4.エピローグ バレンタインの勘違い
それから七年後の、その日。
社会人三年目となる俺は、結婚披露宴のメインテーブルに着席していた。
隣にいる相手は……もう言わなくても分かるだろ、あいつだよ、あいつ。
ちょっと抜けてるけど、無邪気で、いつも一生懸命な、俺に付き纏ってたあいつだ。たった一人の幼馴染。椎名あかね。
大学一年の冬。俺は退院して直ぐに、交通事故を起こす前までは間違いなく恋人だった女性に頼み込んで会ってもらい、土下座して謝った。事故に巻き込んでしまったことと、それと……。
『止めてよそういうの、本当に勘弁。別に、もうなんとも思ってないから。さっさと幸せになれば? 馬鹿じゃないの、こんな風にわざわざ謝るなんて』
それで許して貰えたとは到底思えないが、一つのけじめでもあった。その後に、あかねに自分の想いを告げたんだ。
分かっていたことだけど、あかねに恋人なんて出来ていなかった。あかねと俺のことを見るに見かねた夢子さんが、知恵と人脈を貸したんだそうだ。
ちなみにあのイケメンは、同じ大学に通う夢子さんの一個上の従兄だそうだ。初対面の時にあかねが楽しそうに話していたのも……赤面必死もんだが、俺についての話題だったことが判明した。
また、あかねはその計画をひどく心配したみたいだが、夢子さんは確信をもって次のように言ったと聞く。
『大丈夫、弘樹はへたれで女々しい奴だから、絶対あかねの元に来るから!』
…………俺のへたれ加減と女々しさを信頼して下さり、本当に、どうもありがとうございました。
そのクールなご当人は在学中に司法書士の資格を得て、今は新婦の友人代表挨拶を行い、あかねと一緒になってぼろぼろに泣き崩れていた。俺はその写真をネタに、今度、人生で初めて夢子さんをからかってやろうと思う。
ちなみに俺は地元の信用金庫に就職し、あかねは母校の小学校で教師となった。もっさり頭は相変わらずだが、学級担任も任され、生徒からも好かれているみたいだ。
披露宴は順調に進み、途中、親バカで俺もよく知るところのあかねの父親が、俺に向けて限りなく物騒なことを言ったが、引き攣った笑顔でどうにか乗り切った。
そして友人たちの、意図不明だが愉快なパフォーマンスも終わって人心地ついた頃、司会者があかねに向けて下らない質問をした。
「お二人は幼馴染とのことですが、付き合い始めた切っ掛けなんてありますか?」
その問いにあかねは、「はい!」と元気よく応じると、全世界の悪を帳消しにするような、純真な笑顔で答えた。
苦笑を隠せない俺。きっと会場の夢子さんも笑ってるだろう。
あいつはそのことを聞かれる度に、平気で間違ったことを言うんだ。
「ラブが百パーセント詰まったチョコレートです!」
ほら来た。
まったく、勘違いもいいところだ。確かに、あのバレンタインの日が切っ掛けとなって、俺とあかねは元の関係に……いや、そこから更に一歩進んだのは事実だ。
だがそれとチョコは関係ない。そもそも、あいつの激甘チョコレートは毎年のように食べさせられているが、ちっとも俺の恋心を刺激なんかしなかった。
『って! お前、これ甘すぎだろ!』
『え? だって、私のラブがたっぷり詰まってるんだもん! 当たり前だよ』
そう……。
それは昔から変わらない、あいつと俺のバレンタインの一コマ。
十年過ぎても変わらない。そして多分、これからもずっと続いて行く。
いや、俺が続かせていかなくちゃいけない、そんな……。
無邪気に笑うあかねの横顔を、俺は眩しいものでも見るように、目を細めて眺めた。馬鹿みたいに、白いウェディングドレスが似合ってやがる。
あかねが俺の視線に気づき、こちらを向く。
「ん? どうしたの弘樹?」
そう尋ねられた俺は、微笑を口の端に浮かべ、
「いや、なんでもない」
と、どこか満足そうに答えた。
「ふ~ん、ふふっ、へんな弘樹」
俺はその言葉に笑顔で応じてやる。
すると司会者が、あかねに向かって質問を再開した。
「ラブが百パーセント詰まったチョコレートですか、何とも美味しそうですね」
「えぇ、と~~っても甘くて美味しいんです。実はこれ、私が小学生の時に――」
しかし付き合い始めた原因が、あの脳が軋むほどの激甘チョコレートにあると思われるのは、なんだか癪だな。
それに万が一にもあの味が人の知るところになったら、間違いなく俺の味覚が疑われる。医療従事者が口に含んだりしようものなら、糖尿病を危険視し、不穏な視線を向けてくるに違いない……ってそれ、どんな状況だよ!
自分で自分の考えに突っ込みを入れた後、俺は思わず鼻から息を漏らした。
そして披露宴会場の、広い天井を見上げながら考える。
まぁでもさ、あかね……お前がそう思ってるなら――。
バレンタインの勘違いも……悪くないかもな。
いかにもお前らしくてさ、ははっ。
『ひ~~ろきぃぃぃ!!』
現在と未来だけでなく、過去までが、太陽のように眩く俺達の前に輝いていた。
「それでは、その新婦様の手作りチョコを、ここで新郎様に食べて頂きましょう」
って!?
おい司会者! 人が感動的に締めようとしてるのに、何すんだよ!?
「弘樹、はい、あ~~~~ん」
プログラムにない突然の出来事に狼狽する俺に、いつの間にか件のチョコレートを手にしたあかねが迫ってくる。
思わず半笑いになる俺。
「いや、ちょっと待て!? 俺はそんな話聞いてないぞ!? そもそもチョコはバレンタインに食べるものであってだな!」
俺は席から立ち上がり、みっともなくもそんな言葉を叫んだ。すると会場から「このへたれ~! さっさと食べろ~!」という夢子さんの声が上がり、皆が何かの演目かと勘違いしてドッと笑う。
そしてあかねは座ったまま、目をパチクリさせながら俺を見上げ――。
「やだ弘樹、ひょっとして、今日が何の日か忘れちゃったの?」
「へ?」
俺はあかねの言っていることの意味が分からず、反射的に素っ頓狂な声を上げた。次いで、思考を整理しようと、思いつくままに言葉を並べ立てる。
「きょ、今日だろ? 土曜日の先勝、俺たちの結婚式、二月十四日で……あ!?」
そこで思い当たる。遠方の親族などの出席も考え、土曜日の、それも午前中からの挙式なら縁起がいい先勝の日ということで、半年くらい前に今日を結婚式の日と決めたのだが……。
「今日って、バ、バレンタインじゃねぇか!?」
これだけは、どんな言い訳もできない。
結婚式の準備のバタバタで、俺はそのことを完全に失念していた。
「もぉ~~相変わらずそういうとこ抜けてるんだから。ふふっ」
そんな俺を前に、あかねは嬉しくて仕方がないといった感じで微笑む。
俺は顔に見え透いた愛想笑いを浮かべながら、着席する。
この段階になると、俺は覚悟を決めていた。
いや、正確に言うなら、決めざるを得なかった。
思わずごくりと唾を飲み下し……。
「さ、弘樹。私の愛がたっぷり詰まったチョコレート、食べてもらうんだからね」
「は、はは……糖尿病には気を付けような」
――fin
Happy Valentine's Day♪