一 ◆◇◆ デア・ライトを探して
その頃、鎌倉の町という街、家という家では二人以上の者が顔を合わせさえすれば、まるで当日の天気の挨拶を交わす風情で、森の六根少女の噂を囁き合っていた。
「六根少女」というのは、長谷の山中から佐助稲荷へ通じる、鎌倉では比較的険しい山道のルートやハイキングコースの周辺を謎の小さな女の子が彷徨しているというもので、つまり一種の都市伝説だ。
目撃者の証言では、女の子の身長は60センチ余り。アンティーク人形の様に小さく、目は透き通った綺麗なブルー。森へ溶け込む色合いのワンピースを白いレースですっぽりと覆っていて、幼女の外見をしているという。
名前の由来は早朝の雑木林奥から
『 ろっこんしょーじょ、ろっこんしょーじょ…… 』
幼い女の子らしい声を聞いたという情報に基づき、多分『六根清浄』だろうとされ、そこへ〔少女〕を引っかけたものだ。
これらの噂に関しある者は、ただ普通の女の子を見間違えたと言い、或いは「錯覚・妄想の類か単なる嘘」また「狸か狐の悪戯だろう」と憶測する人もいた。
狸たちと言えば、昔から鎌倉の人々との摩擦を恐れ、滅多な事では地元の者への手出しをしない。
良好な関係を保ってさえいれば生存権が保障され、おまけに愛らしい子供たちを連れて庭先を訪問すると、美味しい餌まで貰えて歓待されるのも珍しくはない。
狸と比べれば鎌倉狐はプライドが高く人間への対抗意識が旺盛で、隙だらけの者を見ると堪え切れず、盛んにからかったりする。
しかし環境変化への適応能力が狸より劣るのか、繁殖力も低いため最近では減少が著しくそれと合わせ悪ふざけもなりを潜めた。
現在〔鎌倉狐〕は殆ど生息しておらず、逗子市との境など、極限られた場所にしか居ないと考えられている。
替わって久しく勢力を伸ばしてきたのは【北米ダヌキ】と称されるアライグマだが、これは頗る評判が悪く〝先獣民〟である狸や狐の縄張りを侵した事はもちろん、民家屋根裏へ忍び込み糞尿を垂れ流したり、台所に忍び込んで食べ物を食い散らかすなど、人間の生活圏をも平気で荒らし続けた為、駆除の対象とされてしまった。
その上、狸〔イヌ科〕とアライグマ〔アライグマ科〕は全くの別種で、無関係である事から同一視されたくない! と狸たちは迷惑顔だ。
鎌倉の狸や狐たちは、いずれの勢力も『アライグマは馬鹿だ』と考えており、人間達の排斥も止む終えずという受け止め方が一般的であるが、これら外来種は最初から変化の術を使えない。
日本ではレアケースとして家猫が変化したりもするが、猫又と呼ばれる妖怪化でその場合、尾が二分割するため一目瞭然である。
梅雨も中休みした土御門神社の境内。
山側の塀際で茂る山蕗の葉を、夏至のそよ風が揺らしていた。
その下で割れた植木鉢が被さった巣穴の奥から、一匹の大きな蟇蛙が這い出すと眠たそうな目を前方へ向け、その辺に餌のミミズでもいないかという佇まいでジッと動きを止めている。
早朝の中庭、枯山水前の階横でニンジャスーツ姿の少女・霧隠彩は、自らの分身とも言うべき刀の刃を横へ寝かせ構えていた。
左足を前方に大きく一歩踏み出す形で両膝をやや沈め、伸ばした左腕、手の第二、三指の甲へ三つ頭の後辺りを据えた姿勢で、長物の銃を構えるかの如き鋭い視線を切っ先に集中させる。
続けて左足を戻しつつ両手構えで刀身を立て、ゆっくりと下段を取り無形の位から一気跳ね上げての右袈裟、翻して左逆袈裟の連続技へ移行しかけた時、五級段上で主君の声がした。
「お彩」
「……! ははっ」
呼ばれた少女は、高欄から2mほど手前まで寄ってきて片膝をつき、臣下の礼を取る。
「何でございましょう、ご主君」
「そーいうのはよせと言ってるだろ」(こっちがハズカシイ……)
渋い顔をした響也は、時代劇みたいな彼女の所作を軽く叱った。
「そのニンジャスーツの事なんだが、そろそろ処分したらどうだ」
彩は面差しを下げて自らの装束を目視すると、顔をあげて尋ねた。
「ご主君におかれましては……目障りでございましょうか?」
「いや、そこまでは思ってねーけど。もう化物は出て来ないしさ、修行も結構だが周りとの順応を考えた方が良いんじゃね? 今時忍者やってるのお前だけだろうし」
この時代の学問所へやって来た取っ掛かり。賊と勘違いして投げ飛ばそうとした友人が作ってくれた物で、自身も気に入っている。
重ねて忍びが唯一人であるという現実を突きつけられ、彼女は一抹の寂しさを覚えた。
自分が忍びたるを捨てれば以後、忍道はこの日ノ本から消え去る。
だがそれらを捨てることで、この時代の人間へとなりきって行けるのである。
感傷を振り払って、少女は何時も通りの返答をした。
「………………御意。…………」
