7-3 祭りはだいたい事故る
湯けむり常春祭りは、始まった瞬間から成功していた。
少なくとも、見た目は。
雪の中に浮かぶ常春の町。透明な結界の外側を滑っていく雪。その下で立ち上る湯気。提灯の灯り。魔力花。湯めぐり札を首から下げた客たち。
誰もが空を見上げ、湯気を見て、結界ロードに驚いていた。
八百万亭の前には列ができ、丸福堂の蒸し器からは甘い匂いが流れている。土産物屋の絵葉書も、神社の湯守印も、思った以上に客の目を引いていた。
コハルは通りの中央で声を張った。
「湯めぐり札をお持ちのお客様は、八百万亭、花見屋、山ノ湯の三か所をご利用いただけます! 足湯は丸福堂さん前、温泉饅頭の食べ比べは――」
そこで、丸福堂の方から声が上がった。
「コハルちゃん!」
老婆の声だった。
丸福堂の蒸し器から、湯気が盛大に上がっている。
盛大すぎた。
蓋が内側から押されるように揺れている。中の饅頭が、予定より膨らんでいるらしい。甘い匂いも強い。強すぎる。
「生地が発酵しすぎてるよ!」
「えっ」
コハルが固まる。
アルトはすぐに原因を見た。
常春ドームの温度が、露店周辺にも安定して入っている。丸福堂の蒸し器は、もともと寒い外気を前提に火加減をしていた。そこへ急に暖かい環境が来たため、生地の発酵が進みすぎたのだ。
「温度だな」
「アルトさん!」
「わかっている」
アルトは丸福堂の露店だけ、周囲の温度を少し下げた。
蒸し器の熱は保ちつつ、外側の空気を冷やす。発酵を止めすぎず、暴走だけ抑える。
蓋の震えが収まった。
老婆は蒸し器を開ける。
中から、いつもより少し大きく膨らんだ温泉饅頭が出てきた。
形はやや丸すぎる。
だが、悪くない。
子供が声を上げた。
「でかい!」
冒険者の一人が笑う。
「祭り饅頭だ!」
コハルの耳が立った。
「ただいま限定、常春ふくらみ饅頭が蒸し上がりました! 数に限りがあります!」
老婆が目を剥く。
「勝手に名をつけるんじゃないよ!」
「売れます!」
「売るけどね!」
列ができた。
アルトは小さく息を吐いた。
ひとつ目の事故は、商品になった。
次に問題が起きたのは、湯めぐり用の試験風呂だった。
「湯がぬるいぞ!」
竜人族の客が、腕を組んで立っていた。人間向けの湯では物足りないらしい。
その横では、エルフの女性客がサウナの前で顔を赤くしている。
「熱すぎます。森の夏より過酷です」
さらに水風呂の前では、ドワーフの客が言った。
「浅い。これでは膝しか冷えん」
グランが眉間を押さえた。
「言っただろうが。種族で全部違うと」
「聞いてました!」
コハルは言った。
「でも想像より違いました!」
「想像で風呂を作るな!」
アルトは、三か所へ同時に結界を飛ばした。
竜人族向けの湯には高温層を作る。
エルフ向けのサウナは湿度を下げる。
ドワーフ向けの水風呂には、浅くても身体が冷えるよう水流を入れる。
場当たり的だった。
だが、効いた。
竜人族の男が湯に手を入れる。
「おお。これなら温いとは言わん」
エルフの女性はサウナに入り直し、ほっと息を吐いた。
「これなら、森の昼寝前くらいです」
基準がわからない。
ドワーフ客は水風呂に腰を下ろし、しばらく黙った。
「……浅いが、悪くない」
「素直に言え」
グランが鼻を鳴らす。
「悪くないと言った」
「十分だ」
コハルはすぐに札を作った。
『竜人様向け熱湯体験』
『エルフ様向けやさしめサウナ』
『ドワーフ様向け水流水風呂』
アルトは札を見た。
「増やすな」
「お客様が違えば、楽しみ方も違います」
「それはそうだが」
「ただいま、竜人様向け熱湯チャレンジを開催中です!」
「勝手に競技にするな」
「盛り上がってます!」
実際、盛り上がっていた。
一般客は入れないようアルトが結界で制限する。安全は守る。だが、見せ場にはする。
コハルは、そこを逃さなかった。
次は結界ロードだった。
