100話 マリオという男②
主人公不在のお話、ちょっと長いです。
俺が10歳になる頃、とうとう領主様から厳命され、イザベラは孤児院の子供達と遊ぶことを禁じられた。
なんでも、貴族の令嬢としての各種教育が始まり忙しくなるため、孤児院に行く時間がなくなるのだそうだ。
領主様は当初、イザベラには好きに生きてもらおうと考えていたそうだ。
だが、幼い頃から暴力的で教育係を追い返しまくり、勉強と名のつくものを忌避し続けていたイザベラが、他の貴族達から「野獣姫」と呼ばれて恐れられていた彼女が。
孤児院の子供達と会う内に、いつのまにやら「対話の可能な人間の子供」へと変貌したことから、彼女の淑女教育の再開を決断したのだと言う。
領主様はそれまで、長女のイザベラを社交界に出す事自体を諦めていたそうな。
三歳の時すでに自己流で跳び膝蹴りをマスターしていたそうなので、領主様の判断は責められないと思う。
でも、ダメな子ほど可愛いという諺を体現していた娘が、あれよあれよという間に真面な人間へと近づいていって。言葉より先に拳が出るほどの乱暴も…いや武闘派だったイザベラが。
ある日とうとうきちんとした「お辞儀」を披露した時には、両親は元より屋敷に仕える者までが奇跡を信じ神に感謝の祈りを捧げたそうだ。
領主様がいきなり孤児院に駆け込んできて、院長に嬉し泣きしながらお礼を言ったのはその「お辞儀記念日」の翌日だったそうだ。
俺達もある程度の常識を学んでいたし、すごく寂しかったけどわかっていた。
もうイザベラは貴族のお嬢様として生きていくんだから、俺達みたいな平民じゃなくて同じ貴族の人達と過ごすべきだと。
それが彼女の幸せなんだ、と自分を説き伏せて無理矢理納得させていた。
彼女が孤児院を訪れる最後の日、別れ際に皆で号泣しながら大好きだと伝え、元気でねと見送った。
この頃になるとすっかり女の子らしく大人しくなっていたイザベラも、俺らと同じくらいボロボロ泣いて別れを寂しがっていた。
こうしてイザベラは貴族の世界へと帰っていき、もうこの先会うことはあっても対等の付き合いは出来なくなる、俺はそう思っていた。
あいつはこれから貴族として華やかな毎日を送り、俺らとの思い出は子供の頃の記憶として微かに残るくらいでいい、悲しいけどそう諦めて皆で励ましあってたよ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
だけど、それから6年くらい経ったある日、俺達は思いがけず再会を果たした。
孤児院で紹介してもらった商人ギルドの下請け仕事についた俺は、忙しくともそれなりに充実した暮らしをおくっていた。
そんな俺の所に突然彼女が飛び込んできたのだ、でかい鞄を抱えて。
あの強気なイザベラが、まるで別れの時に見たような酷い泣きべそ顔で突然現れて、ものすごい勢いで俺の胸に飛び込んで来たんだ。
あれから成長しすっかりと(外見だけは)麗しい令嬢になっていた彼女だったが、その身体能力は変わっておらず。貧相な俺は彼女を受け止めきることが出来ずに、背中を壁へと叩きつけられてしまった。
噎せる俺にギュウギュウと抱きつきながら、イザベラは声をあげてしばらく泣き続けた。
あまりのことに呆然と事態を見守っていた当時の上司が気を利かせてくれて、呼ばれた上司の奥さんが宥めて聞き出したところによれば、なんとイザベラはある男と婚約していたそうだ。
しかしその婚約者がとんでもない色ボケで、婚約者がいる身でありながら親しくお付き合いしている令嬢が他に複数いる上、さらに婚約者である彼女の妹にまで手を出していたと言う。
自由を愛する本音をひた隠し、貴族の令嬢として生きていく覚悟を決めて、日々窮屈な淑女教育に耐えていたイザベラ。
なのに、彼女の留守中に自宅へ訪れていた婚約者が、応接室で彼女の妹と……まぁ、よろしくない行為に及んでいた所をメイドに発見され屋敷中が大騒ぎになり、帰宅してそれを聞いた瞬間、彼女の堪忍袋の緒が切れたらしい。
執事の制止を振り切り、執務室にて領主様に説教されていた婚約者のもとに行くと、全力の拳をお見舞いしたそうだ。
で、そのまま「こんな家出てってやる!」と宣言し、家を飛び出してきた、と。
率直に言うと、その婚約者という男に殺意が沸いた。
貴族の婚姻というのは本人の意思でどうこうできるもんじゃないと聞いたことがあるし、そいつからすれば不本意な婚約だったかもしれない。
だが、相手はこの美しく可愛らしく優しく健気なイザベラなのだ。
昔は貴族の生活は窮屈だとか、何一つ自分の好きに出来ないだとか不満ばかり言っていたのに、父親が自分のせいで社交界で陰口を叩かれるのが可哀相だからと、あんなに苦手だった勉強をして、嫌いだったダンスを特訓し、俺が知るだけでも彼女は相当に努力を重ねていたのだ。
ただただ、家族のためを思って。
そんな彼女を婚約者に迎えておきながら、浮気だと?
