風に抱かれて 5-7
7.風の吹く先に
「ここがTDFなのね。広いわ」
すべてが見えているわけではないだろうが、アリエーはそう感想を漏らした。
「まだまだ設備が未完成ですが、充実した研究施設にするつもりです」
パーンは笑った。
アリエーは一度ホーカルのマンションに戻ってから愛用の機材を手にしてTDFにパーンとともにやってきた。
「理想郷を作ろうとしているのかしら?」
「分かりませんが、やりたいこと、やれることはやろうとしています」
「素敵ね」
パーンは社員証をかざすと本棟内部へとアリエーを誘う。彼女には今の彼が何気ない仕草からも悪戯な異柱精霊ウィンディギルトに見えてしまうのだった。
ワクワクドキドキしながら進んでいくのである。
長い廊下を歩いていくと事務室に案内された。
パーンが室温を調整してくれて、アリエーはコートを脱いだ。褐色の健康的な肌があられもなく見える。
「くつろいでくださいね」
アリエーは部長席の自前のPCを展開し、調整を始めていた。
しばらくすると連絡を取っていたノルディックがあくびをしながら姿を現す。どうやら遅くまで仕事をしていたノルディックは寮の自室で寝ていたようである。
「何だよ、この室温は?」事務室に入ったとたんノルディックは呆れたように言う。「うおっ、どちら様?」
目があった瞬間、ノルディックは彼女が強いと判断し身構えた。
「こちらはアリエー。来月に異動予定のホーカル・ジェイスキンの彼女さんです」
「本人じゃなくて彼女? 意味が分からんな」
「アリエー・ファムカです突然お邪魔してすいません」
恐縮しながらアリエーは挨拶する。
アリエーもノルディックを見て正面から戦っては勝てないと思った。
「それから彼女でもお付き合いしているわけでもありません。すいません」
「そうなの? まあパーンが判断したんだから、かまわないけれど、こいつと一緒だと大変だったんじゃない?」
「そんなことありません。すごく丁寧にエスコートしてくれましたし、私に寄り添ってくれましたよ」
その言葉を聞いて呆れるようにパーンを見た。
「人の彼女に何やってんだよ。こんな話聞いたらフェリウスが泣くぞ。彼女にもちゃんと寄り添ってやれよな」
「えっ、パーン彼女いたの?」
「居ませんよ。フェリウスは僕の秘書です」
「いつもパーンの奇行に泣かされているんだよ。知っているかい? パーンが秘書潰しって言われているの」
「ちょっと雲隠れしているだけではありませんか」
「まあいいや、パーンと一緒にやれるのなら問題ない。TDFの基準はパーンにあるからな」
「僕は指標じゃありませんよ」
「誰でもお前が受け入れられると思うなよ」ノルディックは鼻で笑う。「それより昨日の晩戻らないからフィオーレが心配していたぞ。『路上』生活者にでもなったのかとな」
「城に籠っていませんよ」
「それは『ろう城』だ」
「目立たなにいようにしたつもりですが?」
「『路傍』の石かよ。ってアリエーさんが面食らっているだろうが!」
「すいません。仲が良いというか、素晴らしいコンビネーションですね」
「オレがからかわれているだけですよ」ノルディックは頭を抱える。「オレはノルディック・ドリスデンだ。気軽にノルディックと呼んでくれていい」
アリエーと彼は握手を交わす。お互いに見た目からの判断は間違えていないと感じるのだった。本当に強者であると。
パーンは試験設備の電源を立ち上げてくると事務室を出て行った。
「何があったか、教えてくれるとありがたい。アリエー」
状況が飲み込めていないノルディックは訊ねるのだった。
アリエーはクルーティンの経緯を彼にも分かるように説明するのだった。理解が及んだノルディックは深いため息をつく。
