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凛之助 ①

…よし。

これで準備は万端じゃ。


木目調の大きなテーブルの上には、すみと薄く水の張ったすずりに、立派な細い筆。

それらを置いてあるスペース以外は、七夕のときに願い事を書く短冊のような大きさの白い紙片が、ところせましと並べられて…いる。

…それらを前にして、座布団の上に正座をした神主服姿の雨宮 凛の祖父…雨宮 凛之助は、自分の目の前に置いてあった墨をそっと手に取ると、薄く水の張った硯の中でそれをゆっくりと動かし始める。


“スッー…スッー…”


墨を前後に動かす度に、年代物の灯りとり用の灯りが静かに揺れ動き…畳敷きに障子戸、床の間の中には、 “結界命” …と、太く力強い筆圧で書かれた立派な掛け軸が掛かっている純和風のそんな部屋の様子が…ゆらりゆらりと浮かび上がってくるのが、分かる…。


“スッー…スッー…”


凛之助は墨をりながら…思う。


“スッー…スッー…”


凛が言葉を失ったあの事件から、既にもう十年…。


“スッー…スッー…”


…凛の身体も心も、もう限界じゃ。


“スッー…スッー…”


この十年の間…色々な文献・書物をあさってみたが。


“スッー…スッー…”


人封の札の術によって、その身体の中に封じ込められた悪鬼と、封じ込んでいる凛の身体そのものを分離させる…という方法が、どうしても見つからん…。


“スッー…スッー…”


…そもそも、こうなってしまったこと。


“スッー…スッー…”


元を正せば、すべてわしの責任じゃ…。


“スッー…スッー…”


どうして…どうしてわしは、蔵の鍵が置いてあった場所を、凛に教えてしもうたのじゃろうか…。


“スッー…スッー…”


…決して、蔵に入ってはならぬ!

あそこには恐ろしいモノがたくさんおるでのぅ…。


“スッー…スッー…”


良いか、凛!

決して蔵に、入ってはならぬぞ!!


“スッー…スッー…”


そう…キツく、何度も繰り返し言っておったことで…わし自身、安心しきっておったのやもしれぬ…。


“スッー…スッー…”


…分かって、おる。


“スッー…スッー…”


…どのみち、今更悔やんだところで、すべては後の祭りじゃ…。


“スッー…スッー…”


凛之助はここで一旦、硯の中で擦っていた墨の動きを止めると。

古びたタンスの上に飾ってある…小さな写真立てにそっと目を向ける。

…写真立ての中では、神主服姿の凛之助と巫女服姿の妻のヨネ…そして、やはり同じように神職服姿にそれぞれ身を包んだ娘夫婦と、幼い凛の姿がそこに…笑顔で、写って…いる。


…。


凛之助はその写真立てをどこか切なそうに数秒間見つめてから…硯に目を落とすと、再びその中で墨をゆっくりと前後に動かし始めた…。

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