その場で上司と奥さんに止められていなければ、俺はなんとしてでも相手の男の元へ行きぶん殴っていただろう。
だが、俺が上司に押さえられもがいていると、奥さんがふと疑問に感じたことをイザベラに問いただした。
何故、家を飛び出してすぐ俺の元へ来たのか、と。
言われて気がついたが、あれから俺は彼女と関わりを持っていないのだ。手紙のやりとりすら自重していた。
もちろん、俺が働きに出たことも今の勤め先についても、彼女は知らないはずだった。
孤児院には報告してあったけど、彼女の立場を考えると、院長がわざわざ俺に会わせようとするとは思えない。
それに対して歯切れ悪く彼女が答えた内容は、驚くべきものだった。
なんと、彼女の側仕えのメイドさんに、俺の動向を定期的に調べさせ報告させていたのだという。
そのメイドさんはイザベラが孤児院に通っていた頃からの付き合いで、大人しくしているからと頼み込んで調べてもらっていたらしい。
俺に会えないならせめて安否だけでも知りたかったんだと聞いた時は、感激して何も言えなかった。
初めて聞いた彼女の想いが衝撃すぎて、でも互いを想って身を引いていたことがやっと判り、ずっと抑えていた気持ちが溢れ出した。
でも、彼女を守れるだけの金も力もない俺と二人きりであてもなく逃げたところで、不幸にしてしまうのは目に見えてる。
それに恩義ある領主様を困らせたくはなかった。
だから、彼女と一晩話し合った末、上司に仲介してもらい、彼女の父である侯爵様と内密に相談を行った。
てっきり、娘に近寄るなとか言われるだろうと身構えていて、それでも徹底抗戦する気持ちで挑んだのに、侯爵様は「あのイザベラが恋を!」とはしゃぎ始め、踊り出しそうなほどに喜ばれてしまった。
奥様もハンカチで目を覆って泣きながら、「やっと、この子を息子じゃなくて娘だと思えるようになった」とか言い始めて、顔を真っ赤にして怒るイザベラを止めるのに苦労したよ。
そして半日に及ぶ話し合いの結果、イザベラとボンクラ色狂い種馬野郎の婚約は数日後には無事に破棄され、俺は密かに侯爵様の紹介でとある画家の元へ赴き、弟子となった。
これは、俺が彼女をめとるのに相応しい地位を得るためだった。
元々、絵が得意であったことに加えて、肖像画を手描きよりも迅速に描くことの出来るスキルを体得していたため、そのことを知った侯爵様に薦められて選んだ道。
侯爵様は、例えなんの実績も身分も持っていなくても俺の事をお抱え絵師として迎えるつもりだと言ってくれたのだが、やはり高位の貴族であるグウィネス侯爵家に相応しい何かしらの功績が欲しかった。
ただでさえ平民の孤児なんだ、俺を迎え入れる彼らが他の貴族達に何か良からぬ事を言われたらと思うと、やはりそこは譲れなかったんだ。身分とかはどうにもならないけど、自信をつけたかったのも大きい。
そうしてイザベラのため、侯爵様のためにと勇んで画家に弟子入りし着々と技術を上げた俺だったが、ここで思わぬ事態に直面した。
師匠となった画家のおじいさんは俺の腕に太鼓判を押してくれて、数ヵ月後「肖像画家」として一人立ちさせてくれた。なのに、俺の描いた肖像画は、記念すべき一人目の依頼者である貴族の紳士を激怒させてしまったのだ。
下書きを見た段階ではいたく満足気だったその紳士は、完成した肖像画を視界に納めるなり顔を真っ赤に染めて激昂し、額縁ごと床に叩きつけて帰ってしまった。
その依頼者は落ち着いた雰囲気の中年の男性で、彼の渋味のある灰色の髪に始まり、肌の質感から衣服の素材の違いまでをも緻密に描いた渾身の作品のはずだった。
しかしそれを全力で拒絶されてしまい、さすがにあの時は目の前が真っ暗になった。
訳がわからなかった。
仕上がり前まではあれほど気に入ってくれていたのに、何が彼の逆鱗に触れてしまったというのか。
心底へこんで慣れない酒を飲み、酔いつぶれ道端で倒れていた俺を探しに来てくれた師匠は、ありがたいことに数日かけて原因を究明し、しかるのちに驚くべき真実を教えてくれた。
「お前の描く肖像画は、姿形だけでなくその人間の本質を写しこんでいるのではないか」
