① ◆◇◆ 天真爛漫九尾之娘
逗子側からお化け隊道を端々に抜けると鎌倉であった。蒼穹と緑が混ざりあった。
「ほら後、見てご覧」
ドライバーの青年が一瞬右後方へ振り返り、助手席の女の子に語りかける。
「対向車線の古い坑口が名越隧道だ。俺達が此方へ潜り抜けたのは、新名越トンネルだな」
少女は曖昧な風で頷きつつ
(トンネルがどうしたって言うんだろう?)
心の中で疑問を呟く。
「そう言えば、川端康成の『無言』っていう短い小説は、あの名越隧道をお化けトンネルとして描いた、という説が有力らしいけど」
彼が話題として取り上げた小説は、鎌倉市内と逗子マリーナのある小坪とを往来する内容だ。逗子マリーナは、作者終焉の地だという。
「鎌倉方面から小坪に向かう時、名越隧道を出て、すぐ右折するルートが最短で一般的だったし、小坪から鎌倉へ向かう場合も同じ。緑ヶ丘入口で左折して名越隧道を通れば、逗子隧道や小坪隧道は通らないんだって。…………いや、でも確か『トンネルを鎌倉側に抜けて、火葬場の下へさしかかった』みたいな事が書かれてたような」
〝お化けトンネル〟と人が噂してるのは、もっぱら小坪隧道の方なんだ。
――叔父に当たる男性の話を、彼女は一所懸命気を逸らして別の事を考えていた。でなければ、恐怖心を抱くと不快な障りが起こったりする。
少女は幼い頃から、普通では認識できない物の存在を感じ取れてしまう。
一昨日青森から国道4号線を東京まで上り、多摩東武・狛江の親戚宅で泊めてもらった。
玉川から第三京浜、横浜新道、横浜横須賀道路をへて逗葉新道を下り、県道311号線に入った。
この時わがままを言ったのは、海岸沿いを走って自分がこれから三年間通う学校を見ておきたかったから。
叔父さんの話では、この鎌倉葉山線を走っていれば、江ノ電最寄り駅後方の高台で聳える『聖ルイス・フロイス学院』を望めるという。
普通の人では見えない物の姿も、彼女は視える。
入学して早々、少女は校舎内の階段暗がりへと身を潜める、大きな蜘蛛の姿を目撃した。
脚高蜘蛛と思われた。ただし洗面器ほどのサイズがあっておぞましくなったが、後日先生に告げると『それは校舎の主とされていて、とても縁起が良い』と笑顔で言われた。
滅多なことでは姿を見せず、出会えば幸運が訪れるのだそうだ。
(フチ。信じられないかも知れませんが、私達の故郷の原生林の中でさえ見る事の出来なくなった精霊たちの姿を、この地では今もはっきりと目撃することがあります)
少女の名前は御狼沙織という。
駅舎と急な丘へ佇む外国人墓地。その向こうで覗く校舎の上部分を流れ見た彼女は、どうか性悪人がいません様に――……と念じたものだった。
入学初日から期待は打ち砕かれたと思い、絶望しかけた時もあったが、寮生活へ入って一年余の歳月が経った今は心から信頼できる友人を得て、妹とも言うべき存在まで居る。
更には生まれて初めて恋焦がれる男子との出会いが――――。
二年生へ進級したとき断崖に立つ気分で告白を済ませた沙織は、巫術師である祖母の予言どおり全てのものを獲得しつつあると信じた。
だがある日、まったく想定外な一人の少女が教室へ飛び込んできて彼の命を救い、あまつさえ同居すら始めたのである。
梅雨の季節、鎌倉はちょうど紫陽花が見頃であった。
北鎌倉の明月院では2500もの株が咲き誇り、毎年多くの観光客で賑う。
彼女の意中の人が通学で利用する極楽寺駅もより、成就院のあじさいは般若心経の文字数と同様262株で規模は違うが、由比ヶ浜を望む参道の美しさは変らない。そして、多岐にわたる縁結びのご利益で知られ、有名なパワースポットでもある。
(恐い顔をしたカムイだけど、間違いなく恋を成就させてくれるのかしら…………?)
