22話 七月六日 Ⅱ
アパートを出ると煙をくゆらせるお母さんの背中と、その背中を見つめるまりあちゃんの小さな背中が目に入りました。
「まりあちゃ」
「なんでタバコすってるの?」
私がまりあちゃんを呼ぶよりも早く、まりあちゃんがお母さんの背中に質問していました。
「……さて、なんでだったかしら。もう忘れたわ」
「……うっそだぁ」
「ほんと。タバコを吸うとね、脳細胞が死ぬの。だから忘れたわ」
「しぬの? じゃあ、すわないほうがいいよ?」
「無理ね。タバコをやめるくらいなら、それこそ死んだ方がマシ」
「お母さん、それはヤニカスレベル限界突破し過ぎです」
私が口を挟むと、お母さんは咥えタバコのままゆっくりと振り返りました。
「……あなたたち顔立ちが似てるわ。本当に姉妹みたい」
「じゃあ、まりあちゃんを連れて帰っても?」
「ダメ」
「ですよね」
「……まりあちゃん。上のお名前は?」
お母さんが携帯灰皿でタバコの火を消しながら、無表情でまりあちゃんに問いかけます。
そういえば、下の名前しか聞いていませんでした。私ってば、うっかりさん。
「ひらはら」
「そう。お父さんのお名前は?」
「……わかんない」
「お母さんも?」
「うん。しらない」
「ここに来る前は、どこにいたの?」
「おじいちゃんのおうち」
「……そこは、楽しい?」
「うん! おじいちゃんすき!」
にっこり笑顔のまりあちゃんでしたが、すぐにその表情は曇りました。
「……でも、おじいちゃん、いまはびょういんにいるの。だからね、ここにきたの」
「……そう。おじいちゃん、早く良くなるといいわね。芽依、私はアレと話があるから、少しの間まりあちゃんとここにいて」
お母さんはそれだけ言うと、足早にアパートの中へと戻って行きました。
アレというのは芹沢さんのことでしょうか。人のことをアレ呼ばわりは流石によろしくないのでは。可愛い娘の教育的にも。
というか、さっきのお母さんは。
……怒っていた、ような。
「…………」
良くないとは分かってはいるのですが、二人が何の話をしているのか気になります。かと言って、まりあちゃんを放っておくわけにはいきません。
「いこ」
私が頭を悩ませてると、何とまりあちゃんの方からアパートへと私の手を引っ張っていきました。
そろそろと足を忍ばせて部屋のドアの前に立ち、ゆっくりとドアを開けようとしましたが、鍵が掛かっていました。
残念。鍵が掛かっているのなら仕方がないのです。あきらめて戻りましょう。
「かぎ」
まりあちゃんがポケットから鍵を取り出して、私に手渡してきます。どうしてそんなに用意がいいんですか、この女児は。
けれど。
この扉の鍵は、決して開けてはならないような気がして。
開けてしまったら、もう二度と後戻りができないような気がして。
好奇心、猫をも殺す。
そんな言葉がありましたっけ。にゃーん。
ダメだと分かっていたのに。
ガチャリ。
可愛いにゃんこな私は、鍵を開けてしまうのでした。
玄関のドアを開けると、お部屋へと通じるドアがもう一つあります。物音を立てないように注意しながら、恐る恐る聞き耳を立ててみます。
「……して……………………ない…………」
「い、いやー、まー……タイミングを見て伝えるつもりではあったんだけど」
お母さんの声量は普段から控えめなのでよく聞き取れませんが、芹沢さんの返答から察するに何か隠し事があったようです。うちのお母さんに隠し事とは良い度胸です、このパチカス自称天使は。
「天使! 私の目を見て話しなさい!」
「は、はいぃー!! すみません!!」
お母さんの怒鳴り声、生まれて初めて聞きました。
これは、やっぱり、私が絶対に聞いちゃいけない話を、しているような。
「どうして子供が二人いることを黙っていたの!?」
「い、いや、厳密にはあの時にはまだいなくってぇ……い、いたと言えばいたんだけど、まだお腹の中にいてぇ……」
おなかのなかに。
何がいたと?
「死んだ香苗さんのお腹の中にいた子を、あなたの力で生きながらえさせたって!? そんなことっ……許されるの!?」
「……っ、私だって悩んださ! けど、それが望みだったんだよ! あいつの! 俺はいいから、芽依とお腹の子だけは救ってくれって!」
香苗さんっていうのは、私のママの名前で。ママのお腹の中いた子を、芹沢さんが生き返らせた?
なんだか、とってもファンタジーな話をしているような。
全然現実感がありません。ドッキリか何かでしょうか。
「そんなのっ……私はっ……」
――――んふふー、盗み聞きはめーですよー。
――――はい、全部忘れましょうねー。
目を覚ますと、自分の部屋のベッドでした。
「あれ……?」
スマホの時計を見ると、夜の十時過ぎ。
「えっ、私、こんな時間まで寝てたんですか!? 朝から!? 白雪姫ですか!? 美しすぎるからですか!?」
「寝言は寝て言いなさいよ」
慌てふためく私を見て美紅が冷たく言い放ちます。
「……なんだか、ものすごい夢を見てたような気がするんですけど、思い出せません」
「思い出せないなら大した夢じゃないんじゃない?」
「いや、なんか、その、すごやば! って感じだったはずなんですよ!」
「あんたの寝癖の方がすごやばよ」
「え、マジですか?」
言われて頭に手を伸ばすと、たしかに髪の毛がトルネードしていました。
「でも二度寝するから関係ないでーす」
「こら、あんたまだお風呂入ってないでしょ? 入ってきなさいよ」
「えー、めんど……」
「同じベッドで寝る以上、風呂キャンなんて絶対許さないわよ? 床で寝るならいいけど」
「うぅ、しょうがないですねぇ……」
のそのそとベッドから這い出ます。
「椛は?」
「居間にいると思うけど」
「そですか。あー、美紅、ふへへ」
「何よ、気持ち悪い笑い方して」
「ハッピーバースデー」
「まだ早いっての」
「今年はプレゼントは期待していてくださいね!」
「ああ、去年は最悪だったわね……」
……あれ?
美紅と椛のために何かプレゼントを作ったはずなんですけど。
いつ、どこで、何を作ったんでしたっけ?




