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第5話 怯える少女 



 日が沈み、時刻は19時になった。【大災厄】が起こる以前の10年前であれば、これから街が騒がしくなっていく時間帯であったが今は違う。

 世界が闇に覆われつつある逢魔が時、その時間はもはや人間のものではない。この時間帯まで会社に居なければならないサラリーマンが足早に帰宅を急ぐのみ。静まり返った中で臆病な早足の音だけが虚ろに響く。


 そして周囲のごく普通のサラリーマンたちと変わらず疲弊した様子の閃。……敵は時が経つごとに強く、そして数を増しているのを実感している。

 突破されるのも時間の問題だということが身に染みて分かっているのだ。気合いと根性でどうにかするあいつらでもない、敵が強く多いほどに疲弊が色濃くなるのが当然だ。

 しかし、閃はできることをやるだけだ。だから、足を引きずるほどに疲れるのは、そこは”できるだけ”に含まれるだろう。


「――よう」


 そこに声をかける陽気な男。顔の彫りが深く、金髪。明らかにアメリカ人と見て分かる。もっとも、日本で外国人と言えばアメリカ人くらいのものだった。

 他は全て犯罪者か、それに準じたもの。もっとも、アメリカ人だから安全とも決して言えず。


「軍人が何の用? 見てわからないかな、俺は疲れてるんだけど」


 その筋骨隆々の様は一目で軍人と分かる。本人にひけらかすつもりはないのだろうが、ヤクザじみた暴力的な雰囲気がぷんぷんと匂ってくる。

 そいつは長身をかがめて下から閃の顔をねめつける。


「ちょっと付き合ってくれよ」

 

 ぐい、とコップを煽る仕草をする。一般人なら、はいと一も二もなく頷いてしまいそうになるが。


「今は飲み屋なんてどこもやってないぞ。時代はウーバーだからな」


 閃はいつもと変わらない。一見すれば侮っているように見えるほどに自然体で相手をする。目の前の軍人を何も怖がっていない。


「チ。これだから日本てのは。まあコーヒーでもいいさ。トークしようぜ」

「断って、後でつけられても面倒だな。少しだけだぞ」


「ちょっと待ってろ。どこにでも自販機があるってのは、数少ない日本のいいところだよな」


 彼はコーヒーを買う。閃のことをチラリと見て。


「無糖で良かったな? まったく、日本人は砂糖アレルギーでもあるのかい? オチャもコーヒーも、苦いばかりで飲む気がしないぜ」


 ちょっとした愚痴兼相手の緊張を解きほぐすための小粋なジョーク。に見せかけた時間稼ぎである。

 コーヒーを握る。精密無比、かつ改造を受けた人外の筋力でわずかにコーヒーの蓋をこじ開けた。そこからは早技。袖に隠した注射器の中身を注入、そして蓋を嵌め直せばどこからどう見ても新品の缶だ。

 流々の手品を仕込んだそれを投げた。


「……と。どうも」


 閃は普通にプルを開けて一口飲む。そいつが自分用に買ったのは何なのかを見てみれば、エナジードリンクの大容量缶。


「やっぱりコイツだよ、コイツ」

「俺としてはそんな甘ったるい刺激物を口にする気にはなれないんだが。ま、それは日本人にも好きな奴はいっぱい居るけどな」


 だが、世間話に興じるつもりはない。


「……で、お勤めはいいのか? 中国とかヨーロッパの連中がうるさいだろ?」


 それだけ言って、コーヒーの二口目を煽る。


「ま、目端がいい奴ならそりゃ気付くか。それともどっかから情報を拾ってんのかね? ……俺のことも知ってるかい?」

「男に興味はないもんで。だが、昨日あの子を捕えようとした連中の関係者だと気付かないマヌケと思われるのは癪だね。お前がリーダーか部下か、はたまた話を聞いただけの別人か知らんし、知る必要があるとも思えないが。どれでも同じだ」