「自分の醜い部分が、心の奥に抱えているコンプレックスがモロに見えてしまい、直視出来なかったのでは?」
師匠と、彼が相談した数人の画家仲間、さらには高名な学者はそう説明してくれた。
俺の持つスキルは他に前例が確認されていないらしく、なんとレアスキルだったのだという。
知らなかった、てっきり他にも持ってる奴がいると思ってたのに……
むろん、前例がないということは対応策もない。
俺は寝耳に水だった、これがまさかそんな欠陥があるスキルだったとは。
一般的に、レアスキルっていうとたいがい喜ばれるものなのに。
そう、俺はスキルのせいで「嘘」を描くことが出来ないんだ。
貴族の肖像画というものは多少実物よりも美しく描くと喜ばれる、それは知っていた。だが、俺にはそういった細工が一切出来ない。
この目に映る「本物」しか、紙に描き出すことが出来ないんだ。
ちなみにスキルを使わず、筆と塗料を用いて描いても結果は同じだった。
師匠の顔を紙に描いて確認してもらったけれど、仕上がった絵からは「やはり魔力を感じる」そうだ。
くそ、こんなことならせめてもうちょっと絵が下手だったなら、ここまでそっくりに描いてなければ効果も小さくて済んだかもしれないのに。
わざと歪ませたり下手に描くこともやはり出来なかった、どうして今まで気づかなかったんだと思ったが、そもそも絵師なんて目指せるものだと想定してなかったから、紙に何か描くことは極端に少なかったっけ。
紙自体が貴重だったし、孤児院時代は古紙の切れっぱしをもらうたび大事にしまってたもんな。
昔から絵を描くっていうと、もっぱらガキ共にせがまれて木の枝でもって地面に描いたり、地面以外だと店のチラシを描いてくれとか、看板に花の絵を描いてくれと頼まれた時くらいだ。それ以外の時に筆を持つことなんてなかった。
人物画を描くようになったのも師匠のところへ来てからだし、それ以前で個人的にってーと……イザベラの顔しか描いたことがない。
しかもいい紙なんて手に入らないものだから、古紙や布のハギレとか平たく削った木端に描いてた。うわ、懐かしい。
そんなこんなで肖像画家になる決意が揺らいだ俺だったが、師匠と学者達はずっと応援して、励ましてくれた。
自分の価値を過大評価している人間だと、俺に描かれた己の真実の姿を受けいれられず反発する。
だが自分自身を適切に理解し、己を受け入れている人物であったら、描かれた絵にこの上なく納得し満足するはずだ、と。
俺は、貴族といえば侯爵様とイザベラくらいしか会ったことがない。
街を歩けば他の貴族を見かけることはあるが、擦れ違うだけだから彼らの人となりなんて解らない。
でも、彼らだって同じ人間だ。きっと、割合的にはマトモな人のが多いはず。
一人目の客はおそらくたまたま運悪く性格の歪んだ人だったんだ、だから次の客こそ俺の絵を喜んでくれる。
そう願い、必死に自分に思い込ませながら絵を描き続けた。
そして程なくして師匠に紹介された新たな依頼者は、俺と同じくらいの年の貴族の男だった。
彼が、いやこいつが、さらなる障害となって俺の道を阻むことになるとは、当時の俺は気づきもしなかった。
その男は最初から最後まで、絵の打ち合わせで会う度に俺を高圧的に威圧し、描いた下絵を確認しては全てクソミソに貶した。
なのに、俺が依頼を辞退しようとするとヘラヘラ笑って「いやいやすまんね、君に描いてもらいたいんだ」と懇願してくる。
仕舞いには、わざわざ向こうの方から俺を指名してきたというのに、無能者を貴族に引き合わせた!と師匠のことを怒鳴りつけ、大勢の前で嘲りやがった。
そしてそれを周囲に言いふらしたんだ。
師匠は懸命に庇ってくれたけど、もう無理だと思ったよ。
俺の腕を酷評する貴族が二人もいて噂をばらまいてるんじゃ、この街で絵師として認められることは難しいだろう。師匠にも迷惑になる。
だから他の土地で出直そう、そう決意して周囲の反対を押切り、すぐに街を出た。
絵の腕は確かなんだ。
それは師匠も侯爵様も、なによりイザベラが認めてくれている。
だからきっと、努力を怠らず研鑽を続けていれば、他の貴族達だって受け入れてくれる!
