キスで灯して
最終話です。
夜会当日。
午後早く、私は迎賓館へと歩いていった。
馬車に乗っていくようにと、執事のフィリップは言ってくれたのだが、それ程遠い距離でもなく、急ぐわけでもない。私の為に馬車を出すなんて、ただでさえ忙しいのに申し訳がなかったから固辞した。
迎賓館というのは、国会議事堂に近い丘の上にあって、海に沈む夕日が見える角度に大きな庭園がある大理石の美しい建造物である。門は馬車を受け入れるために間口が広く、既に警備の人間が張り付いていた。私は警備の人にデュラーヌ商会が出してくれた身分証明書を見せ、建物の裏口へと回った。
「この荷物、どこへ?」「あっ、それは、そこの棚へ」
裏口は、たくさんの人間がものを運び入れたりで、てんやわんやだ。今日一日で、作られる豪華な食事の材料の搬入だけでも、大変な話だ。詳細はあまり聞いていないが、楽団や、劇団も来るという話である。
私は、あらかじめ聞いていた、点灯師の控室へと入っていった。
「ああ。スタルジアさんですね」
部屋に行くと、すでに男性が一人待っていた。四十くらいのすらりとした紳士で、彼は私を見て微笑んだ。紺地の三つ揃いを着ている。
「ルッカスです」
「リム・スタルジアです。よろしくお願いいたします」
私は差し出された手を握り返すと、ルッカスは私をみてニコリと笑った。
「なんといっても、今日は、あなたが主役ですから。隣の部屋でお着替えなさったら、時間までゆったりなさってくださいね」
「あの……私、ほかの灯りは?」
「お気になさらず。『永久の輝き』は、特別なのですから」
優しい微笑みであるけれども、『何もするな』と言外に言っている。私はあらためて、なぜ自分がここに呼ばれたのだろうと思いながら、丁寧に頭を下げた。
部屋の中央のテーブルに、迎賓館の見取り図が置いてあり、五人の男性の点灯師が眺めている。
私は、一応、打ち合わせには呼ばれたものの、完全に蚊帳の外扱いだ。
イライラを隠さず、ルッカスが扉の外を見ている。点灯師がひとり、まだ到着していないらしい。
「ルッカスさんというのはこちらで?」
扉の向こうから声がして、ルッカスは外へ出て行き、苦い顔をして戻ってきた。
「たいへんなことになった」
ルッカスは私たちを見まわした。
「ザランが怪我をしたらしい。命に別状はないが、本日の勤務は無理。しかも、ギルドに補充を頼む時間もない」
「……では、この人数で、もう一度割り振りをしないといけませんね」
苦い顔で、点灯師の一人が首を振る。今回の夜会は、魔道灯の数が多い。少数精鋭という形で雇われているから、ひとりぬけるということは、かなりの負担になる。
「あの……完全に穴埋めは無理ですけれど、私にもお手伝いをさせてください」
「しかし……」
私の言葉に、ルッカスが苦い顔をする。
「ルッカスさん、庭園の方だけならば、大丈夫なのでは? 数も少ないですし」
点灯師の一人が口を開く。ルッカスは地図を見て、うーんと唸り、首を振った。
「無理はしませんから。私、何もしないのは心苦しいです」
ルッカスの顔をしかめて、私を見る。そこまで、私は信用がないのに雇われているのだろうか。
ルッカスは、ふうっと大きく息を吐いた。
「……では、スタルジアさんには、庭園の迷路部分の点灯を。ただし、くれぐれも、招待されているお客様と接触するようなことは避け、魔力も無駄遣いなさりませんように」
「わかりました」
──お客様との接触を避けるってどういう意味?
