晶の場合
親から頼まれていた用事を済ませた晶は、ちらりと腕時計を見てから上着を羽織って玄関の引き戸を開ける。
「行ってきまーす」
ジーパンにパーカー、歩きやすいようにスニーカーを履いて、待ち合わせ場所となっている自分の家の外門へと歩を進めていく。
現在は夕方、黄昏時。
何気なく見上げた空はちょうど日の入り間近のようで、茜色から紺へとグラデーションに染まっていた。
夏の空はあんなに明るかったのに、これからは夜が来るのがどんどん早くなるのだなあととりとめもなく思う。
美里音あたりだったら冬は寂しいというだろうか。
案外、この時期は秋の様々な誘惑のことで頭がいっぱいかもしれない。
律夏は淡々と受け止めるか……いや、この時間はきっとそんなことよりも腹を空かせているだろう。
晶は悲観的になりようがない幼馴染たちの性格を考えて、思わず笑みを零した。
門を内側から開けて左右を確認すると、律夏がすでに待機していた。
私服に学校指定のジャージの上着を重ね着して壁に寄りかかり、携帯を片手に空を見上げている。
「待たせた、律。美里音は?」
「まだ来てない」
こちらを見て、ついで携帯で時刻を確認した律夏が「まあ、まだ三分前だしな」と呟いた。
その整った横顔を見ていると、幼いころから自己主張が少なく、一歩引いたところから周囲を眺めているきらいがあった律夏を、晶や美里音がなにかと口実を作っては遊びに誘っていた過去を思い出す。
正確に言えばきちんと誘っていたのは主に美里音で、晶は二人を勝手に巻き込んでしまっていたと言ってもいいかもしれないが。
「とりあえず、暗くなってきているから念のため、私のほうで懐中電灯と軍手は用意したぞ」
「ふむ、携帯と菓子ならある」
「律は部活、早退して大丈夫だったか?」
「ああ。今日は主にグラウンドの整備だったから」
昨日降られた雨のせいでぬかるんだのか、と考えて、晶は自身に起こった昨日の出来事をもう一度思い返す。
傘を差す手間を惜しんで走らせた自転車の前に黒い生き物が飛び出してきたので、慌ててハンドルを切り停止。
安堵の溜息をつき、顔を上げると見覚えのない小道にいて、その一本道の先には人影が――あれ?
なぜ電灯もない暗い小道で、その人影が見えたんだ?
「二人ともお待たせー!」
「!」
タタタと小走りで駆け寄ってきた美里音の声に、晶は現実へと引き戻された。
腕時計を見て、十七時ちょうど。
上は重ね着のオシャレに見える服の割に、夕方に歩くことを意識したジーンズとスニーカーは、いざというときに汚れてもいいものとして着用しているのだろう。
そういうところも可愛いな、と無意識に思う晶は、二人の幼馴染を大切に思う気持ちをそっと抱え直した。
「携帯と食料と、懐中電灯、軍手ね。あたしはお昼のメモ帳とペンを持ってきたよ」
「カメラが必要なら携帯でなんとかなる」
「そうね! 夕食に間に合うようにささっと見て情報をゲットしてこよう!」
「よし。じゃあ行くぞー」
持ち物を確認し終わった美里音と律夏を連れて、晶はまず敷地内の倉庫へ向かうことにする。
道中、時折聞こえるカラスの声を背景に、昼の続きでまだ気になることがあると美里音が切り出した。
「結局、急に予言を厳かに投げかけられたのはわかったけど、そこからどうしてラッキーカラーの話になったの?」
あのあとか、と回想して晶は答える。
「さすがに話しかけられて無視するわけにもいかないだろう。立ち止まってじっとフードのあたりを眺めたんだ。 やけに小柄だなーとか思ってたら、『お嬢さん、明日のラッキーカラーは白だよ』って」
「唐突だな」
「勝手に占われてるし」
美里音は「話の脈絡どこいった」と言って笑いをかみ殺している。
「制服のシャツや靴下が白だからどうせ毎日着てるんだが。まあ、だから今日はハンカチも白にしておいた」
「うわー、肌触りよさそう」
ぴらっとポケットから取り出したハンカチは、夕日のせいで橙がかった色に染まって見えた。
だんだん近づく倉庫を前にして、律夏がぽつりと呟く。
「それにしてもよく戻ってこれたな」
「そうだよね。だって異空間に迷い込んだようなものでしょ?」
オカルト方面にも詳しい美里音が付け加えるように言う。
晶自身もそれを指摘されると不思議なのだが、と首を傾げざるをえない。
「はあそうですか、って適当に相槌を打って、さっさとその場を離れようと思って路地を抜けたら元の道にいたんだ」
「ええ?」
「は? と思って振り返っても、もうどこにもその小道は見当たらなかった」
「ひえ」
「今になって思うんだが。電灯もほどんどないような、あれだけ暗かった雨の夜道で、なぜあの人影がはっきり見えたのか。それに、勝手におばあさんだと思っていたが、実際フードの中は見えなかったし……あれは本当に人だったのかどうか」
倉庫前、立ち止まり少し考え込むようにそこまで口に出した晶がふと顔を上げると、そこには顔色の悪い美里音と眉間にしわを寄せた律夏がおり。
晶は再び首を傾げた。
「二人ともどうしたんだ? 着いたぞ、ここが倉庫だ」
「……晶ってほんと肝が据わってるよね」
「揺るがないな」
「頼もしいというか、神経が太いというか」
「美里音も律もそれ褒めてるんだよな?」
