第十六話 嘘は悪じゃない
「……本日の、贄をお持ちしました」
古風な神殿。未だに蝋燭を使っているのに、酸欠にならない不思議な造り。街長は長年見てきた光景であり、僕は初めて見る光景。
「街長ァ、遅いじゃないか。また遅刻するとは、ペナルティを与えるしかないな」
けむくじゃらで人とは異なる爪を持った手が、おもむろに挙げられた。
「お前の右腕。これで手を打ってやる」
「あ……その」
僕は這いつくばったまま、街長様を見上げた。真っ青で、僕に繋がった縄を持つ手が震えている。僕は小刀で縄を切り始めた。
「それに、この大人しすぎる贄が子どもとはどういうことだ! 騒ぎ立てない贄など気味が悪い! さては街長、何か仕込ん——」
縄が解けた。ウトウからもらったホイッスルを咥え、思い切り息を吹き込んだ。
「なぁっ……!」
耳がおかしくなったまま立ち上がる。同時に、合図を聴いた仲間が背後になだれ込んだ。
「街長! なにを……!」
ボスのクマが街長から始末しようと走り出した。同時に僕も走り出す。振り返ってアマモと目を合わせる。
「行くぞ、薫!」
「アマモ、頼んだ!」
『梅散って 花弁舞い散る雪の空』
周囲が凍りついたように静止した。いや、動いている。ひどくゆっくりなだけだ。
僕とアマモだけが、この空間を駆けていた。ボスが目的地まで半分ほど進んだのに対し、僕はボスの前に立ち、胸にまっすぐ銃を差し向けた。飛んでいく銃弾さえも、今の僕の目にはスローに映った。
ボスがこれまたスローに倒れていく。しかし、息をつく暇はない。クマはあと四頭、そのうちの一頭が、倒れ行くボスの横をすり抜けていく。街長に牙を剥いた。街長はなす術もなくなさけない声をあげる。
僕は身を翻してクマの頭を狙った。しかし身長が足りない。三歩助走をつけて、アマモの足に掴まって、一気にクマに近づいた。右手を伸ばすと、かなり近かったようで、クマの眉間に銃を押し当てていた。これ幸いと二、三回引き金を引くと、二足で立ったクマは小刻みに頭を揺らし、やがて倒れていった。残り三頭。アマモが苦しげに声を上げる。
「かおるぅ……重いから、解除しそうだ」
僕が着地したと同時に、取り巻く時間の流れが戻ったのを感じた。僕が撃った二頭目のクマと反対側からもクマが二頭、僕の後ろで攻防戦を繰り広げていたようだ。そのクマたちは幸運なことに骨を持っていたようで、何撃かはそれで防げたらしかった。しかしそれも四人からの攻撃には意味をなさず、倒れていった。
「ねえキバシリ! いつ名前をもらったの? それは精霊の力としか思えない……!」
残されたクマは一頭。子グマだ。こちらに向かうクマを警戒しながら、僕は答えた。
「その話はあとにしよう。残ったこいつ、僕がやろうか」
アマモに目配せしようとしたが、後ろから思い切り腕を引かれた。弾かれたように振り返ると、オオルリ姉さんがいる。
「その子、まだ子どもだよ? ……親から人の肉を貰ったってだけで、何で殺そうとするの」
僕には、言っている意味がわからなかった。
「こいつが体が小さい大人って可能性もあるよ。それに、……っ!」
今回銃を渡されなかったヤイロとノスリは、へたり込んでしまった街長様を非難させていた。想像以上に重かったらしく、苦戦している。
そこに子グマは順調に近づいていた。ウトウたちは僕とオオルリが何とかすると思ったらしく、既に倒れた大人のクマが死んでいるか確認している。この状況に気付いたのは、僕だけだった。
「アマモ! 頼む、発動してくれ!」
目を合わせる暇もない。やや強引だが、肩にいるアマモを空いた手で掴んだ。驚いたのかとんでもない声を上げたが、かかずらっている暇などない。減速し始めた時間の中で姉さんの手を振りほどき、駆け出した。子グマはもうヤイロの目と鼻の先だ。間に合わない。無事でいてくれ——。
子グマの振り上げた腕が、ゆっくりとヤイロの顔に向かうのを、見ていることしかできなかった。
僕はクマが腕を振り切る前に何とか接近し、クマの側頭部に銃口を押し当て、弾がなくなるまで何度も引き金を引いた。アマモの能力を解除されて我に返った時には、返り血と、少し腕を裂かれた傷でどろどろになっていた。
ヤイロは、目の辺りを押さえてうずくまっていた。姉さんの方を見ると、青ざめた顔で「ひっ」とか細く声を出し、姉さんは二、三歩あとずさった。
「ご……ごめ、なさい……。わ、わたしが、キバシリを留めたから……」
「姉さん」
空っぽの銃は、ポケットにしまった。きっと僕は、冷ややかな目をしているんだろうなとどうでもいい推測をした。
「子グマでもクマなんだ。侮れる相手じゃない。それよりヤイロが、顔をやられちゃったから、早く見てあげて。早く」
自分にこんな声が出せたことが驚きだ。温度のない、冷たい声。自分じゃない、誰かみたいだ。
「きば、しり……ゆるして」
姉さんのか細い声に苛立った。普段、怒ることのない僕が。姉さんも姉さんじゃないみたいだ、こんな頼りなくて、なさけない人じゃなかったのに。
「早く! ヤイロの手当てをして!」
ウトウとカナリアたちが、驚いて僕を見たのがわかった。でも僕は気にならなかった。
「早く!!」
本当に、どうしちゃったんだろう。まだ僕の周りはスロー何だろうか? のろのろとヤイロに向かいだした姉さんを一瞥し、僕は神殿を出た。
「……まちおさ」
一週間ぶりの会議室で、あの時とは打って変わって震えている街長を見つけ、呼び捨てた。僕が子グマを始末している間に、ノスリと共に何とか逃げたらしい。
街長は僕を見るなり「……ひっ」と小さく悲鳴をあげた。オオルリ姉さんといい、街長といい、僕がおかしいとでも言うのだろうか。そう思うと、今までのことを思い出して一気に腹が立った。
「子どもたちを追い出しておいて、助けに来てくれるとか馬鹿の考えなんだ! 皆を騙すことが悪いことなんじゃない、嘘は悪じゃない。けどあんたは子どもを危険に晒して、結局自分の保身に走ってるじゃないか! 子どもを心配するくらいなら、自分でクマを倒したらいいんだ!」
僕は街長の前に立った。権力を持ち、知識と才能に溢れているはずの人間は、みっともなく震えていて、滑稽すぎて笑いそうだった。
僕は、思い切り街長をひっぱたいた。




