22 緊迫
彼女は手元の弁当を、深く考えないままこの場へ運んできた自分自身を嫌悪し、後悔の念を抱き始めていた。
――みんなが出て行った後、いっそ土御門くんに手渡せばよかった。
自身も気付かぬうち、沈んだ表情で涙ぐんでしまう。
その顔を側で見ていた鴨川セリは、いつものランチ袋とは別の、青い布袋で包んだ方を指して言った。
「沙織ちゃん。それ、あの子へ勧めてみたらどうかな?」
「ええっ!?」
自分でも改めて視線を向けた。
(土御門くんのため用意したものを?)
それは以前、さりげなく喋った彼の好みに合せたもので、他の女子達と比べてかなり見劣りするのでは。と恥ずかしく感じる。
「これを奨めても、喜ばないと思う」
「それじゃ私が持っていく。沙織ちゃんは傍で聞いててくれるだけで良いから」
今さら響也へ渡すことは出来そうもない。でも、せっかく持ってきたんだから――……少しの間迷ったが、彼女は年少である鴨川セリの言葉に、再び頷いた。
セリは青い包みを解いて中身を取り出す。
竹を編んだ長方形の弁当箱で、開けると経木で包まれている。これはお結びだ、と直ぐ察しがついた。
「……やっぱり止めた方が……」
「ううん、木のいい香りがついてるよ。行ってくるっ」
幼女は両手で網代編みの箱を持ち、小走りでかけ去り彩の前へ立った。
「セリ!?」
遮那堂かほるが名前を呼ぶと、女児はニコッと笑って彼女の顔を見てから、隣に座る少女へ向かって挨拶をした。
「はじめまして。わたし、鴨川セリっていうの。よろしくね!」
「ご挨拶痛み入りまする。霧隠彩でございます。以後、見知り置きくださいませ」
崩した足を正座し直して、懇ろな態度で告げた彼女は、その顔を熟視する。
緑がかった銀白色の髪を左七分三に上げ、愛らしい額と細く形の良い眉を露わした童女。
くりくりと大きな黒い瞳の奥底で、智慧の光が仄揺らぐ。
彩は何も言わないが、一人だけ年少の女の子がいるので疑問を感じているかもしれない。そう考えた遮那堂かほるは、補足も兼ねて紹介した。
「セリは今年で七つなんだけど、成績優秀な天才児でね。私達と学んでいるのよ」
「まあっ、それはご立派な。なんと利発なこと!」
「大げさだよ。シャナ」
相手の賞讃も度が過ぎないよう、セリは軽く謙遜して見せる。それから、持っていた竹かごを両手で差し出すと言った。
「はい、これも良かったら食べてみて。彩ちゃん」
「ありがたく頂戴いたしまする」
謎の少女は間を置かず、文字通り即答した。両手で押し頂くと、合せた膝へ据え置き、経木の紐を解いて開く。
「……ああ。お握りね」
想像通り。何らサプライズもなく三個の握り飯が登場したので、誰かが見たままの中身を棒読みする。
「頓喰(おむすび)にございますか!」
彩は表情を輝かせてセリを見上げる。幼女は膝を折ってしゃがみ、視線を合わせると笑顔で言った。
「食べてみて。美味しいよ」
「いただきまする」
彩は右端のものから取り持つ。表面がつやつやな飯粒を、少し回し眺める仕草をした後で、口へ運ぶ。
「――――まあっ…………!」
一口食べて顔を離した少女は、できた僅かな隙間から中を見つめた。
彩の反応で、周りの女子生徒達も同様、中の具に注目した。青物と混ざって覗く、その色合いや質感から中身を知って「ああ~、……そういう事ね」などの納得する小声が洩れた。
「まこと、妙なる味でございます! 美味しゅうございますなあっ」
「でしょー!」(わあっ、沙織ちゃん塩辛なんか入れてたんだ?!)
