⑨ 神獣
「そう、土地柄ですわ」
雪城舞も澄ました微笑を浮べて応じた。
「えーと……」
僅かの間を置き、遮那堂かほるが口火を切る。スマイルは消えていた。
「で、彼女をどうするつもり?」
「あっあ、勘違いなさらないで下さいね」
「ち、違うのっ……!」
双方が誤解を正そうとし、慌てて言葉を継いだ。
「自分は土御門神社におわす嘗ての主さまと会って、復命をお願いしたいだけなんスよ」
「そそうなの。でも望み通り連れてくのがいいかどうか、一人じゃ判断できなくてっ……」
来訪者二人の視線は、今虚空を漂い、その臀部から生えているのであろう《喋る超常現象》の尻尾へ向け注がれている。
(……勘違いねぇ…………)
年を経ると動物も妖力を得て、人間に化ける事ができる。尾っぽが分岐した時点で、恐ろしい妖怪だと遮那堂は聞いていた。それが、目前の正体不明の妖物は――・――、――九つ!?
――あら嫌だ、九本もある! どーしようか、これ?!
瞬間、遮那堂の脳裏へ霧隠彩の顔が浮かんだ。彼女であれば、この妖怪を何とか出来るだろうか? 無力感から依頼心が芽生え、どうしても喚起してしまう。
* * *
私は彩ちゃんの澄んだ黒い瞳が大好きだ。
でも、愛する反面恐ろしくもある。その純粋で底知れなく汚れ無い魂。
彩ちゃんが私たちの前に現れ、初めて過去を語ってくれた時――……私達は、彼女の師君様が何を望み、願って彩ちゃんを響也の元へ送り出したのかが、直ぐに解った。
響也のご先祖様が、彩ちゃんをこの時代へ送り込んだもう一つの意図が明らかな以上、二人が添えるよう応援もしたい。
でも沙織のことは気掛かりだ。
この子も響也に想いを寄せているし、実は告白を勧めたのも私だった。彼女は気持ちの優しい子だが、内向的で自分の気持ちを上手く伝える事は難しい。でも敢えて背中を押して、とうとう面と向かって告白してのけた。
さぞ不安で緊張しただろう。
…………響也はその場での返答を避けて後日へ引き伸ばしたけど、それでも彼女は泣いて感激していた。勇気を振り絞って、気持ちを伝い得た自分を褒めたい気持ちだったと思う。私だって誇らしいくらいだ。
でもその矢先、あの少女が来た。
私は彩ちゃんの様な素晴らしい子を見た事がなかった。
それは勿論、剣の素養や忍者としての信じ難い能力ではなく、一人の女性としての気立て。
言葉を換えれば、温和な性格と柔らかい物腰・恥じらいや気配りなど、チャーミングな美点とも言うべき所だ。
――〔婦道〕と言えば古くさく聞こえるが、現代の私たちが捨ててしまったそういう点に男の子は今なお惹かれ、心の安らぎを求めるのは事実であろうから、沙織のみならず、私達の誰もが圧倒的なほど不利であるかも知れない。
最初は自分も沙織と響也の仲が良くなればと応援するつもりであったが、彩ちゃんが現れてからは全ての前提が覆ってしまった。
もはや彼女抜きの土御門響也は考えられないが、沙織の気持ちを思うと後ろめたさを感じる。
自分と置き換えてみれば分かる。我が家の隣(豪田家)へ愛らしい女の子がやって来て、一つ屋根の下で暮らし始めたら耐えられない。とことん嫌な女の誕生か気がおかしくなるだろう。
* * *
遮那堂が度々牽制球を投げ、響也にその気はないと表明させているのは、彩の操を守るというのが理由だが、もう一つ沙織の心が焦燥感で苛まれるのを防ぐという意味合いも持っていた。
それから――――。
疑惑の九尾娘は自らの経歴や御狼沙織との巡り会いまでを掻い摘んで説明した。そして自分は決して悪巧みなどの他意は無く、助力をお願いしたいと懇請した。
よくよく観察すれば、振袖付きの着物を短く改造してある。下は黒いレースのギャザーが裾周りへ連なった、紅い袴を思わせるキュロット&草履風シューズという、ステージ上で歌い出しそうな和風アイドルファッション。
センスは残念なほど現代っぽいが同情すべき点も多々あり、全て真実だとすれば協力も吝かではないという気もして来る。
二人は沙織からの相談及び九尾娘の陳情を受ける形で、一時間程の会合を終えた。
「あの子のこと……霧隠さんには黙っていて欲しい」
見送りのため出た玄関前で、御狼沙織は二人へ要望した。玉露と会えば、彼女が妖であると逸早く断定して、殺そうとしないか心配であると言う。
同意だ。あの時響也を狙った化け物相手に校庭で戦い抜いた姿や、最後の葬り方を見れば懸念は十分理解できた。人と相容れぬ存在なら、彩は容赦しないかも知れない。
