第32話 再会と密命
前回から少し遡り……
ファーレン男爵邸を訪れる、三週間ほど前のことである。
王都・ヴァリィに着いたのは、夕方近かった。
城壁が見えた時点で、アルドは少し黙った。
(やっぱり王都はでかいな)
前回来たときも同じことを思った気がする。
あのときはロウェル・サーヴァント侯爵の邸に二度の会談の合間に、城下の人と金の流れを絶対交渉権を使って見た。久しぶりに正面から見ると、改めてでかい。城壁の高さが違う。門の幅が違う。行き交う人の数が違う。
まぁ、前世で見た大都市と比べると——
いや、比べても意味がない。ここはここだ。
「初めて来たときみたいな顔をしているな」
隣を歩くシャルが言った。
「ちょっと久しぶりだ。少し雰囲気が変わったな」
「前回とそんなに違うのか?」
「前回よりも、流通がスムーズになっている。そして活気がさらに出てきてる。まるで十年以上ぶりくらいの感覚だ」
「……なるほど。アルドが『何か』したんだな」
シャルが何か感知したようだが、それ以上は何も言わなかった。
城門をくぐった。石畳が続く。商店が並んでいる。人が流れている。どこかで肉を焼く匂いがした。荷馬車が通り過ぎた。子どもが走っていた。
やはりここは王都だ、とアルドは改めて思った。
(物価が明らかに、地方より高そうだ……)
「シャル、宿は当たりをつけているか?」とアルドは聞いた。
「ヴォーン家が使っている宿がある。そこで取る予定だ」
「値段は?」
シャルが少し間を置いた。
「……まぁ、それなりだ」
「それなりというのは?」
「アルドが聞かない方がいい金額だ」シャルはニヤッと笑った。
(高いということだな……)
アルドは黙った。路銀はシャルが持っている。シャルが払う。文句を言う立場ではない。ただ——
(前世の感覚だと、いい宿に泊まるとあとで足元を見られる、という経験則がある)
この世界でもそれは変わらないと思うが、今は黙っておく。まだグレードをわざと落とす必要は無いからな。
大通りを歩いた。シャルが慣れた足取りで先を行く。
王都を知っている歩き方だ。
そのときだった。
人混みの中から、フードを深く被った人物がすれ違いざまに近づいてきた。アルドが反応するより先に、手に何かが押し込まれた。
敵意がなかったとはいえ、ここまで懐に入られるのは久々だったアルドは、一瞬、硬直した。
小さく折り畳まれた紙だ。
人物はそのまま人混みに消えた。
アルドは立ち止まらずに歩きながら、紙を開いた。
短い文章だった。場所と時間だけが書いてある。明日の昼前だ。
シャルが隣に来た。
「何だ!?」
アルドが紙を見せた。シャルが封蝋を見た。
王家の紋章だった。
「……エリシア殿下か」とシャルが言った。
「だろうな」
「明日か」
「ああ」
シャルが少し考えてから、前を向いた。
「とりあえず……早く宿を取ろう」
「そうだな」
「それなりの金額だが。馬車の運賃をケチる旅人にとっては」
シャルはいたずらっぽくアルドの顔を見た。
「……せっかくの王都だからな。楽しみにさせてもらおう」アルドは虚勢を張った
シャルの肩が動いた。
指定された場所は、王都の東区にある小さな酒場だった。
昼前の酒場は人が少ない。奥に個室がある。その扉の前に、屈強な男が二人立っていた。護衛だ。アルドとシャルの顔を見て、無言で扉を開けた。
中に、エリシアがいた。
フードを外している。シンプルな格好だ。王女らしい装飾は何もない。ただ——座り方が、どうしても滲み出る。背筋が真っ直ぐで、目が静かで、部屋の空気が少し変わっている。
アルドを見た。
「思ったより早かったですね?」
「馬車にした。最初は歩きだったがな」
エリシアが少し間を置いた。
「……なぜ最初から馬車を使わなかったのですか?」
「馬車よりも歩きの方が早いかなと思った。運賃も浮くし……」
「嘘ですね」エリシアは食い気味に答えた。
アルドは何も言わなかった。
エリシアの視線がシャルに移った。シャルがエリシアを見た。
一秒ほど、何もない沈黙があった。
二人とも何も言わなかった。ただ、空気が少しだけ張った。
前回カルヴェンで会ったときと同じ空気だ。互いに測っている。測りながら、表には出さない。
「ヴォーン家のご令嬢が同行しているとは聞いていました」とエリシアが言った。
「お役に立てれば」とシャルが言った。
二人とも笑顔だった。笑顔だったが、目が笑っていなかった。
(なんか、やりにくいな)
アルドは内心でそう思ったが、黙って椅子に座った。
「本題に入ります」
エリシアが静かに言った。声のトーンが変わった。王女の声だ。
「宰相の現状です。王都での動きは、私がある程度封じています。証拠も少しずつ集まっています。ただ——」
「近隣貴族への根回しが出来てないんだろ?」とアルドが言った。
エリシアが少し目を細めた。
「……話が早いです」
「カルヴェンを動いていれば見えてくる。宰相の手は王都だけじゃない。近隣にじわじわと伸びている」
