32話 村に猫がいるらしい
昼過ぎの柔らかな日差しが窓から差し込む。窓はガラスがはまってるけど、表面が曇ってる上に歪んでて外の景色ははっきりとは見えないようだ。
ほんのり暖かな食堂内のカウンターで並んで座っているクルルとキャシー。
なんだか知らんがさっきから二人して俺の耳をつついている。なんだよもー、くすぐったいじゃねーか。
「猫の耳ってね、赤ちゃんの時は顔の横にあるでしょ?それが大きくなってくとだんだん顔の上に移動してくのよ」
つんつん。
「これが、上に…」
ちょんちょん。
「顔が大きくてバランス悪いからよく転ぶけど、そこは人間の赤ちゃんと一緒ね。育っていけばしっかりしてくるから心配ないわ」
つんつん。
「ミー!」
もー、あんまりつつくなよー耳がムズムズするー。
甲高い声で鳴くと共にクルルの指にかぷと噛みつく。歯がないから刺さらないがな、ぐぬぅ。かくなる上は。
かじかじ、けりけり。
足を四本全部使って手にしがみつき、全力で噛みつき&蹴り蹴り。だがクルルは穏やかに笑いながら俺を見下ろすのみ。ぜ、全然ダメージ入ってねぇ。
その横では少し離れてマリーがにんまりとした笑顔で俺たちを眺めていた。
「んーいい感じね!我ながら改心の出来だわぁ。あの自然な髪の流れ、量の多すぎる髪をすいてほどよいボリュームに抑える仕上がり。私って天才かもぉ」
「ジャックちゃあん、はぁはぁはぁ」
「…鼻息荒すぎでしょ貴方、怖がられるからもう少し離れなさいねぇ」
「あああーっ」
ガタガタと椅子ごと後ろへ引きずられていくセクハラボーイッシュこと、シャティ。良かった、マリーがついててくれれば俺の身の安全は保証されるぜ。
天上が高くだだっ広い室内はとくに明かりもつけていない、窓から入るお日様の光だけ。足元とかテーブルの影はちょっと薄暗いんだけどそこがまた安らぎを感じさせる、なんとも心地いい空間だった。この、木の匂いがふんわり漂ってるのがいいね。
現在、食事を終えてからとくにやることがないらしい若者が4人集まってジュース飲みつつうだうだしている。
いいのかな、この世界の生活スタイルは少ししか見聞きしてないが、ただ生きてくだけでも皆忙しく思えるんだが。だって車も電気も水道も何もないんだぜ?めちゃ大変そうじゃん。なのにこんなぼけーっとしてていいんかいお前ら。
カウンターの上でコロンと寝転び仰向けになり、ぐぐーっと四足を伸ばす俺。ふあーあ。俺は子猫だからこれでいいのだ。
しかしまぁ、髪を切ったぐらいでよくもここまで変わったもんだ。仰向けのままで見上げていたら、大きな手が俺の腹をもふもふと撫でた。
もうクルルは(見た目だけなら)ダサいイメージを持たれないことだろう。この世界にも美容師っているんだな。
「わーん可愛いーっ!お腹、お腹ほわほわしてる―!!」
「まったくもう、昨日いやってほど子猫と触れあってたでしょお?どうしてこの子をそこまで触りまくるのよぉ」
「だってこの子はすっごく小さくて可愛いじゃん!真っ黒な子猫なんてしばらくぶりだしっ」
「毛なんて何色でも一緒じゃない」
「わかってないなー」
ん?昨日?それ俺じゃないよな、じゃこの村には他にも子猫がいるってことか?
あ!?そうだ、人間とヤギには言葉通じなかったけど、猫相手だったら会話できるんじゃね?
俺いちおう魔物らしいけど見た目は猫そのものだし、これはウロ以外ではじめての異文化交流なるか?