そして立派な肖像画家としての地位を築いて、胸を張ってイザベラを迎えに行くんだ!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな思いで、育った土地を離れ、数年たった頃。
生活のため、画材を得るために冒険者として登録し雑用をこなしながら、虎視眈々と潜伏するような日々をおくっていた俺は、もうへこたれそうになっていた。
知る人のない土地で無名の、しかも平民出身の絵師が身をたてるのは、想定していた以上に困難だったのだ。
貴族達も、肖像画でない風景や動物を描いた絵は絶賛してくれるのだが、自分の姿を描かれると途端に拒絶する。
それこそ手の平返しと言えるほど極端に。
それを繰り返すたび、自信が揺らいでいった。
だんだんと、これはもしや師匠の言っていた「自分自身を認めている人」というのはかなりの少数派なのではないかという考えが有力に思えてきた。
自分の全てを目の当たりにして、それをすんなり受けいれられる奴って、滅多にいないのではないか?
でもそうなると……俺の描く肖像画は。
絵師になる夢は。
ずっと幼い頃に諦めたはずの夢だった。
平民の孤児がそんなものになれるはずがない、それで生計をたてるなんて夢物語だって無理矢理頭の奥に押し込めていた願望だったはずだ。
最初は確かにイザベラのためだった、彼女と結婚するためだけに始めたこと。
なのに、今ではもう俺自身が絵師になりたくて仕方ない。
なりたくてなりたくて、でも叶わなくって。
もう、俺がやってきたことは意味がなかったんだろうか?と、ちょっと諦めかけていた。
だけど、これまでの年月が全くの無駄だったかと問われれば、無駄じゃなかったと自分では思える。
それというのも、少し前になるが一番最初の依頼者の貴族が俺に会いに来て、あの肖像画がもしまだ残ってるなら買い取らせてくれと頼まれたんだ。
まさかこんなに時間が経ってから、あんなことのあった俺なんかに今さら何の用だと思っていたら件の頼みを聞かされ、心底びっくりしたもんだ。
だが、あれは最初の依頼で俺としても思い入れがあったし、捨てる気になれず記念に残しておいたんだよな…
だから何も言わずに鞄の底からそっとそれを取り出すと、なんと彼はひざまづいて号泣しはじめたんだ。心底びびったよ。
外聞もなく声をあげてむせびなく老いた紳士を、事情がわからずどうしたものかとしばらく眺めていた。
落ち着いた頃に彼が語った話によれば、彼は不治の病に冒されて余命数年らしい。
それを知った彼は家族を残して旅立つことをひとしきり嘆いた後、大切な妻と娘に様々なものを残そうと動き始めた。
弁護士や親類ともよく話し合い、悲運を嘆きながらも着々と準備を進め、己亡き後も妻子が困窮せず生きていけるように、考えうる限りのことをしたそうだ。
だが、ふと気づくと自宅に飾ってある自分の肖像画を見るたびに、妻がどんどん塞ぎこんでいく。
夫を心配させないよう、子供達を不安にさせないようにと涙を耐え微笑みを絶やさなかった妻が、とうとうある夜告白したそうだ。
「人の記憶はいずれ薄れるもの。なのに、貴方の顔を忘れてしまったら。あんな肖像画では貴方を思い出すことなんてできない」
貴族が画家に描かせる肖像画というものは、だいたいあまり本人に似せずに理想の姿で描かれる。
彼の屋敷にあった絵も、目鼻立ちに多少似た部分があるもののほとんど別人の姿で描かれていた。
妻は今生きて傍らにいる夫と、肖像画の中で頬笑む男とがあまりにも違いすぎて、年月が経ち愛する夫の姿を忘れてしまった後のことを想像し、絶望していたという。
痩せ衰えた男は、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、今より少し若くてふくよかだった頃の己の肖像画をためすがめつ眺め、くしゃくしゃに顔をゆがめた笑顔で何度も頷いていた。
「うん、間違いない。これは私だ、あの頃の私そっくりだ。卑屈で見栄っ張りな…私そのものだ」
心から嬉しげに呟かれた言葉が、今でも印象に残っている。
