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第16話 境界大学の最後(前)



 週末、閃は手を出してくれなかったけれど、ちゃんと興奮してくれたことが分かって安心したクルミ。今度はもっと攻めてみようかな、なんて思って。今度などと言う考えが浮かぶことに、我ながらおかしくなって笑ってしまう。

 組織に居たときはただ、死ぬのを待っていただけだった。こんなにも生きるのが嬉しいことだと思ったことはなかった。

 家に一人で居て、ときどき笑みをこぼす。そんな生活。


 ――全ては、閃が居てくれたから。……けれど。


「なに?」


 内緒で閃のスーツのポケットに忍ばせておいた種。それがあれば、いつでも閃の居所が分かったはずだった。

 実際には気付かれていて、いつもは会社の机の上に置きっぱなしにされていた。そのことにクルミは気付いていない。彼がずっとビルの中で仕事をしていると思っているのだが、それはさておき。


 その反応が、消えた。


「うそ……!」


 心臓が凍り付いたかのような恐怖がクルミを襲った。彼を失うことには耐えられない。何もなかったクルミにできた、たった一つの大切なモノ。

 連れ去られたのなら、その反応が分かるはずだった。魔法少女服を着用して感度を上げても何も感じ取れないことからそれは違う。

 これでは、もう……”消えた”としか考えられない。それこそ、本人ごと蒸発するほどの攻撃を喰らったとしか。


「ううん……違う……!」


 そう、そんなことにはなっていないと確信する。

 クルミは仕込んだ種ならば感知できるが、元来遠距離探知ができるような能力ではない。つまり状況は何も分からないのだが、しかし死んではいないと妄信する。

 だって、彼が死んだらクルミに生きている意味はないから。クルミが生きているのだから、死んでいない。そんな論理にすらなっていない妄想を信じ込む。……でなければ、生きていけない。


「まずは、お兄さんの会社に行ってみないと」


 魔法少女の脚力を使って、家々の屋根を伝って跳ぶ。あまりにも早すぎて人間の目には捉えられない。数分もかけずに到着した。


「――開いてる?」


 無造作にドアを開けて、そして開けられたから入ってみた。鍵がかかっていないということは、なにか異常事態なのか。

 横にカードキーがあることに気付けば、間違いなくおかしいと分かっていたはずだったが。そっちは気付いていない。


「……何もない?」


 そこにはあったのは、いかにもオフィスですよといった風に偽装された3,4人用フロア。そこには特に特徴のないだだっ広い空間が広がっていただけであった。

 人が居ない。閃は、基本的に一人で仕事をしていると言っていたけど。


「あれ……」


 上着がかかっているのを見つけた。匂いを嗅いでみる。


「お兄さんの匂い。……お兄さん、どこ?」


 ふらふらとその机に引き寄せられるように突っ伏したが、それで何が変わるわけもない。少し温もりが残っている。それを感じて。


 けれど、何もない。彼の手がかりを示すものが……何も。


「――あ!」


 突然、感じた。復活したとしか言いようのない、微弱な波動。彼に仕込んだ種の魔力が復活した。……いや、隠されていた?


「あっちか……!」


 だが、その裏に何の思惑が隠れていようが関係ない。クルミには彼さえ居ればそれでいいのだ。だから、それを阻むのなら誰であろうと容赦はしない。

 もう、見返りを求めることなく誰かを助けられたあの時代とは違う。誰を犠牲にしたとしても構うことない大切な人ができてしまったのだから。

 大切な人が居るはずの誰かすら轢殺して、自分の大切な者を必ず取り返すと誓った。


「――ふん、早い到着だな。先に来ていたか」

「なんだ、あの男相手にストーカーでもしていたのか? 後を任された私たちよりも先に来ているとはな」


 空いた窓から入ってきた人影が二つ。魔法少女だ。


「あなたたち……!」


 そいつらが臨戦態勢であることは間違いない。二人揃って嘲笑を浮かべているそいつらを、クルミは許せないと思って睨みつける。

 クルミが初めて抱く人への敵意。紅の瞳が殺意に歪んだ。


「まあ、待て」


 そのうちの一人がひらひらと手を振る。


「――」


 Cクラスへと上がった今のクルミには地面など必要ない。ただのコンクリの床だろうが、根を張れる。魔法でそいつの頭を吹き飛ばしてやろうと魔力をみなぎらせて。


「貴様が大事に想っているあの男のことだよ。死んでもいいのか?」


 けたけたと、面白がるように言い放った。クルミの動きが止まる。


「どういうこと……?」

「ん? 分からないかな。簡単な話だよ、我々に逆らえば人質の命はないと、そういうストーリーだよ。ありがちだろ?」


「く……!」


 クルミが動きを止める。彼を殺すなどと言われては、動けるはずもない。


「さて、大人しくついてきてもらおうか。エージェントはお前の魔法に用があるらしいからな」

「魔法少女服を解除してこのチョーカーを着けなさい」


 放られたチョーカーには爆弾がついている。魔法を発動しようとした瞬間に爆発する仕組みでもあるのだろう。

 魔法少女でも服を解除させた上でそれを着けさせれば無力化できる。


「うぐ……! ううう……!」


 どうしようもないのか、とクルミはそのチョーカーを睨みつける。ああ、そうだ。お兄さんはこんなときどうすると言っていたか。


 ――人質を取るのはよくある話だけど、馬鹿だよねえ。取る奴もそうだが、それでいいようにされる間抜けの方も、それこそ頭にコンニャクでも詰まっているのかと思うよ。


 そうだ、そんなことを言っていた。結局は誰かが助けてくれると思って無抵抗になるんだから、まあ最初からそういう台本でしたよと――そういう話だよね。なんてことを言っていた。間抜けがヒーローを張れるのは漫画の中の話でしかないと言うことだ。