「巻き込まれてしまったんだな。代わりにオレから謝っておくよ」ノルディックは頭を下げる。「パーンは突拍子が無いからな」
「そうかもしれませんね。でも嫌ではありませんよ」
「そういってもらえると助かる」ノルディックは謝罪とともに吐息を漏らす。「何をすればいいかは分かった、協力するよ」
「いいのでしょうか?」
「パーンがやると言ったんだ。今後のことにも役に立つと思う」ノルディックは苦笑いする。「ところでアリエーはどこの所属だ?」
「ジプコ第四宙域本部でASCをしています」
「ASCか大変だよな。オレも研修時代にASCの実習をやらされたけれど、営業までやらなければならないのはかなりしんどい」
「ノルディックもですか? そうですね色々な経験が出来るのは良いですが、かなり精神的には疲れます」時には客から嫌味を言われるのだから。「今回のことでパーンは何かしらの成果があると思っているようですが、ノルディックはどう思われますか?」
「私的見解からいうとパーンが大丈夫と思っているのなら、何とかるだろうな」
「楽観的ですね」
「そう思うかもしれないが、あいつは目算がないことには手を出さないよ」
「はあ」
「俺は今、ゲームを担当しいるがあいつが出来るといったから実現できたと思っているよ」
ゲームのタイトル画面をアリエーに端末で見せるノルディックだった。
「それあなた方が作っていたのですね。ジプコ製だとは知っていましたが驚きです。私もユーザーですよ」
「それは嬉しいな」
「一人のユーザーとして言わせてもらいますとあのベリーハードモードはやりすぎです」指を突き付け強い剣幕だった。「クリアさせる気がないのではと思った程です。鬼畜すぎます。残機を残し最終面まで行き、撃破された後の残機の無敵モードを使って雨あられの無数の弾幕の中を抜けなければならないのです。無理ゲーです」
「だって一部ユーザーから要請があったんだよ。でもレトーでも抜けられ穴を一ヶ所だけ作っている。まだ見つけたユーザーは出ていないけど」
「本当ですか?」アリエーが言ったことが今のところクリアの仕方だと攻略サイトには出ていた。
「本当だよ。オレもどうかと思ったけれど、フィオーレも同意したし」
「フィオーレ?」
「もう少ししたら、あいつも来ると思う。とにかく切れ切れな奴だかに覚悟して欲しい。S級ブログラマーで頼りになるけれど、変な奴だから」
「フィオに知られたらただでは済みませんよ」
音もなくパーンは現れる。
「パーンが黙ってくれていれば問題ない」
「アリエーがフィオと対面した時に彼女の雰囲気からバレてしまうと思いますよ」
「勘弁してくれよ。アリエー、なるべく顔を合わせても平静をよそおってくれよ」
拝み倒すようにノルディックは手を合わせてくる。
どれほど怖い人物であるのだろうかとアリエーは思ってしまう。
「ディは?」パーンはノルディックに訊ねる。
「今日はエレナと遊びに行っている。自分のアパートメントに戻ると言っていたかな。シンシマとレイストはアレクサンドリアまでパーツを買いに行っているはずだ」
「ではこの四人でやりましょうか」
パーンはシミュレーション施設へとノルディックを伴いながらアリエーを案内する。
地下一階のシミュレーション施設に入ると、制御室でフィオーレ・カティエスが待っていた。スタイルも良い金髪の美人でアリエーは驚いた。
ノルディックのようなラフな出で立ちではなく、ワンポイントの赤いリボンと薄く黄色いグラデーションの入ったスーツをビシッと着こなしている。
フィオーレはアリエーを見るなり、立ち上がって近づいてくると名乗らずに暖かく包み込むように抱きしめた。優しくハグされてアリエーは、嬉しくなり微笑みながらフィオーレの背中手を回し少しだけ強く抱きしめ返した。
