⑧ 玉露
明治三十二年(1899年)三月一日。アイヌの定住化と、近代生活への適応を目的として、新土人(本州入植者)と比べて、様々な特権の付与を定めた『北海道旧土人保護法』が公布された。
土人とは〝土地の人〟あるいは〝地元の住民〟という意味である。
平成九年(1997年)五月十四日アイヌ文化振興法成立に伴い、旧土人保護法が廃止。
平成二十年(2008年)衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案」が全会一致で採択される。
ヤウンクル・旧ニナルカ村評議会、アイヌは共通の民族ではなく地域ごと異なる習慣を持った個別の少数部族であり、先住民族たりえない。中央政府から差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実も無いと批判。
真の自立のため『振興法』廃止と決議の撤回を求め、現在ネット(SNS等)を通じて鋭意啓蒙活動中。
*いまココ↑
「では改めて、自分は玉露っていいます。この度はご縁を戴いて、ありがとうございます」
「お御狼沙織です……」
頭を下げ、上げながら白い尾っぽを(いつ、むう、なな……)数えてみると全部で九つ。
――え、ええ?! 九尾のキツネって、確か凄く悪い大妖怪じゃなかった?
北海道でキツネが人を化かすという話は、許嫁を装い人間と結婚しようとした性悪キツネの伝承『シネㇷ゚ サッチポロ』くらいしか聞いた事は無いが、本州では尾が二つ分かれしただけで立派な妖怪だと聞いた憶えがある。
「自分は昔、人様の下で式神として御仕えしていました。さる事情から祠の中で待機を命ぜられていたのですが、十二年も経ったけどまるでお呼びが掛からないんですよねぇ。それで仕方なく自分と同調する方を探してたんですよ。そしたら、ンも~~~あなたってばドンピシャのハイパーリンクぶりで、もう願ったり適ったり」
「あの、それで、お願いしたい事って…………?」
「ええ、行きたい場所があるんすよ。此処から東北東方向へ二十一町程先の鎌倉山に土御門神社って所があるので、其処へ自分を届けて貰いたいんです。ハイ」
――はああ――――――――――――――っ!?
聞き捨てならない宛先が飛び出したので、沙織は仰天した。
(土御門くんの家に用事って、この子何をするつもりだろう?)
ご先祖様の因縁で、彼がとんでもない化物から付け狙われたのは、ついこの間の事。
突き詰めれば、いま自身最大の心痛の種となっている忍者少女も、そのせいで現れたのだった。
沙織は改めて、この巫女狐の真意を測りかねていた。当人は下瞼から眦へかけて抜ける細い朱色の隈取(アイシャドウ?)を入れた目をキラキラさせて見詰めている。思いきり熱い期待が込もっている。
「一体どういう理由であそこに?」
「さっきも言いましたけど、自分の主が御住まいですから。そこで待機任務の正式な解除と職務復帰のお墨付きも戴きたいな~~~とか」
「ま、まさかそのひと、響也っていう人!?」
「…………。……いえいえ、空夜様という方で」
(という事は土御門くんの御爺様……神社の宮司さんだし、おかしくはないの)
返答まで少しの間があって引っ掛かるが、重要な意味があるのか沙織は判断がつかない。
「場所が分かってて、なぜ自分一人で行かないの?」
「それなんですが。人の中へ入ってると容易に潜れるんすけどね、ど~も強力な結界が張られてて、自分だけじゃ撥ね返されてしまうんですよ。まったくどうしちゃったんでしょう」
神社の結界内へ入った途端、妖怪の本性を現して大暴れされたら……そんな想像を廻らせただけで申し訳なく、響也に合わせる顔が無い。
ただ真実なら復帰が認められた場合、当然彼女は土御門神社で暮らすのだろう。
もしこの狐少女が響也の身近で生活するとなれば、複雑な展開も予想される。恋敵が増えたりしては堪らないが、彩を牽制し彼との間へ楔を打ち込むことも可能だ。
少なくとも、現在よりはマシな状況が出来上がるかも知れなかった。
「……うん。でも他と相談したい。それでも良ければだけど…………」
「ありがとうっす! 感謝です。よろしくお願いしますね、サオリさん!」
大変な事を引き受けてしまったのかも知れない。
でも今更ながら自分だけで判断しない方がよいと沙織は思った。
彼女は悩んだ末、遮那堂の携帯に電話をかけて日曜日の予定を聞いた。別の予定が無いと確めてから「会いたい。大事な相談……あ明日」と告げた。
御狼沙織が初めてかけてきた直電話というだけで、遮那堂かほるはその深刻さを感じ取った。緊張で声を震わせ「出来れば雪城さんも」と告げて来た様子からして、相当ややこしい事態が進行中らしい。
「分かった。早い方がいいのね? 舞と都合が付いたら、二人でそっちへ行く」
6月3日。この日は第一日曜で〔魔去ル石〕で有名な葛原岡神社例大祭だった。
葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣・日野俊基を神として祀っている。俊基は鎌倉幕府打倒を計画、発覚して捕らえられ、元弘二年(1332年)葛原岡で最期をむかえた。
神社は銭洗弁天より山の上にあるので、神輿は由比ガ浜地域の街中まで降ろされ渡御を始める頃合いだろう。
遮那堂は親友の雪城舞を誘って学院の白百合寮を訪れ、御狼沙織は外で二人を出迎えた。休日の学校へ来るのを嫌がる人が大半だという意識から、彼女はひたすら恐縮している。
「ごめんなさい……わざわざ学校まで呼び出して……でも、此処でないとダメな話だから」
「いーわよ。私は学校好きだし。皆が居ない休日は、面白くないから来ないだけよ。ね」
発言を求められた隣の舞も「だそうですから、気兼ねするだけ損ですわよ」と笑顔で応じた。
寮室の玄関を通ると、勉強机隣の白いキャビネット上にワイド型の水槽が載っていて、直径10センチ以上はあろうかという大きなマリモと、それより一回りくらい小さいマリモ。他3センチほどのものが十数個は密生して沈んでいた。
「すごいわねっ沙織 これ……こんな大きいのは、初めて見た!」
舞も続いて相槌を打ち、数の多い3センチのものを指さしながら言った
「ガーデニングセンターでこれくらいのサイズを見掛けたことはありますけれど、この二つは大きいですわね」
「そ、それ、お父さんとお母さんなのっ……だから」
「ああ、それじゃ子供なんだ?! 他の小さいのは」
「でしたら親子ですわね」
「そうっマリモ大家族なのっ」
遮那堂かほるは、沙織がいつもより大きな声で説明しようとするひた向きさが嬉しくて、心配していたが取り敢えず元気で良かったと安心しつつも
(でもコレって……!?)
すると、舞がおずおずと耳打ちしてきた。
{でも遮那、北海道の毬藻って〝特別天然記念物〟ではありませんの?}
{うん、そおよねぇ確か。……私もそれを考えてた}
「ねえ沙織。これさ、天然記念物じゃないの? 何処から持って来たのかナ?」
『 阿寒湖 』
――…… え!?
「……だ、大丈夫なのっ 沢山あるからっ」
―― はぁ?! …………
よくよく問い正してみると、阿寒湖畔で土産物屋さんを経営する親戚夫婦からプレゼントされた〔ロシア産・天然マリモ〕だったことが判明した。どうやら通報の必要はなさそうで、両名はほっと胸を撫で下ろす。
(沙織がアカン子じゃなくて良かったわ)
白いローテーブルへ二人を促した御狼沙織は「こ紅茶かコーヒーどっちが良い?」と尋ねた。
「お構いなく」 「私も。今は喉が渇いていませんわ」
「じゃ、お菓子だけでも」
「それより、深刻な相談の方が気懸りなの。沙織、包み隠さず聞かせてちょうだい」
大船に乗ったつもりでね。と言いたげな鷹揚な態度は、遮那堂と雪城舞二人の共通した特徴である。だが相談の中身が【向こう側】の話。やはり普通の暮らしをしているクラスメートを巻き込む事を、御狼は未だ迷っていた。一旦口を開けば、もう引き返せない。
『ほほう、その二人がお友達っすか。どちらも聡明で勇敢そうな面魂をお持ちですねぇ』
「! ――――?」
声は何処から聞こえるともなく、遮那堂かほる・雪城舞の耳へ届いた。辺りを見回す両名を見ているであろう声の主の、気遣わしげなセリフが響く。
『おおっと失礼。じゃあ今から姿をご覧戴きますので、決して大騒ぎしないで欲しいっす』
舞い降りるスカイダイバーの体勢で天井をすり抜けた玉露が、宙に浮いたまま挨拶した。
「ドモー、初めて御目文字致しまーす。自分は狐精の玉露っていいます」
遮那堂と雪城舞は黙って見上げていたが、程なく遮那堂が満面で微笑む玉露から目を逸らさず、緊張を含む固い声音で訊いた。
「沙織。……セリはこの事を?…………」
「ううん、知らせてない」
今度は雪城が抑揚を押えた口調で尋ねた。
「あの子は安全な場所へ移動させまして?」
「一階の自分の部屋……二人は私と大事な話で来るのと言ったら、黙って頷いてくれた」
(セリは、私が持ちかけた話の内容を、彼女に告げていない?)
遮那堂かほるが思い浮かべたのは、一昨日の晩打ち明けて断られた、ある提案の件だった。
――尤な事かも知れない。自分は全くその気がない以上、無い事を敢えて沙織へ伝えるのもどうかと、あの子は考えたのだろう。
「それにしても、貴女方はカッコイイですね。騒がないで下さいって言いつつ、実のところ無理だろうなぁとか思ってたんですけど、お二人とも肝が据わって落ち着いていらっしゃる。それとも、案外こーいうの慣れっこでいらしたとか?」
互いが横と顔を見合わせてから、遮那堂は空中のケモ耳少女へ苦笑いを向ける。
「慣れてるって程じゃないけど。……まあ、若干の経験はどうしてもねぇ」