縁起まで担いだ沙織は、縁結びの不動明王とて拝み倒したい気分だった。
バラ色の未来が崩壊するのを、防ぐ手立てはないものか。
「♪デカンショデカンショでぇ~~~半年暮らすアヨイヨイ…………。♪あとの半年ねて暮らす、ヨーオイ、ヨーオイ♪………………」
上機嫌で、土御門響也はバスソングを口ずさんでいた。湯船から掬ったお湯を顔へ浴びせかけたのち、
ふぅー~~~っ……と一息をつく。
「極楽極楽。……まあ風呂桶がやたら広いってのが、この家唯一の利点だな。ハハハ……」
現在17歳である彼が住むのは、実家の居住スペースである母屋で、神社の境内北側にあった。
土御門神社は天社宮で、カテゴリーとしては〔家伝神道〕へ属する。
平安中期の陰陽道大家・安倍晴明(*[せいめい]は有職読み)より代々子孫は陰陽頭として朝廷に仕えたが、室町時代末期ごろ家名を土御門と号した。
その門流は陰陽道を根幹としながら、加えて真言密教・神道とを習合させた、特殊な祭事と奥義を継承してきた一族である。
江戸時代の陰陽師は天社神道という形だったが「自宅内部で祭壇を設けても外へ鳥居や手水鉢、賽銭箱を置く神社風の参詣を促してはならない」とされ、実際境内は手水場が無く、拝殿前の本坪鈴や賽銭箱も置かれていない。
その代わり拝殿内に[天壇]と呼ばれる四方を低い鳥居で囲んだ二段重ねの高台があり、祭事を執り行ったりする。東参道前の大きな鳥居と南面の小さな鳥居はあるが、柱が門の外でなく境内側から立っていて『ウチの中ですよ』という寸法だ。
宮司(土御門家現総帥)の孫である響也は〝なんちゃって神社〟と称する事もあった。
上機嫌の彼は、いつしか脱衣所へ入り、浴室のドアの前で佇む少女の影を見落としていた。
「……失礼いたしまする…………」
ギクッ! ――とした時は手遅れだった。
「 さ、彩!? 」
響也はバスタオルを捲いただけの姿に驚愕の声をげた。
「ご主君。…………お背中、お流し致しまする」
「馬鹿! 余計なコトすんじゃねぇ!」
「さ されど、総帥様のお指図ゆえ……」
「いいからっそんなのは聞き捨てろよっ」
「されど……」
彼はタオルや糸瓜を手当たり次第投げつけ始める。
「ごご主君、……あっ、あのっ……あ?!」
放った石鹸が彩の右手の甲へ当り、瞬間タオルが落ちて――あっと声を発した瞬間、響也はプッツンと切れた。
「 出て行け――――! 」
「彩は、不忠者にございます!!」
額を床へ擦り付けて、少女は許しを請う。響也の祖父・土御門空夜は、孫娘をいたわる様子で頭を撫でながら慰めた。
「よしよし泣くでないお彩。ええから、ええから」
「良くあるか!」
「響也よ。…………なぜもっと慈しんでやらぬ」
「一緒に風呂へ入る事と関係ねぇだろっ」
「背中を流してやれと助言はしたが。前も洗えなどとは命じとりゃせん」
「自分でやった方が早いし、リラックスできない。面倒くせぇだけ」
「おっかしいのう。健康な男児なら、跳びあがって大喜びする筈なのぢゃが」
「普通引くだろ! じぃさんナニ考えてるんだよっ」
拳を握り締めた響也が詰め寄ると、祖父が厳つい表情の顔を近づけて来た。
「お前という奴は。自分を守るため危険を冒して、遠い過去から身一つでやってきたおなごが、愛おしいとは思わんのか」
「くっ……!」
――このジイさん小柄なクセして、顔だけやたら大きく感じる事があるんだよなぁ。
彼だけではなく、社を訪れて空夜老人と面座したところ『体が部屋いっぱい大きく見えた』と言ったりする来客が、時折いた。
「ご主君様!」
「?」
「申し訳ございませんっ……必ずやこの度の失態を償います故、何卒お許し下さいまし!」
「うっ……」
彩は泣きながら懇願し、響也はタジタジとなった。
「――どーでもいいぜ……俺ァ、もう寝る」
ふい、とそっぽ向いて去って行く響也の背中を、少し顔をあげて見送った少女は(ご主君。…………)と心のうちで囁き、謝罪した。
翌朝。
