バレンタイン・パニック 8-7
7.逃走劇
「あいつ、設定いじりやがったな」
シュルドはモニターに向かって吠えた。
「どういうことですか?」その意味が分からないロイスは訊ねる。
「パーンは事前にこうなると予測していたんだろう。そうとしか思えん」シュルドは一層から三層までのモニターを全力でキーロック解除のために電算室の方に振り分けた。「電算室へのアクセスコードを変更しているんだよ」
「コード?」
「所員が本棟内で使う場合にはアクセスするのにコードを入力する必要がなく使えるが、外からの不正アクセスなどを無くすためにTDF以外の場所から使うために使用のためのコードを入力しなければならない」
「個人パスワードみたいなものですね」
「いまならロイスはトラッティンからでも電算室を使うことが出来るぞ」
トラッティンとの通信システムの構築は終わっている。より性能の高いシステムを向こうでも使えるようにした結果である。
「そうだったのですね。あれ?」ロイスは首をひねる。「今私は普通に使えていますが?」
「私や多分フィオーレのコードをいじって、情報処理を遅らせる魂胆なんだろう。小型の端末からできることは少ないからな」
「やりますね」
「小賢しいが有効だ」
シュルドにしては手間が掛かっていた。事前に用意していたと思える手際だった。
電算室のシステムにシュルドが入り込むと、災害用のシャッターを閉じ始める。窓という窓が風雪対策のためにつけられたシャッターで覆われていくのである。ある意味壮観だった。出入り口はシュルドの許可なく入れないようにしていく。
「見つけた」
シュルドは近くの防火扉を閉じる。
するとパーンは手動のシステムからいとも簡単に防火扉を開けた。
「さすがパーンですね。手慣れている」
「あれでフェリウスは何度も泣かされていたからな」
「手に負えませんね」ロイスは呆れる。
「小型のハリケーンが室内で暴れているようなものだからな」
「あ、消えた」モニターしていたパーンのシグナルが突然消えた。
「天井か床の点検口の中にもぐったか? 厄介だな」
あそこに潜り込まれるとレイスト以外は身動きがとりづらくなると、シュルドが唸る。
「どうなっている。シュルド君?」
オガワが事務室に現れる。
「状況は良くありませんよ」シュルドは肩を竦める。「今も見失いました」
「どこでだい?」
「一階の応接室付近の点検口に潜り込まれました」
「そうすると、出てくる場所を予測しながら人員配置する必要があるかな」
オガワは立体的に展開されている本棟建屋のマップとそれぞれの位置を見つめ判断し、指示を出していく。
シュルドはさらにそこにダクトや配線のラインを示していくことになる。あまりの手際の良さにロイスは目を見張る。
「アリエーが走り出しましたよ」ロイスは言う。明らかにオガワの指示を無視している。
「野生の勘か?」シュルドは呟く。「アリエーは室内の空気の流れや物音、臭いに敏感だからな」
ある意味、コンピューターよりも正確かもしれない。
「よく、そんな彼女からパーンはチョコレートの入った箱を奪えましたね」ロイスは呆れる。
「警戒していなかったこともあるだろうけれど、パーンの俊敏性も侮れないからね」
「今のパーンはドーパミンが出まくりだろうしな」
「こうなるとアリエー君が頼みか」
「彼女とパーンが鉢合わせられるように誘導するしかないですかね」
「頼むよ。シュルド君」
「やってみますよ」
パーンとの電子戦は久しぶりだった。彼の指や視線は多重に展開しているキーボードの上を忙しく動いていた。
アリエーは靴下もパンプスも脱ぎ捨てていた。
「この方が走りやすい」
足の指は大地を掴むように張り付き床を蹴った。ぐんぐん加速していき階段を駆け上がるとパーンの背中が見えた。
