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クリアマインド(2179文字)

「素晴らしい薬ができた。クリアマインドと名づけよう」


 エフ博士の手にはガラス製の小瓶。中にはたくさんの錠剤。

 さっそく博士は、一番の友人であるエヌ氏に連絡した。


「なんだいなんだい。急に呼び出して。君のことだから、また新製品を開発したんだろうけど」

「そうなんだ友よ。名付けてクリアマインド。ぜひ、君に試してほしくてね」

「なんだい。そのかっこいい名前は。飲むとどうなるんだ」

「名前の通りさ。思考がはっきりする」

「それだけ?」

「ああそれだけ。でもこれが、想像以上にいいものなんだ。ぜひ、一粒飲んでみてくれ」

「そこまで言うなら、飲んでみるが」


 エヌ氏は博士から薬を一粒貰った。親友であるからこそ、よく分からないうちに飲むことができた。

 エヌ氏が嚥下してから一分後、その表情に喜色が浮かんでくる。


「おお。これは……たしかに凄いな」

「そうだろうそうだろう」

「何か、ややこしい問題を私に投げかけてみてくれ」

「よしきた。東京からニューヨークまで、時速八百キロの飛行機で向かうとする。直線距離で一万キロとしよう。さて、朝九時に飛行機が出たとして、つくのは何時だ」

「だいたいで、同じ日の朝八時半だ。時差込みでな」


 博士がスマホを使って実際を確認する。


「正解だ」

「すごいなこれは。時差を含めた計算まで、すらすらできたよ」

「その通り。君の地頭がいいのはもちろんだが、この薬は思考の働きを最大限まで、効率化させるのだよ」

「副作用はないのか」

「ない。植物由来の、安心品質だ」

「世紀の発明だ。投資させてもらいたいくらいだね」

「ははは。生憎、これまでの発明の儲けで、開発費は足りているのだ」

「そりゃ残念だ」


 同じく笑い返すエヌ氏に、エフ博士は持っていた小瓶を差し出した。


「しかし、試験段階の途中であることには変わりない。友よ。これをしばらく、使い続けてみてくれないか」

「ええ。いいのか。こんな大発明を、個人に」


 目を丸くするエヌ氏に、博士は何度も頷きかける。


「いいのだ。君なら信頼できるからね。それに……君はここのところ、会社の重要なプロジェクトの責任者となり、くたびれていると聞いた」

「ああ、実はその通りだ。ここのところ、仕事が気がかりで、夜もよく眠れない。久しぶりに君と会えている今が、いい気晴らしとなっている」

「だからこそ、君に使って欲しいのだ。この薬は思考労働の無駄をなくす。少しくらいは、君の負担も軽くなるはずだ」

「そんなことを考えて、僕を呼んでくれたのか。ありがとう友よ。そういうことなら、ありがたく使わせてもらうよ」

「いいんだ。ひとしきり使ったら、ぜひ感想を聞かせて欲しい」

「もちろんだとも」


 親友二人は固く抱き合った。

 それから、しばらくの時が経った。


 ある日曜日。

 薬の使用感を伝えるため、エフ博士の研究所にエヌ氏が来ることとなった。

 博士は今か今かと待ちわびていた。そして、約束の時間の五分前、研究所のベルが鳴ったので、自ら赴いて、エヌ氏を迎え入れた。

 そして驚いた。


「どうしたんだ、その眼のクマは」

「いやあ、はは。実はね……」


 やつれた笑みを浮かべながら、エヌ氏が中へ入ってくる。エフ博士は応接間へ肩を抱いて案内しながら、なにより先に聞く。


「まさか薬に変な作用があったのか。それならばもっと早く言ってくれれば……」

 と言いかけたところで、エヌ氏が首を振る。

「違うんだ。薬は安全に使えたし、ちゃんと効果はあったよ」

「じゃあなぜそんな」


 ソファに体を預けたエヌ氏は、力なく笑った。


「効果がありすぎたんだ」

「どういうことだ」

「頭が、回りすぎるようになったんだよ。仕事のアイデアはどんどん出るし、部下の上手い動かし方もじゃんじゃん分かる。しかし、それでどうなるかと言えば、僕の仕事量が倍になった。仕事の早さも倍になったからね。それで、

僕の頭は一日中フル回転しっぱなしになり……」


 エフ博士は思わず目を覆ったが、エヌ氏はため息をついたのち、さらに話を続ける。


「まぁ、仕事だけならまだよかったんだ。しかし、厄介なのは休むときも、頭が回り続けることだ。ふっと気を抜いたときに頭をよぎる、会社での人間関係、年金問題、親の介護……。頭の中で際限なく、不安の研究会が勃発する……」


 エフ博士はエヌ氏の隣に座り、労うようにその肩に手を置いた。


「すまなかったな友よ。僕が、薬の効果と、この時代のことを見誤っていた」

「いいんだ。この薬が実用化される前に、大事なことがわかった」

「もう、あの薬は飲まないでくれ」

「ああ、申し訳ないけどそうするよ。」

「お詫びと言っては何だが、実は、今の君にふさわしい薬があるんだ。こんな目に合わせた後で申し訳ないが、今度はそれを渡してもいいだろうか?」

「勿論だとも。むしろ、気になるね。どんな薬なんだ?」

「なに、簡単な話さ。例のクリアマインドの開発中、副産物のように生まれた薬なんだが……」


 **


 数年後、エフ研究所から新薬が発売された。

 その名も「クラウディ・マインド」。

 効果はその名の通り、思考をぼやけさせる薬である。副作用が全然ないところが優れていて、弱い睡眠薬として使えるほか、不安症なんかで頭が回りすぎている人にも有効だった。

 ただ、この薬も完璧というわけにはいかなかった。

 何も考えたくない人がこの薬に依存し、ほとんど寝たきりのような生活を自ら送ってしまうのが、さらに数年後、社会問題となるのだった。

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