猫、猫、うーんこっちの世界来てから見てないわ。さっき村一周した時も一匹もいなかったよな。
あれ、そういやこの世界って人里の外出ると魔物いるんじゃね?猫ってそこまで強くないよな…
室内飼いオンリーなのか?それとも村の周りがっちり壁で囲まれてるとかか。昨日入るとき見た感じだと、猫くらいなら簡単に通り抜けられそうな木の塀しかなかったけど。
「そういえばジャックちゃんて村の猫達に会わせてないわよね?しばらくここにいるのなら、仲良くしといたほうがいいんじゃないの」
キャシーがふと気づいたように言う。俺はクルルの手にしがみついて頭を上げた、ぜひお願いしますという気持ちをこめてじっと見上げる。
それを見たキャシーがへにゃっと笑いながら俺の頭を撫でてきた。シャティも少し離れたとこで顔を崩している。どうでもいいがよだれ垂れてるぞ。
「ジャックちゃんも気になるよね、猫のお友だちも欲しいでしょ?ちょうど今子猫がいっぱいいるの。いつもなら広場のあたりで日なたぼっこしてる時間だわ」
「そう!そこの広場は日当たり良くて木陰もあって、いつも確実に猫がいるステキな場所なんだよ!ボクが旅先で見つけて持ってきたマタタビの木もあるんだ!」
「何勝手にそんなもの植えてるのよぉー」
「マタタビ?あの、いつのまにか生えてた小さい木がそうなの?なんだかやたら猫が体すりつけてるとは思ったけど」
地元民に無断で木を植えるって、大丈夫なのかこの女。
でも、マタタビかー。
確か猫が嗅ぐと酔っぱらう実がなるんだっけ。俺にも効くのかな、味が気になるぞ。
「ね、行ってみましょ!ここのすぐ前だから」
「わ、わかった」
「ミー」
キャシーに手を引っ張られて立ち上がるクルル、俺も慌てて反対側の手に掴まり直す。マタタビ!
二人が歩き出そうとしたところでマリーが両手を顎にあてると、にやーっと嫌な笑顔を浮かべた。
「そうよねぇー、貴方これからキャシーの護衛係として村で一緒に暮らすんだからぁ、皆と仲良くしないといけないわよねぇー?もしかしたらぁ、将来入婿になるかもだしぃ」
「なっ、ち!違うわよ!こいつは本当にただの客なんだから!もーっ変なこと言わないでよね!!」
真っ赤になって喚きながら足早に店の外へ飛び出すキャシー、手を引かれてるクルルも一緒に転げるように走るはめになっていた。
で、店を出たところで手をしっかり繋いでるのに気付いて慌てて離し、何女の子の手を勝手に触ってるのよ!とか怒り出した。赤い顔でクルルの背をバシバシ叩いてくる。
あの、抱えられてる俺が落とされそうで危ないからやめて。
少女と少年が騒がしく店を飛び出した後、静かになった店内でマリーは小さく嘆息していた。
「惜しいわぁ、この村の雰囲気好きだったんだけどぉ」
「ほんとだよね。もう長いことこうしてきたんだから、何も変えなくていいのに」
カウンターに伏せて盛大にため息をついてみせるシャティ。細く短い髪がさらりと肩にかかる。
皿を拭いていた女将がそんな二人を見て柔らかくため息をついた。
「最近城下町でもここに村があると噂になっちまってるしね、どのみち潮時だったんだよ」
「うー。やっぱりぃ、迷い込んだ冒険者を受け入れすぎたせいなのかしらぁ?箝口令なんてあってないようなものだったしぃ。ここに出入りする連中が悪いわけじゃないってわかってるけどぉ」
苦々しい顔で頬杖をつくマリー。長い髪の毛先をつまんで揺らす。
「そもそも、色んな奴がシンシア様を慕って集まった末に出来た村だからねぇ。そっちの関係者が探し回ってたせいもあるだろ。遅かれ早かれこうなってたろうし、あんたらが責任感じるこたないよ」
気にするふうもなく皿を棚へ戻し、明るく言う。
しかし二人は納得できないとばかりに目線を逸らした。彼女らが直接の原因を作った訳ではない、だがその一因ではあるだろうから。
この村で長年静かに生活していた人々にとって、この変化は受け入れがたいものに思えるのだ。
それまでに築き上げた全てを棄てて、ただ一人の女性を守るためだけに移り住んできた彼ら。
守るべき女性がいなくなったからといって、彼女の思い出の残るこの地を余所者が踏み荒らすようなことを望んでいるのだろうか?