遮那堂は初めて彩が教室へ飛び込んできた日に、刀を取り上げようと担任の烏丸頼子が迫った瞬間(先生が斬られる!)と寒気立った事を思い出す。
今でもあれは勘違いではなかったと強く確信しているので、文字通り真剣な見極めを要する。
二人の背中が見えなくなるまで見送った後、姿を消していた玉露が話し掛けてきた。
「ふ~~む、ナルホド。ああいうお友達がいらしたんですねぇ、安心しましたよ自分は」
「えっ……」
「取り分け、遮那堂かほるさん? 彼女は相当な大器量人でしょう。一目で分かりました」
「……だいきりょうにん?」
「う~ん、なんつーか度量が大きいと言うか、懐が深いっていうか。まあそんなトコっす」
帰途へ付く間、二人は暫らく『セミナリオ前』駅ホームで電車を待ちながら思案していて、藤沢方面からの下り車輌が遠くに姿を現すと、雪城舞は口を開いた。
「神社の結界は、響也が怪物から狙われていた頃、宮司さんが孫を護ろうと自分で掛けたものでは? もしそうであれば、本人と直接交渉して解いて貰った方が早いですわ」
「あ、そういう事」
「先ずは彩ちゃんと協議した方がよろしいですわね」
「だけど、沙織の心配も考慮しないと」
「あれが妖怪の類で沙織が騙されているとすれば、私達だけでは決して彼女を救えませんわよ。残忍な存在としての九尾は、仰々しく創作された話ですから絶対とは言えませんけど」
「…………」
「大体、あの玉露という狐はウソをついてましてよ。恋愛成就のご利益があるのは下社隣りの祠、縁結び十一面観音の方でしょう。佐助稲荷は出世開運のスポット。それを拝殿奥の本殿まで誘っていますもの。まったく油断なりませんわ」
「そこは私も気がかりな部分なのよねぇ……」
「玉露狐が言葉通り性根の良い存在なら助け、もし邪悪な妖であれば彩ちゃんの力を借りて処分いたしましょう。沙織の心を傷つけないよう、内密の形でね」
嫌な表現だが仕方の無い現実だ。
四両編成の車両が駅ホームへ滑り込んで来て停車した。先頭がオリエント急行をイメージしたという江ノ電10型電車だった。
二人は乗り込むと、空いている席に座る事無く海側のドアの前へ立ち、話を続ける。
退治するとして、果たして彩が倒せる相手かというのが遮那堂の懸念である。
例の怪獣に比べたらと舞は思っている様だが、やはり尻尾が九つもあるなんて恐い。加えて親友は意外な提案をした。
「ところで彩ちゃんと会わせる時は、もっと素朴な狐の姿をさせるべきですわね。神社へ連れて行く場合も同様ですわ。人バージョンの方を見せたら、彩ちゃんは凄く警戒しましてよ」
「そうかしら」
「ええ。だって恰好が斬新過ぎますもの。響也の目に触れさせたいとは思わないでしょう」
ああ、然もありなんと遮那堂は得心した。女の子としての気持ちが冷静な判断を狂わせかねない訳だ。心配のし過ぎではとも考えたが、彼女のご主君への傾倒ぶりを考慮すれば一理ある。安全が最優先だった。
翌月曜の昼休み。
頃合いを見計らって遮那堂と雪城舞は彩を呼び出し、少々曲げて事の次第を告げた。
「普通の可愛らしい狐なんだけど、尻尾が幾つも有るから。沙織は九尾狐と同じ悪い妖怪扱いされると心配してるの」
「よくぞ打ち明けて下さいました。その狐の尾は、確と九つあるので御座いますか?」
落ち着いた声で少女が問い返すので、遮那堂は「ええ」と応じた。
「されば、その狐は妖魔ではなく、仙狐でございましょう。一方ならず霊格高き『瑞獣』とも呼ぶべき存在で御在います」
「本当なの?! 間違いないのね?」
「動物霊とは申せ、神仏と人の間を取り持ち平安を呼ぶものなれば、徒疎かに扱えませぬ」
「良かったあ。もしかして退治されちゃうんじゃないかって、心配しちゃった」
「まあ、お戯れを。…………尾の数が多いからといって、邪悪な妖物とは限りませぬ」
「日本で稲荷信仰と言えば、キツネは神様の使い。御利益という幸せを祈る対象ですわね」
彩の言葉で雪城舞も安心して力を得たのか、晴れやかな口調で自らが持つ知識を披瀝した。
彼女の説明では、大陸で魏晋南北朝時代(184~589年)の李邏が著した『千字文』=《周が殷の湯を伐った》部分の注釈で、妲己は九尾狐であると指摘。
以降この内容を受継ぐ形で明代(1368~1644年)成立した伝奇的小説〔封神演義〕の扱いで、彩が言うところの平安をもたらす神獣が、邪悪な妖獣へと一変した。
