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腋フェチ

腋フェチ (お題 腋、呪い、樹液)


 日差しは強く、湿った空気が漂っていた。立っているだけで額に汗が滲む。もう何度も経験したであろうこの季節に自身はいつ慣れるのだろうか。目的の電車がホームに停車した。ドアが開くと心地よい冷えた空気が頬に触れた。車内はまばらに人が座っている程度だった。早朝の喧騒とした混雑とは大違いだ。

数駅も進むと、車内は次第に人が増えてきた。座る席もなくなり、吊り革に掴まっている姿も見られるようになった。一人の女が私の前に立った。薄着の女だ。気づかれないように一瞥した。男が女の身体に興味を持つのはごく自然なことだが、自身は身体の一部にだけ興味があった。異常なまで関心があった。

 しばらく間を置いてからもう一度女を一瞥した。スマホを注視している女は私の妙な視線に気づいてはいないようだった。袖のないブラウスから伸びる細く白い腕。吊り革にぶら下がる蛇のようにしなやかなそれに魅力を感じる者も多いだろう。私は違った。女に気づかれぬように恐る恐る凝視した。目立った黒ずみはなく、荒れた感じもない、手入れの具合は御の字である。はっきりとした皺は三本。綺麗な三角の窪み、一筋は二の腕に向かって伸び、もう一筋は胸に向かって伸びる。何度見ても飽きない。なぜ腋にここまで惹きつけられるのであろうか。見知らぬ女の腋が私に遠い過去の思い出を呼び起こしてくれた。この嗜好に冒されたのは高校生の時である。


「昨日セックスしたわ」

 ニヤついた顔で敏夫は言った。私は相槌を打って無難な言葉を返した。言い表しようのない敗北感を覚えていた。友人がどこか遠くに行ってしまったように感じ、妙に大人に見えてしまった。

「あー、またやりてーわ。今度いつ出来るんだろう」

 節操のない発言に通りすがりのおじさんが厳しい視線を向けた。

「おい、そんな事言うな」

「何でだよ。彼女とまたセックスしたいってのが何がいけないんだ」

友人である敏夫を嫌悪した。それは嫉妬の入り混じったものだったかもしれない。

 それから会話がないまま敏夫とは別れた。私は悶々としていた。彼の彼女は富和子と言った。物静かで凛とした女だった。自身の嗜好にそぐわない容姿だったが、美人だった。富和子のあられもない姿を想像していた。身体、表情、言動、あまり知りもしない女の痴情の姿が頭に浮かんだ。それはポルノから得られた体験を彼女に組み合わせただけだった。モンタージュのように断片的に映像が流れた。一人の女を好きに出来た敏夫がとても羨ましく思えてきた。その日家に帰るなり私は手淫した。

 数週間後、敏夫は富和子を含めて三人で街に遊びに行こうと誘って来た。女に会うのは二度目だった。再び会う富和子は長い髪をばっさりと切っていた。青のワンピース。清涼剤のように爽やかな出で立ちだった。

「どこに行こうか」

「そうだな。特に決まってないからブラブラするか」

「ブラブラ、うーん、そうしようか」

 富和子の何気ない仕草から退屈していることを読み取った。私は人の機微に敏感だった。

「登山具でも見に行かないか」

 二人はきょとんとした顔をした。

「登山具、山登るのが趣味なの」

「べ、別に趣味じゃないけど、最近興味があるんだ。そういうの」

 月一で父と登山に行くほどであった。彼女と急に目が合ったため思わずどうでもいい嘘を吐いてしまった。

「登山具なんて見たってつまらないだろ」

「え、面白そうだから見に行こうよ」

 優越感を覚えた。自身の提案に彼女だけが乗ってくれたのだ。早速三人で行きつけの登山具店に向かった。小さい雑居ビルの一階だった。

 店に入ると二人は手を繋ぎながらザックを見始めた。キャンプ用の雑貨を物色しながら、その姿を遠くから眺めていると、私の先ほど覚えた小さな優越感が惨めさに変った。恋人と知人では大きな差異があるのだ。当然である。

