② 書簡
「なあオイ。真面で気分が良くないのか? 神社へ引き返そうか」
「いえっ……いえいえ、だ、大丈夫でございます。ごご主君……」
「体がコチコチになってるみてぇだぞ。寒気とかしないか?」
「ははい……どうか何卒、こ このままがっこふへ…………」
「ああ、そうか。これじゃ歩くのも窮屈だよな」
言うなり響也は手を離して、取り残された彩に「行こうぜ」と声をかけた。
こうして突き放されてしまう都度、少女は戸惑いや一抹の淋しさを味わう。
その時ふと、稲村ヶ崎小学校前まで差し掛かっていることを知った彩は、言上した。
「ご主君様。ご幼少のみぎりは、この小学校へお通いあそばしたのでございましょうか?」
「いいや。俺は学区の関係で、此処に入れなかったんだ。そのかわり、ずっと遠くの西鎌倉小ってところへ通っていた。それで朝早く起きる癖がついちまってさ。……ホント稲小だったら、かなり近くて楽だったんだけどなぁ」
左様でございましたか。と彩は言って、以前見た微笑ましい光景を思い出し、顔をほころばせて続けた。
「わたくし、初めてご主君様に内密で随行いたしました折、この場で多くの童男童女を見掛けましたが。あの日以来、朝は静かでございますな」
「ああ、あの時の事か。ははっ…………んんっ!?」
引っ掛かる部分のあった響也は、うなり声を発っしてから疑問を呈した。
「そいつはおかしいな。こんな早い時間から、小学生が登校して来る筈は無ぇ。俺はあの時分、誰も見かけなかったぞ」
「まあっお戯れを。わたくしめは確と、あのとき」
彩はまざまざと憶えている。可愛らしい童たちの頭を、撫でてあげたかった気持ちも。
「いや、あんな最近のことを忘れたりしねぇよ。今までだってこの時刻は見かけた事がない。早く登校する行事なんて、思い当たらないし」
「そのようなことは……」
「下校時と間違えてないか? でなけりゃ、キツネか狸が出て化かされたんじゃないかな。この辺りじゃ、未だ結構そんな話を聞いたりするからさ」
学院へ到着するのは、大体いつも始業の40分ほど前だ。
駅ホーム裏手の階段を上がると、右手側のコートからボールを弾く威勢の良い音や声が聞こえて来る。テニス部が早朝練習に勤しんでいるのだ。
彼等はまず一本打ちのサーブ練習で体を解した後、ラリー形式の模擬試合を行なって鍛えるという。
彩は此処へ差し掛かる度ごと、気合の入った躍動に好ましげな視線を向けていた。
二人が昇降口で革靴を履き替え廊下へ顔を向けたところ、思いがけず一人の女子生徒が立っていた。
「あの、土御門先輩っ……これ読んでください!」
女子生徒はそう言って、クリーム色の洋封筒を差し出す。
「はあ……ええっ、ああ?」
手紙を彼の手に押し付けると、気恥ずかしそうな顔を俯けたまま、踵を返して走り去った。
ダイヤ貼りされた封書のフラップ先端が、ハート型のシールで封印されているのをチラ見で確認していた響也は、忽ちそれを上着の内ポケットへ隠した。
「ご主君。あの者はいずれの?」
「いや、大した事じゃないぞっ、……ホンの連絡事項だ! 生徒間の…………」
女子生徒の立ち去った角方向に耳を欹てた彩は、女が他複数の者と合流。はしゃぎ声を押し殺しながら、遠ざかる様を感知した。
……「よかったね、朝早いから周り人居なかったし」……「早起きの甲斐があったわ」……「ドキドキもんだよ。助かっちゃった――」……。
紛れも無く、そう聞こえた。
――なぜだ? どうして今頃、俺のモテ期が巡ってきたんだ? 変な女忍者から付き纏われ始めた途端…………。
彼は小学生のとき2回ほど告られ、中学へ進級してから2度正体不明の相手から手紙で好意を告げられた事もあるが、以来それっきりであった。いま彩がいなければ、昔のトキメキを取り戻していたかも、と考える。
彼は教室の前まで来ると、おそらく登校して居るであろう女子生徒の顔を思い浮かべた。
(そういえば御狼から告白されて、あれからまったく答えて無え。まずいよな、このままじゃ。彩みたいなのが現れて有耶無耶のまま来たけど、時間も経ってるし無期限保留ってワケにも……。彼女まだ待ってるのか?
