バレンタイン・パニック 8-5
5.パニックの始まり
バレンタインデーの当日がやって来た。
宇宙港でツイング姉妹がチョコレートを発送している時の会話を聞いていた者がいたのだろう。それが社内ネットで拡散していく。
バレンタイン当日はTDFでおこぼれにあずかれるかもしれないと、そう考える者もいたのかもしれない。当日に会見や来訪希望者が増えたとクリスはのんびりとした口調で言っていた。
とはいえ全部受けていたら対応に目が回りそうなクリスはフェリウスにアドバイスを求めた。スケジュールをどうしたらいいのかと訊ねられたフェリウスはメールの内容を見て重要な案件以外は後に振り分けるようにアドバイスし、クリスに実行させた。
その日のバレンタインデーはいつも通りに一日は始まっている。
フィオーレが狙っていたかのように朝から出会い頭にパーンにチョコを渡し、すぐに味の感想を求めてきた。パーンは三種類あったチョコをすべて一気に食べて、美味しさを事細かに饒舌にフィオーレに語っていた。
昼になるとパーンはクリス、アリエーのチョコに加え、ペリシアやディ、ランチタイムに食堂を訪れていたフェリウスからもチョコをもらっている。オガワ経由でパートルからの分もあった。チョコレート菓子が大好きなパーンはもらうとその場ですぐに食べて感想と感謝を彼女達に伝えている。
「ねぇパーン部長、なんかフラフラしていない?」クリスは心配そうに訊ねていた。
「大丈夫ですよ。チョコありがとうございます」珍しくぼんやりとした口調だった。目の焦点があっていない。
「ぼんやりしていてよ。調子が悪いの?」とフィオーレ。
「チョコレート食べたせいでしょうか絶好調ですよ」
「ならいいですけど」
心配そうにクリスは部長を見下ろす。
「ノルディック」ディは少し顔を紅潮させながら話しかける。「これを受け取ってください」
一足先に食堂に来ていたディはノルディックがやって来るとすぐに声を掛けた。
「ありがとう」
「感謝の気持ちです」
後頭部の髪を掻きむしりながらノルディックは右手で受け取っていた。
悪い気はしない。
こうしてみんなの居る前で堂々と渡されるとは思っていなかったが、シンシマとレイストもいるし後でしつこく訊ねられるよりは良いか。
すでにそれを見たシンシマとレイストは囃し立てている。
「はい。シンシマとレイストにもありますよ」
「ありがとう」
「とはいえ差は歴然のような気がするけれどな」とシンシマは箱の大きさとノルディックにはついている梱包のリボンを見て言うのだった。
「ノルディックは特別です。日頃の感謝も込めていますから」
ディが微笑むと、ここまで堂々としているとレイストは何も言えなかった。
「本当に付き合っていないのかよ」シンシマはこっそりとノルディックに訊ねていた。
「ディに訊いてくれ、彼女の方が正直に答えてくれるだろうからな」
ディには申し訳なく思うが、ノルディックは彼女との隠れ蓑にはちょうどいいのではと思いながらシンシマに応えているのだった。
「ペリシアさん」フェリウスはチョコレートを差し出しながらペリシアに熱烈にアピールしていた。「結婚してください」
「あらあら」
「フェリウス」珈琲を吹き出しそうになったシュルドは目を細めフェリウスを見る。顔が引きつっていた。
「重婚でも構いませんよ」
「そういう問題ではないだろう」
「私の想いをどうしてもチョコレートに乗せて伝えたかったのです」
演技のはいった口調で大げさに手を広げていた。
「私を前にしてやるな」
「居ないところでならいいのですか?」
「いいわけないだろう。アルベイラー家には出入り禁止にするぞ。息子の教育にも良くない」
「それは困ります」フェリウスは真剣に謝罪する。「ただ一度やってみたかったのです。チョコレートに想いを乗せるというのが、どういうものなのか」そして彼女はシュルドとペリシアにだけ聞こえるように言う。「アリエーを見ていると」
