バレンタイン・パニック 8-6
6.叫ばずにはいられない
アリエーは油断していたわけではなかった。パーンの隠密能力がアリエーの索敵機能を上回った結果にしか過ぎない。
彼女の作業着のポケットにはホーカルに渡すはずのチョコレートがまだ入っている。何故かランチタイムでは渡しそびれていた。
帰宅する前にはどうしても手渡したかった。ホーカルに逃げられてしまうかもしれないという予感があったからである。
パーンはチョコレートの香りを感じながら仕事をしていた。ついに我慢できなくなり、誰にも気づかれないように作業の現場から離れてアリエーの後ろに回り込む。
素早く手を伸ばすとポケットから小箱を抜き取ることに成功する。
「チョコ見つけた♪」
「えっ?」虚を突かれアリエーは振り返りパーンを見ると、彼は小箱を手に頬擦りしている。
猫のように仕草は可愛らしくもあったため、判断力が鈍ってしまい行動が遅れてしまう。
それにパーンはアリエーが捕まえようとするといつも以上にすばしっこく動き捉えることが出来ない。
激しい動きに箱の中のチョコが砕け書いた文字が消されてしまうのではないかと気が気でなかった。
彼女は想いを届けよと願いを込めてチョコを作っていたのである。
すぐにパーンパイプにいた面々も異常に気付くが、何が起きているか誰も状況がつかめない。どちらも人の動きというよりは、ネコ科の動物が追いかけっこをしているように見えてしまう。
「パーン。それを返してよ。お願いだから!」
アリエーは自分が殺気立ってきているのが分かる。パーンは機器の隙間に隠れその間から顔をのぞかせアリエーをただジッと見つめていて、平然と笑みすら浮かべている。
「アリエー、落ち着けよ。何を取られたんだ?」
ホーカルはアリエーの肩に手を置く。
「チョコよ!」アリエーはパーンから視線を外さない。
「チョコ?」
「そうよ。チョコレート」
「おやつか? チョコぐらいいいだろう」
「良くない!」感情が抑えきれなくなっている。「ホーカル、貴方に渡すつもりのチョコよ」
「オレに? ああバレンタインのか、それはありがたいが、仕事帰りにでもまた買えばいいだろう?」
シンシマやオガワでもその発言はダメなやつだとすぐに気付いてしまうのだった。
「貴方のために、私が作ったものなの!」買える訳がない唯一無二のものだ。
「だったらもう一度作ればいいだろう?」
「本気で言っているの?」
振り返ったアリエーの目からは涙があふれだしていた。悲しさと怒りが入り混じった表情にホーカルはたじろぐ。言ってはいけないことを言ってしまい泣かせてしまっていた。
「そ、それは手間暇かかるだろうが……」
それなのに言い訳がましい頓珍漢な言葉しか出てこなかった。
「そういうことじゃない!」アリエーは涙をぬぐおうともせずに叫んでいた。「貴方を想って貴方のために私が心を込めて作ったものなの!」
想いという名の感情があふれ出してくる。普段なら奥にしまい込まれているものまで表に出てこようとしていた。本当ならバレンタインチョコを渡しながらもっと心を込めて言うつもりだったが、激情がそこには入り混じっている。
「私はどんなこと言われても貴方が好き、大好きよ! 傍にいたい! 私は貴方といるだけで幸せなの。この気持ちを伝えたかったの!」笑いたかったが笑えていない。「どんな顔されたって、私は貴方といるのが好き、心が満たされるの。本当よ。本当なんだから!」
アリエーの悲痛な叫びとホーカルへの愛がパーンパイプに響き渡る。
「愛してよ。だから、だから、もっと愛して……」
誰もがその叫びに身動きが取れない中パーンは、機器の間からこっそり体を出して出入り口へと素早く駈けだした。
「パーン! 逃げないで」
アリエーは涙をぬぐうとパーンを追う。
彼女は出口で一瞬立ち止まる。「私の本心だから」ホーカルにそう呟くとアリエーは逃走するパーンを追いかけ全力で駆け出した。
茫然とするホーカルの背をシンシマが思いっきりひっぱたく。
「フィオーレとノルディックが居なくて良かったな。問答無用で思いっきり殴られていたぞ」
オガワさんが事務室へ連絡をしているのが見えたので、フィオーレがこの状況に対処してくれるだろう。もっとも事務室がパーン対策本部になるとは思わなかったが。
「最低です」レイストもホーカルのすねを蹴る。
二人の攻撃が地味に痛かったが、それで目が覚めたのも事実だった。
アリエーに最低なことを言ってしまったと……。
「さあ、ぼく達も追いかけますよ」
「アリエーをか?」
「どちらかというとパーンじゃないか? あの動きは尋常ではない。さすがのアリエーでも一筋縄でいかないだろうな」
「普通じゃありませんよ。今日のパーンは」
「疲れることになりそうだな」とシンシマはレイストに頷く。
「パーンを捕まえたら、ホーカルには全員を慰労してもらいませんとね」
「高くつきそうだな……」
「それだけのことをしたんだから、ホーカルには償ってもらわないとな。特にアリエーには言うことがあるだろうし」
「何をだよ?」
「いまさらそんなことを言うのかよ」シンシマはホーカルのみぞおちに拳を入れる。「あれだけ泣かせておいて、答えも言わないなんてことはないよな?」
「あ、ああ」ホーカルは腹を押さえながら頷くしかなかった。
三人はアリエーからだいぶ遅れて、パーンパイプを後にする。




