3 天才児
更に耳の後を背の方へ流れる豊かな黒髪の本流――それは腰まで達するほど長く深く、艶やかな光沢を湛え流面に幾重もの《天使の輪》を描きだしている。
「席は窓際から2列目の一番後ろだ」
「はい」
称揚の念を込めたヒソヒソ声の中を、転校生は机と机の間をゆっくりと歩んでゆく。
「見て見て! 漆黒の髪よ」
「キューティクルがっ…………」
傍を通り過ぎる彼女を目で追いながら、頬を赤くして見惚れている女子生徒もいた。
少女は窓際の一番後ろ、欠席しているらしい隣の空席へ目を配ると、席に座り前を見据えた。
(……なんだろう? あの人…………どこか…………)
鴨川セリは彼女が姿を現してから正体不明の違和感を覚えつつ、一部始終を目で追っていた。キレイな人だと感じた。だから雛守直隆の反応が心配で様子を窺うも、意外や意外。
彼は頬杖を付いたままで表情を動かさず、特別の反応はなかった。
豪田サトルや鮫島銀太・菱木悠介ら仲間の面々が、これまで通りのルンルン気分で囁き合う中どうしたことか。
今黙って座り、前を見詰める編入生の表情は、固いというより冷たい印象を受ける。
或いは見えない壁を設けているというべきか……全然知らない人ばかりの所へ来たのだから仕方ないとも思う。
――私も来たばかりの時分は、あんな様子だったのかも知れない。
* * *
【可愛げの無い子供だ。泣かないかわりにニコリともしない】
【どっかへ行けっ、消えちまえ!】
撲られるとか、暴力的虐待がない代わり構っても貰えない。酷い言葉を投げつけられ、毎日お腹を空かせていた記憶しかない。それが実の親だったのか親戚か、まったくの他人だったのかすら、よく憶えていない。
ただその過程で、大切なクマのぬいぐるみを捥ぎ取られ、捨てられてしまった。
感情を押し殺して耐え続けていたが、とうとう堪えきれず大声で泣いた。
たった一人の友達だったのに。
だから土御門神社で生きた縫い包みのヨシツネ(スーティーベア)を見た時、懐かしい友達が新たな生命を吹き込まれて、神様が再会させてくれたと思った。
もちろん嘗ての友達はあそこまでビッグサイズじゃない。両耳も黒い煤で汚れはおらず、両手・両足裏のパットが黒い訳でも無かったけれど、嬉しかった。
* * *
「自働書記[Automatism]――とかいうんですか? わたし共は心療の専門家ではないので詳しくなくて……あれが始まると所構わず落書きをして止まらないんですよ」
児童養護施設の女性職員は苦労を滲ませる口調で語った。
シスター・スリスティーナが案内された部屋まで行くと、女の子が床へ敷かれた数枚の大きな紙に覆い被さる様な姿勢でマジックペンを使い、凄い勢いで書き物をしていた。
白髪であったため最初は小さな老婆かと見紛い驚いたが、すらりとした細い手足は幾分青白かったものの皺はなく、張りがあって幼女とわかった。
ラテン語で〔〝この者を救い出せ〟〕という意味の事が書かれている。
――これを気の触れた人間が書けますかっ
手を伸ばしそっと頭に触れる。ぴくりと反応して、幼女は書くのを止めた。優しく髪を撫でると、女の子は恐るおそる顔をあげ目を見開き大きな瞳をシスターへ向ける。
「もう安心してください。迎えに来ましたから」
クリスティーナは彼女を黙って抱きしめた。抗う事無く、少女は疲れ果てたのか瞼を閉じて身を預けた。
( あなたは神の子です )――――
5月上旬、幼女はルイス・フロイス学院へ連れて来られた。
「オイなんだあのチビッコ。髪が真っ白じゃんかよ」
「シスターが推薦して、理事会が編入を認めた天才児だってさ」
「マジか? 髪の色以外は普通の幼稚園児にしか見えん」
廊下の端々で囁き合う声が聞こえたが、特別の感慨は抱かなかった。
セリが教師と並んで教壇上へ現れるや、また室内は水を打った様に静まり返った。
先ほどの生徒やシスター・クリスティーナ同様、意外な髪の色は誰でも驚くらしい。
壇上へ立って紹介を受けた時、一年一学期のα組教室では当然ながら、現在いる面々が顔を揃えていた。やがて姉妹の誓いを立てる御狼沙織、微笑を浮かべ好意的な視線を向けた雛守直隆。関心無さ気な土御門響也は頬杖を付き、口を大きく開いて声無き欠伸をしていた。
忍者少女・霧隠彩が現れるのは約1年後の事であるが、この時は誰一人として予想するべくもない。
かなり年下の、可愛いらしい女の子が編入してくる。その情報で遮那堂かほるも目を輝かせ待っていたが、女児の様子や表情を見て衝撃を受けた。
この時点で彼女はクラス内での主導的なポジションをほぼ獲得し、前職から地位を禅譲され生徒会長に就任していた。