一頻り泣いた後、彼は何度も頭を下げ、自分がきっかけになって俺の評判が悪くなったと悔やみ謝罪を繰り返し、俺の現状を心配してくれた。
俺がもう怒っていないと、許すと伝えると俺の手がちぎれるほどに力強く握手をし、この恩は忘れないと言いながら笑顔で帰っていった。
あのことがあったから、もう諦めかけていたけど、もう少し頑張ってみようって。自分のスキルを信じてみよう、そう思うことが出来ている。
彼からはそれなりの大金を「絵のお礼」として受け取っていたが。
狡賢い奴なんかは金で貴族に取り入って絵師として取り立ててもらってるらしいけど、俺はそこまでウソが上手くない。むしろウソをつくのが下手だとイザベラによく笑われていた。
なにより、お天道様に顔向け出来ないやり方で成功しても、彼女を迎えには行けない。
だからあくまでも、俺は絵の才能で認めてもらうんだ。
悩んだ末に、絵の代金は大きめの質のいい紙に使わせていただいた。
だが分かっていたけど高い!あれでほとんど使いきってしまった……いや、後悔はないけど。
混ぜ物と継ぎ目がない良質の紙はしゃれにならないほど高いんだよなぁ。
ま、気持ちこそ前向きにはなったものの、それですぐ状況が変わる訳でもない。
いい絵を描き続けつつ、売り込みの好機を待つためにはどうしたって金が必要になるだろう。霞を食って生きてる訳じゃないんだから。
なので、とりあえず真面目に冒険者として生活しつつ、コツコツ金を貯めることを継続することにした。これまでと変わらない生活だ。
画材、全般的にマジで高いからな。紙は特に。
上質の紙でなきゃ描いた絵も劣って見える、下手すりゃすぐ劣化しちまうことさえある。貴族相手の商売でここは妥協できない。
それで冒険者として一時的に組んだパーティーに見捨てられ、森の奥で一人きり。
とうとう死ぬのかとも覚悟を決めたが、結果的にはそのお陰で、ある不思議な村に招き入れられることとなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コポート村という、森の中の小さな村。
ここの森は通称オークの森と呼ばれていて、森の中に設けられた街道は何度も通ったことがある。
俺一人だったらオークなんて到底倒せないけど、臨時パーティーを組んだ時に何度も来たからな。
その街道の中頃に、見覚えのない分かれ道がいつの間にか増えていて、俺はそこから村に招き入れられた。
その時の俺はわりと瀕死の重症を負っていたと思うんだが、薬師を名告るダークエルフの青年がくれたポーション一本で、あらかたの傷は治ってしまった。
傷が深すぎて完治までは至らなかったそうで未だに痛むけども、あの効き目はもしかしたら上級ポーションだったのかもしれない。
代金はいらないと言われたが、もし払えと言われても到底払えまい。
青年は「新薬の実験を兼ねているから問題ない」とか言っていたが、もし気が変わったからやっぱり金を寄越せと言われたら、逃げようと思っている。
コポート村に住む人々は、とても不思議な連中だった。
何かしらの魔道具を用いて村の存在を隠しているようだった。
なのに、森で俺みたいなのが困っていると、どこからともなく現れて助けてくれたりもする。余所者が嫌いな訳ではなさそうだ。
そして村の規模は小さいものの全然ひなびた感じはなくて、暮らしぶりも豊か。
それどころか、どこん家も魔道具をふんだんに使ってるみたいだった。なんて贅沢な、貴族かよ。
あと、冒険者ギルドの支部がないのにやたらめったら強い冒険者がたくさんいる。
これでも冒険者生活はそれなりに長い、高ランクの有名人は多少見聞きしてきた。
Aランク冒険者なんて国に30人程度しかいないものだ、こんな小さな村で見かけるもんじゃない。
なのにいた。普通にいた。
洗濯物を干してる姿を見かけた時は、思わず二度見した。
王都のAランク冒険者の中でもわりと名前が知られている、狼人のルッド。
王都で何度か見かけたことのある彼は決まった拠点を持っていないと噂されていたが、この村が拠点であったらしい。嫁と子供がいるそうだ。