見た目は全く違うのに母さんのようだった。
「フィオーレ・カティエスよ。フィオでいいわ」
「はい。アリエー・ファムカです。フィオ、よろしくお願いします」
「ではアリエー、私たちは何をすればいいのか説明してくださるかしら?」
「私でいいの?」パーンを見る。
「システムと目的を理解しているアリエーが適任ですよ」
「分かりました」思い思いに座っている三人の前に立つとアリエーはプレゼンを始める。「今回の目的はエアカーによる不幸な事故からクルーティンを守ることに主眼を置いています。まず最初にエアカーの前面に設置された光学センサーの反応速度を上げることにします」
「視野を広げることは?」とノルディック。
「エアカーの設計上どうしても車体に埋め込まれてしまっているのがほとんどです。デザイン的にも変更は難しいかと思います。確かにこれが変更できれば視界が広がり制御レベルも上がりますが、現在のところは前と後ろのメインセンサーとその死角を埋めるように配置されたサブシステムによって危険からエアカーを守るシステムが確立しています」
「それによって人身事故も物損事故もほぼ無くなっているからな」
「そういうことになりますが、小動物やクルーティンのようなものとの衝突を全て避けるまで至っていないのが現状です。それにティーマ単体で仕様を変えるのは難しい。会社としての利益にもなりません。センサー自体の大幅な設計変更も同様です」
「法律を整備すればどうかしらね?」フィオーレは悪戯するような視線を送る。
「確かに独自の生態系で進化した鳥から航空機などを守るために、その太陽系独自の法律を施行している星もありますが、ティーマにはそもそもメーカーの工場がひとつもありません。需要の観点から言っても難しいでしょうし、法律が制定されるまで何年かかるか分かりません」
「ティーマ自体の人口はそんなに多くは無いからなぁ。輸入だけで事足りている」ノルディックは肩を竦める。「星によっての設計変更は難しいし、どうしても人間が基準になってしまうからな」
「センサーの視界はおおむね百二十度、直線で五キロ先まで見通して人などの動きをメインシステムが把握し予測しながら走行することになります。目となる前面のセンサーはメーカーにもよりますがひとつが主流です。クルーティンの事故はサブシステムとの間で起こるナノ秒のロスから生まれるものだと推測します。それをなくすのが今回の目的になります」
「あまり鋭敏にし過ぎては走行中のバランスを崩すことにもなりますわ」
「その辺りことは考えがありますのでご協力お願いします」
頭を下げるアリエーの営業スマイルが板についていた。
「とりあえずインストールプログラムだけで状況を変えようというのね」
「それが一番の早道かと」
「ではシミュレーション用のクルーティンが必要ね」
フィオーレが立ち上がるとパーンを見る。
「おおよそのデータは集めてあるし、大学の研究サーバーに3Dがあったよ」
「安物でしょう」呆れた口調でフィオーレは言う。
パーンはTDFに戻ってすぐにクルーティンに課する資料やデータ集めに入っていた。
図書館、ティーマ大学の生物関連研究施設。さらにはクルーティンの生態を研究する政府の専門機関からも資料を取り寄せている。
「当たり障りのない公開資料よね。生態研究所くらいの詳しいデータが欲しいわ」
「ネットに落ちている映像とかも集めてみようか?」
「エアカーメーカーの営業所にあたってみるのは?」アリエーが訊ねる。「彼らも政府からの依頼で研究しているのなら資料を貸してくれないかな」