「その通りです。王都で断罪するためには、貴族たちの支持が必要になってきます。今の状態では、宰相派の圧力に負ける者が出てくるのが目に見えています」
シャルが手帳を開いた。
「近隣の貴族は、大小合わせていくつありますか?」
「三十二家です」
「現状、反宰相派は?」
「八家。中立が十七家。宰相派が七家」
シャルが何かを書き込んだ。少し考えて、また書き込んだ。
「中立の十七家を崩せれば、数の上では十分です。ヴォーン家の情報網とカルヴェンの実績を組み合わせれば——」
「一年で半数以上、お願いできますか?」
エリシアがアルドを見た。シャルではなく、アルドを。
アルドは少し考えた。
(前世なら三ヶ月でやった。ただ——)
あのときは手段を選ばなかった。今回は違う。丁寧にやる必要がある。崩した後も関係が続く。雑にやれば後で崩れる。内部から。
「やろう」
「……何か条件は?」エリシアはアルドに尋ねた。
「ない。強いて言うなら、活動費用の用立てくらいだ」
エリシアが少し黙った。
「信用していいのか?という顔をしているな」とアルドが言った。
「していません」
「本当か?」アルドは意地悪な笑みを浮かべた。
「少なくとも、あなたという人間は信用してます。そこで……」
エリシアが小さく息を吐いた。
それから、腰に下げていた細長い布包みを取り出した。テーブルの上に置いた。
「開けてください」
アルドが布を解いた。
短剣だった。
鞘が上等だ。柄に細工がある。抜かずともわかる、作りのいい短剣だ。そして——柄の根元に、小さく紋章が刻まれていた。王家の紋章だ。
「権力が必要な場面で使ってください」とエリシアが言った。「『エリシア第三王女殿下の代行として動いている』という証になります。ほとんどの貴族は、それで動きますので」
アルドは短剣を手に取った。
重さがあった。金属の重さだけじゃない。別の重さがある。
(王家の名前を背負う、ということ……か。ほぼ平民の俺が)
前世でも似たようなものを預かったことがある。組織の印章だったり、証明書だったり。あのときと同じ重さだ。預かった瞬間から、逃げられなくなる重さだ。
「わかった」
短剣を懐に収めた。
シャルがそれを見ていた。何も言わなかった。
話が一段落したところで、シャルが立ち上がった。
「少し外します」
アルドが少し意外な顔をした。
(気を利かせるタイプだったか)
シャルはアルドの顔を見て、肩を少し動かした。声には出さなかった。そのまま静かに扉を開けて、出ていった。
扉が閉まった。
エリシアがシャルの出ていった扉を少し見てから、アルドに視線を戻した。
「……賢い方ですね」
「そうだな」
「信用できますか?」
「できる」
即答だった。エリシアが少し目を細めた。
「その即答、根拠はありますか?」
「ある」
「教えてもらえますか?」
「長くなる。四時間半くらい時間をくれ」
「では結構です」即答だった。
そして、少し間があった。
エリシアが、さっきより少しだけ高い声で言った。《灰色熊亭》で二人で話をしていた時の声だ。
「無理はしないでください」
アルドは少し間を置いた。
「お前もな?」
「私は無理などしていません」
「嘘だな」
エリシアが黙った。二秒ほど黙った。
「……それは私の専売特許です。グレイン様は、王女である私の扱いが雑なんですよ」
「お互い様だ。エリシアも俺を、その辺の石ころみたいに扱うだろ?」
「そう扱って欲しいんですか?蹴飛ばしちゃいますよ?」
エリシアが小さく、いたずらっぽく、笑った。
声には出なかった。ただ、目の端が少し動いた。
それだけだった。
それで十分だった。
酒場を出た。
昼の光が眩しかった。シャルが扉の脇で壁に寄りかかって待っていた。手帳を開いて何かを書いていた。アルドたちが出てきたのを見て、手帳を閉じた。
「終わったか」
「ああ」
「では行こう」
それだけだった。シャルは何も聞かなかった。
三人で少し歩いて、エリシアの護衛が合流した。エリシアが足を止めた。
「では、よろしくお願いします」
「ああ」
「……また」
「また」
エリシアが護衛と共に人混みに消えた。
アルドとシャルが残った。
「さて」とシャルが言った。「どこから回る?」
「お前の地図を見せろ」
「馬車の中で話そう。宿に戻る」
「そうだな」
二人は歩き始めた。
——そういうわけで、ファーレン男爵邸を訪れる三週間前のことであった。
馬車の中で、アルドは懐に手を入れた。短剣がある。布に包んだままだが、確かにそこにある。
王家の紋章入り短剣。エリシアの代行という証。
(重いな)
金属の重さではない。別の重さだ。
ヴァレリア王家を背負う重さ……あのときから変わっていない。
馬車が揺れた。
(腰は問題ない。馬車もだいぶ慣れた)
気のせいだ。フラグじゃない。腰はもう大丈夫なのだ。
窓の外を、街道が流れていった。
悪くない、とアルドは思った。