いつもの通り登校する響也からだいぶ距離を置きとぼとぼ歩いていた彩を、彼は肩越しに振り向いた。今朝から元気がなかった少女は、視線を落として寂しそうな表情をしている。
「彩」
名を呼ぶと、少女は『ハッ』と言い、即刻片膝をついて臣下の礼を取った。
「そういうのはよせっつーの(恥ずかしい……)」
彼も決まり悪そうな顔で目をそらしながら、彼女へ言い聞かせた。
「夕べの件は別にお前の責任じゃねえ。だがああいう事は、命令されても二度とするな」
「は はいっ」
明るい表情で大きく返事をした少女はしかし、何やら考えているのか、立ち上がろうとはしない。
「どうした? 早くこっちへ来いよ」
「はっ……。されどご主君、これ以上接近いたさば、御身の蔭を踏んでしまいまする」
彼女の返答で勢いよくコケた響也は、戻って彩の腕を取り立たせた。
「そんなの踏まれても、俺は痛くも痒くもねぇ!」
言い放って、無理やり肩を抱いて自分と密着させる。少女は最初驚いたが、直ぐさま顔が赤くなり身を固くした。
「そもそも、朝で日は全然浅い。影なんぞ出てねぇだろう」
「あ、あのっ……」
「あれ。……お前、風邪気味か?」
あまりの展開に、少女はプレッシャーで身体の自由を失った。卑しき身分の者は、貴き御方の肌へ直接触れてはならない為、身の回りのお世話をする場合もかなりの緊張を要する。それが、いきなり主君と密着である。取り乱さぬ方がどうかしている。
「あ……あうあう」
今日は6月の初日、学院は一斉に衣替えだった。二人も上着が半袖のワイシャツのみ着用となり、男女別で青いネクタイと赤のリボンタイをそれぞれ襟元へ付けている。
梅雨入りこそしていないが、寒暖差の激しい季節でまだ早朝。響也は心配になった。
鎌倉のお化けトンネル 〈キャシー中島奇談〉
鎌倉から逗子へ車でゆくのには、トンネルを抜けるが、あまり気持ちのいい道ではない。
トンネルの手前に火葬場があって、近頃は幽霊が出るという噂もある。夜なかに火葬場の下を通る車に、若い女の幽霊が乗って来るというのだ。
昼間に通るのだからなんでもないけれども、私はなじみの運転手に聞いてみた。
「私はまだ出あいませんがね、うちにも乗られたのが一人います。うちばかりじゃなく、ほかの会社の車にも乗られたのがあって、夜ここを通るのには、助手をつけることにしています。」と運転手は言った。もういやになるほどくりかえした話とみえる。
「どのへん?」
「このへんでしょう。逗子からの帰りで、空車ですね。」
「人が乗っていると、出ないの?」
「さあ、私が聞いたのは、帰りの空車ですね。焼き場の下あたりから、ふうっと乗るんですか。車をとめて乗せるわけじゃないんだそうです。いつ乗るのかわからない。運転手がなんだか妙な気がして振りかえると、若い女が一人乗っているんです。そのくせ、バック・ミラアにはうつってないんですよ。」
川端康成 『無言』
**************************************
それは― JR横須賀線と併走する神奈川県道311号鎌倉葉山線の、神奈川県鎌倉市と同逗子市境の小坪にまたがる「小坪トンネル」(正式名称:小坪隧道)のことです。
小坪トンネル(隧道)と言うのはいずれも総称で、上下線が別になっており各三つずつ、計六つのトンネルで成り立っています。
鎌倉側から見た小坪隧道・新小坪。
逗子方向から鎌倉側に新小坪、新逗子、新名越の三つのトンネル。鎌倉市から逗子市方向で、名越隧道、逗子隧道、小坪隧道の順になっており、特に鎌倉から逗子に向かう側の「小坪トンネル」と「名越トンネル」小坪7丁目-鎌倉市大町5丁目間が、主に不可解な事故や幽霊の目撃例が多いと言われています。地元の通称は「バケトン」。
名越隧道・新名越(鎌倉側より)
1980年代のワイドショーなどの心霊特集で再三取り上げられていたといいます。