「ガリー・レイトンだ。お前と会った奴だよ。というか話しただろ、顔は見えないとしても声は覚えていてくれよ」

「ああ、ジャパニーズとか話しかけてきたあの。で、ガリーっていうのは公式な偽名? それとも、この場の思い付き?」


「どちらかと言えば前者だな。基地に電話かけてくれりゃ話は通じるぜ」

「覚えていたくないな」


 その軍人はニヤリと笑うとプルを開ける。そして豪快に口を付け――飲む。さらに飲む。缶があまりの力にへこんでいく。

 ぺきぺきと、枝のように細くすると。プ、と手も使わず口で吹き飛ばして缶入れに叩き込んだ。


「あんたのことは誰も重要視しちゃいない。まあ、あのガキだって大した問題じゃないんだ。奇麗に片付けるのが生きがいの潔癖症も居るが、今は”大騒ぎ”の最中だからうるさくないしな」

「はは。あんなトンデモ兵器使って、テレビで宣伝もバンバンしておいて。これでお客さんが来すぎて困るとか贅沢言っちゃいけないぜ」


 けらけらと笑う閃に、男は憮然とした目を向ける。

 自白剤を仕込んだのだが、まだ二口しか飲んでいないし後で検出されないように効果も弱い。一般人に証拠が残るような行為はマズいのだ。


 だからこそ裏で注意深く反応を伺っているのだが……分かるのは後ろめたいことはやっていないということだけだ。とても罪悪感を持っている男の反応ではない。

 人間の身体はその全身から様々な情報を発している。とはいえ、背景の情報を知らなければそれほど有効な手段ではいのも事実だった。

 何か悪事を隠している確証が得られれば、この場で締め上げていたのだが。


 ――証拠が残らない範囲なら、まだ問題ないか。


「遠慮なくナマ言ってくれるぜ。なあ、今ここであんたを始末することも簡単なんだぜ?」


 懐に手を入れる。どんな馬鹿でもその下に銃があることは瞭然だ。銃を前にすれば一般人ならば腰を抜かすか手でも上げるのがスタンダードな反応だが。


「それはないだろ。アメリカ人が都市の中で日本人を殺せば大事だ。洗えば分かるだろうけど、ちゃんと日本生まれの日本人だよ。俺は」


 瞳が揺れない。

 けれど、それはよくあるプロボクサーに喧嘩を挑むヤンチャな若者のように”身の程知らず”でも同じ反応をする。 

 他の理由があっても、そこは見分けがつかない。


 ――チ、ひとまずは奴の方が上手だったか。


「へえ。時間を取らせて悪かったな。拾ったペットは捨てると辺りの環境を荒らすんだぜ。ま、手放したくなったら基地の方に連絡を入れてくれ。じゃあな」

「そこまで冷血な人間ではないつもりだよ。話が終わりなら俺は帰る」


 そこで別れた。



 コーヒーをちょびちょび飲みながら帰路を急ぐ。そして、中身が2割ほどまで減ったところで家に着いた。


「変だな、電気が点いていない」


 クルミなら余計な電気代を使わせないようにと、そんなどうでもいいことを気遣っても、まあおかしなことはないが。どうせ魔法少女、目を強化すれば月明りでも昼間同然だろう。

 そう思って鍵を開ける。中はやはり暗い。人影? と思って。


「――クルミ!」


 見たのは顔を真っ青にした彼女。震えながら、泣きながら俺のことを見つけて抱き着いてきた。力なく、胸のあたりに顔を押し付けてくる。


 実際は、彼女はその幼い身体に強大な暴力を秘めている。例えば警察が来たのなら、ただ魔法少女服を纏うだけで銃弾すら跳ね返し、そして小突けば潰れたトマトが咲く。

 対魔法コーティングは貴重だ、市井の1警官が持っているものではない。相手がただの人間であるならなおさらだ。暴力でいくらでも他人を虐げられるのが魔法少女であるのだから。