イカの塩辛は意外で内心驚いたセリも、彩が激賞するので、合せて適当な返事をした。
「セリ、よく入れようと思ったわね。汁物でしょ、それ。外へ染み出てきそうじゃない?」
「でも大丈夫みたいですわよ。刻み入れてるものは……大葉ですかしら?」
遮那堂かほると雪城舞が揃って疑問を呈してきた。突っ込まれても説明不可能なセリは、謎の少女が最初のおむすびをペロリと平らげたのを幸い、次のものを勧めた。
「彩ちゃんそれもどうぞ。美味しいよ」(まさか同じ物ばかりじゃないよね、沙織ちゃん)
「はい~!」と返事をした少女が続いて口にした具材は、醤油と馴染ませた鰹の削り節。定番だが、彼女はやはり「美味、美味!」と大変喜んで、すんなり食べてしまった。
そして最後の中身は梅干(種を抜いた紀州産)だったが、ここで少女の様子が変った。
食べるのをやめ黙り込んでしまい、目を潤ませる。
それを見たセリは(あちゃ~、なんかマズかったかな?!)と心の中でしかめっ面をした。
周りの女子生徒達も驚き、小さなざわめきが波及した。みんな戸惑い言葉を失って、話しかけるのを躊躇していたが、やがて頃合いを見た遮那堂が、柔らかい口調で尋ねてみた。
「どうしたの? 彩ちゃん」
「 懐かしく、とても美味しゅうございまする! 」
涙を流しながら言うや、笑顔で残りを頬張り、たちまち収めてしまった。
再度みんな啞然としたが、ちょっと間を置いて「良かったぁ!」と安堵の歓声をあげ、不安な気持ちを解消した。
「いずれも馳走で御座いました。堪能致しました…………忝のうございます」
「どういたしまして」
食べ終えた少女は、両手を合せて感謝の言葉を述べる。セリもほっとして応じた。
「彩ちゃん、お結びが好きなんだ!」
「涙まで流すなんて。何か特別な思い出とか、想い入れでもあるの?」
周りの女子生徒達から聞かれ、彩は黙って首肯する。
そうして、遠く相模湾の水平線方向へゆっくり視線を移すと、語り出した。
「幼き頃、戦で焼き出され飢えさ迷うた折、師君様から恵んで戴いた屯食の美味しかったこと。…………わたくしの頭を撫で、慈しんでくださいました。あの御方が慈悲深き方ゆえお仕えでき、こうして生き永らえておりまする。あの時のことを、昨日の様に思い出しまする」
沁み染みとした実感の籠る彩の述懐を聴いて、また一同〈シン〉となった。
しかも全員、彩の語ることは飽くまで事実と受け止める対応を貫き、乗りが良いのか付き合い良しというか、表立ち否定的な態度を取る者はいない。
化け物の出現も併せ、多くの生徒達が彩の語る〝真実〟へと引き込まれ、疑う気持ちが薄らいでいたせいかも知れない。
「けれど大したものね。変わった中身の具を含めて、三種類作るなんて。結び方も上手に形が整ってたわよ。セリ」
「えへへへ。まあね」
すっかり感心した様子の遮那堂から褒められ、疚しさを隠す照れ笑いを浮かべて応じた女児は、内心
(ごめん。シャナ!)と言い、手を合わせ拝む。
「まこと、どれも美味しゅうございました。セリ殿は、御数の趣向を凝らしなさるのが嗜みに御座りましょうや?」
「 土御門くんが、食べてみたいって 」
セリへの質問に、突然そう御狼沙織が震え声で言いきり、彩は(ハッ!)として彼女を見た。他の者達もそろって振り向く。
傍まで来ていた御狼は目を伏せて、戦慄く左手を口元へ近づける。堪りかねたように体を翻すと、その場から駆け出した。
「沙織――」 『 沙織ちゃんっ! 』 遮那堂が呟くと、鴨川セリも名前を呼んで立ち上がり、後を追いかけて行く。
残された誰もが皆(これは面倒な事が起きた)と思った。
「あの、今の方は?」
遮那堂を振り返った彩が問いかける。穏やかな態度だった。
「御狼沙織といってね。北海道の出身で、寮から学校へ通ってるの。大人しくてとても良い子よ」
「ホッカイ、ドウ?」
「え、ええ」(……そう言えば、この子が居たという昔は『北海道』という地名で呼ばれてなかったのよねぇ。はてと、何だっけ?)
「あの方は、ひょっとして〝蝦夷〟では御座いませぬのか?」
「ああ、そうそうっ蝦夷地から来たの! 気立てが優しくてね、ほんと」(う~む。これは、鉢巻の柄で判ったのかしら)
「 ご主君様とは どのような関係で御座いましょう 」
――ぐっ、やはり来たか! 「ただのクラスメート……『同輩』よ。私たちとおんなじ」
すると彩は、周囲の女子生徒達の顔をゆるりと見回して訊ねた。
「方々も我が御主君のため、御食みものを用意なさいますのか?」
「 冗談じゃないわよ! どうして私たちが響也にっ 」
大声で叶仁子が独り言を呟き、雪城舞は慌てて「駄目ですわジンコ!」と小声で制したものの、少女はシッカリ聞いていた。
「餉笥を運ばれるのはお一人でありながら、何ゆえ各々方までも『同じ』と申せるので御座いましょう」
表面上は飽くまでもやんわりとして、内面の揺らぎなど感じさせない少女。
でもこの子なら(表情一つどうとでも取り繕いそうだ)と遮那堂かほるは思った。
彼女が本物の忍者であろうがなかろうが、思慮深い女の子はそれ位の事をやるだろう。
「そうだわ、彩ちゃん。響也の家って女手がないみたいだから、食べたいものを聞いて作ってあげたら? 作り方を知らなければ、協力は惜しまないわよ」
「左様でございますな。材料の調達さえ附きますれば、方々のようなお膳を、是非ともご用意致しとう御座いまする」
彩がぱっと表情を輝かせ反応を示した。
雪城舞も遮那堂を援護して少女の関心を逸らそうと、更なる提案を畳み掛ける。
「食材費なら、きっと土御門神社で出してくれますわ。今度、皆で買い物へ行きましょう」
「はい。総帥様も御連れ合いを亡くされて以来、台所を預かる方が不在ゆえ、寂しい膳で在られたご様子。……わたくし朝餉、夕餉の膳など用意いたしておりますれば、方々ほど華やいだお品立なれば御主君様もお喜びになり、お体もより健やかであられるかと存じまする」