その20年程前は信号がなく、トンネルを抜けた直後に60km/h前後のスピードで疾走する直進対向車の間を縫って横断するという構造になっていたそうで、霊の仕業でなくても事故が起こりやすそうな環境だったそうです。 2000年以降改修工事が行われてから不気味さを醸し出す雰囲気もやわらぎ、(地縛霊供養のお祓いも行われ、霊現象が激減したという話があり)また、地域間の主要な道路であるために深夜の交通量も多く、地元の人で幽霊を見た者はほとんどいない、と言われる一方でタクシーなどのプロドライバーは、あえて深夜にここを通らないという不文律があったし、ショッキングな体験で精神病院に入った方もいて、このトンネルの先にあるガソリンスタンドは、怪奇体験をして動転した人が逃げ込む「駆けこみ寺」になっているとか…。
ざっと並べただけでも以下のような現象の噂があるようです。
*髪の長い女の霊が出る。
*白服の女幽霊が立っていた。
*タクシードライバーが、トンネルを抜けたら後部座席に女が見えた。
*女の客を乗せたら、後で居なくなり、座席が濡れていた。
*トンネルの天井から逆さにぶら下がった女幽霊が睨む。
*下半身のない男性がトンネル内を横切る。
*落ち武者姿の亡霊が出る。
*老婆の幽霊が現れ、時には車を追いかけてくる。
*歩行者の姿が忽然と消える。
*ワイパーに髪の毛がからみついていた。
*車のフロントガラスに手形が張り付く。
*大きな音がして、リアウインドーに赤い手の跡が付く。
*上からドーンと、大きなものが落ちてきた衝撃がある。
*幼女の霊が出て、走行中の車内を覗き込む。
*全身青白い裸の嬰児がフロントガラスに逆さに張り付く
*トンネル内を歩いていると、壁から出て来た手に掴まれる。
*カーステレオから突如、不気味な声が聞こえる。
*トンネルの壁に人の顔が浮かび上がる。
*トンネル出口のカーブ(鎌倉側)が、深夜に直線に見え、壁に衝突する自損事故が起こる。
1981年8月 〈読売新聞〉
小坪トンネル: 鎌倉側口 逗子側口
この鎌倉の【お化けトンネル】は、ほぼ全国的に有名な心霊スポットであると思われますが、それを決定づけたのは、何と言ってもある有名タレントさんの体験談の影響が大きかったと考えられます…その最も有名な体験談を参考までに載せてみたいと思います。
第1章
道路沿いの怪 その1 「鎌倉のお化けトンネル」
材木座小坪を通って逗子の背面へ出るトンネルは世にも恐ろしい空間
テレビ・タレントのキャシー中島さんには、一生忘れられない、ゾーッとするような体験がたくさんあるというが、そのなかで、いちばんおそろしい、しかも、なまなましいケースをご紹介しよう。
去年の夏、ある雑誌社の主宰で、「お化けを守る会」の幹部たちにキャシー中島さんを加えて、幽霊を見た話ということで、座談会をした。場所は、東京・田端の、円朝の墓のある全生庵の本堂であった。
「いまさっき、ケンちゃんを見舞ってきたばかりなの。それが……まだ……あのときのままの顔なんです……」そういって、語り出した話は、場所が場所だけに、鬼気迫るものがあった。
タレント仲間三、四人と、いろいろお化けの話などしているうちに、誰が言い出したか、さあ、これから、お化け屋敷を探検してこようじゃないか、ということになったのです。私の保土ヶ谷の家から、車をとばして……。
まえまえから、鎌倉の小町というところ――八幡宮の表道を、逆に、海のほうへむかっていった左側に、ちょっと木立にかこまれた、一軒の家があります。わりあい広い家なのです。そこは、お化け屋敷として有名なので、鎌倉の人ならたいてい知っているくらい……毎晩のように、ウシミツどきになると、鎧をきて、ナギナタだの、太刀をかまえた古武士が、床をドシンドシンと踏みつけて、大股で家のなかを歩きまわるというのです。そして、時には、その武士の恋人らしい、お姫様も出てきて、やっぱり、家のなかを歩いたり、坐ったり、窓から外をみたりするというのです。
そんなわけですから、家主は、気持ちわるがって、その家を閉めきって、誰にも貸さないで、立ちぐされなっているというのです。もっともこれまでには、ずいぶん多くの人が、借りて住んだのです。避暑地としても、理想的だし、間取りもいいし、なかなか立派な家ですし、すこし歩いたらすぐ、由比ヶ浜の海水浴場に出られるし、ほんとに、お化けさえ出なければ、すてきなサマー・リゾートなのにもったいない話だという評判です。
