終わりの始まり
夫が愛人を作った。事後報告だ。
――安らぎが必要だと。国王という重責を担い、日々疲れていると。
それならば、わたくしは?
生まれついての王族ではない。あなたの妻に選ばれたから、王族の一員になった。
自由を制限され、高位貴族のマナーでは足りないと叱責された。相手があなたでなければ、必要ない苦労だ。
王妃は重責を担っていないと? 日々疲れることはないと?
あなたは立派に国王を務めている。
けれど、見落としはある。独善的に進めて作った敵を宥める苦労は……あなたが気付かないところで支えているのはわたくしよ。
あなたの矜持を傷つけないように、黙っていたのがいけなかったと言うの? 恩着せがましい、品がない――そう考えて、ひたすらあなたを立ててきたのに。
わたくしの中で、何かにひびが入った。
夫が執務室の近くに、愛人の部屋を作ったらしい。
そんな部屋は、ない。そのために、誰かの部屋を取り上げたはずだ。
被害者は、宰相の補佐官たちだった。宰相の部屋に移ればいいだろうと、部屋を明け渡すよう命令したのだ。なんと愚かな。ひどすぎる。
全ての情報が集まり、数多の人々が相談に訪れる宰相府。ある程度解放的にして情報収集をする補佐官と、秘匿性の高い宰相の業務を同じ部屋で行うなど正気とは思えない。
――もう、駄目だ。夫としても国王としても、この男は駄目だ。
王妃には、哀しみに浸っている時間などなかった。執務机の上で拳を握りしめ、覚悟を決める。女官長は、全力でわたくしを支えてくれるという。
よろしい。ならば、この瞬間から、あの男を敵と仮定して行動する。
「愛人を政務棟に引き入れたときから、すでに敵です」
女官長は不敵な笑みを浮かべた。
「あら、あなたの方がわたくしより決断が早いなんて。王妃として、負けていられないわね」
そんな軽口を叩きながら、目が潤むのを止められなかった。
踏みにじられて悔しい。受け手がいなくなった愛情が虚しい。夫婦の情を育むための努力が――なんて滑稽なの。
そして、裏切られるなんてと慟哭している少女時代のわたくし……。
きつく目を瞑り、一呼吸してから目を見開く。
心に刻め。感傷に浸っている暇はない。
宰相に声をかけて、補佐官たちをわたくしの女官たちの部屋に呼び寄せた。手狭にはなるが、居場所がないよりはマシだろう。
補佐官たちは宰相の執務室と半々に分かれて、仕事机を確保した。棲み分けは、外交官が来る可能性のある仕事は二階へ、国内向けの仕事は三階へ。
宰相の執務机を中央の窓際から横に移動して、補佐官たちの机との間に大きな衝立を立てた。
国宝の、中興の祖の功績を描いた作品だ。愚王を退け、国土を回復した征服王。
宰相が苦笑いをした。
「あまりに露骨な当てこすりではないですか?」
「あの人が文句を言ってきたら、わたくしが選んだと答えていいわ。この意味さえ理解できなかったら、末期ね」
各国選りすぐりの外交官なら、この意味に気付くだろう。
愚王と息子は違う、息子には国を正す気概があるぞと。
後日、夫は「勇猛な中興の祖の話には励まされるな」と呑気に言い、愛人は「もっと優美な衝立の方が良いと思う」と的外れなことを言ったそうだ。
敵が愚かすぎる。楽に勝てるという喜びよりも、こんな人たちに容易に踏みにじられる己が惨めだった。




