古き良き思い出
古き良き思い出 (お題 オットセイ)
オットセイのオスは複数のメスを侍らせ、ハーレムを作って過ごす。もちろん競争に勝った強いオスだけだ。負けたオスは同性同士で徒党を組んで生活する。負けた中には後に力を付けて、勝ち組のオスを倒し、そのオスのハーレムを奪うことがある。しかし稀である。多くは一度も交尾することなく一生を終える。童貞のまま生涯を閉じるのである。
俺は負け組のオットセイだ。23歳童貞、オットセイなら寿命でとっくに死んでいる。学校生活で異性と交流したことは殆どない。男子校だったわけじゃない、むしろ男子校だったなら惨めな思いをせずに済んだだろう。冴えない男たちといつも一緒に過ごしていた。オタク趣味を共有できる友人は確かに悪くはなかった。つるんでいるのは楽しかったし、苦痛もなかった。しかし、同じ教室で女子と仲良く戯れる他の男子を横目で見ると、何とも言えないモヤモヤした感情が湧きあがった。そんな時は好きな漫画の感想を一段と熱く語った。そうしないと自我が保てそうになかった。
そんな騙し騙しの学校生活の中で冴えない俺が女子と接した時期もあった。高校三年の時だ。俺は図書委員だった。眼鏡を掛けているという理由だけでクラス会で推薦され選ばれた。委員の中でも図書委員は忌み嫌われていた。それは活動内容の所為だ。週毎に持ち回りで図書館の手伝いをするのだ。もちろん当番の週の休み時間は全部奪われる。ぼっちでない限り、高校生は誰しも異常なまでに仲間を意識するものだ。友人が命より大事だと思っている奴もいる。一週間も仲間から外れて生活するのは禁固刑のようなものである。
斯くゆえに自身も当番の週が苦痛になるだろうと思っていた。杞憂だった。別のクラスのオタク友達の上島啓太が図書委員になっていたのだ。啓太も似た理由で図書委員に選ばれていた。俺と啓太は同じ週に当番を務めるように図書委員長に計らってもらった。
「今期はけいおんで決まりだよなあ。お前も見てるだろ」
啓太が図書室の本棚を整理しながら尋ねてきた。
「2chじゃ評価高いけど、良さが分からんな。過大評価じゃね」
「過大評価じゃねーよ。今期の覇権はけいおんで決まりだろ」
突然野太い声色で力んだ声を上げた啓太に俺は目を細めた。啓太とはエヴァで意気投合したが、この男は偏狭なキャラ重視派でストーリーや演出、台詞、音楽など総合的にアニメを楽しむ俺とはたびたび衝突した。本当にけいおんは良さが分からないし、あんな作品が二期、劇場版まで制作されたのが未だに解せない。
「あ、分かった、分かった。録画したの見直してみるわ。リアルタイムで見てたからボーっとしてた。見直したら評価が変わるかもしれん」
啓太が熱く語り出すのを止めるために俺はそう言い訳して宥めた。周りを見渡すと数人の生徒の刺さるような視線が目についた。こいつのクラスはどうしてこんな奴を図書委員にしたんだ。
「お前のとこの女子って何で来ないの」
俺はふとした疑問を口にした。委員は一クラスから男女ペアで選ばれる。そのペアのまま当番も任されていた。啓太と同じクラスから図書委員に選ばれた女子は一回目の集会で姿を見て以降、一度も見たことがなかった。
「不登校だよ」
俺はその応えに少し驚いた。啓太とペアの女子は武藤美沙代といった。一言で彼女を現すとコンテンポラリーだろうか。愛想のある顔ではなかったが、カウンターで静かに仏頂面で貸出しの手続きをしている同級の相田直子の様に野暮ったくなく。目を惹く様な美人ではなかったが、他の女生徒と比べ際立った存在感があった。
「不登校か、そんな感じに見えなかったけどなあ」
「夜な夜なヤバい連中と遊び回ってるらしいぜ。クラスのDQNたちから聴いたわ」
様になってない悪そうな顔をして啓太は言った。まるで不良たちと絡んでるように話したが、きっと盗み聴きしただけだろう。
「ヤバいって暴走族とか」
「まあ、そういう連中だろう。見た目、DQN丸出しだったじゃん」
再び啓太の声量が大きくなりそうな兆しを察した俺は人差し指を口元で立てた。啓太は首を傾げた。どうも自身の声の大きさに自覚がないのだろう。
「そうか、目つきはきつかったけど、そんな風に見えなかったけどな」
「お前は女を見る目がないんだな」
同類の啓太は何故かいつも女を知っているかのような喋りをする。彼には二つ歳上の姉がいた。姉弟というのに似ておらず、姉は真っ当な女といった感じだった。啓太のする女の話はソースはほぼ姉である。
