表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生駒姫は、親バカな父・義光と従兄の政宗を和解させて東北大同盟を作り処刑フラグをへし折ります!  作者: 双瞳猫
第1部:転生幼女、親バカ父と暴走従兄の喧嘩を止める

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/96

第35話「直江兼続の観察——『最上に聡い人間がいる』」(前半)

 越後の秋は、早い。

 出羽の山々を越えてきた風が、信濃川の水面を冷たく撫でていく。夏の間は青々と茂っていた川岸の葦が、その風にざわざわと揺れていた。春日山城の石垣は、夕暮れの光を受けて橙色に染まっていた。城下の木々が、ほんの少しだけ色づき始めている。夏の終わりを告げる虫の声が、城壁の向こうから静かに響いていた。秋の訪れは、越後では言い訳をしない。ある日突然、空気の色が変わる。

 越後に帰還した本庄繁長が、上杉景勝の御前に膝をついていた。

 春日山城の広間は、静かだった。

 余計な装飾のない、質実剛健な造りの部屋だ。上杉謙信以来の「義」の家風が、この城の空気にまで染み込んでいる。豪奢を嫌い、実を重んじる——それがこの城の、この家の、変わらぬ色だ。景勝は上座に端然と座り、その傍らには直江兼続が控えていた。二人の間に言葉はない。それでも、互いの呼吸が重なっているような、長年の信頼が空気に滲んでいる。

 本庄繁長は、白髪交じりの髭を持つ巨躯の老将だ。戦場では熊のような猛将として知られるが、今この瞬間は、その大きな身体をわずかに縮めるようにして、景勝の前に頭を垂れていた。

「景勝様、此度の庄内侵攻の結果をご報告申し上げます」

 繁長の声は、低く、落ち着いていた。感情を押し殺した、歴戦の武将の声だ。戦場では怒号を上げるこの男が、御前では驚くほど静かになる。

「庄内の一部を確保いたしました。しかし……伊達軍が接近したため、これ以上の深追いを断念し、撤退いたしました」

 一拍の間。広間の空気が、ぴんと張る。

「尾浦城は最上方が保持しております。庄内の完全制圧は……成りませんでした」

 広間に、静寂が落ちた。

「……そうか」

 景勝が、一言だけ答えた。

 その短い言葉に、怒りも失望もなかった。ただ、静かな確認だけがある。上杉景勝という男は、感情を表に出さない。それがこの男の、覇者としての在り方だ。喜怒哀楽を見せないことが、この男の強さであり、時に家臣たちを不安にさせる理由でもある。

 大宝寺義勝——本庄繁長の次男・充長——が、父の隣で膝をついていた。まだ若い。その顔には、「庄内の一部は取り戻した」という複雑な感慨と、「まだ足りない」という悔しさが、ないまぜになって滲んでいる。若者の感情は、どうしても顔に出る。

「景勝様、申し訳ございません。父上の御判断は正しかったのですが、伊達が……」

 充長が口を開きかけた。

「充長、よい」

 景勝が、静かに制した。その一言だけで、充長の言葉が止まる。覇者の声というのは、音量ではなく重さで人を黙らせる。

「繁長の判断は正しかった。伊達軍が来た以上、深追いは無用の損害を生む。庄内の一部を確保したことは、成果に違いない」

「……ありがたき御言葉」

 繁長が、深く頭を下げた。

 その頭を垂れながら、繁長の胸の奥では、苦い思いが渦巻いていた。

(——あの七歳の娘の仕掛けが、ここまで効くとは)

 庄内の戦の間、ずっと感じていた「先を読まれている」という感覚。伊達の援軍が来ることを、最上はあらかじめ計算に入れていた。尾浦城が落ちなかったのも、鮭延秀綱が絶妙な時機に到着したからだ。そのすべてが、一つの意志によって動いていた——。

 繁長は、その「意志」の正体を、帰路の山道でずっと考えていた。出羽の深い森の中を、馬上で揺られながら。答えは出なかった。しかし——確信だけは、あった。


 報告が一段落した後、景勝が静かに口を開いた。

「兼続、お前はこの戦をどう見る」

 直江兼続が、わずかに前に出た。

 兼続の兜には「愛」の一字が刻まれている。愛染明王への信仰に由来するその文字は、この知将の複雑な内面を象徴するかのようだ。感情と理性が、常に拮抗している男。熱く燃える心と、冷静に計算する頭が、一つの身体の中に同居している。