古代王朝・殷の紂王(帝辛)を愛妾である妲己が誑かし、暴政を振るわせた挙句、殷は周の武王によって滅ばされた。今から凡そ3100年程前の事であるという。
「舞どのは、歴史もよくご存知で」
「鎌倉武士が絡んだ雑学程度のものですわ。昔、ちょっと印象深い体験をしていますから」
それは幼い頃、巨福呂古道で武者行列の幻と遭遇したエピソードだった。すれ違うとき見上げた大人の青褪めた顔や、前方を鋭く見据えていた目が今も印象強く残っている。
玉藻の前事件
日本で最も有名な狐とくれば【白面金毛九尾の妖狐】のことを思い浮かべるかもしれませんが、実はこの妖狐、正確には二尾のキツネで、九尾とはまったく別物です。そして、これを討ったのが鎌倉の有力御家人の二人だったので鎌倉絡みの伝説だとも言えるのです。
ここでは、正確な伝承に基づく【二尾】の引き起こした「玉藻の前騒動」について解説してみたいと思います。
「玉藻の前」現る
出自は不明ですが、彼女は幼い頃、藻女と呼ばれ、ある子供に恵まれない夫婦のもとで大切に養育され美しく成長を遂げました。
久寿二年(1155年)頃、18歳で宮中に上がり後に鳥羽上皇に仕える女官となりますが、不思議なことに彼女の体からは自然と良い香りが漂い、いつも美しい装いで御所の人々の注目の的でした。
しかも外見が美しいだけでなく大変な博識の持ち主で、二十歳にみたないはずの彼女は知らないことがなく、何を質問しても微笑みつつやさしい言葉で答えたと言います。
鳥羽上皇はある日、彼女を試すため難解な仏教の真理についても質問をしてみました。
すると彼女は昔の高僧たちが書物の中で解説する通りの内容をよどみなく答え、鳥羽院を始め聞いていた御所中の人々は驚き、感嘆の声をあげました。
彼女は天を指さしながら天の川についての持論を展開し、周囲を感心させます…
(さすがに、星の集合体とは言っていません。)
これほどの素晴らしい美女ですから、鳥羽上皇の思い入れも並大抵ではなく片時も側から離さぬ寵愛ぶりで、まるで中宮のように大切にされました。
そんな九月二十日、詩歌管絃遊びのおり一陣の風と共に灯火がかき消され辺りは真っ暗になってしまいました。
ところが彼女の体が光りを放ちはじめ、鳥羽院は「これは仏か菩薩の化身に違いない」と仰せられ御簾をあけると周囲は昼間よりも明るくなりました。
この時の玉が放つような輝きから、「玉藻の前」と呼ばれることになったのです。
その後も、管弦楽器についてや文具・扇、車など身の回りのあらゆる物の起源について詳しく解説し、人々を驚かせます。
鳥羽院は少し恐ろしい気持ちを抱きつつも美しい玉藻の前に惹かれ、契りを結ぶのですが、それを境に異変が生じます。
鳥羽上皇が突然病にかかり、原因不明のまま重症化してしまったのです。
典薬頭の診断により、「これは邪気によるもので薬や養生では治せない」と結論が出されました。
そこで、陰陽師・安倍泰成が召し出され占ったところ「院のご病気は玉藻の前のせいです…玉藻の前を遠ざければよくなられるでしょう」と進言しました。
「それはどういう意味じゃ、憚ることなくはっきりと申せ」
さらに詳しい説明を求めると、玉藻の前の正体は下野国那須野に住む百歳の狐だとい言い、
「その姿は丈七尋尾が二本。美女に化け天子様に近付いてそのお命を縮め、国を奪おうという魂胆です…。」
―玉藻の前の正体を見極めるにはどうしたらよいのか―
泰成の提案によって「泰山府君」という神事を執り行うことになり、その幣取りの役が玉藻の前に命じられました。
「そういう卑しい役目はどうも…」と気が進まない様子の玉藻の前。
「院のご病気が平癒なされなくても、よろしいのですか…?」
主上の病を治すための行為ならば賞賛されるだろうと大臣に説得され、引き受けました。
当日になりいつも以上に着飾った玉藻の前ですが、祭文が読み上げられる途中さっと幣を振ったかと思うと急に姿を消してしまいました。
やはり泰成が見抜いたとおり、正体は狐だったのです。
(この時、狐の正体を顕し十二単を着たまま何処へか飛び去ったという説もあり。)
正体をあばかれ、御幣を持ったまま逃亡する二尾の狐。「玉藻の前」より
その後、暫くは様として行方の知れなかった妖狐ですが…
