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溺愛の花  作者: 一朶色葉
番外編
16/16

拍手小話.種の名

時系列は本編前。other3読了推奨です。

 願うのは、自分と同じ感情を向けてくれること。

 叶うなら同じ重さで、同じくらいの深みにはまってほしい。抜け出せないほどの深間で一緒に溺れ死んでほしい。

 少し力を込めれば容易く折れてしまいそうなくらい華奢な手を握って、傍にいてくれと懇願したあの日から、彼の想いはただひたすらにそれだけだった。

 だってひとりだと、こんなにも虚しく──息苦しい。




 たとえるなら、それは種だった。

 鳥が運んだのか、風に飛ばされてきたのか、あるいは初めからそこにあったのか。

 知らないうちに芽を出して、いつの間にか根を張って、日を追うごとにその存在を主張してくる。

 それは、悩みの種だった。

(なんかもやもやするというか、妙にそわつくというか……なんだろうこの得体の知れない感じ。ナーシェに相談したけど、結局何も教えてくれなかったし)

 そう。わからなかったのではなく、教えてくれなかった。

 近くにいた薬室長は机に突っ伏して動かなくなり、相談先の同期はにんまりと含むように笑っていた。聞き耳を立てていたらしい他の薬剤師たちは、ほわっと生暖かな目を向けてくるだけ。

 ルレインの話から確実に何かを知り得たくせに、あの同期は何も教えてくれないどころか「言ったら面白くないでしょ」なんて悩むルレインを愉しむような構えすら見せた。鬼かと思った。

(どうしよう。ナーシェは「ノスコルグ師団長に直接言ってみるのも手よ」なんて言ってたけど……)

 一体どこの誰が、悩みの原因に対してあなたのことで悩んでいるなどと相談できるのだろう。

 悩みは根本を解決しないとなくならない。だからナーシェの言っていたこともわからなくはない。わからなくはないけれど、実践するのはまた話が違う。

 まさか言えるわけがない。本人に向かって、──あなたとの距離を測りかねてます、だなんて。

「で。なんでルレはさりげなく俺を避けてるのかなー?」

「……」

 ぐるぐる悩んでいるうちに、当の本人に気づかれた。語気は柔らかいし、にこにこ笑んではいるが、目はまったく笑っていない。思わず、そっと目を逸らす。

「……避けてない」

 このいつの間にか夫に昇格していた幼馴染は、夕飯後の片づけをしてくれていたはずだ。ルレインはその後ろで食後のハーブティーを淹れていた。だというのに、気づけばこうして談話室のソファに転がされている。唐突にひとを抱え上げて拉致するのは、彼の癖かなにかなのだろうか。

(お茶、そろそろフィルターを外さないと渋くなるんだけどなあ……)

 ルレインを抱えたままソファに腰を下ろしたヴィスタは、腕一本でルレインの頭をクッションに沈めさせ、手をついて覆いかぶさるように顔を覗き込んできている。

 どこにもない逃げ場にそれでも往生際悪く現実逃避しかけたところで、上から小さな溜息が降ってきた。

「俺、何かした?」

 ぱちりとひとつ瞬いて、ルレインは視線を戻した。

 不安そうに揺れる紫苑の一対と目が合う。整った眉も下がり切り、情けない顔だ。それでもなお損なわれない中性的な美貌が少しだけ腹立たしかったが、それよりも動揺のほうが大きかった。

「え。いや、待って。そもそも本当に避けてるつもりは──」

「つもりはないって、ようは避けてないだけで避けるだけの何かはあるってことだろ」

 ルレインは目を瞠る。上体を起こそうとついた肘が払われて、体が再びソファに沈んだ。クッションに広がる青みがかった黒髪を指先で掬うように梳きながら、ヴィスタは喉の奥で笑う。そのまま目尻を優しく撫でられ息が詰まった。

「表情に出ないぶん目が素直なのは変わらないね、ルレ」

 ──ああ、この顔だ。ルレインを妙にそわつかせる、とろりと蕩けた表情。

 昔は、ヴィスタの近くは祖父と同じで無条件に落ち着ける場所だった。だのに今は、こうも落ち着かない。

 昔は、目が合った途端に柔らかくなる表情が、気を許されているようで好きだった。それは今も変わらないけれど、それに加えて今は何故かきゅうと咽喉が詰まる感覚がする。

 昔は、少し体温の低い手が与えてくれるのは安心感だった。今は安心するよりも先に、その無骨さにまごついてしまう。

(だ、だって、故郷にいたときはここまで骨ばってなかったし、大きさもここまで差はなかったし)