頷きながら、私は首を傾げ……アービンとの出会いを思い出す。要するに、アレだ。また、面倒をおこす可能性があると見られているのだ。使用人たちの判断なのか、アービンの判断なのかわからないけれども、私は『トラブルメーカー』と認識されているらしい。こんなにも信頼されていないのに、どうして、私はここにいるのだろう。行き場のない疎外感に包まれる。
私は担当地区の地図を受け取り、部屋を出ると……そっとため息をついた。
夕焼けが始まるころになると、馬車が行き交うようになった。迎賓館の喧騒は、裏方さん達から、華やかな紳士淑女のモノへと変わりつつある。私は、目立たぬように、壁際を通りながら、美しい庭園へと向かった。早くも訪れている着飾った紳士淑女が、海に沈む夕景を見ようと高台へと足を向けていた。
私の担当はその丘から少し離れた位置にある、生垣で作られた小さな迷路。迷路といっても、防犯的な意味は全くなく、紳士淑女がカップルで夜会会場の喧騒から離れて雰囲気を楽しむために作られたものだ。
迷路に入っていこうとして。
美しく着飾った令嬢たちに囲まれて、正装をしたアービンが丘へと向かって歩いていくのが見えた。もとより目立つ人だとは知っていたが、正装したたくさんの紳士たちの中でも、彼は際立って目立っている。そして、女性たちが、夕日よりアービンを見ているのは、遠目からでもよくわかった。
──そう、だよね。
私の服装は、いつもよりかなり上等なドレス。普段はおろしている焦げ茶色の髪も丁寧に結いあげて、いつもより丁寧に化粧はしているけれど。それでも、『点灯師』の枠から大きく外れるような服装ではない。見苦しくはないが、華がほころぶような美しさとは無縁である。
アービンは、デュラーヌ商会の副支配人であり、とても端正で精悍な顔をしたひとだ。社交界で人気があっても不思議ではない。いや、むしろ、人気がないと思う方が、おかしい。
──世界が違うって感じかな。
私は、軽く首を振って、地図を見ながら迷路へと入っていった。胸に苦いものが広がったのを、私はあえて無視をする。そんな感情、気が付かないほうがいい……そう思う。
生垣の傍らには、小さな魔道灯が置かれていて、足元を照らすようになっている。
所どころに、目線の高さに照明が置かれていて、夜でも暗すぎないように、そして明るすぎないようにと配慮されている。まだ、時間が明るいため、灯をつけても、じんわりと光りを放つだけではあるのだが。
「おや、随分とお美しい点灯師さんだ」
すべての生垣の傍らに置かれている小さな魔道灯に魔力を注ぎ終わったとき。振り返ると、亜麻色の髪の男性が笑いかけてきた。目元涼やかで、異国の服をまとっている。
「あ、え……し、失礼いたしました」
私は思わず、後ずさりしながら頭を下げた。服装から見て、どうみても国賓関係者である。
――どうしよう。お客様との接触は避けろと言われたのに。
私は、冷や汗が背中にたれるのを感じた。とはいえ、走って逃げるのも失礼な話である。頭を下げている間に、どこかに行ってくれないかなあと思い、じっと頭を下げたまま制止続ける。
くすり、と、その男性は笑ったようであった。
「迷路で迷いましてね。よろしければ、出口まで、ご一緒してはいただけませんか? もちろん、お仕事優先で構いませんので」
彼はそう言って、私の手を取り、あろうことか、そっと唇を押し当てた。
「え?」
私はびくっとして、思わず、手を引いた。引いてから、相手は貴賓であることに思い至った。
「申し訳ございませんっ!」
「いいよ。びっくりさせてごめんね。黒曜石のような瞳の君があまりに綺麗だから」
歯が浮くようなセリフを平気で口にして。ニコリ、と、彼は笑う。私は慌てて、「出口ですね」といい、彼を先導する。
「今日、『永久の輝き』を点灯するのは女性だって聞いていたけど、君?」
「は、はい」
否定するのもおかしな話なので、私は頷く。
「いやあ、おめでたい席に同席できるって、下手な接待より嬉しいよね」
彼はそう言って、私に同意を求めるように笑う。
「おめでたい?」