シュルドは大袈裟にため息をつき、ペリシアはホーカルと仲睦まじくランチを食べているアリエーを微笑ましく見ていた。
渡すタイミングを探しているようでソワソワしているようだった。
フェリウスは目の前に突然箱を差し出されて驚いた。エレナだ。また睨みつけられている。
「こ、この前は、手伝ってくれてありがとう」
一緒にいたクリスにも彼女は先日の礼を言い渡していたのは見ていたが、自分の分もあるとは思っていなかった。
「い、いいえ」恐る恐る受け取った。「ありがとう」
エレナはフェリウスが受け取るとすぐにその場を後にするのだった。耳まで真っ赤である。
どう反応すればいいのか分からず、ぽかんと箱を見つめてしまう。
事務室に戻ってくるとデュエルナはパーンを見て。彼の様子がおかしいと気付く。
「パーン、どうしたの?」
「なにか?」パーンは自分の変化に気付いていないようだった。
「目がぼんやりとしておかしいわ。熱があるんじゃない?」
ディは駆け寄るとおでこに手を当てた。
平熱であったが、いつものパーンらしくない。顔が熱っぽく赤らんでいたし、挙動がおかしい。
「今日は朝からチョコを食べているからか、調子が良いんですよ」
パーンは反復横跳びをして見せた。確かにいつも以上にすばしっこく見えたが、違和感をひしひしと感じてしまうディだった。
「フィオ」気になってフィオーレに声を掛けていた。
「大丈夫よ。ただのカフェインの摂取過多でしょう」
「それって、私達が?」
「どうみても過剰摂取よね。朝から私が、お昼にはあなた達が。今日一日でどれだけカフェインの摂取したのかしら」
「だ、大丈夫ですよね」クリスがオロオロしている。
「ちょっとした興奮状態でしょう。すぐに抜けるわよ。それともパーン、ここで吐かせましょうか?」
「そこまでは~。調子もいいですし、今日はこのままいきます」
「ですってよ」ディを見て、それからパーンにまた訊ねている。「心臓はどうかしら? 震えは?」
「震えはありませんが、皆さんからチョコをもらっていますから、ドキドキしていいますよ」
「調子が悪くなったらすぐに言うのですよ」フィオーレはそっけなく言う。
「子供が大量摂取すると命に係わるって」カフェインのことを検索していたクリスは驚く。
「クリス~。いやだなぁ。僕は成人していますよ」
「そうだども」
「絶好調ですから大丈夫です」
「そうなのかしら」ディは心配そうだった。
「ディ大丈夫です。問題ありませんて。僕はこれからパーンパイプに行ってきますね」
クリスに手渡された作業着に袖を通しながらパーンはスキップするように軽やかな足取りで事務室を出て行く。
それから三十分も経たないうちに緊急のシグナルが、事務室に届くことになるのだった。
「ぶ、部長が逃走? なんでだか!」
パーンパイプ調整室から連絡を受けたクリスは驚きの声を上げていた。
ディスクに座り明日のスケジュールを確認していたところだった。
シュルドをはじめプログラミングチームの面々とロイスがクリスを見つめている。終業間際のことだった。
「クリスさん、どうしたんだ?」
シュルドが厳しい口調で訊ねてくると、クリスは一瞬怯えてしまう。
「怒っていないから、パーンパイプの状況を説明してくれ」
シュルドはため息を付きながらクリスに言う。
「あ、あの……部長が、アリエーさんのチョコを奪って逃走したというんです」
「意味が分からんぞ。パーンパイプにはオガワさんもいるのか? ならオープン回線でつないでくれ」
頭を抱えながらシュルドは言う。
「は、はいぃぃ」
慌ててクリスは事務室とパーンパイプの通話スイッチを入れると、オガワの声が飛び込んできた。
『すまない。そちらでパーンの動向をモニタリングして欲しい』
「何があったんですか?」
シュルドは端末からのTDF所員の位置をサーチし始めていた。
『パーンがアリエー君の用意していたチョコレートを持って逃走そうしている』