 昔は。──昔は、どうしていたのだろう。故郷にいたとき、自分は彼にどう接していたのだろう。

 ──〝昔みたいなあたりまえが欲しかったから〟

 初めて泥酔した日の翌朝、結婚のくだりの一切を憶えていなかったルレインにヴィスタは改めてそう言ってくれた。でも、その〝昔みたいな〟が彼女にはもうわからない。

 昔がどうだったかを探っているうちに今との違いに混乱して、追いつけなくなって──結果、多少心の距離を置いていたのは事実だ。きっとそのせいでヴィスタへの接し方が少しぎこちなくなっていたのだろう。まさかそこを見抜かれているとは思わなかったけれど。

「ルレ?」

 黙り込んだルレインを、ヴィスタが怪訝そうに呼ぶ。知らず伏せていた瞼を持ち上げるルレインの耳に、ナーシェの声が蘇った。

 ──〝それ、ノスコルグ師団長に直接言ってみるのも手よ。まあ一番は自分でわかるのがいいんだろうけど、教えてもらうのもありだと思うし?〟

「……普通がわからなくて」

 気づいたら、ぽんとそんなことを口にしていた。

「普通?」

「昔みたいなあたりまえが……なにが普通だったのかが、よくわからない。前はあたりまえで普通だったことも今はこう、そわそわするというか落ち着かないというか……」

「……。つまり普通がわからなくなったから、俺を避けてた?」

 こくりとルレインは頷く。

「……距離が上手く掴めなくて…………あと、別に避けてない」

 いたたまれなくなって、見下ろしてくる双眸から顔を背けた。そのままぼそぼそ続ける。

「だいたい昔みたいなって言われても八年前以上も前のこと、そうそう憶えてられるものじゃないし」

「……」

「日常のあたりまえならなおさら意識してやってたわけじゃないから、よくわからないし……」

「……」

「なんで黙って──……ヴィスタ?」

 何の反応も返ってこないことを訝しんで思わず顔を戻し、ルレインはぱちりと瞬く。虚を衝かれたような顔をしていたヴィスタは、ルレインの呼びかけにはっと我に返り、それでもどこか夢を見ているような顔をして口許に手をあてがった。

「俺といるとそわそわするんだ……?」

「え、うん」

 なんだかヴィスタまでそわそわしているように見える。

(というかこの体勢、心臓に悪いからそろそろ起きて良いかな)

 普段は意識の端にも引っかからない心臓の音が、さっきから嫌によく聞こえる気がする。まるで心臓が耳の近くまで移動したみたいだ。

 窺うように紫苑の眸を覗き込もうとしたところで、おもむろに手を握られた。そのまま指まで搦められ、ルレインはびしりと体を硬直させる。

「え」

「っ、なんでヴィスタが驚いた顔してるの……!」

「いや、うん、ごめん。長期戦を覚悟してただけに思ってたより早く報われかけててびっくりして。…………これは長い間離れてたのが効いたのか……?」

「? 報い?」

 何の話だ。

 ぶつぶつと独り言のように続けられた後半が聞き取れなくて、ルレインはほんの少しだけ柳眉を寄せた。思案げに伏せられていた目と目が合い、軽く首を傾げてみせると、「嬉しい誤算があったんだよ」と彼はゆるりと目許を和ませる。

 そして琥珀に浮かべる怪訝な色をますます濃くしたルレインに薄く笑って。


「いくら兄妹同然に育った幼馴染とはいえ、俺は君にとって安全な男じゃないって話だよ」


 繋いだままの華奢な手に唇を押し付けた。

「!?」

 顔にこそ出なかったが、ルレインの脳内は大パニックである。ぎょっとして無意識に手を引いたが、逃げられずに握り直されてしまう。

 それどころか、手の甲から指、手のひら、手首、腕へと辿るように唇を落としながら、ヴィスタは距離を詰めてくる。

「距離を測りかねてるって言ったでしょう……! なんで詰めてくるの!」

 ルレインは表情こそ乏しいが、感情の起伏まで乏しいわけではない。それでも滅多に声を荒らげない彼女にしては珍しく、思い切り声を張り上げた。

 しかしヴィスタは動じた様子もなく、むしろ不満げに片眉を上げた。

「測りかねてるからってそのままにしてたらもっと遠ざかるだろ」

「うっ」

「そもそも俺、昔()()()()あたりまえが欲しいとは言ったけど、昔の()()が良いとは一言も言ってないし」

「なっ、……!」

 どんな屁理屈だ。

 さすがにイラっとして声を上げかけ、額──というより前髪に落とされた柔らかな感触に思わず口を閉じた。不発に終わった文句が咽喉の奥で絡まっている間にも、ヴィスタはルレインの前髪を指先でそっと避けて再度そこに口付けてくる。