 けれど、そんなことは何も関係がなく、彼女はただの少女みたいに力なく震えていた。


「……うう。あうう……!」


 泣き出してしまったので、その小さな震える身体を抱きしめて頭を撫でてやる。家の状況を見る限り、何かがあったわけでもなさそうだが。

 足で扉を閉めて、彼女をあやしながら移動してソファに座る。


 ――甘い香り。特に何もしていないし、使ったシャンプーもボディソープだって同じものだ。なのに、何故こんなにも甘い香りがするのだろう。 

 そう思って、その柔かな髪を撫でる。夢のように細く細やかな絹の様な感触が手に伝わってくる。


「えう……えぐ……」


 ずっと震えているこの子が泣き止むのを待つ。次第に落ち着いて行った。


 ――しかし、この髪。ずっと撫でていても飽きないな。


「……」


 話ができるようになるのを見図らって。


「それで、どうしたの?」

「えう……あ……」


 ぱくぱくと、何かを話しそうな気配があるけど言葉にならない。髪を撫でながら、彼女のペースを待つ。


 ――お尻、撫でたらだめだよな。しかし、この子、朝に渡したYシャツ1枚しか着てないんだよな。まずい、かな。


「……あの……ん……」


 答えが返ってくるまでじっと待つ。


「あの……怖くて……」

「何が?」


 ぽそぽそと小さな囀るような声。なんでこんなにも甘い声なのだろう。


「……外が」

「外、ねえ」


「怖いの、ぜんぶ」

「そっか」


 また、彼女の頭を撫でてやる。


 ――ふむ。なるほど、組織での扱いは別に子供に当たり散らすようなものではなかったと依頼人であるリーダーに聞いていた。

 しかし、まあ……効率だけを追い求め、子供を生み出し利用して捨てる。その犠牲者の姿が、これか。殴られずとも、愛もなくただ実験動物として遇される日々は相当なトラウマになっているらしい。

 誰かに従うことでしか生きる術を知らない少女が、こうしてただ周りを恐れて震えているのだ。


 助けてあげたい、とそう思った。


「クルミは、何か嬉しいことは思い浮かぶかな?」

「……あの。きのうの。えっと、ホットケーキ。おいしかった」


 ――あんなものが、ね。正直、そこまで美味しいものでもないと思う。出来立てと言う要素を加えればコンビニには勝てるだろうが、店で食べるものには遠く及ばないはずだ。

 それでも、この子にとっては初めての手料理だったのだろう。


「じゃあ、もう一度作ってあげる。だから少しだけ落ち着ける? ここで待てる?」

「ほんと? つくってくれる? 私のために、つくってくれるの?」


「クルミのために作ってあげる。別に難しい料理でもないんだ。二日連続で食べたことはないけれど」

「ごめんなさい」


「別に構わないよ。ここで待ってて」

「……うん」


 もう一度頭を撫でてやってから、台所に立つ。ホットケーキミックスに卵、牛乳を混ぜて丁度良い焦げ目になるまで焼けば出来上がり。難しいことなどない。

 焼いている間にサラダも作る。一応、身体には気を付けているのだ。


「どうぞ」

「……ありがとう……ございます。お兄さん」


 食欲はあるようで、もそもそと食べ始める。時折零れる笑みがとても可愛らしい。


「ま、喜んでもらえているようならよかったよ」


 くすりと笑って、自分もホットケーキを口にする。そう言えば、昨日の自分の分は彼女に食べられてしまったんだったかと思い出す。

 正直、ごちそうには程遠い適当な代物だけど……少し聞いたところによれば、冷めたものばかり与えられていたようだから。ごちそう、と聞いて思い浮かぶものが違うのだろう。


「少し、テレビでも見ようか」


 食べ終わった彼女とソファに座ってニュースを見る。テレビ番組なんて俺は知らない。まあ、この子もテレビなんて見たことはないだろう。

 組織として、余計な知識なんて植え付けたくないだろうし。


「……」


 この子は安心した様子で頭を閃の膝の上に乗せている。ニュースのお姉さんは昨日よりも興奮した様子で快哉を叫んでいた。

 唐突に現れたSS級魔物を神の杖により撃退した昨日の一件から、さらに現れた魔物達。その脅威すらも降した人類の勝利を声高に掲げていた。


 けれど、頭の良い人間なら不安がよぎる。テレビのお姉さんだって、不安を紛らわせるためにわざと身振りを大げさにしているフシが見て取れる。

 SS級魔物の到来は人類未経験だった。予見されていたファーストコンタクト、そこで勝利を納めたのだ。それはすごい。間違いなく偉業である。

 だが、1つ目ならともかく。2つ目、3つ目、6つ目まで来たなら”もっと”来るのではなかろうか。SS級魔物が現れた昨日。そして今日も現れた。なら三日目と四日目はどうなってしまうのか。