「それは無理ね」フィオーレはバッサリと切り捨てる。「そういった研究に関する資料や情報から、何をしているか知られたりするから、社外秘よ」
「あてには出来ないか」頷くノルディック。
「無理やりこじ開けるのも時間とリスクが大きいわね。話しているだけで時間の無駄になるわ。私が情報提供者にあたってみるわ」
「頼りになるね」とパーン。
「時間がないのでしょう? クルーティンの3Dモデリングは私がやります」
「どれくらい?」パーンは訊ねる。
「一時間待ちなさい」そう言い放つと部屋を出て行く。
「怒ったのかな?」アリエーはノルディック訊ねる。
「平常営業だよ」相手は完璧主義者である。「フィオーレは本気で作業する時はあまり人前ではやらないからな」
「そうなのですか?」
「見た目を気にするんだろうなとしかいえない。フィオーレは本社でもトップクラスの美女だから」
「そうですよね。私でも憧れてしまいますから。それでいてS級プログラマーなんて凄すぎます。うらやましいです」
アリエーは本当にうらやましそうであった。
「シミュレーション用のクルーティンは期待して大丈夫ですね」パーンはノルディックとアリエーに声を掛ける。「僕らはアリエーの指示にしたがってプログラミングを始めましょう」
「どうタイムラグを無くすんだ?」
「まずはサブシステムと分けないでメインAIに直結させます。全体をひとつの光学センサーで見ているようにするんです」
簡単な略式の配線図を見せてアリエーはプログラムの方向性を示すのだった。
ノルディックはプログラムを考え、パーンはエアカーの構造から配線図を構築し試験用エアカーをモデリングしていった。
アリエーがパーンとノルディックと机を並べ作業をしてみて分かったのは、二人とも仕事が早すぎるのだ。
第四宇宙域本部ではASCなのでハード面が中心で、プログラムに関しては専門とはしていなかったが、それでもC級ライセンスは持っていたし、仕事も誰よりも早いと自負していたが、ここまで差を見せつけられるとは思わなかった。
何せこの二人はどうやら三つの作業を並行して行っているのである。さすがはA級ライセンス持ちだと思い知らされたし、落ち込んでしまいそうだった。
それでも言い出したのは自分であり、投げ出すわけにも逃げるわけにもいかないと気持ちを奮い立たせるアリエーだった。根性だけでも負けるつもりはなかった。
「それにしてもシンシマのエアカー丸ごと解体がここで役に立つとは思わなかったな」
「えっ? バラバラにしてしまったんですか?」
アリエーの手が止まってしまう。
「シンシマは整備士の免許も持っていますからね。解体した後ちゃんと組み立てて、今も壊れず走っていますよ」
「そのおかげで電子部品に至るまで詳細にばらして回路から配線に至るまでチェックできたから、試験用のエアカーのモデリングが楽になった」
「何が役に立つか分かりませんね。プロジェクトがはかどりました」
「エアの吹き出しを確認するだけだったのにな」話をしながらもノルディックの手が止まらない。「しかしフィオーレはさすがだな。話を聞いただけで動作まで理解していたのかよ。鋭敏にし過ぎると本当にエアカーの姿勢制御が難しくなってくるな」
「あまり過敏にし過ぎない方が良いですね」パーンは頷く。「うまくバランスを考えてみましょう」
「えっ? はっ?」
送られてくるデータを見ながら驚いてしまうアリエーだった。
「呆れないでくださいね」パーンはアリエーに言う。「すぐに慣れますから」
「まあ、ここは変わり者ばかりだから」ノルディックは笑う。
「え~っ」
ホーカルのことを考えると不安になるアリエーだった。
何か一芸に秀でたモノがあっただろうか、ホーカルは?