そこで、その夜、すこし霧雨が降っていましたが、なにしろ血気さかんな若者たちばかり四人、車をとばして、現場に行ったのです。
ところが、有刺鉄線でぐるりと、すき間もないほど頑丈に囲ってあって、ムリに、こじあけて入ることもできず、門口にはⅩ形に丸太が釘づけになっているんです。もちろん、なんとかして、はいろうとすれば、はいれないことはないのですが、無断侵入なんてことになって、みつかったら大変です。一同、歯ぎしりするくらい残念がって、このままむなしく戻るのでは、やりきれないというわけで、とりあえず、駅前の喫茶店にはいり、いろいろ、また語り合ったのです。
すると、D・Jでこのごろ名を売り出したKという男の子が、突然、何かを思い出したらしく、
「ウン……ちょうどいい。これから、トンネルにこう……お化けトンネルへ!材木座小坪を通って、逗子の背面に出るトンネルだ。二つあるうちの、新しいほうが、それなんだ。はたしてお化けが出るかどうか、いくだけいってみようじゃないか。せっかくここまで来たんだから、このまま、むなしく引き返す手はない」
というのです。もちろん満場一致、すぐ小雨ふるなかを、車を走らせました。
午後九時ごろだったとおもいます。問題のトンネルにさしかかったとき……なんだか、ゾーっと、さむ気がしてきました。助手席には、やはりテレビ・タレントで新進の歌手ケンちゃん……そして、坐席には、私ともう二人……みんなで五人でした。運転は、言い出しっ屁のK君が責任をもったのです……。
トンネルのなかほどにきますと、K君が、ウワーッと叫び、ケンちゃんも、それにつられたように、ワーッ……と叫びました。
「みろ! みろ! フロントを!」
K君のオロオロ声。
このとき、私たちは、はっきりと見たのです。トンネルの遠くの方から、丸いような、青白く光ったものが、だんだんと近づいてきました。ハッと、思う間もなく、フロントガラスの正面に大きな、青白い掌が、ぺたっと、くっついたのです、五本の指が、はっきり、ガラスに貼りついたように……それが、瞬時にして消えると、指紋だけが、ギラギラ燐光をはなって、いつまでも消えませんでした。
K君は、夢中でアクセルをふみましたが、まだ出口まではかなりあります。するとこんどは、車の屋根に、大きな岩がおちたように、ドシーンと、つぶれそうな反動で、天井がキシミました。トンネルのなかで、岩がおちてくるなんて……その音は、とても大きく、私たちの体が、しばらく、しびれたようになりました。
K君は、まっ青になって、なおもつよくアクセルをふみ、ようやくトンネルを出たのです。外は、かなりの雨がふっていました。
一同、こわいもの見たさと、トンネルのなかがどうかなっているのではないかということが気になりましたが、トンネルを出て少しいったところに、小さなガソリンスタンドの灯が見えましたので、一応、車を止めて、そこであついお茶でもごちそうになり、ひと休みしてから戻ることにしようと、雨のなをかいそいで、ぬかるみの土をくちゃくちゃさせながら、スタンドにかけこんだのです。
ところが、かけこんだのは、数えてみると四人なのです。誰か一人足りない、誰だろう、あっ、ケンちゃんだ。ケンちゃんは、きっと、途中で、ころぶかなにかして、遅れたのだろう、そうおもって四人はベンチに腰かけ、スタンドの人に、トンネルのなかで見た不思議な光と指紋、そして、異様な岩石の墜落音について話しました。
ガソリン・スタンドの人は、
「やっぱりそうですか……時々お客さんが、そのようなことを話しているのですが、なにぶんにもここは、トンネルのすぐそばですし、変なことをあまり吹聴されては困るな、ぐらいの軽い気持ちで応待していたのですけれどね……やっぱり、何か、不可解なことがあるんですね……」
と、首をかしげていました。