 ――どうなったところで、神の杖が尽きるまで相手をしてもらうんだがな。と閃は苦笑する。

 

「まあ、君にはそんな心配をする余裕もないか」

「……?」


 気持ちよさそうに頭を撫でられている彼女は不思議そうな顔をして、ただ撫でられるに身を任せている。

 俺のことを何も警戒していない。


「――しかし、こうしていると離れた時が心配だね」

「それは……?」


「お風呂、一人で入れる?」

「あう……」


 膝の上でしょんぼりとうなだれる。しかし、一緒に入るのは疑いようもなくアウトだ。そしてこの小さな彼女のことを襲ってしまわない自信はまったくない。今でもギリギリだと言うのに。


「クルミ?」

「……がんばる」


「うん。じゃあ、お風呂沸かしてくるね」


 そっと彼女の頭を置いて立ち上がると、服のすそを握ってついてくる。


「おふろ、入る時は一人で入るから。……だめ?」

「仕方ない、今は好きにするといいよ。ああ、それと職場の親切な人が君の分の下着と服をくれたから、それを使って」


「あ……はい」


 少し残念そうだった。何かに気付いて、は、と顔を上げる。


「あの、私が着ていたものは?」

「乾燥済でリビングに干してあるけど、見えなかった?」


「え? そうだった? あの、ごめんなさい」

「なんで謝るの。別にいいよ。ただ、まあアレは趣味がちょっとね」


 Holy Shitとでかでかと描かれた大きめのTシャツに、紐で無理やりウエストを止めたぶかぶかのダメージジーンズ。

 着ているところは見ていないけど、あれが似合う人間は駄目な類だと思う。少なくとも、この子にアレを着せようとは思わない。


「あれは……組織がくれたものだから。私たち、できるだけからだに合うものを選んでるんだけど。あの……うるさい子から先に取っていくから。……あまったのが、あれ」

「着れるものなら何でも良かったんだ。じゃあ、次の休日にショッピングモールに行こうか。クルミに似合う服を選んであげる」


「私にお洋服、買ってくれるの?」

「そう。クルミも自分も選びたい? 俺も金に困ってるわけじゃないからね、他にも色々と買ってあげるよ。選ぶといい」


「……うれしい」

 

 にこりとほほ笑んだ。その儚げな笑みは幼げな顔に似合わず妖艶だった。


 そしてお風呂にそれぞれ入ってパジャマに着替える。


「あの……これ」


 彼女が着ているのはうさぎの着ぐるみじみたパジャマだ。ピンク色の全身を覆うパジャマ、フードにはうさ耳が自己主張している。


「え。あの人、そんなもの寄こしたんだ」


 くれたのはもちろんあのリーダー。それは新品だったけど一瞬彼女がそれを着た姿を想像してしまって。

 酷くアンバランスだが、一方でとても微笑ましくて笑ってしまう。


「お兄さんの趣味じゃなかったんですね」

「買ったのは俺じゃないって言ったでしょ。でも、似合っているよ。とってもかわいい」


「あう……」


 顔を赤らめてうつむいてしまった。


「よしよし。クルミも気に入ったみたいだね」

「かわいいって、言ってくれたから」


 頭を撫でるとうさ耳が揺れる。そうしているとぐりぐりと頭を押し付けてくる。撫でられるのを気に入ってしまったらしい。


「ねえ。クルミは夜に一人で寝れる?」

「さみしいけど、がまんする」


「そっか。クルミは偉いね」

「えへへ」


「おやすみ、クルミ」

「うん、おやすみ。お兄さん」


 もう一度頭を撫でてあげて、名残惜しそうに何度も振り返りながら寝室に入る彼女を見送った。



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