「ご免くださいませ」
「あ、彩ちゃんコッチ。本当によく来てくれたねー」
「留美どの」
「わがコスプレ制作研究会へようこそ!」
「ここは演劇部の衣装工房でしょ――が!」
バンダナを被った上級生と葦舘留美が、互いの両手で掴み合う。
「アンタって子はっ……伝統ある我が高演劇部の衣装制作室を、変態コスプレマニアの巣窟と化しちゃって!」
「ナハハハハ……。まあ部長、抑さえて抑さえて」
防戦一方の留美は、爆笑しながら丸め込む。
「忍び装束をお返し致します。かたじけのう御座いました」
差し出されたプロテクター類の入った大袋と畳まれたニンジャスーツを見て、留美は脱力感を覚えた。
「…………やっぱり手放しちゃうの?」
「ご主君がもうお返しせよと仰せにございますれば」
「ああ何てことかしら……思えば彩ちゃんが教室へ飛び込んで来たあの日以来、寝食も忘れ(以下回想略)……、……所がドッコイ響也ったら、余計なこと言ってエェ――――――ッ」
葦舘は握っていた裁縫バサミをびゅんびゅん振り回して憤慨した。
「申し訳ございません」
「いやいや、彩ちゃんが謝るコトないのよっ」
慌てて打ち消して彩のご機嫌を取り結ぼうとしたとき、横合いから声が掛かった。
「そーよ、彩ちゃん。スルーしといて」
「仁子!?」
「留美の個人的な趣味で振り回される義理は無いからね」
人差し指で小突きながら叶仁子は問い質す。
「あんたセリだけでは飽き足らず、彩ちゃんまで着せ替え人形にしようっての?」
「やーねぇジンコぉ。私は彩ちゃんのためひたすら努力と研鑽を重ねてですねぇ…………」
「土御門くんの悪口……良くないと思う」
「あれ、沙織もいたんだ?」
グラスハートの御狼は留美の言い草でショックを受けた。どれだけ存在感の薄い影みたいな印象を持れているのか。しかし、響也が悪く言われている場面へ居合わせることが意外と多いので、幾ばくかでも自分を励まして反論しなくては。
「あの……御狼どのは我がご主君さまと、どの様な関係でございましょう」
「! …………」
決意も束の間、彩の率直な質問でパニクりそうだった。
「あのっ……あ、わたし別に…………」
「タダのクラスメートだよねっ」
続けざま放たれた心無い言動。御狼はちっ、ちっと留美の腕の辺りをグウでもって擦る。
「あ、いてっ……アラ?! 私、何か悪いこと言っちゃった?」
「ハハハ沙織、あんた響也のこと好きなんだよね!」
仁子が指摘した途端、ビクッと直立のまま硬直した。とても分かり易い反応で、今度は忍者少女の気持ちが波立つ。
――ご主君様を好いてらっしゃる方が居られる…………!
チクリと胸の奥が疼いて、ハッと手を当てた。でも彩自身はその理由が分からなかった。
「ねえ彩ちゃん。逗子の僕の屋敷へ引っ越さない? もちろん家賃なしでさ」
クラスメートのイケメン男子、雛守直隆が教室で忍者少女を誘っていた。彼は両親共に大手企業の経営を手掛け、家は裕福だった。
「忍び故、ニ君とはまみえませぬ」
雛守と彩のやり取りを、鴨川セリは側で聞き面白くなさそうに唇を尖らせた。少し頬を膨らませた女児は、投げ出した二の腕の間へ頬を挟み前を睨む。土御門響也が揶揄った。
「残念だったなボンボン。俺の家は広さ十分なんだよ」
「フン。お前の所は道場や境内が無駄に広いだけだろ」
「なんだと!」
「まったく見苦しいわね男共は」
「雛守クン。私が屋敷へ住み込んでも良くてよ」
男子の態度をくさす叶仁子の横で、雪城舞が提案する。富豪で篤志家としても知られる名門出身の彼女が言うと雛守も見劣りするので、ちょっとしたイヤミであった。
「ねえ彩ちゃん。以前お仕えしていた師君さまってどんな顔してたの?」
「わあっそれセリも知りたーい」
「そ、それは…………その……」
チラリと彩が主君の方を見る。響也は一寸気になった。
「やっぱ響也のお爺さんみたいな?」
「何だよ、その笑いはっ」
叶仁子がニヤついた視線を響也へ投げながら質問すると、彼はイキリ立って抗議する。しかしながら、彩の返答は煮え切らない。
「これは……どう申し上げれば………………」
「ああ? ハッキリ言ってやれ。そんな昔の先祖、今は特徴なんぞ残ってるワケねーだろ」
「…………」
「ハアッ!? モシモ――シ?!」
耳に手を添えた響也は、俯いて黙り込む彩を追及した。
「…………ニブイ奴め……」
「まったくだわ」
言い捨てた雛守直隆も遮那堂も、表立って開いた口が塞がらない態度を取っている。ムカっとした響也は、二人への不満をぶちまけた。
「大体お前ら、いつも俺を面白おかしくイジリ過ぎだろーが!」
「いいかよく聞け。彩ちゃんが昔仕えていた師君様って人はな」
「響也。――――あなたと、瓜二つなのよ」




