20、這い寄る影と呪い
『お前は幸せなんて望めない』
真っ暗闇な場所に、ドリーは立っていた。
ここがどこなのか、と考えていると聞き覚えのあるざらついた声が響く。
『お前の罪は大きい。幸せを望むほうがおかしい』
ザザッ、という音と共にめまいに襲われ、力なく膝をつくと冷たい感触を覚えた。
霞む目をこじ開け、視線を落とすとそこには事切れた少年がいた。
「えっ?」
ドリーは思わず目を見開き、少年に触れようとしたところでバランスを崩してしまった。
腕、背中、首筋から足にかけてまで冷たい感触が伝わってくる。思わず見渡すと、そこにはたくさんの死体が転がっていた。
『ねぇ、思い出してよ――お前が犯した罪を』
空から何かが迫ってくる。それはあまりにも大きなドクロだ。
大きな口を広げ、ドリーを丸呑みにしようと迫ってくる。ドリーは反射的に羽を羽ばたかせて逃げようとしが、できなかった。
『逃さない!』
事切れたはずの少年が、ドリーの足首を掴んで笑っていた。
背筋が凍り、震えていると死者が次々と覆いかぶさっていく。
「いやぁー!」
助けて、と叫びながら悲鳴を上げた。
しかし誰もドリーを助けてくれない。迫ってくるドクロは嘲笑い、死者達は身体を祀り上げるだけだ。
『ドリーちゃん――』
誰かがドリーの名を呼んだ。それは聞き馴染みのある声だった。
いつだって、どんな時だって、隣にいてくれる大切な友人の声である。
『ドリーちゃん!』
助けを求め、声がする方向へドリーは手を伸ばした。
その声が必ず、掴んでくれると信じて。
「助けて、助けてシャーリー!」
『ドリーちゃん!』
声はドリーに答えるかのようにして、手を握ると、そこで意識が途切れた。
◆◆◆◆◆
チュンチュン、と小鳥達の囀りが響き渡る。差し込んでくる光がとても眩しく、目を閉じていられなかった。
朝を告げる光景である。ベッドの中で目を覚ましたドリーは、頭を抑えながら身体を起こした。
「夢……?」
ドリーは険しい顔をしながら、目を擦る。
まるで何かが自分を咎めているかのように思える夢に、顔を険しくさせてしまった。
「うわっ、ベチョベチョ」
悪夢を見たせいか、寝汗がひどい。すぐさまお風呂場へ向かおうとすると、右の袖に引っかかりを覚えた。
目を向けるとそこには小さな手があり、さらに追っていくと気持ちよく眠っているシャーリーの姿があった。
「石ころ、ピッカピカぁー」
にひひっ、と怪しい笑顔を浮かべているシャーリーを見て、ドリーはため息を吐いた。
同時にその寝顔を見て、大きな安心感を抱く。
「シャーリー、起きなさい。石を売っちゃうわよ?」
もしかしたら、本当に助けてくれたかも。
そう考えつつ、シャーリーの身体を揺する。しかし、シャーリーの眠りはまだ深いのか起きる気配がなかった。
「仕方ないわね」
優しくシャーリーの手を解き、ドリーはベッドから離れる。
まだ夢の中にいるシャーリーを起こさないようにして、リビングへと向かった。
ドリーがシャーリー達の住む寮へ来て数日。ようやく暮らしに馴染んできたところである。
故郷である〈フェアリーア王国〉は過去の産物となっていたことに衝撃を受けたが、それ以上に百年ほど眠りについていたことに驚いた。
何があって、どうしてそんなに眠っていたのか。考えてみたが答えなんて見つからず、結局考えるのをやめた。
「おはよー」
『おっ、ドリーか。おはよう』
先に起きていたアルフレッドに声をかけ、ドリーはフラフラと浴室へ向かう。
アルフレッドはその様子を見た後、すぐさま新聞へ目を落とすと怪訝な表情を浮かべた。
『呪い蔓延、か』
気になる言葉が耳に入ってくる。ドリーは着替えながら、アルフレッドに「ねぇ、呪いって何?」と声をかけた。
アルフレッドはちょっと唸りながら、説明を始めた。
『かつて起きた神々の戦いで発生したとされる〈不吉な何か〉だ。病気に近いものでもあるが、似て非なるものとも言える』
「何それ?」