「だからこれからは、我慢はしても遠慮はしないことにする」

 ばくばくと心臓がうるさかった。だから、額を合わせながら言われたその言葉が、耳から入って脳に行くまでに随分と時間がかかって。

「──かわいい」

 ふ、と笑うような吐息が唇を掠める。すりっと戯れるように鼻先が触れ合って、それだけでルレインの心臓は痛いほどに締め上げられた。

 ぼやけるほどの距離でこれ以上ないくらいに甘く蕩けた眸に見つめられると、呼吸も満足にできなくなってしまう。

(なんか、変)

 脳が沸騰して、体から発火しそうだ。

「ヴィ……ヴィスタ、離れて」

「なんで? 嫌?」

「い、嫌じゃない、けど」

 唇を吐息になぶられる。無意識に息を押し殺していたルレインの目には息苦しさから涙が滲み、少しだけ体を離したヴィスタは、溢れてもいないそれを拭うように指を滑らせて目を細める。

「嫌なら抵抗するなり拒むなりして」

 そうすればちゃんと、我慢するから。

(拒む……? 誰を? 私が、ヴィスタを? なんで──)

 何故か働きの鈍い思考に手間取っているうちに。

「──、……」

 一瞬だけ、吐息が奪われた。

 ルレインは瞠目して、近くにある顔を見つめ返す。とはいえ、ヴィスタも何故がきょとんとした顔をしていて。

(いま何、を)

「っ──!」

 吐息を奪ったのが彼の唇だと、理解した瞬間。血管という血管が開き、カッと熱が全身を駆け巡った。

「えっ、かわいい」

 唇をくすぐるように指先でなぞり、耳まで赤く色づいているのを見て、ヴィスタが狂ったように「かわいい」を繰り返す。

「まさか一切抵抗されないとは。え、どうしよ。もっかいしていい? もう一回したい。真っ赤なのかわい──んぶっ」

 耐え切れず、ルレインは頭の下から引っこ抜いたクッションを渾身の力でヴィスタの顔面に押し付けた。

 そのまま転がり落ちるように、ソファとヴィスタの体で形成されていた檻から抜け出す。

「~~~~~~っ、ヴィスタの、バカ!!」

 動揺やら混乱やら、羞恥やらが混ざり混ざって、子どもじみた罵倒が飛び出したが、構っていられない。

 顔を見る勇気もなくバタバタと慌ただしい足音を立てて寝室に駆け込み、毛布を頭からかぶって丸くなった。

 己の心臓の音と息遣いしか音のない世界で、ドッドッドッドと全力で喚く心臓の音を聞いているうちに、ルレインは唐突に理解する。

(男のひと、だ)

 ルレインの手なんて容易く握り込めてしまう節だった手も。柔らかさなんてどこにもない体躯の厚さも。自分をすっぽり覆ってしまえる肩の広さも。

 知っていた。でもわかっていなかった。ヴィスタは幼馴染で、そして今は──夫だ。

 ──〝俺は君にとって安全な男じゃないって話だよ〟

 耳に蘇った声にぎゅっと目を瞑る。そのまま寝てしまえと何度も何度も胸奥で唱えるのに、睡魔はまったく訪れない。

(目が冴えて寝られない)

 どれくらい経ったか。聞こえてきた寝室の扉が開く音に、ルレインは息を詰める。今更ながらに思い出した。

(ちょっと待って。いつも寝るとき……)

 毛布に潜り込んできたヴィスタは、案の定──というか()()()()()()()ルレインを抱き寄せる。体が強張りそうになるのを必死で堪えた。

「おやすみ、ルレ」

 鼻先をつむじに埋め、甘やかな声が夜のしじまを揺らす。

 眠れるか、とそう思っていたのに。体を包む温もりと匂いが慣れ親しんだもので、徐々に瞼が落ちてくる。

(あんしんする)

 落ち着かないしそわそわもするけれど、暴れ狂う心臓を宥めるだけの安心感があって。

 無意識に擦り寄ったルレインは、いつの間にか心地いい波間に引き込まれていた。


 たとえるなら、それは種だった。

 鳥が運んだのか、風に飛ばされてきたのか、あるいは初めからそこにあったのか。

 知らないうちに芽を出して、いつの間にか根を張って、日を追うごとにその存在を主張してくる。

 それは、──恋の種だった。

溺愛の花拍手小話第3弾upです〜。

思えばこの話、手違いでデータを消しちゃったことで改稿することになったんですが、もはや以前のものとはまったく違うものになりました(º▽º )


溺愛の花に関してはこれで一応完全完結のつもりですが、もしかしたらもう1本番外編をupするかもしれません。(未定です)


2016年にupし始めてもうすぐ3年ですが、愛着もあるので、時間はかかると思いますがもっとしっかりした世界観でまた書きたい気持ちもあります。その際はお付き合いいただければ幸いです。(ウォズリトとファイはたぶんそこでどうにか頑張ってくれると思います)

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