「あれ? 知らないの?」
彼はびっくりしたように目を丸くした。
「『永久の輝き』は、本来、結婚式や婚約式でしか使わないものだよ?」
そういえば『接待なんかで使うものじゃない』とフレアも言っていた。
「デュラーヌ商会のアービンが婚約するから、今日、使うことが出来るって」
「婚約……」
そんなの一言も聞いていない。もちろん、私に話す必要はどこにもないけれど。
「『永久の輝き』 っていうのは、男性の想いの深さで色合いが変わる魔術がかかっていて。しかも相手と相思相愛だと、それはもう素晴らしいものらしいよ。『永久の輝き』を作らせた貴族が借金に困って売り飛ばしたらしいけど――貴族っていうのは政略結婚が多いだろう? だから、結局わが国では買い手が付かず、デュラーヌ家が競り落としたという話さ」
「そうなのですか」
デュラーヌ家には特別、とも聞いたな、と今さらながらにそう思い、胸が凍る様に冷たくなってきた。
アービンはきっと、あの美しい女性達の誰かと結ばれるのだ。
「やあ、ありがとう。出口についたね」
男性がそういうと、出口に一人の男性が立っていた。
「サナデル皇子さま、こんなところにいらっしゃいましたか」
「やあ、アービン、元気そうだ」
男性……サナデル皇子は、親しげに微笑む。アービンは視線の端に私を捕え、一瞬、ムッとしたような顔を向けた。
私は居心地の悪さを感じて、下を向く。
「婚約おめでとう、アービン」
屈託のない笑顔で、サナデル皇子は祝辞を口にした。アービンは少し困ったように眉を寄せた。
「あの……わたしはこれで失礼します」
私は慌てて頭を下げる。『お客様との接触は避けろ』と厳命されていたのだ。不可抗力とはいえ、これは私に非があるのだろう。
「リム――なぜ、君が皇子と?」
アービンの眉が不機嫌に釣りあがった。
「へえ、リムって名前なの? 怒るなアービン。俺が勝手に声を掛けただけだから」
サナデル皇子は突然、私の腰をぐいっと引き寄せ、「案内ご苦労様」と言って、私の耳にキスをした。
相手が皇子様では、突き飛ばすわけにはいかない。私は、どうすることもできなくて固まった。
アービンの緑色の目が私を睨む。かつてないほど、怖い。
「リム、下がれ。君がいていい場所じゃない」
酷く冷たい声で、アービンがそう言った。
――そんなこと、最初からわかっているのに。
呼んだのはあなたなのに。泣きたい気持ちになってきた。
「申し訳ございません」私は頭を下げる。
「何怒っているのさ、アービン、彼女は仕事をしただけだろう?」
「彼女の仕事は、『永久の輝き』の点灯だけです」
アービンはイライラした気持ちを隠そうともしないでそう言った。
「皆様があまりにお忙しそうなので、私がルッカスさんにご無理を言い、こちらのお仕事をさせてもらったのです。非は私にあります」
私はそっと頭を下げた。そう。確かに無理を言ったのは私。私の実力を考えたら、『永久の輝き』に集中すべきなのは間違いない。アービンにとっては、大切な女性へ捧げる点灯なのだ。それに集中してほしいと思うのは、当たり前のことだろう。
「ご心配おかけして申し訳ありませんでした……でも、私、必ず点灯させます。ご婚約に水を差すような真似は致しません。ご安心ください」
それだけ言って無理やり微笑んで。一礼をしてから、踵を返した。
「リム、待て」
アービンの声が私の背に投げられたけど。私は振り返ることはできなかった。いつの間にか、私の頬は濡れていて。例え嘘でも、今は笑えない……そう、思った。
涙にぬれた顔を冷たい井戸の水で洗い、点灯師の控室に戻る。部屋には小さな魔道灯が灯されているほかは、誰もいない。他の点灯師たちは、とても忙しい。
ふう。
私は息をつく。涙で落ちてしまったので、化粧をやり直す。『仕事』として受けた限りは、きちんとこなさなければならない。アービンへの気持ちなど気づかなければよかった、と思う。胸の奥で膨らんだ気持ちが花開くことなくあっけなく散った今、点灯師としての矜持だけが私を支える。滅多と灯すことのできない『魔道灯』を点灯することが出来るというのは、この上もなく、栄誉なことだ。そして、私の灯す灯が、アービンの未来を照らすなら。失恋の散らしかたとして、これほど美しい散り方もないだろう。