猿にだって木の上でも付いて行けるし負けない自信があったが、アリエーはまだパーンの捕獲に成功していない。ボーラや網があればもっと容易かったかもしれないが、人相手に武器は使えないし、そんなこと考えている余裕も今のアリエーにはなかった。
「渡すんだ。絶対に」そしてもう一度ちゃんと告白しよう。
さっきのあれは違う。叫ばず泣かず、もっと心を込めたかった……。
パーンの背中が見えた。
二十メートル以上の距離を一気に詰めるとパーンの背中に右腕を伸ばす。
あと数センチのところでパーンは静かに忍び寄るアリエーの気配を察知したのか、右横に体をずらし急ブレーキでも踏むかのように速度を緩め反転した。アリエーにはパーンが笑っているように見えた。それに彼女の反射速度を彼は凌駕している。
右腕が空を切りアリエーはバランスを崩す。その隙にパーンはダッシュして階段へと姿を消した。
アリエーが階段の前に来ると当然パーンの姿はなかった。
階段を上り下りする足音は聞こえないが、その気配は微かだけれど感じられた。
それだけを頼りに一気に階段を駆け上がる。
「ねえ、シンシマ」レイストは息を切らしている。
「なんだレイスト? お前、体力無いな」
「体育会系の化け物達と一緒にしないでください。ぼくはバリバリの文系ですよ」
「俺も文系だが?」
「冗談ですよね」息も切れ切れである。「バレーボール大会でもあれだけ活躍していたじゃないですか」
「趣味程度にやっていただけで、サークルは吹奏楽だぞ?」
「信じられません」
「まあ、あそこはあそこで、文系の中では体育会系並みの体力を必要としていたがな」シンシマは笑う。
「平然と言わないで下さいよ」立ち止まり膝に両手をあてているレイストはしんどそうだった。「パーンをどこかの部屋に誘導できないでしょうかね」
「無理だろう。それでも逃げられる」
「シュルドさんならパスワードのランダム変更も可能でしょう?」
「出来たとしても点検口から逃げられるな」
「て、天井ですよ」
「パーンなら、三角跳び~、とか言って点検口にたどり着くだろうな」
「あ、ありそうだけど、人じゃないですよ」
「猿か猫だろうな」
「人類辞めていますよ。それって」
「人類じゃない方が、我々に勝てるのかもな」シンシマを笑う。「それに閉じ込めても防火シャッターの件もある。簡単に外に出てしまうだろうな」
「処置なしですね」
「頑張ろうぜ、兄弟」少し息が整ったレイストの肩を叩きシンシマは駈けだした。
使われていない一室の床の点検口が開き、パーンが顔を覗かせる。
「エレナ、み~つけた♪」
彼が陽気にエレナに微笑み掛けてくるとエレナは舌打ちする。
こんなところで遭遇したくなかったという表情だった。
点検口に消えたパーンをオガワの指示で空き部屋に隠れていないか探していたところだったのである。
「いつまで逃げ回る気だ?」
エレナは出入口を開けたまま部屋の中に入る。悟られないようにポケットの端末からパーン発見のシグナルを送りたいところだったが、気付かれると点検口の奥に逃げられそうだ。
時間稼ぎにと彼女はパーンに話しかけた。同じ場所で立ち止まっていれば誰かが気付いてくれるかもしれない。
「僕の捜査にはあまり熱心ではなさそうですね?」
「まあな。意味が分からないし、状況も良く分かっていない。それにあたしはフィオーレには無視された感じだったしな」
「自主的にどこまで動けたか見られているのでは?」
「そうなのかよ」ディにも見られていそうだった。
「それにここで僕を捕まえればヒーローになれますよ? 皆さんの役に立てるのでは?」
「捕まる気もないだろう」
「はい」
「あたしは期待されていないんだろう」
「されたいのですか?」
「そりゃあなぁ少しはある。だけどこんなあたしが面倒だったら、どこかに出してもいいぞ」
「ずいぶん弱気ですね。諦めモードなのかな?」
「フィオーレにあれだけ言われて、ディに辛そうな顔をされるとなぁ」
本当に居心地が悪かったし、周りの目も気にかかってくる。
