鍔迫り合い状態だったのを後ろに飛んで両腕を自由にしたジャジャースは、二本の腕を使って魔法を発動しようとした。
しかし、ダリル様は二度も同じ事をさせない。今度は槍を振るって片方の腕に刀身を当て、続けざまに反対の手に今度は石突で一撃を当てた。止まることを知らないというばかりに今度は槍を引く反動を利用して正面からジャジャースの腹に重たい蹴りを食らわせた。
数メートル吹っ飛んだジャジャースは、一連の攻撃を無視するかの如く立ち上がり、全身の埃を払った。
「我の一撃を食らって傷一つつかないとは。大した硬さじゃないか。」
「そうでしょぉ?私の手はこの黒い体毛で覆われているのだけど、そこら辺の鉄よりは硬いからそんなんじゃ腕を切り落とすことはできないんだよねぇ。」
厄介なことに、最終職にまで上り詰めたダリル様の一撃でもあの腕の毛を断ち切ることはできないらしい。ということは必然的に足も腕と同様の硬さがあるのだということに気づく。
「ふん、全力だと思ってもらっちゃ困る。」
そういうと、ダリル様は魔力を全身に滾らせ、言葉を紡いだ。
『スキル発動・剛槍王』
可視化されるほど濃密な魔力が一気に凝縮され、槍を含めて全身を覆う。ダリル様の魔力色は風のような淡い緑色で、それを纏った姿は暴風のオーラとも言うべき、鋭さと猛々しさがあった。
「なるほどねぇ、それは少しばかり厄介だねぇ。」
「ふん、今頃焦るなよ?それと、俺だけに注意を向けすぎたな。」
「まったくもってその通りっすね。」
突如として魔法陣がジャジャースの後ろに現れ、次の瞬間には法衣を纏った男が現れダリル様の言葉に同意する。
そしてその男はジャジャースが振り返った顔面目掛けて先ほどライトケーン側から放たれた光の光線を今度はゼロ距離で放った。
直撃した光線はひと際眩い光を放ち、一瞬視界を白に染めた。
だがしかし、そこに立っていたのはジャジャース―――ではなく、ジャジャースとそっくりな外見で色を青に変え、角を逆向きにした女の悪魔が立っていた。
そしてその青い悪魔は法衣の男の手をがっちりと掴んで離さない。
大きく勢いをつけて放り投げられてたその男はとんでもない勢いで地面を転がっていく。
迫撃を仕掛けようとした青い悪魔にダリル様が神速の突きを放つ、が。その槍が届く前にジャジャースが片腕で防いだ。
駆けだそうとした青い悪魔を止めようとダリル様が次の一手を放とうとした直後に、三人の頭上に魔法陣が現れまたしても法衣の男が現れ、更に別の魔法陣を浮かべると、先ほどまでの光線とは比較にならない大きさの光線を放つ。
ダリル様は即座に槍で牽制の一突きをジャジャースめがけて放ち、青い悪魔の方へと押し込む。
そしてダリル様は光線の範囲外へと一歩で抜け出し、そのままの勢いで何回か地面を転がってザザザっと足で地面を削りながら立ち上がった。
「痛っー。おねーちゃん油断しすぎー。」
「わるいねぇ、しばらく眠ってたものでねぇ。」
「もー、私の自慢の毛が焦げちゃったじゃなーい。やだー。」
「まるで効いてないっすね。」
「そのようだな、というかお前傷はないようだが随分いいようにやられたみたいだな?お前の砦随分と壊れてるぞ?」
「それはそっちもっすよ?」
「ああ確かに、それじゃあ落とし前つけないとな?」
「荒々しいっすね。でも嫌いじゃないっす。」
悪魔のふたりと人間のふたり。それぞれが思い思いの言葉を重ねる中、俺達は必死で戦いの行方を見ていた。
逃げ出そうにも逆にダリル様の邪魔になりそうで一歩も動けない。
俺達は巻き込まれないようにひと塊になり防御の姿勢をとっていると、戦いは第二局面へと移った。
そう、新たな闖入者である。
「とう!邪魔するわね!!」
気軽に、友達に話しかけるような口調で両陣営の間に降り立ったのは。
―――俺の師匠、オーナであった。