子供たちが、朝から何度も上り下りしている。最初は微笑ましかった。だが、昼前には完全に渋滞の原因になっていた。
湯めぐり札を持った客が進めない。
荷車も止まる。
子供たちは「もう一回」と言い続ける。
運び屋の男が困った顔で言った。
「これは道なのか遊具なのか」
「両方です!」
コハルが言う。
「両方だと困る」
アルトは結界ロードに分岐制御を入れた。
客と荷物用の通行帯。
子供用の体験帯。
一定時間乗ったら、ゆっくり脇へ流れる仕組み。
さらに、速度上限と待機列の足元表示。
子供たちは不満を言いかけたが、コハルがすかさず木札を掲げた。
『結界ロード体験 一回三十歩まで』
「三十歩をぴったり踏めた子には、丸福堂さんの小さい饅頭券です!」
子供たちの目が変わった。
遊びは競技になった。
渋滞は列になった。
丸福堂の老婆は少し睨んだ。
「また勝手に」
「小さい饅頭です!」
「作るよ!」
町が笑った。
そこから先も、祭りは穴だらけだった。
足湯が混みすぎれば、時間制にした。
待っている客には湯守茶を出した。
湯めぐり札の紐が足りなくなれば、神社の管理人が古い紐を結び直した。
荷物が詰まれば、運び屋たちが一時置き場を作った。
常春ドームの中では、雪は落ちてこない。
だが、祭りの中では小さな問題が降り続けた。
アルトは何度も結界を張り直した。
面倒だった。
だが、不思議と嫌ではなかった。
戦場の結界は、壊れると人が死んだ。
ここで結界が乱れると、饅頭が膨らみすぎる。子供が渋滞する。竜人族が湯に文句を言う。ドワーフが水風呂に文句を言う。
どれも大問題ではある。
だが、誰かが笑える余地があった。
それを、コハルが逃さなかった。
失敗を、失敗のままにしない。
隠さない。
客の前で慌てても、すぐに名前をつける。札を出す。列を作る。笑いに変える。町の人へ声をかける。
最初は戸惑っていた町の人々も、だんだん動き方を覚え始めた。
丸福堂は、膨らみすぎた饅頭を祭り限定品として売った。
土産物屋は、常春ドームの下で咲いた魔力花の絵葉書を作ると言い出した。
運び屋は結界ロード体験の列整理を始めた。
神社の管理人は、湯守印に常春祭りの日付を入れた。
グランは文句を言いながら、種族別湯温体験の入口に手すりを追加した。
祭りは、完璧ではなかった。
むしろ穴だらけだった。
だが、穴が開くたびに、誰かが手を入れた。
それが祭りの熱になっていった。
夕方が近づく頃、町の通りは人で満ちていた。
雪は、結界の外側を静かに流れ続けている。
町の中には、湯気と灯りと笑い声があった。
コハルは通りの中央で、少しだけ立ち止まった。
疲れている。
髪も少し乱れている。
前掛けには饅頭の粉がついている。
手には札と筆と、なぜか小さい饅頭券。
それでも、目は輝いていた。
アルトが近づく。
「事故ばかりだったな」
「祭りなので」
「便利だな、その言葉」
「はい」
コハルは笑った。
その笑顔には、朝の常春ドームを見た時の涙の気配はもうない。
かわりに、町と一緒に走り回った熱があった。
「でも、止まりませんでした」
コハルは町を見た。
「誰も、途中でやめようって言いませんでした」
アルトも通りを見る。
町の人々が、客に声をかけている。
ぎこちない者もいる。
慣れていない者もいる。
それでも、自分の店、自分の宿、自分の道の前に立っている。
湯守町は、もう見ているだけの町ではなかった。
自分で客を迎えている。
「成功か」
アルトが言うと、コハルは少し考えた。
「成功です」
そして、すぐに付け足す。
「改善点は山ほどあります」
「だろうな」
「でも、成功です」
今度は、迷わず言った。
アルトは常春ドームの調整を少しだけ緩めた。夕方の光が、湯気の中にやわらかく差し込む。
祭りは、まだ終わらない。
事故もたぶん、まだ終わらない。
だが、湯守町は笑っていた。
それだけで、今日の結界は張る価値があった。