試作プロクラムの一号が組みあがる。
一時間きっかりにフィオーレが戻ってくるとモデリングを披露すると、その動きに三人とも拍手してしまう。彼女は少し不満げであったが。
「電算室のご機嫌はどうだ、パーン?」
「絶好調ですよ」パーンはノルディックに頷いて見せる。「では試験スタートです」
八十キロと市街地の上限速度よりも早く走行してくる実物大のエアカーが映しだされる。
車道の脇にクルーティンが姿を現した。
「センサーは認識中。クルーティンの動作確認も行っています」
エアカーの速度は変わらずクルーティンが高速で対岸にジャンプする。
「三十メートルで成功。エアカーは止まれました」
「クルーティンともぶつかっていない。よし!」見ていたノルディックは拳を握りしめる。
「危ないわね。距離を二十メートルに縮めてちょうだい。パーン」フィオーレが指示を出す。
画面が切り替わる。
「二十メートルでも止まれましたね」
「いい感じだと思うが? どうなんだフィオーレ?」
「十五メートルに距離を縮めて。それから制限ギリギリの車間を空けて後続車も走らせてちょうだい」
「了解」パーンはあっさりとプログラムを組み上げた。「スタートさせるよ」
かなりきわどかったが、急制動が掛かって緊急停止が出来たが、後続車とは接触してしまう。後続エアカーへ挙動を伝えるシグナルが間に合わなかったのだ。
「バンパー部分に少し傷がついた程度だな。これは自動制御での場合だ。手動操作している場合は衝突事故になる可能性がある。回避させる方法はあるか?」
誰にでもなくノルディックは訊ねる。
「あります」アリエーは力強く言う。「後部の光学センサーともタイムラグ無くつながっているのですから、常に後続車とセンサー同士でつなげれば、ここまでの接触はなくなるはずです」
「なるほど前後左右と視界を共有し合うのか。そういう風にプログラムは組み込めるか?」
ノルディックはフィオーレを見る。
「私を誰だと思っているのかしら」彼女の指先はすでに動いていた。「ノルはプロクラム同士が干渉し合わないようにするのを手伝いなさいな」
「人使いが荒くなってきたよ」ぼやきながらも手は止めていない。
プログラムは互いに干渉しないように組み込むことが出来たバグもない。
しかし距離を十メートルに縮めたところで車内に急制動が掛かりすぎてシートに人が叩き付けられるケースが出てきて、それを今度は修正することになる。
さらに五メートルとなるとどうしても止まり切れず接触事故は起きてしまった。衝撃で死に至るケースこそなかったが、それでも骨折や内臓への影響は避けられない。
「ここがプログラムの限界かな」
いろいろと試してみたが、これ以上の進展はないとフィオーレも判断した。
「う~ぅぅ」アリエーは頭を抱える。
「後続車ともぶつからず、車内の衝撃も抑えられた。ここまでやれたのはメーカーでもなかったはずだ。事故を減らせただけでも収穫だし、すぐにでもメーカー側に勧められるプログラムだぞ」
ノルディックは励ますようにアリエーに言う。
「ゼロ距離だって死なせてはダメなんです」そこまで出来るとはずだったのである。「思い上がっていたのかな……。あ~っ、何か、何かあるはず。何か、何か」
机に突っ伏しながらぶつぶつ呟き続けるアリエーだった
「休憩にしましょう」
フィオーレは宣言する。
彼女はパーンとノルディックを引き連れて飲み物を取りに行く。
「アリエー。諦めていないな。根性あるよ」
「彼女は強いですからね」
「物理的にもだろう? ものすごく強い奴だと最初に会った時に感じたぞ」
「多分、そうでしょうね」
それを聞き二人にテニスとバッティングセンターでの話をするパーンだった。
「テニスボールをあのポールにぶつけるのか? ボールを入れるだけの細さしかないのに凄いな」
「タイムラグの話をしてくれましたから、今回の発想もそこからかもしれませんね」パーンは頷く。「ノルディックと戦ったら凄いことになるかもしれませんね」
「あまりやりたくないな」ノルディックは笑う。「そういやフィオーレは何で会ってすぐに抱きしめたんだ?」
「アリエーが脆そうだったからよ。彼女寂しがり屋よ」
「そうは見えなかったが」
「恋人とうまくいっていないんじゃないの。パーン?」
