第12話「駒のプレゼン①——『ここで争えば、南の猿の餌食です』」(前半)
天幕の中の空気は、変わっていた。
私が戻ってきた時、義光と政宗は——黙っていた。
義光は、腕を組んで床几に座っている。政宗も、向かいの床几で同じように腕を組んでいる。義姫様は、その中央で静かに座っている。三人とも、私が天幕を出る前に投げかけた「南の猿が得をする」という一言を、まだ頭の中で転がしているような——そういう沈黙。
——いい感じの沈黙だ。
賢い人は、問いを受け取ったら自分で考え始める。「南の猿が得をする」という一言は、「では、どうすればいいか」という問いに自然と繋がるもの。今ごろ二人の頭の中では、その答えが静かに組み立てられ始めているはず。
私は、チョコンと床几に腰を下ろした。
義光と政宗を、交互に見る。二人とも、私を見てる。
——策は使わない。正直に、今の私の気持ちを話そう。
昨夜の決意は、変わっていない。でも——正直に話すということは、この二人に「本当のことを全部見せる」ということだ(前世のことは流石に口には出せないけど……)。それが、今の私にできる最大の交渉なんだ。
「——少し、私にお話しをさせてください」
声は、静かだった。七歳の幼女の声だ。しかし——この天幕の中で、今はその声が一番通っている。
義光が、わずかに身を乗り出した。戦国武将の顔で、しかし目の奥に「父親」としての光が見える。その身の乗り出し方が、少し前のめりすぎる気がする。
——お父様、落ち着いてください。まだ何もしゃべってないです。
政宗は、腕を組んだまま、何も言わない。でも——聞く体勢にはなっている。この人の「聞く」という意思表示は、言葉ではなく姿勢で示されるんだろう。それが、今わかったように思う。
「過ぐる、天正十五年(一五八七年)」
私は、静かに話し始めた。「秀吉が、『惣無事令』を発したのは、ご存じのとおりです」
天幕の中の空気が、わずかに変わる。
「諸大名の私戦を禁じる定めですよね」
私は続けた。「この定めにより、奥羽の諸大名も——秀吉の許可なく戦を起こすことは、『関白・秀吉への反抗』と見なされることとなりました」
政宗の眉が、わずかに動いた。
——通じたかな?
政宗従兄様は、当然この令を知っている。知っている上で、今も動いている。でも——七歳の幼女の口からその言葉が出てくることへの驚きが、今、あの眉に出たんだと思う。「知っている」という事実が、「この幼女は何をどこまで知っているのだ」という疑問に変わった瞬間だ。
義光の眉間の皺が、また少し変形した。「そうだ、それ(惣無事令)があるのだ」という顔だ。しかしその目の奥に——「俺の娘がそれを語っているとは」という、密かな誇らしさが滲んでいる。
——お父様、顔に出てます。
「今、奥羽で最上と伊達が戦を続けることは」
私は、言葉を選びながら続けた。「秀吉に、『奥羽の大名は惣無事令を守れない』という口実を与えましょう。秀吉はその口実を使って、奥羽に介入することができる。できてしまう。」
天幕の中に、静寂が落ちた。
「——それは、最上、伊達、どちらにとっても、得策ではありませんでしょう」
政宗が、静かに私を見た。その目が——「面白い」でも「試している」でもない。「本物か」を確かめるような、静かな目。
義光が、わずかに顎を上げた。苦り切った(ように見せかけた)顔をしながら、その目の奥で「どうだ政宗、俺の娘はすごいだろう」と言っている。完全に娘自慢の親バカの顔だ。
——お父様、少しは「羽州の狐」らしい顔をしてください。
義姫様は、微動だにしない。しかしその横顔に、「この子(駒姫)は正しいことを話している」という確信と——「兄上、(娘自慢が)お顔に出ていますよ」という、わずかな呆れが混ざっていた。
その時だった。
天幕の入り口の布が、静かに開いた。
「——失礼いたします」
氏家守棟が、静かに入ってきた。
義光に向かって一礼する。そして——全員に届く声で、静かに告げた。
「申し上げます。南の間者が、すでに両軍の後方に入っておりまする」
天幕の中の空気が、変わる。
政宗が、氏家を見た。その隻眼が——鋭くなった。
「……確かな証拠があるのか」
氏家が、静かに答えた。「両軍の陣の近辺で、見慣れぬ商人が数名、昨日から動いております。最上の間者が確認いたしました。身なりと行動の様子から——南の者かと存じます」
政宗が、片倉景綱を見た。
景綱が、天幕の隅から静かに頷いた。「……伊達の間者も、同様の動きを確認しております」
天幕の中に、重い沈黙が落ちた。
——氏家殿、タイミングばっちり。ナイスフォローです。
私は内心で、静かに確認した。これが「援護射撃」だ。私の言葉は「停戦への論理」だった。でも氏家殿の言葉は「現実」だ。この二つが重なった時——政宗従兄様は、これを「空論」とは切り捨てられないだろう。
政宗が「証拠はあるのか」と問うたのは、疑っているのではなく、確認しているからだ。やはりこの人は賢い人だ。「この情報は信頼できる」と判断した上で、確認している——その違いが、隻眼の光の質でわかった。
義光が、静かに腕を組んでいる。内輪では見せない、勇猛な将らしい顔だ。「娘と俺の重臣が連携して動いている」という事実を、静かに飲み込んでいる。無論、表には出さない。しかし——目の奥で、浮かれているのが丸わかりだった。
——お父様、また顔に出てます。
政宗が、私を見た。
そして——わずかに、口の端が動いた。
「……聡い(さとい)従妹殿だ」
小声だった。しかし——確実に、義光の耳にも届いた。
義光の眉間の皺が、一段深くなった。
——あ、政宗従兄様。ちょっと地雷を踏んだかも。
「……政宗」
義光が、低く言った。「お前のような男に褒められて、喜ぶ娘ではないわ」
——いえ、普通にちょっとうれしかったけど……
「褒めて何が悪いのだ」
「お前に褒められると、何か企んでいるようにしか聞こえんわ」
「……伯父御は、俺をどういう人間だと思っている」
「鏡を見ているようで吐き気がする。……そういう男よ」
義姫様が「二人とも——」と言いかけた。
しかし義光と政宗が、同時に義姫様の方を見て、同時に目を逸らした。
——あ、無視した。二人同時に。
私は内心で、静かにため息をついた。こういうところだよ。この二人、本当にそっくりじゃん。
義姫様が、珍しく天を仰いだ。
最上義光と伊達政宗。なんだかんだで、史実でも似た者同士の伯父・甥だと思いませんか?