話してみれば意外なことに気さくで人懐こく、面倒見のいい男だった。
王都で聞いた噂では、毎晩あちこちの酒場や娼館を渡り歩いているとか、手の付けられない乱暴者だとか。
実際に目の当たりにした本人とは真逆である、やはり噂ってのは当てにならないもんだな。
あと、この村にはエルフが何人も住んでる。
エルフは人間種を嫌っている者も多いらしいが……
ここに住むエルフ達は人間とも獣人とも、ドワーフとも仲良く会話していた。
あとダークエルフとも普通にやりとりしてた、エルフとダークエルフは犬猿の仲だなんて嘘だったんだな。
色々と小さな衝撃はあったが、結論から言うとここの住人は全般的に皆親切で、誰に対しても優しい。
誰がどこそこの出身だとか、種族が何だとか言って差別することもない。
ウェスリーでは国で種族差別を禁じてるとはいえ、そうなったのもごく最近の話。
魔王がいた頃はこの国でだって獣人は毛嫌いされていたし、エルフの誘拐事件だって普通にあったと聞く。
この近くでも、たしか森の手前にある村じゃ猿人は塀の中に入れてもらえないらしいし、豚人の冒険者は宿を断られて落ち込んでいた。
横で見ててイヤな気分になったもんだが、古い考え方が未だに残ってる土地はけっこうある。
だが、この村においては、そういった忌避すべき差別の気配は少しも感じ取れなかった。
人種こそ「人間」であるものの、よれて破けた服に不精髭を生やし、ボサボサ頭に寝不足で目の下に隈のある……さらに全身ズタボロの血まみれ、泥まみれ。
そんな怪しさ全開だった俺を、彼らは当たり前のように村に運びこみ、嫌な顔一つせず治療し看病してくれたのだ。
本当なら、歩けるようになった段階で出ていくべきだったんだろう。
ここの村にはギルドがない、だから隣村のギルドまで依頼を失敗したことを報告に行かなきゃいけないんだから。
もしかしたら俺は死んだことになってるかもしれない、なら早く報告に行くべきだ。
なにより、俺にはのんびり養生してるような暇はない。絵師になるためには、なんとかして貴族に売り込む機会を得る必要があるのだ。
いつその機会に巡り会えるか分からない、だからなるべく大きな街で、貴族の目に留まりやすい場所に赴いていないと。
でも、ここがあまりに居心地がいいものだから、つい体の痛みを言い訳にして居座っちまっている。
つい、村の皆が集まって何かしてるもんだから、手伝いに入ってしまった。
俺のお節介なところはなによりの長所だとイザベラは褒めてくれたけれど、自分の暮らしもままならないってのに何やってんだか。そう思って苦笑いしてた。
そして、この村で一人の獣人の子供と出会った。
成人してるらしいけど、どう見ても12、3くらいにしか見えない小柄な奴だ。
こいつを見てると、今まで悩んでもがいて、貴族に合わせようとお高く構えていた自分が馬鹿らしくなってくる。
そして、気づけた。
以前の俺はこんなじゃなかったんだ、と。
絵師になるためにはこうあるべき!と思い込んで肩肘張っていた姿が、本来の俺とはかけ離れてるってことがようやっと判ったよ。
絵師になりたい、でもそれよりなによりイザベラが大切なんだ。俺の全ては彼女のためにある。
だから、彼女が好きだと言ってくれた俺のままでいたい。
そう結論づけると胸が軽くなったような気分がした。
やっぱり、相当無理があったんだなぁ。
そうだよ、俺、生まれも育ちも庶民だもん。
今さらお貴族様に合わせた考え方とか上品さとか、身に付く訳がない。
うん、俺は、このままの俺で生きていこう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
なんだか、この村に来てからほんとに気持ちが楽になった。
偶然からだったけど、本当にここに来れて良かったな。
目を閉じて、しみじみと過去に思いを巡らせていたが、目を開いて見ても現状は何も変わってなかった。
ただいま俺は大変に困っている。
隣には俺と同じくらい困った顔をした猫人の少年が立っている、彼はこの雑貨屋の子でベンジャミンという。