「その辺はオガワさんと話をしてみますが」
「ありがとよ」
「でもね。どこへ行っても同じことの繰り返しですよ。終いには仕事すらできなくなる姿が見えてきますね。協調性がないと」
「自業自得かもな」
「分かっているのなら何故溶け込もうとしないのでしょう? レイストだって頑張っているに」
「あいつは仲良くやっているだろう。あたしは疲れてきたんだよ」
「言葉遣いが今は素になっていますが、それでも表情とともに以前に比べれば改善されていますよ。継続は力なりってね」
「そうかよ」
「そんな喋り方ですと、フィオに怒られますよ」
「もういいよ。ディにも嫌われそうだしな」
「ディは決して見捨てたりはしません。待っていてくれていますよ。親友なのでしょう?」
「それでもバンドでは呆れられたよ。あたしが合わせる気がないってシンシマにもディにも言われた」
「何故合わせられないのでしょう? 他の音は聞こえていなのでしょうか?」
「合わないんだよ! 耳によく入ってこないし」
「ではアドバイスいたしましょう」
パーンは点検口から出てきた。陽気に講師風に人差し指を立てて話し始めるとエレナに近づいていく。
「パーンが?」
「これでもキーボードはそれなりの腕前なのですよ」
近づいてきたとたんエレナは掴みかかろうとしたが、うまくかい潜られた。
「自分の心音に耳を傾けて下さい」
「心音?」
「そうです。心臓です。演奏しながら自分の鼓動に耳を傾けて下さい。ドクドク流れる血流とともにそのリズムに合わせて演奏をしてみましょう」
エレナは再度掴みかかるが、直前でバックステップしてかわしていく。
「もう少しリズミカルに動かないと僕は捕まえられませんよ。エレナは自分の鼓動を聞くことから始めて見ましょう。それが安らぎの音ですし、基本です。そこから他の音も聞こえてくるでしょうから」パーンは後ろ手にフィギュアスケーターのように後ろ向きにウォーキングしていく。「それがTDFのトラッティンでのテーマでもありますし、ディの心と音をつ届けるという『銀河通信』にもつながります。エレナもきっと届けられます。立ち止まっていてはもっとディが悲しみますよ」
パーンは後ろに目でもあるのかという感じで壁や物を避けて、後方にスキップするような足取りでエレナから逃げていく。
「僕らは前進するのです。立ち止まっていたら先へと進むディを見ることも出来なくなりますよ。彼女は確実に自分を見つめ直しています。そんなのはエレナも嫌でしょう? エレナの泣き言は聞きますよ。でも立ち止まったらそこからまた進みましょう」
コーナーに追い詰めたつもりが、掴みかかろうとしていた両腕を掴まれ、前のめりにされてバランスを崩し床に手をついてしまう。エレナは慌ててシグナルを発信するが遅かった。
「諦めないで頑張っていきましょう」すでにパーンは扉にたどり着いている。「エレナのベース、期待していますよ」
その言葉を残してパーンは走り去っていった。
ホーカルはモヤモヤしていた。
アリエーがあれだけの激情をぶつけてくるのは初めてだった。むき出しの感情を彼女が露わにすることは少ないといってもいいからだ。
どこか抑え込んでいるのだろう。
バレーボールの時もだが、ああやってパーンを追いかけ身体を動かしているアリエーの方がイキイキとしている。やはり彼女は自然児だった。
彼女の気持ちは知っているつもりではいたが、改めて強い想いを生でぶつけられ思い知らされた気がする。
それに泣かせたくはなかったのに、泣かせてしまった。悲しそうな顔も涙も見たくはないし、支えてやりたかった。それなのに……。
しかも場を納めて励まそうとしたつもりだったが、逆鱗にまで触れてしまっている。自分の判断ミスからだ……。
答えはとうに分かっていたが、分かっていてもアリエーのことを想うと踏み込めない。
自分が彼女の故郷や家族を奪ってしまうのではないかと、気に病むのである。
「だから、どうしろっていうんだよ」
