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柒 帰還

「癖技の初太刀を払った際、直立ちで爪先に力を籠めぬ差し足。最初から後方へ引く腹積もりであったと存じ、足止め致してございまする」


 彩曰く、相手の動きが事前に判るのだという。

 考えてみれば、なぜ頭を無防備のままで晒し、危険を冒しての下段構えなのか。下半身への攻撃禁止という剣道のルール自体、初耳だからではないのか。


 そもそもフットワークの軽さ、足捌きを駆使する事が常識の現代剣道に反して、彩だけが不動で両足をべったりと床へ付けたままであるが、これは重量のある真剣を扱うための癖が自然と出ているのかも知れない。


 ――私の配慮が足らなかった。前もって反則だって事を、よく言って聞かせておけば…………。



 二本目。

 前回大会の覇者、15人抜きを達成し《無敵の剣姫》と呼ばれた面子にかけて立ち上がり、棄権の屈辱を避けた威坂だが、動きが止まり小手二本で訳無く仕留められてしまった。


 しかも彼女は足元が覚束ず、竹刀も揺れていて――

 ……対戦校の選手達は一本目の試合時点で異変を起こしていたから、然もありなんである。


 彩も反則を取られたあと事理一体〝後の先〟の技ばかりでは芸が無いと思ったのか、最後の大将戦ではこれまでと違う積極的な動きを顕した。


 対手は、剣姫・威坂を筆頭とする強豪部員4人の存在ゆえ、今大会安定の座り大将であると見られていた巴千鶴。


 これまで見てきた限り最高の『抜き胴』ではないかと、春原芽衣子は感じた。


 通常胴を抜く場合、相手が面を狙うよう誘い、胴が空いたところを打つ。

 このさい、相手の面攻撃を撥ね除けてから打つのが『返し胴』だが、彩の場合は対手の肘が僅か上向いた一瞬のタイミングで撃ち抜いてのけた。


 敵の内心を見破り、動きを始めると合わせ仕掛ける〝先の先〟の技である。


 何処を狙ってくるかを察し、剣先を動かす段階で打ち込む拍子『捧心』を修得している事で初めて活きる。相手の勘が良いと却って見透かされ、顔前で回した小手を取られかねない強引な技だが、その隙を全く感じさせないあざやかな胴一本だった。