そして俺らの前には、体はでかいものの頼りなさげな犬人の中年親父、この雑貨屋の店主であるロロが立っていた。
彼の、いつもはピンと立っている犬耳が今はへんにょりと下がってる。
「やー、そうは言っても……そのぉ」
「何か問題があるのかね?この店の商品はみんな不良品だ!それをこの私が、わざわざ引き取ってやろうと言っているのだよ?ありがたく思いたまえ」
ロロの前でふんぞり返ってる、恰好だけは大商人風なおっさんが偉そうにそう言いながら店内を見渡した。
口許は厭らしく弧を描いていて、笑いを堪えてる感じが隠しきれてない。
応対してるロロはというとすっかり弱りきっていて、でもなんとかしようと自分を奮い立たせてるっぽいのが背中から伝わってくる。
息子にカッコ悪いとこ見せたくないんだろうな。しっぽが足の間に挟まって震えてるけど。
ベンジャミンと顔を見合わせ、背後に並ぶ商品を横目で軽く確認した。
店の一番奥に雑に積み上げられているのは、中型~大型の魔道具だ。小型のやつは店の入り口あたりの棚に並べられている。
あまりにも粗雑な扱いからそうとは判りづらいが、どれもこれもけっこうな高級品である。
小さい魔石一つで簡単に料理ができる携帯小型コンロ、セットした魔石に応じた量の水を生み出す瓶、周囲3メートルに魔法障壁を張ることのできる結界箱、その他諸々。
ぶっちゃけ、どれもこれもいいものだ。高級品。
手に入るなら俺だって欲しい、金がなくて買えないけど。
そして、専門家じゃない俺にもなんとなくわかる、それらの中に不良品なんて一つもない。
壊れてる魔道具って見ただけでなんとなく解るんだよな、絵師としてモデルを観察する癖があるせいかもしれない。
どれもこれも、多少埃こそ被ってるものの、全く作動に問題はないだろう。
視線を前に戻し、商人…と、その左右でニヤついてる護衛っぽい男達をそれとなく観察した。
三人いる護衛は多分、冒険者。でもなんとなくゴロツキっぽい。
見せつけるようにナイフを持って弄ってるやつもいる、武器屋以外の店内で剥き身の刃物を出すのはウェスリーじゃ法律違反なんだけど、他の国から来たばかりなのかね?
衛兵に見られたら罰金刑なんだけど。
うーん、この商人と護衛達は多分悪いやつ。
おそらくこの店の魔道具類をタダ同然で買い取って他所の街で売りさばく気なんだろう。
小さな田舎村に、獣人だけど気弱そうな店主。他には非力なことで知られる猫人の子供が一人だけ。
そして店の中には高価な魔道具が鈴なりに並んでいる、と。
あー、確かにこりゃ狙われるわ。
ロロも頑張ってはいるものの、今にも押しきられてしまいそうだ。
最悪、あの護衛達に命じて無理矢理に強奪してくつもりかもしれない。
村に初めて訪れる人達の中で、こいつらは初めからちょっと怪しかった。
案内役を買って出た若い女性に護衛が絡もうとしていたため、俺が割って入り「商人の方ですか?何かお探しの品はございませんか」と興味を引いて雑貨屋に案内してきたのだ。
そう、俺が連れてきてしまったんだよ。
村に入った直後はここまで露骨に居丈高ではなかったし、女性にしつこく迫っていた自分の護衛を諌めてくれてたから、もっとマトモな人かと思ってた。どうやら演技だったらしい。
くそ、自分の見る目のなさが悔やまれる、モノの価値を見抜くのは得意なんだけどな。
「こんな粗大ゴミの山に金貨を払ってやろうと言うのです、感謝こそすれ断る馬鹿はいないでしょう。それとも、もしやこの私相手に値を釣り上げるおつもりですか?」
「へっへっへっ、おっさんよお?このお方はヘム侯爵様のお抱え商人なんだぞぉ?わかってんのか、あぁ?」
「わざわざこんな寂れた村まで来てやったんだ、幸運に思えよな」
うわぁ、案の定あきらかな脅しにかかってきたぞ。
ロロの耳はぺたんこ、ベンジャミンも震えだした。
どうしたもんかと思案しつつ、先程こっそり裏口から助けを呼びに行かせたボビーを思う。
頼む、一刻も早く、なんか強そうな奴か、交渉事のうまい奴を連れてきてくれ!
次回は主人公視点に戻ります、読みづらくて申し訳ありません。