「スタルジアさん、時間です」
どれくらい時間が立ったのだろう。心の波が、少しだけ凪いできたころ。
ルッカスさんが部屋に、私を呼びに来てくれた。
私は、緊張しながらも、目立たぬように大きなダンスホールへと入っていく。豪華な食事。美しい音色を奏でる楽団。そして煌びやかな服をまとう人たちがにこやかに談笑している。誰も、私に目を止めない。
やがて。ダンスホールの中央に設置された魔道灯のそばに私が立つと、楽団がファンファーレをかき鳴らした。
「みなさま。ただいまから、我がデュラーヌ家に伝わる、魔道灯を点灯いたします。しばし、お手を止めてご観覧を」
グラードさんが大きな声でそう告げると、ふっと、ホールに設置されていた魔道灯の全てが消えた。
辺りがしんと静まり返る。
私は、ゆっくりと魔道灯に魔力を注ぎ始めた。
「うわぁ」
誰かが、感嘆の声を漏らした。
私の魔力に反応して、魔道灯はゆっくりと明滅を始める。柔らかな虹の七色の光をはなった。
「暖かい」
誰かがそう呟く。そう。この光はとても暖かい。アービンの温もりと同じだ、と私は思った。とたんに、私の身体に彼の温もりが蘇った。そして、同時に、それは自分が得てはいけない温もりだと気づき、胸が苦しくなる。
眩しい、そして強い光がぐるんとホールを一周した。
「リム」
耳元でアービンの声がする。残酷な幻だと思う。魔道灯の魔光石にアービンの想いがこもっているからアービンの温もりがするのは不思議じゃない。私は、他の誰かに向けられた想いを間接的に感じているだけなのだ。
「好きだ」
力を注ぐ私の身体を愛しい人が支えてくれているような、そんな錯覚。その幻の幸せに私は身を委ねながら、魔力を注ぐことに集中する。
「見て、星よ」
魔道灯から天井に向かって光が放たれて。暗闇に、まさしく満天の星がきらめいて、そして、流れ落ちた。美しい光が私に降り注ぐ。
――そして。
私は魔道灯にすがりつく様に崩れ落ち……意識を失った。
硬いこの感触に覚えがある、と思った。
「気が付いた?」
目を開けると、心配そうな緑色の瞳がそこにあった。
「無理をさせてしまった。本当にごめん」
私は、アービンの腕の中に倒れるようにソファに腰かけていた。部屋には魔道灯が煌めいている。
「ここは?」
「迎賓館で俺が借りている部屋」
ぼんやりとした私をアービンは抱きしめるように支えていた。
「私、うまくできましたか?」
「ああ。このうえもなく」
アービンが優しく頷く。先ほどの幻のような幸せなぬくもり……でも。
「ごめんなさい。もう大丈夫ですから」 私は、慌てて、身を離そうとしたが、アービンはギュッとさらに拘束する様に腕を強くする。意味がわからない。
「あの、こんなところ、婚約者様に見られたら、誤解されます」
「見られて困るような相手などいない。俺はまだ婚約などしていないから」
アービンはそう言って、私の髪をなでた。
「でも……」
「欲しいのは君だけだ……好きだ、リム」
緑の瞳に捕らわれて、私は息を飲んだ。
「初めて会ったあの日、きみは俺の心に火をつけた。俺と結婚して欲しい」
「で、でも。私はただの点灯師で……」
あなたとは世界が違うといいかけた私の唇を指先で制して。
「君は俺が嫌いか?」
私は首を振る。
「俺の気持ちは夜会にいた人間はみんな知ってる。反対などさせはしない」
「強引なのですね」
私の言葉に、「そうだな」と、アービンは苦笑して。そのまま私にキスをした。
「好きだ、リム」
「私も……」
再び彼の唇が重なり……私の心に熱いものが灯された。
了
拙作をお読みいただきありがとうございます。
この作品は、ベタ話+地味ファンタジーという組みあわせで、軽いものをというコンセプトで書きました。思っていたよりたくさんの方の目におとめいただき、嬉しいとともに驚いております。
短期連載でしたが本当にありがとうございました。
2016/2/23 秋月忍拝