本人は平然としているが、周りが怖がるホラーな展開を引き寄せがちな晶であった。
***
ギィときしむ音を立てて倉庫の扉を開ける。
中央に一つしかない豆電球をつけて、少し頼りない明かりのもと見渡すと、中には大小さまざまなものが積まれているのがわかる。
晶は対象の書物を手に取り、事前に奥から引っ張り出しておいた机の上に乗せた。
「はいこれ。小学生の従兄弟に付き合って、敷地内でかくれんぼや鬼ごっこをしていたときに見つけたんだ」
「わー、巻物だ……!」
「中はもう読んだのか?」
「詳しくはまだ。開けばわかるが、気になる文章は割とすぐ出てくるぞ」
なにせ、これは従兄弟の一人がよろけて棚にぶつかり上から落ちてきた巻物のひとつで、晶もそれを拾った際に開いた中身をさらっと見ただけだ。
美里音が慎重に巻物の紐をほどき、ぱらりとめくり広げていく。
くずし字のように流れる文字で縦に書かれた文章の間に、ところどころ何やら絵のようなものが描かれている。
読めるところもあれば読めないところもあるが、晶は一度すでに見ているので該当箇所を見つけて指を差した。
「ほらここ。『龍』『鳥』『鬼』『霊』……他にもいくつかあるが、ひときわ目立つように書いてあるだろう」
美里音と律夏も懐中電灯を当てつつ覗き込むと、読みにくいが確かに絵とともに七つの文字が箇条書きしてある。
「確かに。七つのうち、この三つは予言に出てきてるね」
「だろう? この先を読めば、この七つの言葉について具体的な説明が書いてあるのかもしれない」
「一考の余地ありだな」
三人は顔を突き合わせて頷いた。
「じゃあ、あたしが読み込んでもいい? 今日はいったん保留で、明るいところで調査したい!」
「ああ、いいぞ。美里音はまとめるのが得意だもんな」
「それを言ったら晶は記憶力あるから羨ましいよー」
「わかる」
「ははっ、そのおかげでこの巻物のことを思い出せたんだから、使えるものはどんどん使わないとな」
晶は閉じた巻物を美里音に渡した。
腕時計を見ると十七時半を指していたので、祠の確認に行っても夕食までには間に合うな、と判断し二人を裏山のふもとまで案内する。
「さて、次はこの祠だな」
「ああ」
「いつ見ても古めかしいね」
大きい石を重ねた土台の上に、切妻屋根が特徴的な木製の社殿。
ちょうど律夏の背丈ほどの高さの祠は、風雨に晒され年月を重ねたであろう古い見た目で、ずいぶん昔からここに建っていることを示していた。
祖父に尋ねてみたところ、主にこの裏山の山林が崩れないよう祈る目的で作られたらしい。
「じいちゃんによると、この観音開きの戸の内側に祀られているのは、仏像や地蔵じゃなくて宝珠なんだそうだ」
「宝珠?」
律夏にはピンと来なかったようでさっそく携帯で検索している。
わからないことがあったら即解決したいという律夏らしい行動である。
祠に懐中電灯を当ててうろうろと観察している美里音が会話を続ける。
「あたし知ってる。龍が持ってるとされる玉のこと?」
「ああ、七つ集めると願いが叶うという」
「その話の元ネタってやつだな。ひとつでも十分効果があって、病気を治したり災いから守ってくれたりするらしい」
そう言いながら祠の側面を観察し始めた晶に続いて、向かいの側面に懐中電灯を当てた律夏が声を上げた。
「おい、ここ何か書いてないか」
「あ、ほんとだ。白い字で何か書いてあるよ」
律夏は美里音に向けて文字のありかを示すため指を祠の側面に置いており、「かすれて読めないね」と呟いた美里音ももっと近くで確認しようと文字に触れてみている。
晶のほうもよくよく見てみると、確かに白い文字の羅列が薄らと残っていることに気付いた。
何が書いてあるのか、先ほどのくずし字より曖昧で読めない文字列に違和感を感じて、文字に指で触れてしまった――次の瞬間。
突然ザアッと目の前の白い文字に光が宿り、三人は驚きで目を見開いた。
「!?」
「なんだ!?」
突如巻き起こる風にざわざわと周囲の木々が揺れる中、白く光る文字列が蛇のように動き出し、祠を中心として地面へと這うように急速に円形の何かを描いていく。
「これ、もしかして魔法陣……!?」
あわてて互いに手を伸ばそうとしたが、もう遅い。
辛うじて絞り出したような声で、美里音が呟いた声に反応する間もなく、三人はもれなく大きな魔法陣らしきものの内側に捕らわれてしまい、視界がまばゆく染まる。
「くぅっ……!」
「きゃあ!」
「晶、美里音!」
美里音の、律夏の叫ぶ声が遠くなっていく。
――この際、何度でも言おう。
晶はなぜか、昔からことあるごとに事件やハプニングに遭遇する性質であった。
自身はポジティブシンキングを根底に、潔白に清廉に生きていると自負しているのに、なぜかトラブルのほうから大手を振ってやってくるのである。
もちろん、こうやって半分自分から突っ込んだ首が抜けなくなることもあるが、とにかくイベントには事欠かない。
「もしかして、前世に何かやらかしたとか?」という若干訝しげな美里音の声を、聞いた、のは、いつのことだったか――。
眩しすぎて目も開けられないほどの真っ白な視界の中、足元の感覚がなくなり、最後にぐわん、と脳が揺れた気がして――そこで晶の意識はふつりと途切れた。