―やがて、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で婦女子が妖獣にさらわれるという怪事件が那須野領主須藤権守貞信の退治要請と共に宮中へ上奏され、討伐軍編成の検討を始めた鳥羽上皇は、当時最も武勇の誉れが高かった三浦介義明・上総介広常の両名に妖狐退治の院宣を下し、二人はこの上ない名誉と奮い立って一族郎党を集め出撃しました。
ところが、那須野の草原で聞いたとおりの二尾の狐を見つけたものの、さすが神通力を得た化物だけあって広い原野を巧みに逃げ回り、姿を見失ってしまいました。
そこで作戦を立て直し、いったんは引き上げ入念な訓練をしてからもう一度試みることにしました。
上総介は馬から落ちる鞠を射る練習をし、三浦介は犬を狐に見立てて弓矢の稽古をしました。
その後再び那須野で妖狐退治を開始して七日、成果が上がらず家来たちも疲労の色を隠せなくなった頃、上総介と三浦介は万一この狐退治に失敗して恥をさらすようなことになれば、二度と生きて故郷に戻るまいと誓いを立て神々に加護を祈念しました。
ところがこの時、思わぬことが起こります。
うたた寝していた三浦介の夢に二十歳ぐらいの美しい女性が現われ、
「明日あなたに命を奪われるのが恨めしい、情けあらばどうかどうかお助けください…」
と、泣きながら懇願するのでした。
目を覚ました三浦介はこれを「敵が弱っている証し」と判断、一族郎党を招集し最後の攻勢に出ます。
ついに追い詰められた二尾の妖狐。
そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介が長刀で斬りつけトドメを刺したことで、妖狐(玉藻の前)は息絶えた。 江戸時代初期の奈良絵本『たまものまへ』他より
そして殺生石へ―
鎌倉の猛将、三浦介義明と上総介広常の両名が、ついに討ち取った二尾の妖狐。
しかし妖狐はその直後、巨大な毒石に変化し人間や動物等の命を奪う恐るべき物体と化しました。
そのため村人はこの毒石に『殺生石』と名付け、近づくことすらできません。
殺生石は鳥羽上皇の死後もそこに存在し、周囲の村人たちに脅威を与え続けたのです。
鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、その毒気に次々と倒れていきました。
南北朝時代、会津・示現寺を開いた玄翁和尚が至徳二年(1385年)八月、長い祈祷の末妖狐の怨念を散華させ、殺生石を破壊。
破砕された殺生石は各地へと飛散したと伝わっています。
那須湯本温泉源泉近くにある「殺生石」(左手中央手前から二つ目の岩)
現在は真っ二つになってしまったようです。
―人物補足解説―
三浦介義明 1092年(寛治6年)-1180年9月18日(治承4年8月27日)
三浦氏は、名のとおり三浦半島に拠を置いた桓武平氏の一族。三浦義明は、源頼朝挙兵時に駆けつける予定であったが、長雨による河川の増水に行く手を阻まれ、引き返す途中、当時、まだ平家方にあった畠山重忠軍に遭遇してしまう。ちょっとした行き違いから、小坪口で合戦となり、最終的には居城衣笠城を攻められ討ち死にした(小坪合戦と衣笠合戦)。長男杉本義宗は、杉本城を築いたとされ、和田義盛の祖にあたる。
上総介広常の墓
ともいわれている五輪塔「上総介塔」
(横浜市金沢区・朝比奈バス通り沿い)
上総介広常 生年不詳 - 1184年2月3日(寿永2年12月20日)
保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)には、源義朝に従ったが、平治の乱で義朝が敗れると上総に戻り平家に従っていた。1180年(治承4年)、源頼朝が石橋山の戦いで敗れ、安房に渡ると2万騎の兵を引き連れてこれに参陣。富士川の合戦で勝利後、平家を追って京を目指そうとする頼朝を千葉常胤とともに止めたのが広常であった。しかし、1181年(治承5年)、頼朝が三浦に訪れた際、頼朝に対して「公私共に三代の間いまだその礼を為さず」といって下馬の礼をとらなかったことや、そのときの酒宴の席で、岡崎義実が頼朝からもらった水干のことで喧嘩をはじめるなど、傲慢な態度が多かったと『吾妻鏡』に記されています。1183年(寿永2年)、頼朝への謀叛を理由に梶原景時によって暗殺されます。その後、広常の兜の中から、頼朝の武運を祈る願文が見つかり、頼朝は一族を赦免しました。