「…ここで暮らしてる人達って、他所から見たらすごく魅力的だよね。ここに来る前はお城とか貴族とかに仕えてた人も多いっていうし。お店で売ってるのも一級品ばっかで」
「今朝から見かける兵士達の反応見てれば嫌でもわかるわぁ。これからはもう、皆静かに暮らしてなんかいられないのよぉ?」
村に元々出入りしていた者には、今回の計画もあらかじめ説明されていた。
いまさら自分達が何を言ったところで意味なんてないことはわかっている。他でもない賢者様本人が決めたことなんだから。
「はははっ!仕方ないんだよ。生きてる限り、変わらないことなんてないんだからさ。でも、どれだけ村に人が増えたとしてもアタシとこの店は変わらないよ。だから、うちの飯を食べたくなったらいつでも帰っておいで」
何も憂いなんてないとばかりに朗らかに笑って言われ、マリーとシャティもつられて微笑む。
そう、この店も、女将も、村の皆も。何も変わらない。ただちょっと、村に出入りする人数が増えて騒がしくなるだけなんだ。
果実水を啜りながら、おいしい料理の匂いを嗅ぎながら。3人は優しく心地よい空間で笑いあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
並んだ木々にふりそそぐ日差しが濃い影をつくる。
こっちに来てから知ったんだが、真っ黒な毛に全身覆われていると必要以上に日光を吸収するらしい。具体的に言うとめっちゃ温かい。クルルに抱っこされて歩きながら、俺は頭をぐらぐら揺らして眠気と戦っていた。気分はサウナだ、ふはーのぼせるー。
「まったくもー、マリーってたまにしつこいのよ。頭きちゃうわ!根も葉もない噂、本人の目の前でしないでよねっ」
ぷりぷりしながら歩くキャシーに引っ張られ食堂の外を歩く。
一見不揃いな石を適当に並べたような石畳の道だが、少女の体重をかけた雑な歩き方でもびくともしない、きっと馬車とかも走れるよう頑丈に作ってあるんだろうな。
道の反対側に出ると、並木の途切れたとこから向こう側が見えた。そこは開けた場所になっていて背の低い草が生い茂り緑色の絨毯を敷いたようになっていた。まばらに生えた低木がぽつりぽつりと影を落としている。どうやらここが広場らしい。
なんか芝生より色が淡いな、葉っぱも細いし薄っぺらい。そんなことを思っていたら、視界の端に何かが駆け抜けて行くのが映った。かさりと草が揺れる。
「…今そこを、走っていった、のは…?」
「え?あら、一匹もいない。なぁに、逃げてっちゃったの?」
驚いた顔をして広場を見回すキャシー、やっぱりさっきのが猫だったのか。尻としっぽしか見えなかった。
は…猫って聞いて、咄嗟に普通の猫を想像してたけども。
もしやこの世界の「猫」って微妙に違ってたりしないよな?村への道中で「馬車」って呼んでたやつは、頭にごっつい角が生えた筋肉ムッキムキの馬もどきが牽いてたけど…
今頃になって対面するのが怖くなった俺を尻目に、キャシーは手を翳して広場の向こうを見やり、低木の下をのぞきこんでは顔を曇らせる。どうやら猫が見つからないらしい
「おっかしーわねー、いつもなら広場のあっちこっちに寝転がってるのに。ちび兄弟までいないなんて」
首をひねりつつ戻ってきた。さっきまでここにいたんだよな?猫、逃げた?
はて、なんで逃げたんだか…あ。
「………」
顔を上に向けるとクルルと目が合った。しばし無言で見つめあう。
あー、あれか?俺が魔物ってことで怖がられてる、とか?
「せっかくジャックちゃんと会わせようと思ったのに。村の猫達はいつも全然人見知りしないのよ、しょっちゅう知らない人が出入りしてるもんだからまるで警戒しないの。狼人だってリザードマンにだって平気ですり寄ってくわ」
本当になんで逃げちゃったのかしら?と不思議そうにぼやくキャシー。
いや、まぁ、その。すんません、多分俺のせいっぽい。こんな小さいけど一応魔物だったわ、俺って。