 人質を取られてやるべきことは、諦めることじゃない。

 ああ、相手の善意を期待して従うのが一番の馬鹿だ。それで返してくれるなら、そいつに人質を傷付けるような度胸は持ってなかったって話だ。もしかしたら、そいつを悪の矜持とでも呼ぶのかもしれんがね。

 だが、相手の善意を期待しないのなら。相手を殺すべき悪であるのと決めたのなら。……ただ殺し尽くせ。人質は無事にお返しします。その人には何もしていないので命だけはお助けくださいと、そう言わせるまで一族郎党を殺し続けろ。


 ――うん、分かったよ。お兄さん。

 クルミは狂気の笑みを浮かべる。やるべきことはもう教わっていた。


「ふん。何をもたついている? さっさとしろ」


 一人がクルミに近づいてくる。


「待て。様子がおかしい」

「は、ビビったか? こっちには人質が居るんだから、何も怖いことなんてないだろ」


 そいつが無造作にクルミの髪を掴もうと手を伸ばして。


「……なきゃ」

「は。こうなっちまったら拾っちまったバカな男もかわいそうによ。所詮魔法少女が表で生きられると思うことが間違いなんだよ。クズめ」


「やめろ! そいつは!」

「うっせえよ。別に殺しちまおうってわけじゃねえんだ。アンタは黙ってな」


 二人の魔法少女がクルミを放置して口論を始める。そんな暇などないと言うのに。


「殺さなきゃ」


 先んじてクルミが手を伸ばした。よそ見をしていたその魔法少女は反応できない。


「あ……ぎゃ! ぐげっ!」


 首元に手をかけ、そのまま握りつぶした。彼女らも己を戦闘部隊などと称せど、実際は最低のDランクに過ぎない。Cランクのクルミと真正面から戦って勝てるわけがなかったのだ。


「馬鹿が! だが、私の魔法はその間抜けとは違うと見るがいい!」

「ふぅん。でも、あなたの魔法には興味がないの。ごめんなさい」


 首をへし折ったその死体を砲弾のように投げた。少女とは言え人一人分の重量だ。当たれば無事では済まない。……人であったなら。


「甘く見られたものだな!」


 自動車が走る速度で投げられた死体を両腕で床に向かって叩き落した。すかさず魔法を発動させようと腕を上げたところで異変に気付く。

 叩き落そうとしたはずの死体が離れない。床に叩きつけられなかった、当たった瞬間からずっとひっついていた。


「なんだ?」


 見れば、蔦が巻きついている。それが死体と自分を繋いでいると気付いた。ならば蔦ごとへし折るだけだと力を入れようとして。


「甘く見られた? あなたは事実、弱いけど? ――『転輪』」


 蔦が襲い掛かる。あまりにも自然な魔法の発動、殺意の発露。反応が一瞬遅れたこの敵には、魔法による対抗さえ許されない。


「馬鹿な! こんな、この程度の魔法に……!」


 その蔦を掴んでへし折るその間に他の蔦が3本、4本と彼女を絞め上げる。渾身の力を込めようと束ねられたそれを破壊できず、脱出も叶わない。

 すみやかに絞め殺し、そして栄養を吸って急速に成長……後に枯れた後には死体すらも残らない。


「邪魔者は消えたね。さて、お兄さんを返してもらわないと。魔法少女と犯罪者ならいくら殺しても罪には問われないんだよね? だからいいよね? お兄さんを取り戻すためなら。――何人殺しても」


 ゆらりとその方向を向く。彼女たちに聞かなくとも、お兄さんの居場所は分かっている。仕込んだ種が教えてくれている。だから。


「待ってて、お兄さん。すぐに助けてあげる。でも、怖い思いをさせちゃってるよね。ごめんなさい、しないといけないよね。ああ、そうだ。慰めてあげるって、そういうこともあるよね。うん、クルミなんかの身体で良ければいくらだって慰めてあげる。それがいいよね。悪いことをしたら、償わないといけないから」


 くすくすと狂気に染まった笑みを浮かべ、窓に足をかける。ふわりと金髪が夢のように舞う。それは残酷劇(グランギニョル)の開幕を告げるベル。


 向かうは悪の総本山、境界大学の本拠地。戦力が低下した結果としてエンジェル製造技法を求め、その突破口としてクルミの魔法を見出した秘密結社だ。

 何の力も持たない一般人を人質にしておけば逆らえないと、タカをくくって実行した。その組織、どの5大悪かも分からないままにクルミは皆殺しを決める。お兄さんさえ助け出せればそれでよい、それまでは目についた者から殺していくだけ。


 魔力は幸福より生まれるモノ。ゆえに、家族や恋人よりもクスリの方が手っ取り早いのは身もふたもない事実だが、正気よりも狂気の方が強いのもまた真実。ゆえにクルミはCクラスの中でも上級にまで進化した。


 それでも5大悪と呼ばれたからには、元実験体の一人に倒されては名折れだと? それは狭い見識だ。騒ぎが起きればそれに乗じて軍がやってくる。よほどうまくやらねば二正面作戦を強いられることが決定したこの有様。

 こうして境界大学は自ら処刑台への階段を昇ったのだ。だが、それは至って普通の思考だろう。溺れて掴んだ藁はいつだって破滅への入口。最悪の選択は、抜け出せない負の連鎖から生まれるものだ。


「クルミ、お兄さんを助けるよ。そして、ね――二人で幸せなこと、しよう?」


 歪んだ笑みのクルミが跳んだ。



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