「意味が分かりません」
『す、すまない。意味不明かもしれないが、本当なんだよ。アリエー君がバレンタインに用意していたチョコレートをパーンが奪ってパーンパイプから逃走したのは事実なんだ。今アリエー君がパーンを追いかけている』
「なぜあいつが人のチョコを奪うのですか?」
「パーンはカカオ中毒なのかしら?」
話を聞いていたフィオーレが言う。
『中毒?』
「ええ、昼に食べた分のカフェインが抜けて、禁断症状が来ているのかもしれません。そちらでも仕事中もハイテンションな状態が続いていましたよね?」
『確かにふらついていたが、作業は順調だったよ』
「チョコが食べたいと言っていませんでしたか?」
『作業中にも確かにチョコを食べていたな』
「完全に中毒を起こしていますわね」
「カカオ中毒って摂取しすぎると死ぬんじゃないだか?」
検索し端末を見ながらクリスが言う。
「慌てないの。よく読みなさい、クリス。それは犬や猫の場合です」
「ほ、本当だぁ」クリスはホッとしていた。
「人でも必要以上の摂取をすれば死にますが、これまで手渡されたチョコから計算すればまだ大丈夫でしょう。子供ですから鼻血くらいだしもおかしくないかもしれませんわね」
「こうなると分かっていてやったのか?」とシュルド。
「パーンの体質のことなど分かるかけがないでしょう。言い掛かりです。シュルドさん」
「す、すまない」シュルドは謝罪した。
「あいつは動物かよ」ノルディックは呆れる。
「まあもっともパーンがネコ科でないとも言い切れませんが。パーンを見ていると猫にまたたびを与えているような感じに見えてきますわね」
「フィオ、不安になるようなことは言わないで下さい」
「部長死にませんよね」とクリス。
「これ以上摂取しなければ大丈夫でしょう。もっともアリエーのチョコを食べてしまったら分かりませんが」
「致死量に到達するかもしれないとしたら、早くパーンを捕まえないと」ディは焦る。
『何とかしたいが、アリエー君をもってしてもパーンを捕まえられなかったからな』
「今は、ホーカルとシンシマ、レイストもパーンを追いかけているのですね? 分かりました。パーン捕獲のためにオガワさんは事務室にお戻りください」
『私も追った方が』
「アリエーでも捕まえ切れていないのです。私やディ、ノルディックもアリエーに協力すべきです。オガワさんはロイスとともにパーンの位置を特定出来たら、私達の位置を把握して指示をください。シュルドさんはパーンの位置の特定をお願いします」
「俺が一人でやるのか?」
「できますでしょう?」
「残業確定だな」ため息をつくシュルドだった。
「少しはいいではありませんか、息子さんにチョコでも与えてください」
「パーンを見ているとチョコはなぁ」シュルドは端末を五層にわたって展開し始めた。「あっ、パーンのやつ。防火シャッターにアクセスしているぞ」
「止めて下さい。それから本当に外には出さないようにしてください。寮にも侵入させないでください。本棟外に出られると探しようがなくなります」
「食堂や休憩室もだな?」
「当然です。これ以上カカオを摂取させられません。扉キーを確保していただくと助かります。天井裏や敷設抗入られるとあの体格ですから、物凄く厄介です」
「分かった。ロイス、少しフォローを頼む」
「ノルディック、ディ、クリス行きますわよ」
三人に声を掛けるとフィオーレは事務室を後にする。
キョトンとしながら声を掛けられなったエレナは話を聞き、フィオーレ達を見送った。どうしたものかと思っているとシュルドに睨まれ、彼女は事務室を出て行くのだった。
「フィオーレは何を考えている?」
何か意図があるのだろうが、シュルドには読めなかったし、パーンの動きを追いかけながら、彼におかしなことをさせないようにするのがやっとだった。
「興奮状態のあいつは異常すぎるぞ」
呆れるほど体力も能力もいつも以上に発揮されているのだった。