 だが本当の恐怖は、打突の直後起こった。


 流れる様な動きで彩が相手の胴を抜き、左へ摺り抜けた途端、対手は足を前に残したまま、上体が持ち去られ後方へ尻餅をつく。


 前試合の副将同様、その儘バンザイと諸手を挙げる形で引き倒され、天井を仰いだ。


 またしても、オオ~~ッ……!? という声が辺りで起こったが、本人は首を挙げて胸越しに自分の身体を眺めているだけで、起きようとしない。


 そして疲れたのか、再び後頭部を床板へつけて天井を見上げながら

「ふぅー……」と息を吐いた。


 ――――人々がざわめき、またぞろ中止を告げた審判と相手校のコーチらしき男性が近寄って防具面を取る。その人物に首を向けて本人が何かを呟いた。

 顔色は心なしか白く、目も虚ろだった。


 推察すれば恐らく「身体が動かない」と訴えたのだろう。

 彩は一本を告げられた時点で辞儀を済ませ、境界線内で待機している。


 やがて相手の途中棄権が告げられ、勝利が決まった。


「今度は……どうなったの?」春原主将が強張った笑顔で、指さしながら尋ねる。彩は只一言だけ答えた


「方々、おしなべて心胆が虚ろでございますな」。


 だが相手校のコーチだか監督か誰かが、審判主任や審判員の座る席へ詰め寄り何か言い出した。

 春原らが居る所まで「不正竹刀、不正竹刀」という単語が聞こえて、表情が曇る。


 彩が使っているのは部の所有物で、一度限りで貸し与えた物。

 今日竹刀検査も済ませ、不正の事実は無いとわかっていたから、心外だったのである。


 審判は竹刀の検定済みシールを確認しただけでクレームを退け、彩の勝利が確定した。

 先鋒が35人を連続で下すという前代未聞の堂々たる勝利。記録的な完全優勝を成し遂げた学校、爆誕。


 ルイス・フロイス学院女子剣道部の完勝であった。


 だがしかし、会場は静まり返り選手一同、後味が悪く喜びの言葉も無い。彩以外の正式部員達は、汗ひとつかく事なく終わったが、彼女自身も全然疲労した様子を見せなかった。

 部の栄冠を勝取り、新入部員を集める呼び水としたい春原は目的を果たしたが、石動萌との掛け替えない友情は失われた。



 その日の午後7時過ぎ。

 江ノ電から降り立ち、極楽寺駅を出た彩は下校時と同様、月影地蔵堂側から鎌倉山を登り尾根道を辿る。


 日が没して鬱葱と繁る若葉の下は闇に包まれていたが、夜目の利く彼女は足場の悪さも心細さも感じない。

 ただ森閑とした中、大きく聞こえる自らの踏み音と葉擦れ・木々や土の匂いを感じながら、3分ほどで山道を走破し土御門神社の築地塀まで到着した。


 1日ぶりで特段疲れていた訳でもないが、主君の御座する場所へ帰って来たと思えば、やはりほっとした。

 此処が居るべきところ。――――我が家なのだ、と実感する。

 玄関で靴を脱ぎ部屋に入ると、少女は自らの六畳と主君の居室である八畳間を隔てる襖の前で平伏して言った。


「ご主君様。ただ今、戻りましてございます」


「んっ」


 声があり、ややあって体を起こす気配がした。少女が普段の所作通り間仕切を開いてから、もう一度辞儀をして顔を上げる。


 ――やはり。絵草子の滑稽本を読んでおられました……。


 胡座をかいたご主君と傍らのマンガ雑誌を見て、少女は微笑ましく思う。


「オウ彩、お帰り。どうだった試合」


「はっ。重畳の首尾で御座いました」


「楽しめたか?」


「は、…………可なく不可無く」


「だれか強い相手はいたか? お前を手こずらせたヤツとか」


「……いいえ」


 首を振り幾分か思議した少女は、俯かせた視線を戻して答えた。


「どうも当世流の剣技とは、喉を突くと思わせ手元を打ち、頭を叩くと見せかけ胴を抜かんとする、騙し賺しの偽計をば凝らす在りよう。道場剣術の悪弊著しきものあり」


「そりゃあ、まあスポーツだからサ……」


 訳無い顔で響也があっさり言うと、少女は物足りないのか続けて語った。


「技量つたなき者同士。隙を窺うのみで鬩ぎ合ううち畜生道へと堕ち、軍鶏闘諍の如く虚僑して気を頼み過ぎ、却って剣勢を衰耗せしめたと察しまする」


「(今度は何言ってんだ……?)そそりゃあ竹刀だから。真剣と比べて全然軽いし」


 どうも大いに不満な事があったようなので、響也は早々と話題を打ち切った。


「ご主君様。夕餉がお済でなければ、遅ればせながら拵えたく存じます」


「おお、もうこんな時刻か」


 部屋の掛け時計を振り返った響也は、腹を円く撫でて言う。


「そういやぁ腹減った。昨日は外で買ってきたんだが、今晩は早いうち煮込うどんでも作って済ますつもりでいたんだ」


「まあ。それでは総帥様への帰着ご報告の後、直ちに」


「疲れてんだろう? 悪い」


「勿体無きお言葉。ありがたく存じまする」


 少女は響也の部屋を辞すると、中廊下を応接間方向へ歩んで行った。



 翌日から、学院の女子剣道部が完全優勝を成し遂げた大ニュースは校内中を駆け巡った。


 関東圏限定の大会とはいえ、男子を含め過去に前例の無い勝ち抜き数だった事、決勝で破った高崎明央が全国規模の大会でも上位進出の常連校である件も影響した。


 彩は大会史上初の35人抜きの偉業を達成し、賞状と楯を貰ったが、それら物品への関心がないらしく、楯を学院に寄贈し優勝旗を預け、賞状は剣道部へ。――

 ……〝同居人〟の響也は、周りの評価を聞いてようやく無敗の完全優勝という事実や、その凄さを知る体たらくで、女子生徒達から

 『尽くし甲斐の無いご主君サマだ』とダメ出しされた。


 この前代未聞の快勝に教職員室も湧き返り、横断幕を外周フェンスへ掲げて女子剣道部の成果をアピールしてはなどの意見も出されたが、数件の入電があった事で沙汰止みとなっている。


 遮那堂かほるは、その辺の事情をクラスメートの女子仲間達の前で明かした。


 「実は複数の対戦校から抗議……て言うより、苦情を受けたの。彩ちゃんが打った選手達の手首や喉、膝も腫れ上がって痺れや疼きが取れないとか。打たれた手首より上の腕までが痛くなった子もいて、骨が裂ける様な痛みで夜も眠れないって、泣いてるそうよ」


 舞や扇谷要、風祭美樹の三人は、聞いてその痛みを想像したのか息を飲んで黙りこんだ。


 叶仁子は、未熟者だねぇ。と呟いて一蹴した後、遮那堂に訊いた。


「だからって、謝ったりしないよね?」


「一応お見舞いの言葉は伝えておいたけど。釈明する事柄は無いし、謝罪もしていない」


「むぅ~ただおかしいなんて言われても、困りますね~~」


「不正竹刀って、軽くするんでしょフツーは。重くしたとでも?」


 本来なら証拠を揃えて正式な抗議をと言いたかったが、遮那堂はそこまで事を荒立てるのは躊躇し、口を噤んだ。

 挑発的な態度を取るより、見当はずれな抗議は戸惑って見せる方がよい。


 この件はきっと絶大な効果を生み、他のスポーツ部も彩への助っ人要請は控えるだろう。


 さておき、防具の上から竹刀で思い切り打ったとして、そんな症状が起こるだろうか? 聞いた誰をも震撼させ、疑問を抱かせる部分だ。レントゲンで調べた限りでは、全員骨の異常は無く、ヒビも入っていないというが…………。


「春原さんが、彩ちゃんは相手を甲冑武者に見立てて闘ったんじゃないかって」


 春原芽衣子は剣道部の部長を務め、家が道場を経営している。そのため、古武術や主立った剣の流派・戦国時代、実戦での刀槍使いも興味を抱いて調べた事があり、詳しく知っていた。


 戦では互いが鎧を着けているので攻撃できる箇所は限られ、甲冑の隙間である兜のしころと片袖の間、脇の下や膝への斬撃(!)そして何よりも拳割りが有効だったらしい。

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