「……景勝様、最上と伊達の同盟は、どうも強固なようです」

 兼続は、静かに、しかしはっきりと答えた。言葉を選ぶ間もなく、結論から入る。それがこの男の流儀だ。

「大崎合戦の和睦から、最上と伊達は着実に関係を深めていました。その上に今回の戦では、伊達が実際に援軍を動かした——これは同盟が単なる約定ではなく、実効性のあるものだということを示しています」

「……最上と伊達の同盟は、本物だな」

 景勝が、静かに繰り返した。

 その一言の重みを、兼続は正確に理解していた。上杉にとって、最上と伊達が確固たる同盟を結んでいるということは——西の脅威が、単独の敵ではなくなったということだ。戦略の根本から、見直さなければならない。遊戯の盤面が、変わったのだ。

「次の機会には、伊達が来る前に……」

 繁長が、進言しかけた。

「繁長殿」

 兼続が、静かに遮った。声を荒げない。ただ、名前を呼ぶだけで、繁長の言葉が止まる。

「問題は伊達だけではありません。問題は……最上の背後にいる者です」

 広間の空気が、ぴりっと変わった。

「最上の背後……?」

 景勝が、静かに問う。その目の奥に、兼続への深い信頼と、「では、その先はどうなのだ?」という鋭い問いが宿っていた。

 兼続は、一拍置いた。

 この問いに答えるためには、今回の戦全体を整理し直す必要がある。兼続の頭の中で、帰路の山道から考え続けてきた思考が、ようやく言葉の形を取り始めた。

「景勝様、今回の戦を振り返ると、最上は三つの点で我々の先を行っていました」

 兼続が、ゆっくりと語り始めた。

「第一に——我らの侵攻の予測です」

 兼続の声は、淡々としていた。感情を排して、事実だけを積み上げていく。まるで、碁盤の上の石を一つずつ置くように。

「我々が庄内へ侵攻することを、最上は事前に予測していました。大崎合戦が終結した時点で、上杉が動く可能性を読んでいた。だからこそ、義光は事前に伊達への書状を送ることができた。我々の侵攻が始まる前に、伊達と最上は状況を共有していたのです」

 繁長が、わずかに眉を動かした。その老練な顔に、「やはりそうか」という苦い確認が滲む。

「第二に——伊達への先手の援軍要請です」

 兼続が続ける。

「通常、援軍要請は侵攻が始まってから行うもの。しかし最上は先手を打っていた。これが政宗の到着を可能にした。もし援軍要請が侵攻後であれば、政宗が庄内に到着するまでに、我らは尾浦城を陥としていたはずです」

「……」

 景勝が、静かに聞いている。充長も、今は口を閉じていた。若者らしい血気が、兼続の分析の前で静まっている。

「そして第三に——秀吉への先手報告です」

 兼続の声が、わずかに低くなった。

「最上は、我らの先手を打ち、秀吉への報告書を送ったようです。『上杉が先に攻めた』という事実を強調した書状を。我々の報告書より先に」

 広間に、重い沈黙が落ちた。

 石垣の外で、風が鳴った。秋の風だ。夏の終わりを、容赦なく告げる風だ。

「……兼続、最上義光はそこまで読んでいたというのか」

 景勝が、静かに問う。

「この三つの仕掛けは、義光殿一人の知恵ではないでしょう」

 兼続は、はっきりと言い切った。迷いのない声だ。

「義光殿は優れた武将です。しかし……ここまで先を読むような謀略家ではなかった。誰かが、義光殿の背後で絵図を描いている」

「……確かに、俺も感じていた」

 繁長が、静かに頷いた。大きな身体が、ほんの少しだけ前に傾く。

「庄内の戦の間、ずっと。誰かに先を読まれているような感覚が、ついて回って消えなかった」

 猛将の直感と、知将の論理が、同じ結論に辿り着いた。

 広間に、また静寂が落ちる。しかしそれは、最初の静寂とは違う。何かが、この部屋の中で確かに変わった——そんな、重い静けさだった。

 兼続は、視線を景勝に向けたまま、脳裏で静かに繰り返した。

(——最上駒姫。七歳の幼女)

 その名前が、出羽の山道で初めて浮かんだ時と同じ温度で、今もそこにあった。

 春日山城の夕暮れが、広間の床を橙色に染めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