ケンちゃんは、とうとう来ません。いくら待っても来ないんです。そこで、いったいどういうことになっているんだろうと、またもや、雨のなかを四人そろって、自動車のところへ行ってみました。
すると、そこにケンちゃんが、いました。助手席に、銅像みたいにカチカチになって、顔を上にむけ、両手をかたくにぎりしめたたまま、足をふんばって動かないのです。顔をみると、ニヤッ!と、気味のわるい、笑い顔ともつかず、しかめっ面ともつかない、一種異様な表情で、歯をむき出したまま石のように、カチカチになっているのです。
みんなで、ケンちゃん、ケンちゃん!と、肩をゆさぶったり、耳に口をあてて大声で呼んでも、失心したままです。それは、何かの瞬間、ゾーッとするもの、口ではいいあらわせないほどの恐ろしい反応を、そのまま、とどめているという姿なのです。きっと、この世ならぬ、奇怪なモノを見たのです。そして、恐怖のあまり、笑い顔のようなデタラメな表情をしたまま、硬直してしまったのでしょう。
人間のあらゆる表情を超えた、恐怖の絶頂……という一瞬の顔……。
私たち、のこった四人は、ケンちゃんをうしろのシートにねかせ、大いそぎで横浜に引き返し、磯子の、ケンちゃんの家へ、いきました。
ケンちゃんの顔は、まだ、笑ったまま、意識がもどらないのです。脈搏は、つよく打っていましたから死んだのではないのです。ケンちゃんの両親が出てきて、すぐ、そのまま、磯子のSという脳神経科の病院にかつぎ込みました。
それから十日後、つまり今日ですが、私、ここへ来る前に、あまり心配なので、磯子の病院へ、お見舞いにいってきたのですが、ベットにあおむけになってねているケンちゃんは、あのときそのままの表情、つまり、カチカチになったまま、あの、ぞっとするような謎の笑い声を響かせながら、うつろにひらいた眼をして歯をむき出したままでした。
看護婦さんにきいたら、強度のショックによるものだろうとのことでした。
トンネルのなかで、はたして、どんなものを、どんな恐ろしいものをケンちゃんは見たのでしょうか。あの、妖しい表情だけが、それを知っているのです……。
「日本怪奇名所案内」 平野威馬雄 サラ・ブックス 昭和51年(1976年)7月15日初版
それから、これは見つける事ができなかったので未確認情報ですが、松本キックという芸人さんの、「ムー別冊」に載っていたという体験談。友人と2台の車でこの《鎌倉のお化けトンネル》に行った時のエピソードが載っていたそうで…
『本人は何もなくトンネルを抜けてしまったが、もう一台が来る気配がない。様子を見にUターンして行ってみると、何人かがすごい形相で、車から脱出して走ってきた。話を聞くと、運転手が突然足を、謎の腕につかまれてしまったという。みんな仰天して、再び車をUターンして逃げてしまった。
しばらくして、さすがにその運転手のことが心配になり、戻ってみた。すると車にはキーが付けたままで、その彼の姿が見えなかった。怒って一人で帰ってしまったのかと思い、仕方なくみんな自宅に帰った。ところがその彼はそれ以来神隠しのように行方不明で、捜索願を出した』
…だそうです これは有名な話で新聞沙汰にもなりましたが、いまだに帰ってこないそうです。
冒頭に一部紹介した川端康成の『無言』は、鎌倉市内と、川端終焉の地でもある逗子マリーナのある小坪との往来を物語りの舞台としたものですが、その場合は「名越隧道」が、お化けトンネルの有力候補とされます。鎌倉方面から小坪に向かう場合、名越隧道を出てすぐ右折するルートが最短かつ一般的であった事と、小坪から鎌倉に向かう場合も同様に、緑ヶ丘入口で左折し名越隧道を通れば逗子隧道、小坪隧道は通らないことなどの状況から …です。
名越トンネル: 鎌倉側口 逗子側口
現在、名越トンネルの逗子側はコンクリートの型枠で延長され、この画像とは雰囲気が一変しています。
上画像右から変容した現在の逗子側口。
Special Thanks : popuri