「見てきたように言い当てますね。さすがフィオです」
「まったくあなたたちときたら。もう少し気を遣ってあげなさいよね」
「だったらこんな時間だし、夜食にした方が良いんじゃないかな?」パーンは提案する。
「そうね。日が変わるわ」六時間以上通しで作業していたことになる。「美味しい料理はいい気分転換になるかもしれないわね」
フィオーレはパーンにアリエーを呼びに行かせると、準備すべく社食へと向かった。準備とはいってもペリシアが用意してくれていたものを温めるだけだったが。
「私までいいのですか?」
アリエーは恐縮していたが、寮にいる人数分ペリシアが土日の分まで用意してくれているので問題がなかった。
「今日はいない人の方が多いですし、無問題です。もっと食べたかったら他のも用意できますよ」
「食べ過ぎて頭が回らなくなるのも嫌だから、これで十分です」
作りたてのハンバーガーを食べているような食感を味わいながら、大きな口を開けてアリエーは食べていくのだった。
「本当においしい♪ 絶妙のパテ。チーズも濃厚」
「TDFのシェフは高級レストラ人も負けないからな。おかげで毎日の食事が楽しみになった」
「ノルディックはちゃんと身体を動かさないと太りそうね」
「基本の型とかは毎日欠かしていなよ。そういえばパーンから聞いたけどアリエーはスポーツが得意なんだってな」
「得意かどうかは分かりませんが、身体を動かすのは好きですよ」
アリエーは挑戦的にノルディックを見た。
「アリエーが身体を動かすと風を纏っているようで、素敵でした」パーンが見たままの感想を言う。
「褒めすぎ」アリエーは笑っていたが、パーンの言葉に気付かされたことがあって、ハッとする。「そうか、風だ!」
立ち上がると天井に届けとばかり両手を思いっきり広げていた。
「なんだ、どうした?」
「風よ。ノルディック」興奮しているアリエー。「エアカーに風を纏わせるのよ」
アリエーは三人に思いついたアイディアを説明し始めるのだった。
「後進用のスラスターノズルのエアを使うのか? 吹き飛ばしてしまわないか?」
「そこは調整するのよ。常時纏わせるかは試行してみないと分からないけれど、これを使えば側面からクルーティンがぶつかって来ても無傷でいられるはずよ」
「無傷は難しいかもしれないけれど、軽傷くらいで済みそうね」
「煙の輪を作るように、スラスターの風も色々と変えてみたら衝撃は最低限に抑えられますよ」
「かなり面倒なプログラムになりそうね」
「フィオーレでもかよ?」ノルディックはからかうように言う。
「私を誰だと思っているよ。出来ないとは言っていないわ」
「では話もまとまったところで、作業に戻りましょうか」
パーンは微笑んだ。
あとはトライアンドエラーの連続だった。
「九十八番、行きますわよ」
「了解です。フィオ、お願いします」
「続いて九十九番も行けますわよ」
「くそっ、また負けた」フィオーレの宣言に舌打ちするノルディックだった。
「私に対抗するなんて万年早くてよ」フィオーレは鼻で笑う。
お互いにチャレンジするようにこれでもかというくらいブロングラムを組みスラスターノズルの吹き出し口の調整プログラムをアリエーに送ってくる。
いくらやってもシミュレーションが追い付かないほどだった。
何だろう? この早送りみたいな世界は、そう感じながら作業をアリエーは続けていた。
考えられないほどのスピードだった。
噂でしか聞いたことがないSランクプログラマーの片鱗をアリエーは見たような気がするし、それについていこうとするノルディックやパーンの腕前も舌を巻くほどだった。
「百三十八番です。よろしくお願いします」
どこを見たって、これだけの人材は存在しえない。
何だろう? ここは電子のハ・ヴィ・ラダなのだろうか?
現実味が無さ過ぎて、アリエーは忙殺されながらシステムを動かして、どれが正しいエアの吹き出し方なのかを感覚でしか探れないようになってきていた。
いや、目と感覚に頼った方がよさそうだと、アリエーは精霊の動きを読むように、スラスターからの風の動きを追う。数値に頼るのは止めてしまっていた。
その瞬間、エアの花びらが開きぶつかる寸前のクルーティンを優しく包み込む。
これだ!