武藤の話題はすぐに流れた。二人にまったく関係のない女の話でそう長く話すことなんてなかったからだ。話題は再びアニメに戻っていた。そんな接点のない彼女との物語が始まるのは、それから数週間後のことである。
月曜日、その日俺は二度目の当番が回ってきたことに憂鬱を感じていた。啓太の無神経さに憂いた訳じゃない、彼のあの無神経には既に慣れていた。やはりクラスの友人と一週間離れるのが、どうにも愉快ではなかった。当番の次の週に彼らと会話をすると、何とも言えない違和感を覚えた。たった一週間で仲間内のネタが増えていた。新しいあだ名、理解の出来ない謎の動作、面白おかしな失言、そのどれもが何の事だか分からないが、先週の出来事なのだとは察しがついた。後から詳しい逸話を聞かせて貰ったが、周りに合わせて笑う時どうしようもない疎外感を覚えた。リアルタイムで共有できなかった思い出があることが歯痒かった。
オットセイ
オットセイは頭上を見上げていた。高く高く反り立っていた。優しく頭部を撫でると、元気に跳ねた。喜んでいるのだろう。オットセイの主食は貝だ。今目の前に大好物のアワビがある。アワビはクパクパと動き、美味しそうな汁を吐き出している。オットセイはさらに元気よく跳ねまわり、そのアワビに飛びついた。
「いや、駄目。生は駄目よ」
アワビは善がりながら、勢いよく汁を吹き溢した。オットセイは無言で貪った。狂ったように貪った。アワビは艶のある吐息を漏らした。
「うええ、気持ち悪ぃ」
俺はその小説を読みながら吐き気を催した。
2050年、表現の自由は厳しく制限されていた。性表現は国民の風紀紊乱を乱すという理由から特に厳しく制限された。AVはもちろんのこと、ドラマや映画からはベッドシーン、キスシーンが消えた。男女の抱擁すら許されなかった。そういった規制は映像作品から漫画、ついに小説にまで及んだ。ポルノ作家の大半は筆を折り、業界から去っていった。
そんな中、俺はポルノ作家を続けていた。早い段階で動物の交尾を描いた作品でヒットを飛ばし、何とか業界に残ることに成功したのだ。しかし規制はさらに厳しくなり、動物の交尾すら規制の対象になってしまった。
「さすがです、先生。これなら規制の対象にならず出版できます」
原稿を読み終わると、出版社の戸田義樹は目を輝かせながら言った。オットセイがアワビを食べている、ただそれだけの描写だ。これは問題ないはずだ。
「まったく苦労したよ。しかし、こんな作品で興奮する読者がいるのかね」
戸田は不意を突かれたような顔をした。
「何弱気になってるんですか。先生の作品はこれまでどれも素晴らしい出来でした。この前の『靴と足』もヒットしてるんですよ。売上げは上々です」
俺は頭を掻いた。そう言えばここ三日くらい風呂に入ってないな。
「しかし、もう限界だ。次が最後の作品になるかもしれん」
「そんなあ」
幼児が駄々を捏ねるような声だった。戸田はもう十年以上俺の担当だが、こいつは何で顔がこんなに幼いんだろうな。新人の時から顔が変ってないんじゃないか。俺は咳き込んでから口を開いた。
「俺も59だ。金もそれなりに稼いだ」
正直もう少し稼ぎたい。
「そこで相談なんだが、引退作はポルノではなく、純愛物を書きたいんだ」
戸田は目を丸くした。それはそうだろう今まで淫乱淫靡で低俗な作品を世に出し続けてきた俺が最後に書きたい作品が純愛だ、なんて言ったら頭がおかしくなったと思われてもしょうがない。
「純愛って、そんな。先生、失礼ですが純愛って何か分かってますか」
「阿保じゃないから分かっとるよ」
俺は戸田の頭を軽く小突いた。戸田は手を拱きながら何かを考えているようだった。
「わ、私は止めませんが編集長が何って言うか。それに純愛作品と言ったら、男女が手を繋いでも駄目なんですよ。先生はそんな作品が遺作になって大丈夫なんですか」
「大丈夫だ。というか、もう作品は書き出しているんだ」
俺は抽斗に仕舞っておいた原稿を取り出した。冒頭の部分だけを印刷しておいたのだ。戸田はそれを恭しく受け取ると、目を通し始めた。
「話は自身の体験を基にしてある」
戸田はそんな言葉に耳を貸さず、黙々と読み続けた。俺は何だか嬉しくなった。しばらくすると彼は顔を上げた。朝、洗顔を終えたようなサッパリした表情をしていた。
「面白いじゃないですか。私から編集長に掛け合ってみます」
「そうか、そんなに楽しんで読んでくれると作家冥利に尽きる。それじゃあ、戸田くん。最後にいつものを頼むよ」
俺はオットセイを彼のイシワケイソギンチャクに突っ込んだ。




