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八百万の内緒の仕事  作者: 灯屋 いと
第三章 八畳、定員オーバー

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10/24

俺の声いいだろ

 翌日の昼過ぎ、蒼はDAWに向かっていた。

 起きてすぐの、死んだような顔のまま、ヘッドホン越しに音を並べていく。インストとボーカロイドを混ぜた、自分でも何系と説明しづらい曲だった。尖りすぎていて、たぶん今回も大して聴かれない。

 ためしに、配信ページの数字を開いてみる。今月の収入は、六十一円だった。しばらく眺めて、そっと閉じた。見なかったことにする。金のことを考えると指が止まるので、考えないのがいちばんいい。

 背後で、くらが寝返りを打った。床で、相変わらず布団もかけずに寝ている。

 ふと、昨日のことを思い出した。風呂場から漏れてきた、見事に外れた鼻歌。蒼は、前から少し気になっていた。くらの声は、喋っているだけでも妙にいい。水の流れに似た、低い響き。あれが歌になったら、いったいどんな音になるのだろう。

 起き出してきたくらに、蒼は珍しく自分から声をかけた。

「……ちょっと、歌ってみて」

「え、俺?」

 くらは、満更でもない顔をした。

「いいけど。俺の声、いいだろ。使えるじゃん」

 自信たっぷりに胸を張る。蒼は録音ボタンに指をかけて、待った。

 くらが、歌いだす。

 三秒で、蒼は理解した。

 音程が、どこにも合っていない。出だしから半音ずれて、そのまま戻ってこない。リズムも怪しい。昨夜、風呂場から漏れていた鼻歌が、まぐれではなく実力だったとわかる歌いっぷりだった。喋り声のあの響きは、いったいどこへ消えたのか。

 蒼は、そっと録音を止めた。

「……どう? いいだろ」

「……何も言うな」

「は?」

「インストでいく」

「なんでだよ」

 くらは心底不思議そうな顔をしている。自分が音痴だという自覚が、どうやらこの龍神には一ミリもないらしい。喋り声と、あの路地で聞いた音だけが別格で、人間の音楽の枠に入れた瞬間に全部崩れる。そういう仕様の神様なのだと、蒼は諦めをこめて結論づけた。

 ベッドのほうから、鼻歌が聞こえてきた。玉藻前だった。何の曲ともつかない、ただの口ずさみ。それなのに音程は正確で、声には例のエキゾチックな響きが乗っている。くらの直後だと、その差が残酷なほどはっきりした。

 蒼の手が、また録音ボタンに伸びる。

「録らないわよ」

 顔も上げずに、玉藻前が言った。

「まだ何も言ってないんすけど」

「顔に出てるわよ」

 取りつく島もない。神様の声というのは、どうしてこう、いいものに限って録らせてくれないのだろう。蒼は嘆息して、またDAWに向き直った。

 くらの音痴と、玉藻前の鼻歌と、自分の打ち込む音。八畳の部屋に、三人ぶんの音が、てんでばらばらに鳴っている。うるさい、と思う。

 けれど、録音を止めた指は、もう一度こっそり、レベルメーターを覗いていた。


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