「クリス。そちらに行きましたよ」
ディは反対側からパーンを挟み撃ちにしようとしていたクリスに声を掛けていた。
「パーン。捕まって下さいぃぃぃい」
その長いリーチをかい潜りながら、パーンはすれ違いざまにクリスに耳打ちする。
「訛るとフェリウスに怒られますよ」
「す、すいませぇぇん、先輩」
目を閉じていたクリスはバランスを崩し前のめりに倒れそうになったので、パーンは動きを止めてクリスの後ろに回りながら彼女の腰に手を当て支えてあげる。
「ぱ、パーン、ありがとうございます」両手で床に手を付きクリスはゆっくりと膝をついた。「捕まって下さい」
「少し肉がついてきましたかね。安産型は変わりませんが」
パーンはカラカラ笑う。
「パーン」ディが立ち止まっていたパーンに迫る。「アリエーをいじめないでください」
「すいません」
「彼女を悲しませないでください」
デュエルナの悲痛な声が通路に響く。
パーンはディに素直に謝りながらも、紙一重でその手をすり抜ける。その動きはアリエーを見ているようで、ディは驚く。
「謝るなら、逃げるな」
後ろからはノルディックが迫って来ていた。オガワの指示がしっかりしている証拠でもある。
「謝罪は大切ですよ」
「謝るくらいなら。『最初』からするな」
「ディやフィオですね」
「それは『才色』兼備だ」
「小さいことはいいことですよね」
「『最小』って言いたいのか」
「ディとフィオにはかないませんよね」
「『才女』かよ」
ノルディックも俊敏に動いていたが、パーンはそれを凌駕している。信じられない光景であるがパーンとノルディックのやり取りはいつも通り過ぎて微笑ましくなってしまうディだった。
パーンはディやノルディックをあざ笑うように逃げおおせてしまうのである。肩で息をしていたディはその場で膝をついた。ノルディックも呆れるほどの体力と運動機能だった。
「やあフィオ、お久しぶり」
エレベーターに乗って移動していたフィオーレが天井の点検口を見上げるとパーンが顔を覗かせていた。
「そんなところに潜り込んでいたの?」
「隠れるのにはちょうどいいよ」
「捕まる気は?」
「まだ無いかな。それに捕まるのならアリエーだし」
「チョコは無事なのかしら?」
「丁重にお預かりしています。アリエーは気が気ではないでしょうが」
「過剰摂取状態から抜けたようね」
「散々走り回るとね」パーンは苦笑する。「ご迷惑をおかけしています」
「どこまで計算していたのかしら?」
「勘だよ。本当に。ただそうした方がいいなって思ったら勝手に身体が動いていただけ。アリエーは怒らせてしまいましたが」
パーンの言葉は他人事だった。
「まさか貴方の中毒状態をまた見ることになるとは思いませんでした。でもこれは本当にやり過ぎよ」
「言いたいことは言えたのでいいのでは?」
「アリエーは相当鬱積がたまっていたようね。ホーカルも衝撃を受けていたみたいですし」
「ホーカルが応えてくれるといいですね」
「素直に返す気はないようね?」
「だってそれでは面白くないでしょう? アリエーの必死さも伝わらないし、ホーカルにも伝わっていないかもしれない」
「そこまでやるとは思っていませんでしたよ。パーン」
「頑張りますよ。先日いただいたプレゼントのお返しもあります。明日は筋肉痛かもしれませんが」
パーンが下りてくる動きをしていた。
「どこへ行く気?」
「分かっているくせに」パーンはニヤリと笑う。「そろそろ全力で逃げるのも疲れましたし、捕まるころ合いかなと」
「とんだ茶番だわ」
「でもフィオも見たかったでしょう?」
「貴方もいい役者だわ。それとも道化かしら?」
エレベーターの扉が開くとパーンはフィオーレの脇をすり抜けていく。壁にもなれなかったすばしっこさである。
「フィオにはかなわないよ。世話焼き令嬢」
フィオーレは端末を取り出すと、アリエーとホーカルに連絡を入れる。