「ストップ。二百三番。これです。これが正解です。クルーティンを優しく受け止めましたよ」
「くそ~、負けた~」ノルディックは背もたれにもたれかかりながらぼやいた。
「これで終わりなのですか。私ならまだ百はプログラムが組めましてよ」
「かなわねぇな。オレなんかカスカスだぞ」
「精進しなさい。もっと出来るはずなのですから」
「ここまでやって頂いて感謝の言葉しかありません」アリエーは喜びを爆発させる。
誰彼かまわず抱きしめ合いたい気分だった。
精霊祭でもここまでハイテンションにならないかもしれない気がしてくる。
「祝いたい気分だな」
「酒は無しよ。ノルディック」フィオーレは彼をたしなめる。
「まあここには料理酒くらいしかないからな。仕方がない珈琲で乾杯するか」
ノルディックは立ち上がる。データを保存するとアリエーも頷きながら立ち上がるが膝が砕けるかと思うほどふらつき、腰でバランスが取れないほどだった。
「ありがとうございました」
休憩コーナーでアリエーは三人に向かって深々と頭を下げる。嬉しかったのだ。
「うまくいったのはアリエーのアイディアのおかげよ」
労わる言葉をフィオーレはアリエーに掛けるのだった。
「これは私の我侭でしかありません。皆さんを巻き込んでしまって申し訳がないんです」
時刻は午前六時だった。夜が明けようとしているのである。時間の推移を肌で感じていたアリエーは本当に済まなそうだった。
「私達は自分の意志でここにいます。貴方が気にすることはありませんよ」
「フィオ……」
「どうせパーンが引きずり込んだのでしょうから、気に病む必要はありません」
「バレてた?」
「こんな突拍子無いことを、オレ達を招集して始めようとするのは、パーンくらいだよ。そういうことだから、本当に気にするなよアリエー」
「ありがとうございます。それならブラッシュアップをお願いしますね」
「あちこち機能を盛りすぎましたからね。メーカーでも対応できるようにプログラムを簡素化しないといけませんね」
「アリエーの手柄ですよ。私達に預けてしまっていいの?」
「私はクルーティンの役に立てただけで嬉しいのです」
「報酬は無し、益も無し、うまくっいたからいいけれど、アリエーは無欲過ぎないかしら」
「この称賛があれば私は嬉しい。本当ですよフィオ。これから私は本来の仕事に戻りますから、どちらかというと丸投げしているようなので、気が引けるくらいですが、これは任せられる方々に託したいです」
「信じてしまっていいの?」
パーンはニヤリと笑う。それでもアリエーは託すと頷いた。
「それなら任せられました。週明けにはメーカーに打診してみますね」
「そんなに早く?」
「疾風迅雷が、TDFのモットーでもありますから」
「初めて聞いたぞ」ノルディックが突っ込む。
「宇宙歴三百五十八年九月六日十九時八分に言ったじゃありませんか」
「あったかな……って、もっともらしいこと言っているが、嘘八百だろうが!」
「バレてしまいましたか」残念そうにパーンは笑った。
「アハハハハ」涙が出るほどアリエーは笑ってしまう。
ここが本当にハ・ヴィ・ラダだと思えるほどに。
「出来上がってから言うのもなんだけれど、基礎データだけ残して私は退散することになるかなと思っていた。ここは凄いわね」
「いつ戻る予定だったんですか?」パーンは訊ねる。「時間は大丈夫なのでしょうか?」
「今日の十一時の便に間に合わなかったら、欠勤扱いになったかもしれないわね」あっさりと白状するアリエーだった。
「まだ時間ありますね。モーニングを食べていかれますか?」
「そうね。そうしようかしら」厚意に甘えることにしたアリエーである。「でも食べ終わったら見送りは良いですから、皆さんは寝て下さいね。特にパーンは無理しないように。寝ないというのであれば首根っこを捕まえてでも部屋まで連れて行きますからね」
「了解です」万歳しながらパーンは言う。
ハイテンションなモーニングが始まっていた。
「やっぱりアリエーは風ですね」
「そうかもしれない。やっぱり私はナディスなのかな。本当に風みたいなような気がしてきた。気付かせてくれてありがとうね、パーン」
アリエーはあどけなさの残る屈託のない笑顔を三人に振りまいた。
読んでくれて本当にありがとうございます。
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