「これ何に使うの。分かる」

 しばらくすると富和子が私の隣に並んでいた。彼女が指差していたのは小型のグリル台だった。

「これはグリル台だよ。こうセットしてから、ここに炭を入れるんだ」

 慣れた手つきで組み立てた。女慣れしていなかったが趣味の話であれば自然と話すことが出来た。

「凄い、キャンプとか行くの」

「たまに父親と行くんだよ」

「羨ましいな。行ったことないんだよね。やっぱりバーベキューとかするの」

「するよ」

「今度連れてってよ」

 ザック売り場に居た敏夫がいつの間にか近くに来ていた。不快な顔をしていた。「父に訊いてみる」と私は咄嗟に答えを濁した。

 それから店を出て三人で街を散策した。無計画に意味もなく歩き回るのは徘徊に近かった。やがて日が暮れ始めて帰路に着くことにした。途中の交差点で敏夫と別れ、私と富和子は二人で歩き出した。意外にも家が同じ方向だった。友人の恋人だという意識が不自然なほど大きく間を取らせた。

「と、敏夫は良い奴だろ」

「うん、良い人だよ」

 それだけ話すと沈黙が続いた。話題を捻りだそうと頭を働かせた。ふと陽に染まった彼女の顔が恥じらいに頬を染めているように見えた。ゼラチン質のような唇に目が留まり、卑しい欲求を掻き立てた。例の妄想が頭に浮かんだ。

「俺の部屋に寄っていかないか」

 突然の誘いに彼女の目が警戒の色に変わった。

「あ、キャンプ用具に興味ありそうだったから、家に一杯あるんだよ。そういうの」

すぐに失態を誤魔化した。警戒は薄れたが、困った表情をし始めた。

「ふーん、でもこんな時間だと迷惑じゃないの」

「大丈夫だよ。見に来て欲しいんだ」

 押せばいけると私の勘が教えてくれた。彼女は仕方がないと言わんばかりの顔で同じた。どこか作り物っぽい表情だった。


「頼むセックスさせてくれ」

 部屋に連れ込んでから、しばらくすると私は意を決してそう申し込んだ。歪んだ感情があった。友人の女を奪えば彼と開いた距離を埋めることが出来るだろう。あの小さな優越感よりもっと大きな優越感を感じることが出来るだろう。それらの変質な考えが性欲より勝っていた。

「友達の彼女に手を出すんだ」

 軽蔑の言葉が返ってきた。当てが外れたと思った。

「謝らなくて良いよ。ただ秘密にしてあげるから、私の秘密を知って欲しいの」

 平謝りしようとした私に彼女が掛けた言葉は意外なものだった。下げていた頭をゆっくり上げて富和子を見た。含みのある笑顔を向けていた。

「敏夫には嫌われたくないから黙ってるけど、私ね。腋を舐められるのが好きなの」

「わ、腋を」

「ええ、あそこを舐められるより、とても、とても興奮するの」

 富和子は変った性的嗜好の持ち主だった。後から彼女は腋以外では感じないことまで教えてくれた。

「付き合ってる人以外には身体は許したくない。だけど腋を舐めるだけなら」

 私はベッドに押し倒して、細い腕を掴み上げた。まったく意識をしなかった腋がとても淫靡な物に感じた。喰い入るように見つめていると、赤らめた表情で富和子が「舐めて」と呟いた。理性が飛んだ。獣のように一心不乱に舐めた。汗が甘美な樹液のように感じた。荒い息が耳に掛かった。

 富和子の腋を舐めるのが習慣になった。彼女は私の秘密を守ったし、私も彼女の秘密を守った。敏夫の体験話を余裕を持って聴けるようになった。彼女の性感を知っているのは私だけなのだ。そうして気がつけば腋フェチになっていた。女の腋でしか興奮出来なくなった。フェティシズムとは猥褻な呪いのようなものである。

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