『言ってしまえば魔力を帯びているんだ。モンスターが呪いにかかれば強力な存在となり、人がかかればワシのようにモンスターへと姿が変わる。治す方法は見つかっておらず、呪われてしまえばいろいろと諦めるしかない』
「ふーん。って、アンタ呪われてたの?」
『そうだ。何か悪いか?』
「悪くないけど……。それで、その呪いが蔓延するとどうなるの?」
アルフレッドがどうして呪われたのか、ということが気になったがドリーは敢えて話を進めた。
ちょっと残念そうにするアルフレッドだが、ドリーの要望通りに話を進める。
『さっきも言ったが、モンスターが強化され人は人でなくなる。モンスターが強くなれば流通や農耕といったものが滞ってしまうんだ。人が呪われればいつしか理性を失い、心までモンスターへ変わる。その可能性が高くなる呪いの蔓延は、よろしくない』
「だからちょっと嫌な顔をしているのね」
着替えを終え、ドリーは顔を出す。アルフレッドはちょっと険しい顔をしながら、新聞記事を見つめていた。
内容を読み込んでいるのだろう。その顔はさらに険しいものになっていく。
『最近、活発化しているか。こりゃ迷宮探索も気をつけないといかんな』
溢れた言葉を聞き流しながら、ドリーはポットを手に取った。
思った以上に軽いことに気づき、中身を見るとすっからかんである。ちょっとだけガックシとしながら茶葉を探すが、いつも置いている場所になかった。
「ねぇ、アルフレッド。紅茶の茶葉がどこにあるか知らない?」
『あん? そこになければないが?』
「えー?」
ドリーは仕方なく水を飲むことにした。ため息を吐きながらマグカップを手に取り、軽くゆすいでから水を入れてテーブルへと移動した。
ウンウンと唸っているアルフレッドを眺めながら水を飲もうとすると、ドンドンとドアが叩かれた。
「開けるのです! アルフレッド、今日という今日は許さないのです!」
聞き覚えのある声が響く。
ドリーはアルフレッドに目を向けると、とても怯えた表情で本の身体を震わせていた。
「どうしたの?」
『すまん、代わりに出てくれ。できれば追い返してくれ!』
「ハァ?」
『いいから頼む!』
仕方なく立ち上がり、ドリーはドアを開いた。
するとドアの先には、眉を吊り上げてプンプンと怒っているギルドマスターの姿がある。
「えっと、どうしたました?」
「光熱費に水道代の支払いがまだなのです! 今すぐ払えです!」
その迫力は、あまりにもすごかった。
ドリーがタジタジになっていると、ギルドマスターは押しのけて部屋の中へと入る。
鬼の形相で見渡すギルドマスターだが、不思議なことにアルフレッドを見つけられない。
「どこに隠れたのです、アルフレッドー!」
恐ろしい顔をして歩き回る幼女エルフことギルドマスター。
ドリーは何気なく見つめていると、一つの影がテーブルにあることに気づく。視線をそのまま上げていくと、天井に張り付いているアルフレッドを発見した。
「見つけたですぅー!」
当然のように、アルフレッドは見つかってしまった。
急いで逃げようとするが、ギルドマスターがそれよりも早く床を蹴って捕まえる。
「か・く・ごするですぅー!」
『ひ、ひぃあぁぁぁぁぁっ!』
開かれる中身。
ギルドマスターは怒りのまま、アルフレッドの記憶を声に出して読み解いていく。
「うわっ、なんて生々しい……」
読み解かれた内容に、ドリーは引いたが同時にちょっと好奇心が生まれた。
怖いもの見たさに、静かに近寄って何気なく喉いてみる。しかしそこには、ただ点々と文字が記されているだけで、内容を読み解くことはできなかった。
「ああ、なんて温かい。こんなに包まれるなんて、思いもしなかった。私はこのまま包まれていたい――」
『やめて、もうやめて! ワシもう心がボロボロよ!』
うがぁー、と荒れ狂うギルドマスターと目に涙を浮かべるアルフレッド。
その光景はどこか、ほのぼのとしたものでもあった。