『え~~っ、今さら無効でしょ』なんてタイプじゃ無いよな。真面目で大人しいからな、御狼は)
その本人は今朝もやはり、と言うより当然来ていて、花を生けている最中だった。
「ハヨッ、御狼」
「おはよう。土御門くん」
「おはようございます。御狼どの」
「霧隠さん……おはよう……」
三人は卒なく朝の挨拶を交わすのだが、少女二人の間はいつも微妙な空気が流れていた。
御狼沙織からすれば、他のクラスメートが来るまでの間だけ二人っきりで過ごせた夢のひと時が、今は漏れ無く【お邪魔虫】が付いて来るのだから堪らない。
それは彩も同じであった。自分が与り知らぬ一年余り、大切な御主君様が何処の馬の骨とも分らぬおなごと。――逢引まがいの状況が続いていたとなれば、心中穏やかでは無かった。
さりとて響也自身はまったく気付いていない。
でも今朝は、響也と彩の間にも(普段と違う雰囲気が漂っている)と沙織は感じた。雲行きが怪しいのである。
気まずい時を三人で過ごし、やがて授業が始まって二時限目が終了してから、謎は氷解した。
彩が何事かを申し付けられ、響也は他の男子らと連れ立って教室を出た。
彼女がすんなり残ったのは大抵小用時だからで、ついて行くのも当然気が引けるだろう。だが今日はこれ幸いとばかり、少女は遮那堂の元へ接近して行き尋ねた。
「かほる殿。今朝方見知らぬおなごが一人、我がご主君に書状らしき包みをお渡しのうえ、そそくさと立ち去りました。あれなるは、密書の類でございましょうか?」
「ええっ?!」
教室の片隅で座る御狼沙織の全身がぴくりと反応し、耳が集音マイク状態となった。
殊更大きな声ではないが、彩はそれとないボリュームで、抜け目無く御狼の反応も探っている。
「響也は何か言っていた?」
「何も仰せられませぬ。ただ慌てた御様子。中身も検めぬまま、直ぐさま懐中へお納めで御座いました」
「……それはねぇ、彩ちゃん」
遮那堂が言い淀んでいると、手をひらひらと扇ぎながら近づいてきて、葦舘留美が言った。
「やーねぇ、決まっているでしょう。ラブよ、彩ちゃん。ラヴ♪」
「ら ぶ。……で、ございまするか?」
「うんうん。愛を告白する手紙だねー、間違いないわ」
御狼沙織は、後頭部を殴られたようなショックを受け、目が回った。
「 まあっ。おなごの方から、懸想文を渡すのでございますか?! 」
幾ら彼女でも【果たし状】とは思わなかった様だ。それより、彩が随分意外そうな驚きを見せたので、周りで聞いていた一同『慎みがない』と自分達が言われている気がして焦った。
――でもこっちから声掛けないとぉ、イイ男捕まんないですしぃ~~
《扇谷要》
――けそう? ……〝仮装〟の親戚か??
《葦舘留美》
――小学校の時以来、今まで3回チョコ付きで告白しちゃってるわ
《風祭美樹》
――こらこら。初恋の女の子の唇を、無理やり奪った私は何なの!?
《叶仁子》
――きゃ~、さっちゃんに自分をプレゼントしようとした事ある!
《遮那堂かほる》
――(ハラホロヒレハレハラホロヒレハレ……(混乱中)……)
《御狼沙織》
(此処は思案、思案……)赤面する思い出を振り払った遮那堂は、冷静な思考を巡らせた。
実は彩の気持ちを慮り、これまで敢えて話していない事柄もあった。それは土御門響也という男子が、女子生徒、取分け下級生の間で人気があるという事実と、水面下ではファンクラブまで結成されているという噂だった。
勿論、生徒会が調査した訳ではない。生徒会も遮那堂もそれ程ヒマでは無かった。
これらの情報は、御成中で彼女の後輩だった新入生からもたらされる。一年生達の質問は変遷があり、最初は
「土御門先輩ってどんな人ですか? 彼女とかいますか?」
{返答}――冴えない男子かなぁ。彼女はいないんじゃないかナ。
ところが昨今
「何時も土御門先輩の後からくっ付いて来る女の子は誰ですか?」へ変わった。
そう、霧隠彩が現れて以来だ。
編入生と説明したが『どうして編入してきた途端、土御門先輩の背後霊してるんですか? ストーカーですか』ときた。
(彼の実家で暮らしている忍者だから。と真実を告げるべきなのか? 言ったとして、信じてくれるかな? 余計ややこしくなるだけかもわからない。
『土御門先輩と喋っているあいだ中、ジッと睨まれた』と他のクラスの子が言っていたとも話していたが、それは意識し過ぎたからだろう。彩ちゃんはそんな子じゃあない)
なるほど土御門響也は背が高く、端正な顔立ちの男子である。
ルックスが良いので、黙って立っているだけなら格好の良い外見だけが際立つ。そういうタイプというのが遮那堂かほるの評価だった。
従って普段の実像を知るクラスの女子は(沙織を例外として)誰も興味を示さず、何も知らない新入生は惹かれ易い様だ。
そんな彼を唯見守っているだけだった潜在的なファンもある日、霧隠彩というファクターが突然現れた事で触発され、堂々とアプローチを開始した感がある。
最早『抜け駆け禁止ルールもヘッタクレも無いっ 解禁!』という事なのだろうか?
「 響也って、意外と人気あるんだよ。後輩女子の間でさ! 」
この叶仁子の余計な一言で〝オブラートホイル作戦〟は、呆気なく瓦解してしまった。
実際のところ、主君・響也を後輩女子が呼び止めた時、彩が見ていたのは話しかけた女子の目と口及び手の動きだった。




